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ぴよぴよラヂヲ@婦人部

第拾九章 福島県南相馬市を訪れて

JJ1TZX・KK7GEX Mammie

2023年4月3日掲載

毎月、1か月が経過するのが早いなぁと思っていると、この連載を書く時期になっています。皆様花粉症は、如何ですか? 今年新しく発症する人が増えているようですので、花粉症デビューされた方、長い付き合いの始まりですね。

今月は、先月号でもお知らせしてありました、福島県南相馬市へ行って来たことを書きます。中には、交信して下さった方がおられたかと思いますが、その裏側をお読みください。

クラブメンバーと南相馬市へ

出発当日は、7時にJR品川駅集合のため、遅刻してはいけないとアラームを4時20分、25分、30分と3回(笑)セットしました。しかし、起きたのは4時過ぎ、アラームは必要なく、遠足の日の子供の様でした。

JR品川駅には、今回一緒に行く逗子・葉山アマチュア無線クラブのメンバーが集合。初めて行く土地に、メンバーのテンションも上がり、現地の人との出会いを楽しみに、特急ひたち号に乗り込みました

天気も良かったので、車中は満席、その列車は、春の臨時列車だったため、水戸偕楽園駅にも停車、車窓から暖かな陽ざしの下、紅白の梅が咲いて、たくさんの観光客が訪れているのを見ることが出来ました。

コロナも落ち着いてきて、だんだんと観光地に人が戻ってきたことを実感、その後、下車駅の原ノ町まで、延々と片道4時間弱の列車旅は続いて行きました。いわきを過ぎると、人の気配がしなくなり、色を失った街、そしてそこに新しく街に調和しない建物がポツリポツリと建設されているものが見えています。

何か、いままでに感じたことのない違和感があり、それが旅の終りに何だったのかが自分の中でわかることになったのでした。

体験局会場へ

下車駅の原ノ町駅では、今回の企画チームのメンバーの方が、改札前で待っていて、あたたかな方言で出迎えてくれました。

建て直されて綺麗になった和風の駅舎、それに合わせて、駅前の通りもきれいに整備され、原ノ町駅前は、もうすぐ全部の工事を終えるかのような街並みでした。

そこから車で5分程、今回のイベントが開催される場所へと移動しました。会場は、東洋一の無線塔があった場所のとなりにある公共のセンターです。メンバーの方々は、朝早くから準備に駆け回っていてくださったようでした。

無線塔の有った場所の横でも、交信が出来るようにとテントを張り、アンテナをみんなで建て、これで交信が出来る状態、さあ、体験局開始です。体験局のメンバーは、みんな実際に体験局を実施したことのある経験者なので、誰かが何かをやりだすと、指示されなくてもとなりで補助についたりと、南相馬のメンバーと逗子・葉山のメンバーの間では話さなくてもわかる雰囲気で意思の疎通が出来ていたようです。

体験者は、年齢問わず、下は小学生から上は81歳の女性で、こんなにも幅広く、対等に楽しめる趣味は、他にはあまり聞いたことがありません。今は、幼稚園児でもスマートフォンやタブレット、パソコンを使える時代なので、これを機会に資格をとって、無線機の扱いを覚えたら、今後の無線界はとても明るくなるだろうなと妄想していました。

一生懸命、コールサインをフォネティックコードで伝える姿は、とても可愛く、これを機会に興味を持って欲しいなと強く思いました。台本をきちんと用意し、説明をし、今回の体験で嫌にならないようにしてあげることがなかなか難しいのですが、子どもたちが1人で数回チャレンジし、大人であれば、数回交信をしてみると、台本に書かれた事だけではなくアドリブを入れて、相手局の土地の話をしてみたり、とても楽しそうに交信体験をしていただけたことは、お手伝いする側としては、とても嬉しいものでした。

お天気は、良かったもののだんだんと日も陰り、暗くなって来ました。外の無線塔の跡地では、ライトアップがはじまり、無線塔の実際の高さまで、空に向けてまっすぐ伸びる光はとても見事で幻想的。この土地の人は学生時代に無線塔に登れたんだよなと話してくれました。

その後、南相馬のメンバーと私たちクラブメンバーで懇親会です。美味しいお料理に、共通の話題である無線のことで、話に花が咲き、初めて会った気がしない雰囲気での楽しい会の始まりです。


旅の美味しいものたち

いつも自宅で無線をするときは、430MHzを聞けば誰かしら交信しているのが当たりまえだと思っていたのですが、7エリアでは、430MHzでCQを出しても、ほとんど応答がないという事実・・・ CQを出し続けたら何局か交信出来たのですが、現地のひとから驚かれました。やっぱりYLだからかなぁと(笑)。そのくらい静かな430MHzだそうです。

その代わり144MHzの方が人がいるといった、1エリアとは逆転現象でした。このような楽しい時間は早いもので、その後二次会にも参加し、ホテルへと戻ったのは、夜中1時でした。さすがに、朝4時台から起きていたので、そのまま爆睡したようです(笑)


南相馬の皆さんと

3.11を訪ねて

翌朝もアラームの力を借りずに、起きたら丁度良い朝でした(笑)

ホテルでの朝食を終え、この日の予定は震災のあとを見学するために、南相馬の無線家メンバーが朝から案内をしてくださることになっていました。

駅前でレンタカーを借り、待ち合わせの道の駅へと向かいます。2台の車に分かれて見学ツアーが始まりました。私は現地の人の車に乗せてもらい、表立ったところではなかなか聞けないことも聞かせてもらえ、知らなかった事実を知りました。

原発事故で帰還困難地域となっていて、震災後数年たってやっと入れるようになった地域は、まだ手つかずの場所がたくさんあり、その場所だけが時が止まっていました。

駅舎やその周りは、整備されていまどきのきれいな建物になっていますが、反対側をみると、震災が起きた時のままの家が誰も住まわれることなく、置き去りになっています。

屋根の瓦は落ち、庭には雑草が生え、門扉の朽ち果てた家が多々ありました。家は、人が住まないとダメになると言いますが、町は人がいなくなると血も通わなくなるのだと感じました。誰かが住んでいて留守にしていても、冷たさは感じませんが、全くいなくなってしまった街は、あたたかみの欠片すら残っていませんでした。そのくらい被災した方の残していった我が家、我が街への思いは、強かったんだと感じました。

特急にのって、いわきを過ぎた時に感じた感覚の答えは、ここにあったのだと思います。


その後、資料館などを廻り、実際に津波に流されてしまったものの展示、瓦礫の中からみつかったものなどを見ると、あの雪の降っていた寒い日に、もしもその場所に自分がいたらどうなっていただろうと、言葉がみつかりませんでした。

資料館や震災のことを伝えるために作られた施設へも行きましたが、実際に私の心に刺さったものは、今も残るそのままの場所でした。津波に襲われながらも生徒全員が奇跡的に助かった小学校では、専門家でなくとも、分かる津波の恐ろしさを目の当たりにしました。


子どもを持つ親なら、安心して任せられるはずの小学校の建物がこんなにめちゃくちゃになってしまったことは、何を信じてよいのか分からなくなる反面、大きな津波が押し寄せる最中、適切な判断で生徒全員を避難させることが出来た先生の行動には頭の下がる思いでした。

毎日普通に生活し、楽しい趣味の音楽や無線が出来ることをもっと幸せなことと思わないといけないと、考えされられた旅になりました。

私がアマチュア無線をやっていなかったら、今回のように福島に呼んでいただけることも無かったわけですし、このような大切な体験をしないまま、何も考えずに過ぎてしまったに違いありません。

このような機会を与えて下さった周りの皆様に感謝いたします。これから先、本当の復興へは、まだまだ時間がかかることになるでしょうが、少しでもそのお手伝いが、どんな形であれ、出来たらと漠然と思っています。

今後のわたし

4月、5月と私の所属している無線クラブでの総会がありますし、1年間皆様に、色々な周波数帯やモードで交信していただいた平塚市制90周年記念局も世界各国、日本各地の皆様のおかげで、25000局を超える交信数で、大盛況のうちに閉幕致しました。本当にありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。

今年度は、どんな新展開があるか自分自身もワクワクしています。皆様も健康で、楽しい趣味が出来ることを幸せに思い、日々お過ごしくださいね。

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