Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話
第30話では定NF円とNFマッチ/共役整合のトレードオフについてご説明しました。引き続きBUF725Fを用いた420MHz低雑音増幅器の全体設計について解説しますが、いざ設計してみると意外と難しい問題がおきました。今回は設計の過程を全てお見せする趣旨で、低雑音増幅器の設計を第31話、第32話の2回に分けて解説します。
第30話で計算した定NF円を見ながらNFを少し悪くして入力のVSWRを改善する検討を行う前に、このトランジスタの安定領域を確認して、入出力整合の基本コンセプトを決めることにします。安定領域の確認は、動作点のSパラメータを用いて、信号源インピーダンス、負荷インピーダンスそれぞれに対するStability circle(安定円)を計算することで行います。
Stability circleの解説と計算方法は第20話、 第21話にありますので参照ください。BUF725Fの420MHzのSパラメータから導出した、信号源/負荷それぞれのインピーダンスに対するStability circleを図1に示します。計算に用いたExcelシートはこちらからダウンロードしていただく事が可能です※1。
驚くことに、420MHzにおける、このトランジスタの信号源インピーダンスに対するStability circleは図1の水色の円となり、スミスチャートの外側、遙かに離れたところに位置していました。(Mr.Smithの表示範囲を遙かに超えていたため、この図はExcelで作成しています。) Γ=0の座標は円の外側に存在するため、円の内側(水色の領域)が不安定領域となります。つまり信号源のインピーダンスはスミスチャート上の何処にあっても、420MHzにおいては不安定にはならないと言うことを示しています。
一方で、負荷インピーダンスに対するStability circleは図1のオレンジの円となり、不安定領域は円の内側・・・オレンジ色の領域です。右側に拡大した図を示していますが、オレンジの弧の上側が不安定領域です。負荷インピーダンスをこの領域に設定すると入力インピーダンス(S11’)が1以上となり発振のリスクが発生します。
拡大図にはBUF725FのS22と入力をNFマッチしたときの出力インピーダンスS22’、ならびにそれらの複素共役S22*、S22’*の軌跡を示していますが、420MHzにおけるS22*、S22’*は不安定領域に入っていますので、中和などの対策なしに出力回路を共役整合することはできません。LNAはトランジスタの入力端子をNFマッチ、すなわち電力的にはミスマッチ状態で使用する為、出力を共役整合できないと利得不足になる可能性が生じますが、BUF725Fの場合、図2に示すように420MHzの|S21|が23dBと大きいので、入力側はNFマッチ、出力側は50Ωの負荷を直接接続する方針で設計を進める事にします。
余談ですが、このトランジスタの420MHzにおけるS12は非常に小さく|S21|と|S12|の積は電力比で1/100以下(-21.8dB)となりますが、それでもこのように不安定領域がスミスチャートの内側に入り込んでしまっている状況です。
増幅器全体の整合設計コンセプトが決まったので、本方針に沿って入力整合回路を設計します。既に第30話で定NF円と入力の等利得円をそれぞれ作図して確認しました。両者を重ねてMr.Smith※2に表示した図を図3に示します。なお定NF円、等利得円を計算したExcelシートはこちらからダウンロード頂けます※1。
図3 BUF725Fの信号源インピーダンスに対するNFと利得の関係
図中、ΓOPTを中心に広がる円群が定NF円、S22*を中心に広がる円群が等利得円です。信号源インピーダンスがΓOPTに近づくとNFは小さくなりますがVSWRが大きくなり、整合損が発生する分、利得が小さくなります。逆に、S11*に近づくとVSWRは小さくなり利得が上昇しますが、NFは大きくなります。ここではNF=0.8dB程度を狙い、入力VSWRが何処まで小さくなるか計算してみましょう。まず信号源インピーダンス50Ωを灰色の線付近、かつNF=0.78dBの定NF線の内側に変換する回路の設計結果を図4に示します。
図に示すように、トランジスタから見た信号源反射係数は0.85∠19.6deg、S11*に近づいたので、G1は+8.4dBとなっています。続いてこの整合回路をBFU725Fの入力に接続したときの整合回路の入力インピーダンスを計算した結果を図5に示します。
なお図5において、6番マーカは1番マーカ(トランジスタのS11)に並列キャパシタを接続しています。第30話で完全なNFマッチを行った時は、整合回路の入力VSWRは10に達していましたが、NFを少し劣化させてS11*寄りの値にしたことで、入力VSWRを約3まで改善できました。入力VSWRを2以下にしたいところですが、図4を見ていただくとお判り頂けると思いますが、これよりS11*寄りの整合を行おうとすると、定NF円、等利得円共に等高線の密度が混んでいる領域に入ってしまうので、NFが急激に劣化すると同時に、整合回路に使用する素子の特性変動で利得、NF共に再現性が悪くなる可能性が高くなってしまいます。
入力の整合回路が決まったので、1章で決めたコンセプトに従えば、あとは負荷のインピーダンスを50Ωのまま接続すれば良いということになりますが、その前に利得を確認します。
図2にコメントしたとおり、BFU725Fは元々X~Kバンド用のトランジスタなので、420MHzではS12が非常に小さく、単方向利得の積み上げ結果に近い利得が得られると期待できます。図6に単方向利得GTUの計算結果を示します。計算方法は第23話で解説しました。
今回の設計では出力側は整合をとらず、トランジスタの負荷インピーダンスを50Ωとしたので、G2=0dBです。従って図6に示す通り、
(式3-1)
となりますが、ここで問題が発生しました。図7にBFU725FのMSG/MAGを計算した結果を図7に示します。なおMSGとMAGの計算方法について第19話を参照ください。
図7 BFU725FのMSG/MAG/K (計算方法は第19話参照)
図7に示す通り、このトランジスタの420MHzにおけるMSG(最大安定利得)は約28.5dBです。一方(式3-1)で求めたGTUは31.4dBでありMSGを3dB近く上回っています。つまりこのトランジスタをこのまま使用すると発振する可能性があります。
実際に図4の整合回路をこのトランジスタの入力に接続した際の出力インピーダンスS22’を計算してみると、この事を裏付けるかのように負性抵抗になっていました。→図8
図8 BFU725Fの信号源インピーダンスと出力インピーダンスの関係
図8において、ΓS1が図4の入力整合回路をトランジスタに接続した場合です。信号源インピーダンスに対するStability circleで安定と判断していたので少々モヤモヤしますが、ΓOPTとS11*を結ぶグレーの直線と等利得円の各交点付近のインピーダンスを信号源インピーダンスとしたときの出力インピーダンスS22’を計算した結果、GTU≧29dBでは|S22’|>1となっていて図7のMSGと概ね符合しますので、こちらが正しい結果と判断すべきでしょう。
と言うことで、GTUがMSGを超えない条件で入力整合回路をもう一度設計し直す事とします。続きは第32話でご説明することとします。
今回は実用的なLNAの設計事例の前編でした。2章の設計でGTU≦MSGとなっていれば、そのまま最後までご説明できたのですが、想定外の再設計が必要になってしまいました。
このような手戻りは設計の初期段階では良くあることです。このまま出力を50Ω負荷に接続して全く使えないという事はないと思いますが、発振傾向は間違いないので、恐らく実装の違いや温度変化などで再現性の悪い回路になってしまうでしょう。
第31話で踏襲した手順を要約すると以下の通りです。
(1) Stability circleを作成し、入出力のマッチングコンセプトを決める
(2) 入力整合回路のゴールとなる信号源インピーダンスを決めて整合回路を設計する
(3) 設計結果を基に入力VSWRを評価する
(4) 単方向利得GTUを評価しMSGを超えていないか確認する
次回は(2)の作業に立ち戻って再設計し、BFU725Fを用いた420MHz低雑音増幅器の設計を完成させたいと思います。
※1: これらExcelシートに関するご質問についてはご容赦ください。
これらExcelシートの内容に関する知的財産権その他一切の権利は筆者濱田倫一に帰属します。FB NEWS編集部は筆者濱田倫一の許可を得て本件記事を掲載しております。
また筆者、ならびにFB NEWS編集部は、これらExcelシートの二次使用に伴う一切の責任を負いませんので、あらかじめご了承ください。
※2: Mr.Smith ver4.1のダウンロードはこちらからhttps://www.vector.co.jp/soft/winnt/business/se521255.html
Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話 バックナンバー
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