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熊野古道みちくさ記

第33回 カツオ節発祥の地・印南町

熱田親憙

千葉・九十九里出身の私にとって刺身といえばカツオであり、お雑煮のだし汁のベースはカツオ節だ。子供時代からお正月の三が日にカツオ節を削るのは私の仕事だった。あの香り、うまみは体に染みついている。和食がユネスコの無形文化遺産に登録され、日本食文化を代表するだし汁のもとが、カツオ節であるという事実は喜ばしい限りだ。

そんな昨今、日高町中央公民館で「鰹(かつお)節の発祥地・印南漁民3人衆の偉業と足跡」(講師は印南町文化協会長・紀州語り部、坂下緋美さん)なるチラシを見て、今年1月末、聴衆の一員となった。

江戸時代に期せずして紀州印南浦にいた3人の漁民が、外に豊かな漁場を求めてカツオの漁法とカツオ節の製法を伝え、現在も鹿児島県、静岡、千葉など各県の町で主要産業になっているという。

3人衆は(1)江戸前期に土佐(高知)のカツオ漁で活躍し、カツオ節を創始、完成させた角屋甚太郎親子(2)江戸中期に鹿児島・枕崎にカツオ節製造を伝えた森弥兵衛(3)江戸後期に静岡・西伊豆、千葉・南房総にカツオ節製造を伝えた印南與市である。

その歴史を振り返ると以下のようになる。
1・江戸初期に印南漁民は潮岬沖に出漁していたが、潮御崎会合のカツオ漁協議で締め出されて、漁場求めて土佐の臼碆(うすばえ)へ「通い漁」を余儀なくされた。
2・宝永の大地震(1707年)と津波で印南浦は壊滅的打撃を受け、甚太郎2代目も犠牲になった。スポンサーの豪商も再起不能となり、以降、カツオ節工場は印南から徐々に消えていった。
3・技術の流出に厳しかった紀州藩だが、カツオ節産業の衰退に直面し、豊かな漁場を求めて森弥兵衛と印南與市の2人をカツオ節大使として送り込むことになった。

印南漁民顕彰碑は国道42号から少し港寄りに入った広場にあった。2段の石組みに縁どられた石台に載った黒御影石に3人衆の名がそれぞれ個性的な文字で刻まれていた。その前には、カツオ節伝承地の土佐、枕崎、西伊豆、南房総、銚子から贈られた石が並べられていた。また、石碑の横には顕彰碑建立会代表を務めた坂下さんの建立趣旨が述べられており、「カツオ漁業に恵まれない印南浦から3人もの偉大な功労者を生んだことを後世に伝えたい」と結ばれていた。その動機を尋ねると、恥ずかしそうに「印南町を30年離れてみて、故郷の歴史の深みを知り、町づくりのために余生を捧げたいという気持ちになった」とのこと。私も千葉を離れて50年、同じ思いで房州に惚(ほ)れ直している。離れないと気づかないのは残念だが、その無念さが逆に坂下さんのエネルギーになっておられるようだ。

甚太郎に敬意を表すため、菩提寺の定行寺を訪ねて墓前で合掌した。とっさに「印南漁民はどうして漁法に長けていたのでしょうか」と質問すると坂下さんは「印南漁民の前身は水軍が多く、海流に詳しかったようです」。

「なるほど、紀州沿岸にはいくつもの水軍が競っており、その可能性十分ですね」

こんな会話を交わしながら、「カツオ節発祥の歴史が伝わり、観光客が増えることを願っています」と申し上げ、充実した「カツオ節デー」を終えた。


スケッチ 叶王子前から印南港(日高郡印南町)

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