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熊野古道みちくさ記

第46回 亀山城と寺内町(御坊市)

熱田親憙

道成寺縁起で有名な御坊には、中世に海南から田辺にかけての地域を支配し、紀州最大の国人だった湯川一族が根拠地とした亀山城と小松原館があったという。JR御坊駅を下車して亀山城祉(じょうし)を目指す。その前に道成寺に向かう県道に出ると、宮子姫の石像があった。

道成寺伝によると文武天皇の妃となった宮子姫はこの地に生まれ、その縁で紀伊の国司・紀道成が天皇の命を受けて701年に寺を創建したという。道成寺には安珍清姫の伝記もあるが、「女人開運を祈るお寺として、縁起に見られる母の祈りや南紀らしいのどかな風土を感じて、火の恋の清姫より好きなのです」という作家・有吉佐和子の添え書きがあった。私も同感である。

県道から外れて亀山の登山口から簡易舗装された山道を黙々と歩いて約40分、標高117.7メートルの頂上に着く。本丸のあった敷地の中心に「亀山城址」の石碑が立ち、その奥に城主だった湯川氏の供養塔が建てられていた。南西側の隅に目をやると土塁だけが残っており、登ると見晴し台となっており、御坊の街が一望できる。石版に描かれた地図に眺望を重ねると、疑問が頭をかすめた。

湯川氏は亀山の頂上に城と本丸を作り、山のふもとの現在の湯川神社付近に居宅・小松原館を建てた。周辺は城下町としてにぎわったはずなのに、今のJR御坊駅付近はビニールハウスや農地が多く、閑散としている。街の中心は日高川河口の浜のあたりに移っている。それはなぜか知ろうと、紀州鉄道に乗って西御坊へ。松原通りを抜けると東町の本願寺日高別院に出た。別院を中心に門前町になっていて人通りもある。なぜここに別院があるのか。由来板によると、1528年に摂津国江口で三好長慶に敗れた湯川直光は、山科本願寺の証如上人の助力で亀山城に帰ることができた。その厚恩を深く感じて1550年ごろ、現在の美浜町吉原に一堂を建立。次男信春を出家させて住職にし、証如より祐存の法名と吉原坊舎の号を頂いた。1585年の豊臣秀吉による紀州征伐で吉原坊舎と亀山城は焼失。仮堂・薗坊舎や日高坊舎の建設を経て、明治に入って本願寺日高別院と称されるようになった。御坊舎に因んで御坊と呼ばれるようになったのが地名の由来といわれている。

以降門徒を中心に人々が周辺に往来して町が形成され、日高地方の商業の中心地になった。別院のある東町は現在でも土蔵屋敷などが残り、林業が繁栄した足跡を残していた。これには、日高川の水運ゆえに木材の集荷地であったことも関係しているのだろう。ここまで足を延ばすには、JR御坊駅から「西日本一短い鉄道」の紀州鉄道に乗って2.7キロ離れた西御坊駅で下車せねばならない。

1929年に御坊駅が、町の中心地から離れた亀山山麓に設置されることになった際、町長が当時の鉄道省に街の中心にするよう陳情に行ったが
失敗したと、土地の人が裏話を教えてくれた。御坊は地名が示すように城下町より寺内町の方がにぎわった事例だが、山城には国人藩主・湯川氏の存在があふれていた。


スケッチ;宮子姫像(右)、JR御坊駅(中央)と本願寺日高別院(御坊市)

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