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熊野古道みちくさ記

第44回 稲むらの火祭り(有田郡広川町)

熱田親憙

昨年の12月の国連総会で11月5日を今年から「世界津波の日」とすることが決議されたのは記憶に新しい。背景には1854(安政元)年の旧暦11月5日に起きた安政南海大地震の際、広村(現広川町)を襲った大津波に対し、当地出身の実業家・浜口梧陵(ヤマサ醤油七代当主)が稲むら(刈り取ったばかりの稲の束)に火をつけて村人を高台に導いて大津波から命を救った逸話がある。

1937(昭和12)年文部省発行の小学校国語読本卷十に「稲むらの火」として掲載された。その抜粋を紹介しよう。

「これはただ事ではない」とつぶやきながら五兵衛は家から出てきた。長くゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りは、老いた五兵衛には不気味なものだった。目を村から海に移すと、(中略)波が沖へ沖へと動いて海岸は広い砂原や黒い岩底が現れた。「大変だ。津波がやって来るに違いない」と、(中略)五兵衛は大きな松明(たいまつ)を持って飛び出し、(中略) 夢中で自分の田のすべての稲むらに火をつけた。山寺では早鐘をつき出した。

「火事だ。庄屋さんの家だ」と、若者に続いて老人も、女も、子供も山手へかけ出した。(中略)「津波だ」と誰かが叫んだ。やがて、海水が絶壁のように目の前に迫り、人々は我を忘れて後ろへ飛びのいた。しばらくして波にえぐり取られた村を、ただあきれて見下ろしていた。我に返った村人は、無言のまま(後略)

ちょうど梧陵はヤマサ醤油が事業を展開していた銚子から、広村に帰郷していた。その後、梧陵の人命尊重の精神と防災意識は「稲むらの火祭り」として受け継がれ、今年も10月15日、14回目の式典が広川町庁舎前で行われた。

式典は太鼓と笛の演奏で始まり、小学生十数人が「稲むらの火」を朗読。広八幡神社宮司の佐々木公平実行委員長は「この松明行列で、楽しく防災意識を身に付けてほしい」と述べた。行列の先頭に立つヤマサ醤油十二代当主・浜口道雄さんが太鼓と巫女(みこ)に囲まれて、最初の松明の火をかがり火から採り、行列の先頭に立った。

生命を見守るような優しい緩やかな炎を掲げた老若男女の町民が後に続き、午後6時に行列が動き出した。見送る浜口梧稜の銅像も手を振っていた。

目的地は約2キロ先の高台にある広八幡神社。辺りはとっぷりと日が暮れて満月の月明かりの下で、鳥居前の田んぼに火祭り用の稲むらが三つ用意されていた。坂を上ってくる松明の行列は火の川の流れのように波打ち、何代も続く心の帯に映った。

行列の先頭集団は梧稜の気持ちになって稲むらに一斉に点火。1分くらいで稲むら全体に火が回り、秋空を焦がすこと約7分。参加者は「早く知らせること」「高台に逃げること」の大切さを確認し合った、厳粛なひとときだった。松明は神社に上り、奉納された。

この火祭りは広川町で防災体験イベントとして、11月5日の津浪祭と併せて行われる。広川町が津波防災教育の基地として日本全国に、そして世界に向けて情報発信を続けてほしいものである。(記:2016年)


スケッチ;燃える稲むら、朗読する小学生、梧陵翁銅像、広八幡神社

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