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熊野古道みちくさ記

第39回 紀州漆器の町・黒江(海南市)

熱田親憙

観光地図を追って紀州街道を南下していくと、漆器の町・黒江(海南市)に地理的意外性を感じた。漆(うるし)は英語でjapan。学生時代に知って既に意外性を感じていたのだが・・・。

紀州漆器伝統産業会館(うるわし館)を訪ねると、朱塗りと黒塗りのさまざまなお盆や重箱が展示、即売されていた。特別コーナーには「根来塗」の文字が目に留まった。近くの旧黒江公民館のイベントは、女性客でにぎわっていた。ガイドさんや漆器問屋の女主人もおられ、「なぜ当地に漆器産業が盛んになったのですか」と尋ねた。

室町~戦国時代、近江(滋賀県)の人たちが熊野詣での帰り道、当地はヒノキなどの木材が豊富で、気候も温暖で住みやすいことを知り、室町から戦国時代にかけて木地師が大勢移住。紀州街道が「ディスカバー紀州」の場となった。ヒノキの木椀の製造からはじまり、柿の渋地椀技術の発展で、江戸時代に漆器の一大産地となり、大正時代まで続いたという。朱塗りは柿渋に弁柄(酸化第二鉄)を混ぜて刷毛で塗布、黒塗りは柿渋に松煙または炭粉を混ぜ塗布し、下地が完成。その後、中塗り、上塗りして椀づくりが完成。後に指し物、箱をも手掛け、「黒江塗」の基礎ができたようだ。その後、漆の原料が枯渇し、1959(昭和34)年ごろから、樹脂による成型素地に化学塗料で塗装した新製品が開発され、手ごろなものが多種出回るようになって今に至っている。

江戸時代の発展の中心は今の川端通りで、当時は川だった。周りに漆器問屋と宿屋が並び、売り物の反物を持ち込んだ伊予の商売人は、帰りに漆器の出来上がるのを待って船積みをして帰った。空船で帰らぬ伊予商人の「ガメツさ」がうかがえる。船積みの目印の場所が、今の公民館筋向かいの灯篭(とうろう)だ。

川端通りの裏道には漆器店や工房が軒を連ね、店先に漆桶や荷車が横たわり、花の鉢が飾られて観光客に愛嬌を振りまいていた。根来寺で作られていた本来の「根来塗は」は、1585(天正13)年の秀吉による根来攻めで終わったという説もあるが、今なお注目されている。黒江で漆工房を営まれている山田健二さんに話をうかがった。

木製の素地の上に錆び漆や蝋色漆で下塗りを行い、黒漆で中塗りをした上に朱漆を塗り施した漆器(中には黒漆仕上げもある)を根来塗といい、日常の飯食器、仏具、文房具、茶道具などに多く用いられ、「黒江塗」とは別物であるという。永年道具を使用していると朱塗りが摺(す)れて、下塗りの黒漆が随所に表出。この朱と黒の対照が独特の味わいを出し、茶人や好事人に親しまれ、今日ではあらかじめ「朱塗りの摺れ」がデザイン化されて、工芸品や商品として受け継がれている。ちょうどダメージ加工されたジーンズのファッションに似ている。塗りの摺れを傷物とせず、「美」として生き返えらせる手法は「わび・さび」のこころに通じ、環境にも優しい。海南市の地場産業に棕櫚(しゅろ)たわしなど日用雑貨品の産業が多いのも、黒江漆器の木椀づくりが、ルーツになっている故かもしれないと思いながら帰途についた。


スケッチ:路地の漆器店(海南市黒江川端通り)

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