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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その47 JH1ORL酒井章宏氏の南太平洋DXツアー 1988年 (3)

JA3AER 荒川泰蔵

JH1ORL酒井章宏氏の南太平洋DXツアー

日本人による南太平洋DXツアーは、2014年8月号の(その17)で、1980年のJA1BK溝口皖司氏とJA7SGV鈴木進一氏によるDXツアーを紹介したが、その頃はサンスポットがサイクル21のピークであった。今回の1988年はサイクル21と22の谷間の時期にもかかわらず、南太平洋の島々へのDXツアーで多くのQSOを達成されたJH1ORL酒井章宏氏からのレポートを含めて紹介する。

1988年 (ロードハウ VK9LD, VK9LS)

JH4NMT松田佳之氏は、ロードハウ島でVK9LDを運用したとレポートしてくれた。「相互運用協定による運用許可であったので特に苦労はなかった。ただ、私の場合、JAとWのライセンス(WD2M)を一緒に出してあるので、どちらのライセンスが基準となって免許がおりたのか不明である。コールサインは空いているものについては希望すれば発給されている様です(写真1)。郵便で申請書を提出するより、現地の日程に余裕があれば、直接DOCに出向き申請する方がFBです。島は長さ約10km、幅500-1500mの細長い珊瑚礁に囲まれている状態で、南側に700-800m級の山が2つあります。オーストラリアのリゾートになっており、多数の機材を持って行ったので、思う存分、心いくまでパイルをさばき、コンテストに参加することが出来ました。(1988年4月記)」


写真1. VK9LD松田佳之氏の免許状。

JA2NQG杉山峯一氏は、次項のノーフォーク島での運用のアンケートで、VK9LSでロードハウ島でも運用したと触れておられる。

1988年 (ノーフォーク VK9NQ)

JA2NQG杉山峯一氏は、CQ誌の記事を見て、ノーフォーク島で運用した時のことを手紙で寄せてくれた。「(手紙から抜粋)ノーフォーク島で日本人の運用は、1988年9月に私がVK9NQを運用したのが最初かと思います(写真2の左)。9月3日の朝までロードハウ島でVK9LSのコールでQRVし、3日にノーフォーク島に渡り、その日の05:18 UTCにOE5KEとの交信から始めて、9月5日の23:36 UTC (現地時間9月6日昼)にW2QHZとの交信まで、811交信(160m-10m)を行いました。1992年には、日本人によるVK9NYの運用がありました。(1994年8月記)」杉山峯一氏からは別途2, 3レポートを頂いているが、JA2NQGのQSLカードを見ると1980年代後半から1990年代にかけて、多くのアジア・パシフィックの国々からQRVしておられたようだ(写真2の右)


写真2. VK9NQ杉山峯一氏のQSLカードの表と裏。

1988年 (ニューカレドニア FK/JH1ORL, FK/JA3EMU)

JH1ORL酒井章宏氏は、ニューカレドニアから運用した経験をレポートしてくれた。「FKのPTTにてFK8DDの協力により短期運用許可を得た(写真3)。運用場所はFK8KAB(FK連盟のクラブ局)からであった。PTTにてコ-ルサインのアナウンスはFK/JH1ORLであり、JH1ORL/FKではないと念押しされた。運用は同行したFK/JN1DPL及びFK/JJ3IMXと合わせて約4,000QSOであった。50MHzでは約300局のJAとQSOできた。FKでの免許申請は無料であった。(1990年5月記)」


写真3. FK/JH1ORL酒井章宏氏の免許状。

JA3EMU田中敏之氏は、相互運用協定により取得した免許でFK/JA3EMUを運用した経験をレポートしてくれた。「私の場合はバカンスで行きましたが、相互運用協定が結ばれたので、JARL国際課より申請書および申請先を入手して免許を得ました(写真4 & 5)。DXバカンスのためQSO数も極めて少ないが、160mでJAと10局QSO出来、Newを少しの方ですがサービス出来ました。運用場所はARANC(連盟のクラブ局)を借用しました。現地の方との交流が大変有意義でした。(1988年12月記)」


写真4. FK/JA3EMU田中敏之氏の免許申請書。


写真5. FK/JA3EMU田中敏之氏の免許状。

1988年 (ウォリス・フツナ FW/N6LYB)

JH1ORL酒井章宏氏は、ウォリス・フツナから運用した経験をレポートしてくれた。「日本の免許をベースにFW/JH1ORLを申請したが、当時JAとの相互運用協定の連絡が行き届いていなかった様で、JAの免許ではFK(ニューカレドニア)のPTTに照合するので2ヶ月かかると言われた。U.S.A.の免許に対しては即日交付OKとの事で、FW/N6LYBにて免許を受けた(写真6)。運用に対するバンド、モード等はFKに準ずると言われた。FWへは一人での旅行であったが、FKの空港や旅行代理店では、仏語のできない日本人の一人旅はやめた方が良いとの忠告を何度も受けた。事実FWでは英語は90%以上通じなかった。結局、エアーカレドニアにて、民宿、送迎を全てお願いし、食事以外は何不自由なく運用が出来た。初めて1.9MHzを運用し、多数のWへNew oneをプレゼントできたが、JAは3局のみで各局599で入感するも応答がなく残念であった。民宿はNanoa Hotelであったが、島内にホテル/民宿は3軒のみらしく、現地で探すのは不可能に近いと思われる。FKもしくは3D2(フィジー)のエアーカレドニアのオフィスにて予約をとってから、送迎まで含めて手配すべきである。ライセンスについては、JAからFWのPost Officeへ直接申請すればOKである。但し、申請は仏語がベスト。3ヶ月以上かかると思われるので注意が必要。又、コールサインはFW/N6LYBであり、N6LYB/FWでない事に注意すること。FWではボート/船の出入りが多い為、当局によってワッチされている可能性がある。コールサインのアナウンスは正確にしたいものです。免許料は2,000CFPでした。(1990年5月記)」


写真6. (左)FW/N6LYB酒井章宏氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

1988年 (仏領ポリネシア FO5HL)

JH1ORL酒井章宏氏は、仏領ポリネシアからの運用経験をレポートしてくれた。「3ヶ月以上前より申請したにもかかわらず、PTTの引っ越しと重なり免許状が得られなかったが、係官の好意によりFO5HLの2nd OPの許可が得られた(当時タヒチでは2nd OPは禁止でFO0/JH1ORLの様な許可もされないとのことであったが、その後FO0/JH1ORLのスタイルも許可されている様である)。運用はFO0XXクリッパートーン島Pedi以来交友のあるFO5HLの家から行い、オールアジアコンテスト電話部門に参加し、合計約5,000QSOを行った。1.9MHzでは数局のJA局とスケジュールを組みトライしたが、JAの信号は599で入感するも応答なく残念であった。しかしUSAの数局とはQSOできた。50MHzではどこもオープンせずFO0AKとのみQSOできた。(1990年5月記)」

1988年 (西サモア 5W1HA)

JH1ORL酒井章宏氏は、西サモアで5W1HAの免許を得て運用したとレポートしてくれた。「Apiaの郵便局の2階のライセンス課で、免許を即日交付で取得した。手数料は40サモアドルであった(写真7)。運用はオリビア ヨンドール アコモデーションから、WPX-CWコンテストの期間のみCWで行なった。安くてアンテナを建てやすいホテルを探したが、Apiaの市街地では見付けにくかった。上記ホテルは庭も広い為FBであった(Apiaで最も高額なアギーグレイスホテルの裏手にあります)。アメリカンサモアからウエスタンサモアに行く場合、フェリーならば特に問題がないが、飛行機だと殆どがセスナの様な6人乗り位の小型機で、大きなアンテナが運べないので注意が必要。(1990年5月記)」


写真7. (左)5W1HA酒井章宏氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

1988年 (米領サモア JH1ORL/AH8)

JH1ORL酒井章宏氏は、相互運用協定によるFCCの運用許可証を得てJH1ORL/AH8を運用したとアンケ―トを寄せてくれた(写真8 & 9)。「レインメーカーホテルのバンガローより運用した。アンテナ設置に関しては総支配人の許可が必ず必要である。但しアンテナの設置については他の客の目に付かない様、又、事故等起こさない様配慮が必要である。私の場合シーズンオフであったため特に問題も無く、5バンドGP, 50MHz 2エレHB9CV, 3.5MHz/1.9MHz DPをヤシの木を利用して使用した。50MHzはノイズがS9以上であったが、強引なスケジュール局によりQSOが成立した様である。(1990年5月記)」


写真8. JH1ORL酒井章宏氏の相互運用協定によるFCCの運用許可証。


写真9. JH1ORL/AH8酒井章宏氏の2種類のQSLカード。

1988年 (トンガ A35AS)

JH1ORL酒井章宏氏は、トンガでのA35ASの運用経験をレポートしてくれた(写真10)。「Kimiko Guest Houseより運用した。となりのBeach HouseはよくDL/DJの局が利用している様である。ヤシの木以外に高いものがなく、ローバンド用のDPを張るのに苦労する。空港やPTTで、無線機その他で問題になった事は全く無い。ただ空港では、持ち込む無線機等のリストを作って持っていた方が良い。どこの民宿でも無線はやらせてくれる様だが、電気代については事前に話をつけておいた方がお互い良いと思われる。また、民宿の殆どは夜中など声がひびき渡るので、夜半のSSBはあきらめた方が良いかも知れない。時として(シーズンオフなど)民宿に誰もいなくなる時があり、その時はシメタものでSSB OKである。50MHz帯運用時、Openする時間が100%晩飯時にひっかかる。レストラン等は18:30-19:30(現地時間)しかOpenしない為、晩飯か50MHzかの選択をせまられる。また、晩飯から帰ってくると20:00を回りSSBの運用がやりづらくなる。現地のデートラインホテル(国営ホテル)はロケ的に悪く、無線ができそうな感じさえしなかった。日曜日は、たまにAC200Vの配電がStopすることがあるので要注意。免許料T$24であった。(1990年5月記)」


写真10. (左)A35AS酒井章宏氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

1988年 (南クック ZK1XD)

JH1ORL酒井章宏氏は、南クックでのZK1XDの運用経験をレポートしてくれた。「ex. ZK1NPの経営するティアレ ビレッジ モーテルより運用した。現地到着時、何の予約もしていなかったが、偶然にもZK1NPのXYLに会い、宿泊させてもらった(1泊NZ$6)。同時期にVK2BCHもそのモーテルに来てZK1XVを開局しており、彼はSSBを運用していたので、私は専らCWの運用を行った。運用は10MHzを含む3.5-28MHzで約4,000局とQSO、50MHzはビーコン出すもどこにもオープンしなかった模様です。免許は郵便局の2階で申請し、即日交付で手数料はNZ$6であった(写真11)。(1990年5月記)」


写真11. (左)ZK1XD酒井章宏氏の免許申請書。(右)ZK1XD酒井章宏氏の免許状とそのQSLカード。

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