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熊野古道みちくさ記

第41回 ミカンの発祥地を歩く

熱田親憙

和歌山の各地を訪ねてミカン畑を見る度に子供時代、千葉の家の庭先にあったミカン畑を思い出す。敗戦1年前の1944(昭和19年)年ごろ、空腹の中帰宅して西日の当たるミカンの木に登り、生温かい黄ばんだミカンをむさぼるように食べた。甘酸っぱい香りと満足感は忘れられない。わが家の木は祖母がお嫁に来たとき、いろいろな苗木と共に庭に植えたという。ミカンは私の好物であり、幼い思い出の食べ物である。

ミカンのルーツを求めてJR海南駅から国道42号線を下り、海岸線交差点小南を左折して藤白坂を上がる。蕪坂に向かう途中の山の丘陵地にある田道間守(たじまもり)公遺跡「六本樹橘創植の地」の石碑前に立つ。

「記紀」によれば、第十一代垂仁天皇の御代、田道間守は勅命により不老不死の霊果として、中国より橘の木を持ち帰り、この地に植えたところ、6本が生えたという。近くの阿弥陀寺(橘本王子跡)では、青空のもとに橘が実っていた。更に南下して街道沿いの橘本神社(所坂王子跡)には、田道間守が柑橘と菓子の祖として祭られており、春の菓子祭りには関係者でにぎわうという。

更に、有田みかんのルーツを求めて有田市の箕島駅近くにある「有田市みかん資料館」へ。館員の方からいただいた資料と説明によると、自然発生の自生説と外部からの外来説など7つの伝説があるが、定説は糸我の地頭・伊藤孫右衛門が1574(天正2)年に肥後の八代に使いして、小ミカンの苗木を手に入れて紀州に移し植え、今日の基を開いたという。

その顕彰碑が有田公園にある。江戸時代からのミカン畑があるというので、案内していただいた。紀伊宮原駅のところを左折して街道を北上して山口王子跡で下車。ここから爪書地蔵までゆっくりの登り坂。竹やぶのアーチを抜けると眼下に有田川が見え、ミカン畑のスロープが強固な石積みで固められていた。石垣にみかん農家の魂を感じた。石垣はみな、ミカン農家個々の石組み技術によるもので、その家の伝承文化になっているという。更に、石垣は単なる土砂崩れ防止の土塁でなく、太陽熱を吸収して温室効果でミカンをおいしくする役目があるという。合理的だ。少し後に、静岡県などの石垣いちごも同じ原理だと気づいた。

山口王子跡から県道164号線を下ると間もなく右手の沿道に伏原の墓地がある。熊野詣での途中で行き倒れとなった人々のお墓が集められている。参詣者の思い半ばの無念さと、無縁仏となった人の境遇などを想うと胸が詰まる。板碑には平安から鎌倉時代の碑も交じっていた。当時、参詣者は有田みかんを食べられたであろうか、墓前にはお花とミカンがお供えされている。

街道筋に住む人の昔からのおもてなし供養と思うと、安堵を覚える。少年時代に千葉の家で食べた温州みかんも有田生まれだったのか。船に乗って江戸にミカンを運んだ紀州商人や房州に漁場を求めた紀州漁師によって、ミカンの苗木が運び込まれたのかなと思う。黒潮は産物だけでなく、人や文化も運んだようだ。


スケッチ;みかん畑より宮原橋望む(有田市宮原町)

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