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熊野古道みちくさ記

第43回 「印南の与市」は房総に生きている

熱田親憙

印南町出身の鰹節(かつおぶし)3人衆の一人・印南与市は江戸時代に千葉・房州、静岡・伊豆で鰹節製法の改良に貢献したと印南町文化協会の坂下緋美会長から聞き、私の郷里・千葉の墓参ついでに、与市の眠る南房総市千倉町南朝夷を訪れた。

まず、与市のお墓のある東仙寺へ。手入れの良い墓地の中央にある渡辺家先祖代々の墓の一角に、赤御影石の与市の墓石が並んでいた。当地では土佐与市と呼ばれ、千倉の網元・渡辺久右衛門の彼に対する厚遇ぶりがうかがえた。今は南房総市の指定史跡となっている。幸せな与市である。

与市は1758(宝暦8)年、当時の印南村に生まれ、長じて鰹節の土佐節製法の名人になった。30歳のころ家を出て東国に向かい、漁場を転々としながら千倉へたどり着いた。当時の南朝夷村の網元・渡辺久右衛門の温かい人情に触れて秘法の「燻乾法(くんかんほう)」を伝授すると、千倉の鰹節が一躍有名になり、文化・文政年間(1804~30年)には房州一円に広まった。

1815(文政12)年、57歳で没した与市を当地の人はどう見ていたのか。東仙寺近くの中嶌山住吉寺にある1895(明治28)年に建立の頌徳碑(しょうとくひ)はコケで判読できなかった。拓本から、

「一人の職人に過ぎないが、その志は博大で立派な人物」

「彼は知る限りの秘法の極意を渡辺氏はじめ他の業者にも物惜しみなく伝授した」

「紀州の掟では、この改良鰹節製造の秘法を他国に漏らした者は帰国不可となっていたが、彼はこれを意に介せず、天下に広く公開しようとした」

「請われて伊豆の国にも行き、秘法を伝えた」などと記されているのが読み取れた。

こんな与市の生き方に感動した明治の人々は碑で「あなたは改良鰹節の作り方を安房国に初めて伝え、鰹節の産業を盛大にして、豊かにしてくれました。我々は末長くあなたの魂をお祀(まつ)りします」と彼の徳を褒め称えている。私も与市の広い視野と寛容な精神に感服した。

羽山商店(南房総市)は、今も伝統的な燻乾法で鰹節、サバ節を製造する。羽山政一社長にお会いすることができた。

店舗と工場は通称「海岸道路」沿いにあり、昼下がりで加工作業は休止中。数人の従業員がサバ節のカビ取りをしていた。奥では燻乾式魚類乾燥機が稼働していた。乾燥させ、香りをつけるためナラ、トウジの薪が積まれていた。

羽山社長は「よい鰹節、サバ節に仕上げるため、最も気を使うのは加工前の魚の脂肪分です。脂肪が多いと良質のダシがとれません」という。肥満体が好ましくないのは魚も人間も同様か。

別れ際、羽山社長は「私の先祖も紀州出身らしいです。与市200回忌の式典(2014年)で、印南町の坂下会長より与市の話をお聞きして、今の自分の仕事の意義をかみしめました」と結んだ。

千倉からの帰路、高速バスで東京駅に出た。東京湾をまたぐアクアライン上のサービスエリア「海ほたる」で、ここは鰹節や干鰯(ほしいわし)といった海産物や鮮魚の漁場であり、消費地である江戸への流通要路でもあったのかと思いを巡らせた。


スケッチ 千葉・千倉港(南房総市千倉町)

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