2015年8月号

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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)

国際連合創設40周年

1945年6月26日に国際連合憲章が加盟国によって署名され、同年10月24日にその過半数の国が批准して国際連合(国連)が正式に発足した。日本の国連加盟は1956年12月になるが、国連にとって1985年は40周年の記念すべき節目の年であり、6月26日にはそれを記念して記念切手が発行された(写真1の左)。ニューヨークの国連本部の他、ジュネーブ事務局、ウィーン事務局の3ケ所で、それぞれ2種類の切手と、それを収めた小型シートが発行されている。国連記念日は10月24日であるのになぜ6月26日の発行かと思っていたが、創設日を巡って色んな意見があったようだ。国連アマチュア無線局(4U1UN)は毎年10月24日に限ってプリフィックスを周年の数字に置き換えて運用してきたが、1985年は4U40UNの特別コールサインを10月の1ケ月間使用した。国連本部では、先の記念切手に10月24日の消印を押した国連40周年記念切手の贈呈帳を作っていて、それには1947年に国連の日を10月24日に定めた旨の説明がある(写真1の右)


写真1. (左)国連創設40周年記念切手の初日カバー(1985年6月26日)。
(右)国連本部が国連の日に作成した国連40周年記念切手の贈呈帳(1985年10月24日)。

1985年 (国連本部 4U1UN, 4U40UN)

JM3KHY服部澄子氏からは、国連本部の4U1UNをゲストオペとして運用した時の様子をレポート頂いた(写真2)。「日本でコールサインが下りたばかりの私ですが、主人の転勤先ニューヨークで、JANETの皆様が運用する4U1UNでのオールアジアコンテストに、1日だけ参加させて頂く機会に恵まれました。実際には、途中でチェックインしたJANET 7MHzで、KB8VAとコンタクトさせて頂いただけで、あとは何のお役にも立たなかった私ですが、それでも初めて海外でマイクを握った緊張感は一生忘れえぬ思い出となりました。国連でお会いしたJANETの皆様、そしてHB9RS等、国連の方々とお知り合いになれたのも、ハムという国を超えた趣味のお蔭かと思います。又、ニューヨークのレピータークラブMAARC(W2SNM/R)のミーティングにも2回程出席して、ローカルの方々にも色々と教えて頂きながら、何とかニューヨークでの生活を楽しんでいる私です。(1985年6月記)」


写真2. (左)4U1UNのQSLカード。
(右)4U1UNを運用するJM3KHY服部澄子氏とN2CAO服部匡史氏ご夫妻。

JA1LZR岩倉襄氏から4U40UNを運用した経験をレポート頂いた(写真3)。「1985年10月10日及び10月25日の両日、4U40UNからCWで運用しました。CWによるアクティビティが低いので、短時間にも拘わらず多くの局とQSOすることができました。特に10月25日は、W.W. Phoneコンテスト直前にKenwoodから寄贈されたTS-940, TL-922Aの新しいリグでオン・エアーし、中南米、ヨーロッパとQSO出来ました。目下のところ20メーター用のダイポールアンテナしかありませんが、近く、高性能のトライバンドビームをあげ、受信能力のアップを図って欲しいものです。そうすれば多くの局にサービス可能と思います。(1985年11月記)」


写真3. (左)国連ビルの照明による「UN40」の文字。
(右)4U40UN局にて、左からN2AIR岩倉襄氏、N2CAO服部匡史氏、N2JA塚本葵氏。

故JS1DLC荒川謙一郎氏4U40UNを運用した時の様子をレポートしてくれた。「1985年10月26日、N2ATT荒川さんのお世話で、国連設立40年記念局4U40UNから、CQ World-Wide DX Contestにサービスの為、N2ATF, N2ATT, KD2HA, KR7T各局さんと1日オペレーションを楽しんで来ました(写真4)。国連のクラブ局4U1UNの責任者であるDr. Max deHenselerの好意によるものであり、当日は朝から一緒に14MHz Phoneで楽しみ、夜は彼の自宅でドイツから来た従妹夫婦と共にパーティに招かれ歓談の時を過ごしました(写真5)。当日はJA 56局を含み、全部で472局にサービスが出来ました。(1985年11月記)」


写真4. (左)4U40UNを運用するKR7T澤木利氏氏。
(右)4U40UNを運用するKD2HA林市晴氏とJS1DLC荒川謙一郎氏。


写真5. (左)4U40UN局にて後列左からJS1DLC荒川謙一郎氏、N2ATT筆者、KD2HA林市晴氏、N2ATF小林巌氏。前列右側HB9RS, Dr. Max deHenseler。
(右)HB9RS, MaxとRenateご夫妻のアパートへ招待を受けた4U40UNを運用したJANETクラブのメンバー達。

JA3AER筆者4U40UNを運用した一人として次のように記録していた。「国連創設40周年に当たる今年は、9月23日から10月24日にかけての特別会期に、約95カ国の国家元首が国連に集まるとのことで、国連局4U1UNもこれを記念して、10月いっぱい特別プリフィックスの4U40UNでQRVすることになりました。今回の総会に出席する各国の要人の中にもハムがいるだろうと、10月8日、Maxたちの手によって会議ビルの1階にも無線局を設置され4U40UNで運用されましたが、機材はTrio-Kenwood Communications社から寄贈されたもので、TS-940トランシーバーと, TL-922Aリニア・アンプの最新式のものでした。私は10月6日、ニューヨークに出かけたついでに国連に立ち寄り、4U40UNのコールサインでオン・エアさせて頂きましたが、コンディションが悪くアメリカ国内のQSOのみに終わりました。このあと10月10日の夜にN2AIR岩倉さんがCWでオン・エアしましたが、やはりコンディションが思わしくなく、北米および中南米とのQSOしかできなかったようです。国連総会中で警備が非常に厳しいのですが、HB9RS/W2, Max国連局会長の好意で10月26日, 27日のCQ WWコンテスト(電話)に、JANETクラブのメンハー数名で運用させて頂きました(写真6)。(1985年11月記)」


写真6. (左)4U40UNのQSLカード。
(右)4U40UNを運用するN2ATT筆者とN2ATF小林巌氏。後ろはKR7T澤木利氏氏。

1985年 (英領バージン諸島 N2AIR/VP2V, N2DHZ/VP2V, JA1XGQ/VP2V, JA2IVK/VP2V, JA7RHJ/VP2V)

JA1LZR岩倉襄氏N2AIR/VP2Vとして、DXFFメンバーと共に英領バージン諸島へのDXペディションを行った経験をレポートしてくれた。「N2DHZ(JH1HGC)三浦純夫氏(写真7)他3人の日本からのDXFFメンバーとともにDX Pediを計画、FCCライセンスでB. V. I. ライセンスを申請した。ライセンスは年間20ドルで更新可能。運用に際しては北側の浜辺に面したCottageを一週間借りて、機材を持ち込み約200局のJAを含む5,000局とロ-バンドで交信した。尚、入国時、無線機材リスト及びライセンスを提示してトラブルは無かった。(1986年1月記)」


写真7. (左)N2DHZ三浦純夫氏(1982年頃)。(右)N2DHZ三浦純夫氏のQSLカード。

JA2IVK鈴木英樹氏JA2IVK/VP2Vで、岩倉襄氏らと共に運用した経験をレポートしてくれた。「N2AIR, N2DHZの米国メンバーが発案し、われわれ日本メンバー(JA1XGQ北村茂夫氏JA7RHJ熊谷泰氏)がそれに加わる形でDX Pediを計画、FCCライセンスでB. V. I.ライセンスを申請した。ライセンスは年間20ドルで更新可能。運用に際しては北側の浜辺に面したCottageを一週間借りて、機材を持ち込み約200局のJAを含む5,000局と交信した(写真8)。(1986年1月記)」


写真8. (左)JA2IVK/VP2V鈴木英樹氏。(右)JA7RHJ/VP2V熊谷泰氏。

1985年 (パナマHP1XHY, HP1XYJ)

JA1LW大貫祥男氏はパナマでのHP1XHYの運用経験をレポートしてくれた。「パナマでは1985年から1988年までの3年間、HP1XHYというコ-ルサインで運用しておりました(写真9)。パナマのライセンスは、ハムの友人に聞いたところ、"相互運用協定がない国のハムにライセンスがおりるかどうか分からないが、ともかくトライしたら"ということで、日本の従事者免許証をスペイン語に翻訳したものを持って、友人の紹介してくれた弁護士に相談に行きました。この弁護士は、何回も外国人のライセンス取得をやっているので問題ないと請け負ってくれました。それから待つこと3ケ月、弁護士が、ライセンスがおりたと持って来てくれました。必要書類は、1. 日本の従事者免許証のコピー、2. 免許証のスペイン語訳と翻訳が正しいという証明書(この証明は、最寄りの大使館に相談すれば、しかるべき人を紹介してくれます)、3. 申請書(これは弁護士が作ってくれた)でした。私の場合はうまく、この様な仕事を手掛けた経験のある弁護士に巡り合えた事が、幸いしたのでしょう。相互運用協定のない国では、ライセンスをとるために色々コネを探しますが、慣れない国ではコネも難しく、この道に経験のある弁護士に相談するのも一つの方法でしょう。ちなみに、弁護士の手数料はUS$200でした。ライセンスを貰ってからは単身赴任の強み、暇さえあれば無線を楽しむ3年間でした。(1993年10月記)」


写真9. HP1XHY大貫祥男氏のQSLカード。

JH1DZJ横山美紀男氏HP1XYJとしてパナマから運用しておられ、筆者がQSOした際、シャックでの写真と共にQSLカードを送ってくれた(写真10)。「JANETでの1st QSO有難うございました。海外での日本語のQSOはやはり気の休まる思いでした。今後もJANETの一員として頑張りたいと思っています。よろしくお願いします。(1985年8月記)」


写真10. (左)HP1XYJ横山美紀男氏。(右)HP1XYJ横山美紀男氏のQSLカード。

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