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今月のハム

JA1HGY 間下尚彦さん

東京都心、赤坂からHF帯にアクティブな間下尚彦さん。ラジオ好きだった父親の影響で小学生の頃から短波を聞くようになった。その頃「家にはウェスティングハウスとフィリップスの全波ラジオがありました」と話す。中学生になり、父親から譲り受けたラジオで、ある日7MHz帯の放送を聞こうとチューニングしていたとき、たまたま入感してきたアマチュア無線の電波に「これがアマチュア無線かと思いました」と話す。

それがきっかけとなり、アマチュア無線に興味を持った間下さんは、すぐに秋葉原に行った。赤坂から秋葉原までは都電1本で簡単に行けたこともあったが、秋葉原に行けば無線に関する情報が得られると知っていたからだった。間下さんの記憶では、小学2年の時、父親に万世橋の交通博物館に連れて行ってもらった帰りに、父親がラジオ部品を買うために秋葉原の部品屋に立ち寄った際、その店で、ミノ虫クリップとワニ口クリップの違いを教えてもらったことを覚えている。

間下さんは、秋葉原にあった本屋でアマチュア無線に関する書籍を購入し、免許の取り方などの知識を得た。その後は、資格取得を目指して勉強をはじめ、高校2年の時、1960年10月の国家試験にパスして電話級アマチュア無線技士を取得。翌1961年3月28日付けでJA1HGYを開局した。ファーストQSOは3.5MHz AMでQSOしたJA1CXQ局だった。

当時、電話級に許可されたのは、3.5MHz、7MHzと50MHz以上のバンドに限られたが、開局直後の1961年4月10日付けで21MHzと28MHzが電話級にも解放されたため、間下さんはすぐに変更申請を行った。さらに、同じ1961年4月に電信級国家試験に合格した間下さんは、後日CWの免許も追加申請した。

開局後の間下さんは、学校から帰ると毎日のように電波を出した。1st DXは、1961年7月8日に、解放されたばかりの21MHz AMでQSOしたVK局だった。その後8月にはOH2BH Marttiさんと21MHz CWでQSOしたが、Marttiさんも開局したばかりだった。また、これが間下さんとMarttiさんとの長い付き合いの原点となった。


OH2BH Marttiさんとの1st QSOのQSLカード

間下さんはMarttiさんのQSLカードをビューロー経由で受領したが、QSOから20年が経過した1982年、Marttiさんが初めて来日した際、間下さんはこのQSLカードの裏面にMarttiさんのサインをもらった。さらにQSOから30年後の1991年のアイボールQSOでもサインをもらった。さらにその10年後、QSOから40年後の2001年にもアイボールQSOでサインをもらった。そして1st QSOからちょぅど50年後にあたる2011年8月13日に記念QSOを、50年前と同じ21MHzで行った。


アイボール時のサインの入った上記QSLカードの裏面

また、1st QSOから50年後にはヘルシンキに遊びに来いよと2011年1月に届いたEメールで誘われ、前述の50年記念QSOを行った後、2011年9月に間下さんはフィンランドまで出かけて行った。Marttiさんの自宅に3泊させてもらい運用、その他OH0オーランド島にある別荘にも3泊させてもらい、ここからはクラブコールOH0HGで運用、ちょうど開催されていたオールアジアコンテストに参加し、多数のJA局を含むトータル1270局のアジア局とQSOしている。

話を戻し、間下さんは開局の年から積極的にDX QSOを行っていたが、DX QSOオンリーと言うことは無く、当時は国内QSOにも精を出していた。この頃は国内コンテストにも参加し、例えば、オールJAコンテストの個人局電信電話オールバンド部門では2年連続でトップをとった経験もある。当時の送信機のファイナルは2E26シングル、モジュレーターが6BQ5x2だった。

開局した1961年の秋頃からはDXCCを意識して交信カントリー数をカウントし始めた。電信を始めた理由は、10WのAM電話では飛ばなかったことと、7MHzの電話は混信がきつく出る隙間が無かったのが理由だったという。その頃はまだ30カントリーくらいだったというが、開局2年後の1963年には2アマを取得したことで14MHzにもオンエアが可能となり、どんどんDXハンティングに傾倒していった。

そして100カントリーとのQSOが完了した後はQSLカードの回収が問題だった。当時は、QSLカードをSASEで請求するのに今の物価だと1通2,500~3,000円くらいかかり、学生の身分ではさすがに厳しかった。ちなみに当時の郵送料は、北米向けが80円、ヨーロッパ向けが100円。IRCが1枚50円。ただし当時のIRCはどこの国でも船便料金の切手としか交換できず、3枚入れないとエアメールで返ってこないので150円かかった。額面だけで比較すると現在の230円~250円とほぼ同じだが、物価は10倍違っていた。そのためQSLカードの交換はほとんどビューロー経由頼りとなり、回収に時間がかかった。

そんなこともあって、間下さんがDXCCを受賞したのは、Mixed DXCCが1965年、PHONE DXCCが1966年だった。当時はまだCW DXCCは存在していなかった。なお、間下さんの主義として、DXCC賞状にはエンドーズメントステッカーを1枚も貼っていない。


間下さんのシャックに飾られた左からRTTY、Phone、Mixed、CWの各DXCC賞状
(RTTYとCWは後年に発行が開始されてから取得)

間下さんは、1971年にJA7BYLのコールを持つハムの奥様と結婚したが、その頃から仕事が忙しくなって、1980年頃までの約10年間はアクティビティーが下がり、わずかにモービル運用を楽しむ程度だった。そして1980年、鉄筋建て2階の自宅屋上にタワーを建設してからHFに復活。まもなくDXCC(Mixed)も300を超えた。そして1990年に行われたノルウェー領ブーベ島のDXペディション局3Y5XとのQSOで現存全エンティティとのQSOを達成した。

その後、2004年12月に自宅を4階建てのビルに建て替えをした。その際、設計段階で無線タワーが敷地のど真ん中に建つようにした。翌2005年4月、ビルの屋上に念願の4段クランクアップタワーが建った。クランクアップ時のタワートップの地上高が35mH、マストトップで39mHとなったが、開局時から比べて周りの建物がどんどん高くなっていき、このくらい上げないと満足に飛んでいかないからである。また 2ndタワーは屋上から5段のエレベータ式で地上高は22mである。


4段型クランクアップタワーに3.5~50MHzのアンテナが載っている。
1.8MHzはタワートップから下ろしたスローパー。
右側に見えるのは別系統の50MHz八木。

間下さんはリタイヤ後に何かボランティアをやろうと思っていた時、たまたまJARLがボランティアを募集していた。ボランティア業務の内容はコンテスト参加者が提出した紙ログをデータ化するもので、間下さんはこのボランティアを8年続けた。「今、紙ログの提出者は1回の国内メジャーコンテストで130-150局ぐらいおり、QSOのトータル数は5,000くらいです。ボランティアは10人くらいいるので、一人あたり、大体500QSO分くらいをデータ化しています」と話す。

今年2018年に75歳になった間下さんは、細かい文字を見るのがきつくなってきたため、4月にこの作業から引退し、その後はオールアジアコンテストへ参加した海外局のログで、JARLのロボットが受付を拒否したログに対応する作業を行っている。提出者に連絡して修正してもらったり、自分でフォーマットを変換できるログには対応したりしている。

さらに間下さんは、無線関係以外にも、東京都の「外国人おもてなし語学ボランティア」をやっている。これは講習会を受けて登録した。そのほかに、防災士の資格を持つことから「港区国際防災ボランティア」にも登録しているが、「これには3時間くらい人命救助についての講習をうけましたが、AEDを実際に使わせてもらったことが良かったです」と話す。


(左) 「外国人おもてなし語学ボランティア」の登録証
(右) 「港区国際防災ボランティア」の登録証

間下さんの海外運用歴は、前述のOH、OH0以外にKH0、KH2、KH6、VK4、9M6などがある、また3.11の翌日に出発したことをよく覚えている2011年に行ったS2(バングラディッシュ)では、全員でトータル26,400QSOほどの成果があったが、間下さんはRTTYで約3,000QSOを行い、そのほかに1.8MHz CWを主に運用した。

海外運用以外では、デイトンハムベンションなどにも参加している。デイトンへはこれまでに6回行き、そのうち個人で4回。残りの2回はJARLから派遣されて、2017年と2018年にJARLブースの出展を行った。「JARLブースの場所はARRLブースの前のため、多くのハムが立ち寄ってくれました。そのうち日本人も20~30人はいましたよ」、と話す。

間下さんが、アマチュア無線で一番力を入れているジャンルは今もDXハンティングだが、当面の目標として、DXCCチャレンジ3,000を目標に置いている。2018年8月現在のスコアは2,971まで達しており、目標まで残り30程度だが、今は太陽黒点数が少なくコンディションが悪いため、スコアを伸ばすのはなかなか難しい状況だ。間下さんは、バンド毎に残っているエンティティを一覧表にして卓上カレンダーを反対に向けると見えるようにしている。


各バンドの残エンティティリスト (2018年8月現在)

当面は夏場のマルチホップEスポ伝搬で海外ともQSOできる50MHzのDXCCを増やすことを見据え、来シーズンには2系統の50MHzのアンテナのうち1基に仰角ローテーターまたは7エレ2段を導入予定である。

最後に間下さんは「家内は過去にコンテストで優勝した経験もあるようなハムのため、何をやっているかを理解してくれ、うるさいとは言われますが、好きなことをやっていることを理解してくれるので、助かっています」と笑って話す。

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次号「月刊FBニュース2018年12月号」は 12月1日(土)と17日(月)に公開予定

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