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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その67 南北アメリカ大陸でも活発な運用 1991年 (4)

JA3AER 荒川泰蔵

南北アメリカ大陸でも活発な運用

太陽黒点数のサイクル22のピークの時期にあって、南北アメリカ大陸でも多くの日本人の運用がアクティブであった。カリブ海は次回に廻し、今回は南北アメリカ大陸を中心に紹介する。

1991年 (国連本部 4U1UN)

JH1QBD藤井邦彦氏は、CQ誌編集部経由で、4U1UNを運用したとアンケートを送ってくれた(写真1)。「(CQ誌の記事から抜粋)1991年6月末に国連本部の4U1UNからRTTYを運用する機会に恵まれました。4U1UNのRTTYは珍しく、これまでJAからは10局程度が交信しただけでしが、今回の運用では113局のJAを含む249局とRTTYのQSOを行ないました。また、3.8MHz受信用のShielded Loopの実験にも立合い、国連ビルの屋上で真夜中のアンテナ作業をするというアマチュア冥利につきる経験もできました。マンハッタンの素晴しい夜景は忘れられません。4U1UNのますますの発展を祈りたいと思います。(1991年9月記)」


写真1. (左)JH1QBD藤井邦彦氏の4U1UN運用を報じるCQ誌1991年9月号の記事の一部。
(右)4U1UNのQSLカード。

1991年 (カナダ VE3KSJ)

JG1GWL杉本賢治氏は、カナダのオタワで資格試験を受験しVE3KSJの免許を得た経験をレポートしてくれた(写真2)。「先日、引越しの時にDOC(Dept. of Communication)に寄りましたら、毎月第2水曜日が試験日とのことで、早速予約をしました。本来なら3月13日のはずですが、既に満席とのことで14日になりました。朝9時に来たのは3人だけで、せいぜい8人しか入れない部屋で筆記試験を受けました。Basic 100問、Advance 50問を通過すると、モールスの実技試験となりましたが、カナダではいまだに送信もやらされるのです。筆記は60点以上が合格なのですが、実技は100点というので、びくびくしていたのですが、12語3分間もどうやら通りました。受験料15ドルは前払い、無線局免許料30ドルは合格後に払います。免許料のことは知らされてなかったものですから現金の持ち合わせがありませんでしたが、銀行でくれた小切手No.001を書いて支払いました。コールサインはどれにするかと聞かれたのも生まれて初めてですが、KENは当然無くて、KSJ (Ken Sugimoto Japan)にしました。免許状が来るのは3から4週間かかるそうですが、今日から使ってよいと言うので、次のJANETではこのVE3KSJで出ます。(1991年3月記)」


写真2. (左)VE3KSJ杉本賢治氏の免許状。
(右)杉本賢治氏の近影、右側はJF1GYO・KB6JXS黒川裕之氏(2018年@東京・JANETの懇親会にて)

1991年 (米国 WR1J, WZ1A, W2/7L1RLL)

JR2BEF鈴木康之氏は、念願のExtraクラスのWR1Jの免許を得て、運用しながら米国を旅行した経験をレポートしてくれた(写真3)。「1991年3月3日、湾岸戦争終結の興奮覚めやらぬアメリカで念願だったExtraに合格しました。翌4月末、届いたコールを見てびっくり。サフィックスがJapanのJでした。戦争の影響で受験者が激減し、コールサインの進行が遅れている時期であったため、予測すらできない状態でした。しかし、全くの偶然ではあるとはいえ幸運でした。サフィックスのJの日本人は、私のほか、NH6J/JE1JKL中村OM、KH2J/JA1TRC岡OM(JARL国際課長)が有名です。1992年5月、届いたばかりの免許を手に、フロリダを旅行しました。2mハンドヘルドでレピータをアクセスしながらの旅は、相当にスリルがありました。フロリダでは、リゾートで家族サービスをする傍ら、死ぬまでに一度行ってみたいと思っていたケープカナベラルのケネディー・スペース・センターにまで足を伸ばしました。昔、"1x2や2x1のコ-ルサインは業務用に間違われるぞ" と発言したOMがいらっしゃいましたが、コ-ルサインを大書きにしたシャツを着ていたら"WR1J"というラジオ局のスタッフに間違えられました。(1992年5月記)」


写真3. (左)WR1J鈴木康之氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

JA6TIT山口賢一氏は、米国でFCCの受験で得た免許で運用したことをレポートしてくれた(写真4)。「三菱マテリアルの駐在員として、1989年12月にNYに赴任。当初は相互運用協定の免許で運用していたが、JANETメンバー諸氏に刺激され、FCCの免許を取得しようと思い、1991年3月にノビス(KA1YMD)から始めて9月にエキストラに合格。試験問題は殆ど問題集から出るため、英語よりも記憶力の勝負でした。日本との比較で素晴しいと思うのは、何と言っても包括免許でしょう。設備の変更の都度届け出る煩わしさはなく、機器を自由に組み合わせた実験が楽しめる。日進月歩の世の中で、個人の責任の範囲内で自由に新しいハム技術にチャレンジできる制度は嬉しい。FCCサイドの事務合理化にもなっているのであろうか? ここで、コールサインの話しを一つ。運良く当たったWZ1Aは、皆様から良いコールだと言われます。小生のJAコールJA6TITのサフィックスはこちらでは"ファニーコール"とよく言われます。FCCは決して許可しないコ-ルだとか。免許を取得した中学生の時は、単語の文字としての意味は辞書を調べて知っていましたが、米国に来て初めて単語の持つ実際の意味を知り、嬉しいやら恥しいやら、こちらの男性ハムに言うと皆ニヤッとします。女性ハムに言うとセクハラと思われるかも? 今まで全く意味がわからず使用していたTITでしたが、珍しいコールを発給して頂だいた電監に感謝しています。国違えば意味変わる、面白いものですね。ついでにこちらのコールもWX1Yなら良かったのですが、Hi。(1993年11月記)」


写真4. (左)WZ1A山口賢一氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

7L1RLL若鳥陸夫氏は、相互運用協定による臨時免許を得て、W2/7L1RLLで運用した経験をレポートしてくれた(写真5)。「(1回目1991年6月)免許申請書をFCCへ提出、受取先をホテルとした。帰国3日前にホテルへ局免が届いた。運用はYaesu FT-728 (144MHz/435MHz), F3E, 5W出力、大型ニッケルカドニウム電池にホイップアンテナで運用した。144MHzをレピータ設定に変更して運用したが、日本の144MHz機ではレピ-タしか使えないことが判明(現地の従免参考書による)。レピータに声を出したら、ロングアイランドから、"オーイ、日本から直接ですか" という声が返ってきて初交信。ただしレピータ経由。しかも、おそろしく広域レピータ(NY, NJ, LI など)に下手な英語が飛んでしまった。430MHzは何も聞こえず、レピータも極めて静か。"The Call Book"に呼出し符号を登録、1992年版から収録された。(2回目 1991年12月) 6月に取得した局免が有効であった。モービル運用はホイップアンテナ(21MHzサガ電子)をレンタカーの屋根に付け移動運用。停車時(ヨセミテ公園やツインピークス等)にA1Aを運用。ホテルではモービルホイップを窓の外へ出して電池電源で運用。強力な局がCQ DXを出していたが応答なし。トランシ-バーはMizuho MX-21S, 2Wであった。(1993年2月記)」


写真5. W2/7L1RLL若鳥陸夫氏の運用許可証。

1991年 (プエルトリコ WR1J/WP4)

JR2BEF鈴木康之氏はバルバドスからの帰途、プエルトリコに立ち寄ってWR1J/WP4で運用したとアンケートを寄せてくれた。「1991年5月、カリブ海を旅行した際立ち寄りました。8P9CAでバルバドスからQRVした後、フロリダへ戻る途中、飛行機の接続の都合で一泊しなければならなくなったため、急きょQRVを決定しました。アメリカ領であるため、FCC免許の移動運用で苦もなくQRV出来ましたが、たった1日の滞在のため、QSOの数は伸びませんでした。途中WP4Jなる局から、紛らわしいコールサインだと冷やかされたりもしました。プエルトリコは西インド諸島の航空交通の要衝ともいえるところで、全米各地から、西インド各地への中継基地としての性格の強い土地柄であると感じました。言葉は、スパニッシュ訛りを相当感じるものの英語です。何となく安心しました。(1992年5月記)」

1991年 (アルバ P4/NX1L)

JH1VRQ秋山直樹氏は、P4/NX1Lの運用許可を得てアルバから運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真6)。「P4/N1CIX(免許期間1987年10月1日から1990年4月1日)と同じ、免許人の国籍を問わないので、外交権をゆだねるオランダとアメリカ合衆国との間の相互運用協定にもとづいて申請、実際に使用したコ-ルはP40P。3.5MHzから435MHzまで、サテライトを含む交信数は6,895 QSO、内JAとは989QSOであった。P4/N1CIX時代のP40Pの運用を合わせると、13,128QSO、内JAとは1,770QSOであった。(1992年1月記)」その後1995年3月に、前年更新した運用許可証を送ってくれた。


写真6. (左)P4/NX1L秋山直樹氏の最初の運用許可証と、(右)更新後の運用許可証。

1991年 (ブラジル PY3ZYM)

JH2MRA麻生田弘隆氏は、ブラジルからPY3ZYMの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真7)。「USA/PY間の相互運用協定に基づき申請、小生のハムの友人がDENTEL(電監)に顔がきくためこれによるところが大きい。国籍の制限があり通常はUSA/PY間の協定をベースに日本人にはライセンスは発給されない。小生は業務ビザのため特別に許可になった。DENTEL担当官の話では、日本人に対して観光ビザ(短期滞在90日以内)では免許は出せないという。USA/PYの協定のベースのPY3ZYMとは別に、現在リオネジャネイロ(PY1)にてJAの免許をベースに臨時運用許可を申請中。10月14日申請は受理された。約1ヶ月で許可される可能性が大きい。当地国家試験はC級は毎週、B級とA級は毎月末に行われているが、ブラジル国籍を要求されるため、日本人は受験出来ない。なお、ゲストオペによる運用はOK。A級はオールバンド、オールモード1kW、B級はオールモードであるが一部QRV出来ないバンド有り1kW、C級はHFの一部(主にCW)+VHF以上100Wまで。(1991年10月記)」


写真7. (左)PY3ZYM麻生田弘隆氏の従事者免許証と、(右)その無線局免許状

1991年 (チリ CE3CJ, XQ3CJ)

JA1GZV魚留元章氏は、CE3CJの臨時免許とXQ3CJの本免許を得てチリで運用した経験から、免許制度を詳しく説明したアンケートを送ってくれた(写真8~10)。「電気通信の技術協力のため1991年より約3年間、チリの首都サンチアゴ市に滞在し、日本の従事者免許(1通)をベースに現地コールの臨時免許(General)を得た後に、現地の試験を受けて念願のSuperiorの正式免許を取得しました。過去数名の日本人の方が、ポータブルCEの形で臨時免許を得て、チリからQRVされた例がありますが、その後、日本人で現地のコールを得たのは、ライセンス番号No.がJAPON No.01からみて、私が最初のようです。チリのアマチュア局は1994年末で約18,000局あり、クラスはSuperior(特別級)、General(一般級)、Novicio(初級)、Aspirante(入門級)の4種類となっており、Superiorは全チリで20局余りです。Superiorの操作範囲は、Generalと全く同じですが、プリフィックスがCEの他にXQが使えます。一般に日本人がチリで運用する場合、日本の従事者免許、局免許証明書類の写しを添えて申請すればCE*/JA***の形で簡単に臨時免許が得られますが、チリ政府から身分証明書(Carnet de Identificado)または永住許可書の発給を受けられる場合、現地コールの正式免許(5年間)を受けることができます。なお、現地の試験(スペイン語のみ)はSUBTELが実施し、これによっても取得できます。チリの試験の申請は、クラブまたはクラブ連盟(FEDERACH)が代行しています。チリの局は、やはりラテン国らしく、おしゃべりが得意なようで、ほとんどはPhoneの運用が多く、CWでのQRVは極めて少ないのは、他の中南米各国も同様だと思います。滞在中、私以外にチリ在住の日本人の局がなく残念でしたが、主として7MHz帯のCWでJAの局にサービスしました。また、休暇等を利用し、近隣のCP, CX, LU, ZPからもQRVしました。(1995年11月記)」


写真8. (左)CE3CJ/XQ3CJ魚留元章氏のシャックと、(右)そのQSLカード。


写真9. CE3CJ魚留元章氏の臨時免許状。


写真10. XQ3CJ魚留元章氏の本免許状。

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