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今月のハム

JR3REX 坪井清一さん

兵庫県明石市の無線シャックから144MHz EMEにアクティブなJR3REX坪井清一さん。過去、遠方の勤務地で就業中でも、144MHz EMEのDXペディションが実施されれば、抜群の行動力でシャックに駆けつけ、ほとんどのDXペディション局とのQSOを実現してきた。その成果として、144MHz特記のDXCC、WAS、WAZなどを完成させた。特に144MHzのWAS とWAZ※はJA初の完成で、さらにアジアの局としても初の快挙であった。(※WAZは2018年1月現在未申請)

父親が電気関係の仕事をしていた関係で、坪井さんは物心ついた頃から自宅にあった検電器やテスター、半田ごて、さらにはリレー、トランス、セレン整流器がおもちゃだった。このトランスとセレン整流器でバッテリーを充電し、解体屋で入手したカーラジオを鳴らすなどして楽しんでいた。小学校高学年になると、「初歩のラジオ」誌や「ラジオの製作」誌を愛読する様になり、それらの雑誌に掲載されていたアマチュア無線を知った。「世界にたったひとつのコールサインをとろう」という、教材会社のキャッチコピーを今でも覚えているという。

中学2年になると4月期の国家試験で電話級のライセンスを得て、その年(1973年)の9月にJR3REXを西宮市の自宅で開局した。開局はRJX-601という50MHzのAM/FM機で、開局からしばらくは50MHz帯の運用を楽しんだ。高校に入学すると、興味が無線から二輪車、四輪車に移ってしまい、一時的に無線活動はお休みとなったが、1981年、大学4年の時に無線に復活した。144MHzの運用を始めたのはその時からだった。

自宅のルーフタワーに144MHzの2×9エレ八木を設置し、日々運用に明け暮れた。「明石市は、かつて近所に電波の監視所があったことからも解る様に、地形的に西にも東にもよく飛ぶので、144MHzを運用するには良い場所だと思います」、と話す。大学を卒業し、就職後もアクティビティは衰えず、移動運用も始めて1980年代前半にはJCC600(144MHz特記#8)を完成、また3日連続One Day AJDも達成したという。

その後、1986年に金沢市に転勤になったのをきっかけに、144MHz一筋からオールバンダーへと転向した。HFでは主にWARCバンドを運用。50MHzではWACを完成。UHFでは、パケット通信や、ATV、FAX等まで手を広げた。さらに、移動運用にも精を出し、1200MHzではOne Day AJDを達成、5600MHzではFMで北海道と交信した699kmで当時の長距離記録を更新しJARLから交信記録認定を受けた。

転勤で関西に戻ったものの、しばらくして発生した阪神淡路大震災の影響もあって無線活動は休止となったが、1997年に144MHzでハイパワー免許を得てEME運用をスタートした。「EMEは中学時代からの目標でしたが、実際に始めようと思ったのは、電離層頼りのHF&50MHzと異なり、EMEは月さえあれば通信ができるので、土日の予定された時間(月の出から月の入りまで)に運用できるのが最大の理由です」と話す。アンテナにはブーム長約10mの17エレ八木の4スタック(2x2)を新調した

当時のEMEはCWモードでの運用が主流であったことから、スケジュールQSOが多かったが、坪井さんはランダムQSO(スケジュールによらないQSO)にも積極的にトライした。その結果、QSO数は徐々に増えていったが、当初の目標としたWACがどうしてもできなかった。ネックになったのは南米である。南米は遠距離のため、お互いに月が見えている時間が限られてタダでさえチャンスが少ない。それに、偏波回転の要因が重なって、南米とEMEでQSOするのは容易ではない。共通ウインドウが狭いのはどうすることもできないが、坪井さんは偏波回転の問題を解決するため、2001年にそれまで水平に固定していた4スタックの八木アンテナの偏波を、ローテーターで可変できる様に改造した。その成果として、2003年にアルゼンチンのLU7DZとのQSOに成功し、ついに144MHzでのWACを完成した。


坪井さんが自作した、ローテーターでワイヤーを伸張させる偏波回転機構

WACという当初の目的を達成した後は、しばらくQRTとなったが、この頃から144MHz EMEでの通信モードはCWからJT44/JT65に急速に変化していった。その結果、比較的小型のアンテナでもEMEでの通信が可能になった。そして、超大型アンテナが無いと達成は不可能と言われたDXCCの完成が現実的になっていった。そんな話を耳にするうちに、坪井さんは再度やる気になり、2007年に復活した。「JT65モードでは、4エレ八木でもガンガンQSOできるのに驚きました」、と話す。

EMEを再開した当初は、DXCCの追っかけより、周波数精度の向上に熱中した。「IC-746、IC-7400、IC-910などを10MHzのGPSDOに同期させました。一番の理由は、ソフトが計算したドップラーシフトが正しい値かどうかを確かめたかったからです」、と話す。

その頃、日本国内では144MHzのDXCCレースが過熱し、坪井さんも自然にDXCCの追っかけに傾倒する様になった。「同時期に良きライバルがいたので、遠隔地からのシャック通いにも精が出ました」と話す様に、DXペディションの運用併せてシャック通いを繰り返し、2011年、ガンビアのC56EMEとのQSOを以て、ついに144MHz DXCCを完成させた。QSLカードが揃うとすぐにARRLに申請して、世界で71番目、国内では6番目の144MHz DXCCを受賞した。

その後も、坪井さんはDXペディションが実施される度にシャックに通い、QSOを重ねていった。そして、2016年12月に米国ロードアイランド州N1NKとのQSOを以てWAS(全米全50州とのQSO)を完成。これはアジア初の快挙となった。さらに2017年6月にはCQ zone2のVC2EMEとのQSOを以てWAZ(世界の全40ゾーンとのQSO)も完成した。これもアジア初の快挙であるが、WAZを受賞するにはQSLカードを米国のアワードマネージャーまで送付しなければならず、紛失のリスクを犯してまで申請したくないという理由で、まだ申請は行っていない。(2017年12月時点)

144MHzでのWAC、DXCC、WAS、WAZを完成した後は、明確な目標がまだ定まっていないと言うが、坪井さんは当面の目標として、JARLが発行するWASA-VUSHFの144MHz特記での1000ポイントを置いた。(現時点で650+αポイント)

一方、坪井さんは、2mEME界になんらかの恩返しの意を込めて、自身もQSOしていない、マレーシアにEME DXペディションに出かけた(2017年11月)。いままでのノウハウ、スキルが生かせた大変楽しい運用だったため、「今後はこれにはまるかも知れません」と坪井さんは話す。


マレーシアで使用したアンテナ (2×11エレクロス八木)

アマチュア無線をやってきて良かったこととして、「昔から旅行にはあまり興味がありませんでしたが、社会人になって出張などで各地を訪れた際に、その土地の無線仲間とアイボールQSOできるのが楽しみになりました。また異なる業種の人との接点、人脈ができた事も良かったですね」、と話す。

坪井さんは、約35年間使用した現用自立タワーとアンテナの老朽化に伴い、最近、すぐ隣に新しいタワーを建設した。生コン以外は全て自力で建て、このタワーに新型のエレベーターとウインチも取り付けた。「今は、このタワーに何を載せるか検討の真っ最中ですよ」、と楽しそうに話す。


現用のタワー&アンテナ(左)と、新タワー(右)

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