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今月のハム

JA6BXA 河喜多勝さん

リタイア後、福岡市の中心部から人工ノイズの少ない熊本県南阿蘇村に移住してハムライフを楽しむJA6BXA河喜多さん。1946年に福岡県で生まれた河喜多さんは、父親の仕事の関係で10歳まで北海道の夕張で過ごした。その後福岡に戻り、小学校高学年の頃から中波放送、短波放送を聞いてベリカード集めを始めた。中学生になると熱心に海外放送を聞き、日本短波クラブ(JSWC)にも入会した。また短波ラジオでそのまま聞こえる7MHz AMのアマチュア無線の交信も聞いた。その頃、近所の高校の文化祭で行われていたアマチュア無線の公開運用を見学し、アマチュア無線にますます興味がわいていったという。

中学3年生の4月に電話級(現4級)アマチュア無線技士の国家試験を受験して合格、6月に従事者免許証を取得した。その後送信機を作り始めて、1961年9月13日付けでJA6BXAの局免許を受けた。HFのファイナルは807、VHFには2E26を使用して申請したという。3.5/7/21/28/50MHz A3(現A3E)の免許を受け、公団住宅の屋上に張った300ΩTV用フィーダーで作ったフォールデッドダイポールで7MHzを主に運用を始めた。「当初は28MHzと50MHzは技術未熟で上手く電波がでませんでした。しかし次第に無線機自作の腕が上がり、製作がおもしろくなっていきました」と話す。

運用を続けるうちに、無線仲間ができていき、周りは皆年上のOMばかりだったこともあり、色々と教えてもらうことができた。その頃、21MHzでフィリピンと交信できたことが、河喜多さんがDXにのめり込むきっかけになった。モールスを覚えて高校2年の春に電信級(現3級)を取得、A1(現A1A)の免許を受けて電信によるカントリー稼ぎに明け暮れるようになっていった。

1965年に福岡大学に入学、当時は先輩達によってコールサインJA6YCUを取得していた無線愛好会があり、アンテナも準備してあったものの、愛好会のため部室がなく、河喜多さんはまず愛好会を部に昇格することに力を注いだ。その頃の河喜多さんは、自宅ではDXを追いかけ、学校では部に昇格したJA6YCUでコンテストや移動運用に精を出した。移動運用については、たまたま車を持っていた部員が一人いたことから、真空管式の無線機や発電機など重い機材を運んで九州各地を回りJCCサービスを行った。車では無線機器だけを運び、オペレーターは電車で移動してテントで泊まるという形の移動運用だった。河喜多さんは電信を主に担当。他のメンバーが電話をサービスした。「何度も九州を回りましたよ」と話す。


移動運用の様子

1966年に2アマを取得して14MHzへのオンエアーを開始したことで、交信カントリーが倍増しDXCCも申請した。ちょうど立ち上がった九州DXギャング(KDXG)にも入会し、ますますアクティブになった。その頃にはSSB送信機の製作に着手し、14MHzモノバンド送信機を完成させてSSBでも運用した。さらにリニアアンプも作り送信出力を100Wに増力した。翌1967年にはリグをFL/FR-100に変更し、CWでコンテストに積極的に参加するようになった。この頃までにDXCCは200カントリーを超えたという。

1969年、就職のため関東に転居し、JH1WBDの局免許を取得したものの、寮生活のためアンテナを建てられずしばらく無線活動は下火になったが、1973年に所沢の公団住宅に引っ越したのを機会に、目立たないように屋上にハイゲインの18AVQを設置し、細々とDXを再開した。

それでも、学生時代に自宅から運用していたときと比べると、ローパワーでなかなか飛ばず、徐々に不満も募っていった。そして1979年、河喜多さん30歳の時、福岡に帰って本格的にDXを再開することを決断し、勤めていた会社を退職して福岡にUターン。すぐに自宅に高さ24mの自立タワーを建てたという。


3.5MHz RDP、7MHz 4エレなどを載せた24mH自立タワー

これにより、ひとまず無線環境は構築できたが、今度は仕事がQRLとなってしまい、さらに結婚、子育てと続いたことで、無線に割ける時間が十分にとれなくなっていった。それでも、あらかじめ日程の決まっているコンテストには都合をつけて参加。時には大学クラブ(JA6YCU)に顔を出してマルチオペでの運用も行った。

1993年、大学クラブでコンテストに参加した帰路、交通事故に遭って足を複雑骨折してしまい約半年間の入院を余儀なくされた。しかし河喜多さんはその機会を活かして和文モールスを習得し退院後すぐに1アマ国試をパスした。その後変更検査にも合格して500Wに増力、さらに2006年には1kWに増力した。

2010年にリタイアした後は、2012年にJARLの九州地方本部長に立候補、みごと当選し社員総会での承認も経てJARL理事九州地方本部長に就任した。2期4年間の就任中は地元九州での諸活動に忙しかったが、「西日本ハムフェアの会場を熊本県の長洲から福岡県の苅田に移転したことで、九州以外からのアクセスも良くなり、参加者が増えたことが一番の成果だったと思います。九州ハムフェアではなく西日本ハムフェアですから」と話す。

しかし自宅周辺の無線環境は悪くなるばかりで、ノイズの少ないところへの移住を考え始めた。以前から有機無農薬の食材で普段の生活をしたいという思いもあった。河喜多さんは九州地方本部長在任中の2014年に熊本県南阿蘇村に土地を取得して自宅と無線棟を建設、2015年に家族同伴で転居した。約400坪の敷地内にクランクアップタワーを2本建設してそのうち1本にメインアンテナのKA1-206を載せ、さらにローバンドのアンテナも順次整備していった。そして、2015年にはJARL 90周年記念局 8J690Yの運用を担当した。


ドローンを使って撮影した河喜多さんのアンテナ群

無線設備の構築が一段落した頃、2016年4月14日と16日に震度7の2回の大地震が熊本県を襲った。熊本地震である。河喜多さんが移住した南阿蘇村でも震度6強を記録するなど甚大な被害が発生し、土砂崩れや主要道路の橋が崩壊して陸路が寸断され一時孤立状態になった。

幸いにも河喜多さんの自宅には大きな被害がなく、無線設備もほぼ無傷で済んだものの、電話、電気、水道は止まったままで1ヶ月あまりのキャンプ生活になった。そのような状況の中、地元のハム仲間をはじめ、普段電波でしか話をしたことのない全国のハムから水や米など生活物資の差し入れや支援があり、アマチュア無線をやってきて本当に良かったと感じたという。

河喜多さんは、「なぜこんな山の中に引っ越してきたのですか」、とよく聞かれるそうだが、いつも「無線と家庭の両立のためです」と答えている。「趣味である無線は、仕事と家庭と自らの健康とのバランスで成り立っています。仕事は既に定年で終了ですが、これからは家庭一番でやらないと長く無線を続けられません。日々の体調を考えながらまずは家族とのマッチング、その合間を見て無線です。山の上や遠い島では家族とのマッチングが取れませんからダメなのです」と説明する。

「今までアンテナの設置などでは多くの無線仲間が手伝ってくれましたが、アマチュア無線界も高齢化が進み、仲間と一緒にアンテナを組み立てたり、タワーに登ったりといったパワーの要る仕事ができなくなってきているのを感じています。そのため、タワーも含めてあまりメンテに手がかからない機種や制御を考えています。特にタワーの制御は、上げ下げし易いように無線室からの自動・遠隔操作を目指し改造中です。また大型になるローバンド用のアンテナは、ワイヤー系でうまく動作するようにして、80歳位までは自力でメンテできるように考えています」と続ける。


自作したタワーの昇降制御装置とアンテナ(4回路)切り替え装置

設備構築が一段落し、オールバンドでの運用が可能になった2018年にはマルチOPでコンテストに参戦するようになった。まずはIARU HFチャンピオンシップコンテストに、JARL HQ局として8N6HQで参加し21MHz CWを担当した。秋のCQWWDXコンテストには、マルチOPシングルTXで電話部門と電信部門に参加した。もっとも河喜多さん自身は食事の準備などの裏方に徹して、実際のオペレーションは若手に任せている。


8N6HQのQSLカード


CQWWDXコンテスト電信部門に参加したときのメンバー

河喜多さんは、今後の計画として、リモート運用設備の構築を考えている。ただしリモート運用とは言っても遠隔地からではなく、無線棟の隣にある母屋からのリモート運用である。「外を30mほど歩けばシャックですが、それでも寒い冬場にはシャックに行きたくないが本音です。普段生活している母屋からリモート運用できるようになれば、もう少しアクティビティが上がると思います」と話す。

「そのほか、限られた自宅敷地内で使えるベストなローバンド用のアンテナを展開したいです」と話す。そのために、現在、色々と実験を行っている。1.8MHzはフルサイズのダイポールが敷地に収まらないので、どのように折り返すかが課題。3.5MHzはデルタループを実験中である。また7MHzは現在4スクエアバーチカルで運用している。


無線棟の4隅に展開した7MHz 4スクエアバーチカル

「福岡の街中の環境では、弱い信号が人工ノイズに埋もれて聞こえませんでした。ここなら大丈夫だろうと思い引っ越した阿蘇の山の中でも、最近自宅周辺に太陽光発電設備を付けた家が建ち始めました。無線環境が少しずつ悪くなって行くのではと懸念しているところです」と話す。

「最後に南阿蘇村の現在をお知らせしたいと思います。熊本地震で村へ入る大きな2本のアクセス路が途絶え、電気や水道、通信等も使えない状態が暫く続きましたが、アクセス路の1本「俵山トンネルルート」は、震災半年後の12月に仮開通し、多少時間はかかりますが、熊本市内方面に出ることができるようになりました。もう1本の国道57号線へ接続する「阿蘇大橋ルート」は、阿蘇山入口付近の山崩れで阿蘇大橋が崩落して現在も通行できない状況です。併せて阿蘇山入口でJR豊肥線に接続していた南阿蘇鉄道も橋脚やトンネルが崩れ現在も不通のため、電車では熊本や福岡に出ることができない状況です」

「日常生活に必要な物品は村内のスーパーや通販で手に入りますので、普段の生活に困ることは無くなりましたが、完全復興までにはまだまだ数年の年月がかかるでしょう。電波では時間、距離感無くお話できますが、目に見えない壁みたいなのを感じることもあります。南阿蘇村に引っ越して食習慣をスローフードに変更しました。完全自給自足までには至っていませんが、野菜類は極力有機無農薬で自家栽培して暮らすようになりました。おかげ様で元気に毎日を過ごすことができていることを報告させていただきます。皆さんどうか大震災のあった熊本、阿蘇を忘れないでいてほしいと思います」と話す。


自宅裏の玉葱畑と河喜多さん

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