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今月のハム

JR3QHQ 田中透さん

大阪府池田市出身の現JARL関西地方本部長、JR3QHQ田中透さんが初めてアマチュア無線を意識するようになったのは、小学校6年生の時だった。たまたま通学路に大きなアンテナの無線局があり、自作の2エレキュビカルクワッドが上がった木製アンテナタワーを見るたびに、「あれは一体何だろう?」と当時不思議に思っていた。同じ頃、「電子ブロック」を父親に買ってもらい、何となく電気の世界に興味を持ち始めたそうだ。

中学生になった田中さんに対し、「共通の趣味を持って親子仲良く会話ができればよい」という父親の思いから、二人でアマチュア無線の免許を取得することになった。昭和48年4月、中学2年生の時に電話級アマチュア無線技士免許を取得し、同年10月に誕生日のお祝いとして父親よりIC-21とアローラインアンテナをプレゼントされた。コールサインは父親がJR3QHS、田中さんはJR3QHQと、父親の希望通り二人そろって開局をしたのだった。幼いころより海外に興味があった田中さんは「この無線機できっと海外にいるたくさんの人と通信ができるんだ」と期待に胸を膨らませていたが、IC-21は144MHzのFMトランシーバーのため、その夢は叶わなかった。それでもやはりアマチュア無線は楽しく、当時まだ声変わりしていなかった田中さんが「CQ 2m」とコールするとたくさんの人に呼んでもらったという。

中学校ではサッカー部に所属して元気に活躍していた田中さんは、友人にアマチュア無線についてよく語っていた。同級生にも数名ハムがいたので、あるとき海外の局と交信するにはどうしたらよいか、と尋ねてみると、そこで初めてHF運用について教えてもらったそうだ。その後、父親に懇願し、50MHz帯に出られるRJX-601を買ってもらうことができた。スクエアローアンテナを使用して、初めてのEスポ通信を経験することができ、北海道の局との遠距離交信にも成功した。また日々のラグチューの中で、伊丹・川西・宝塚の同世代のハムとも仲良くなった。通っていた中学校をはじめ、近隣の学校も含めてみんなで大きな輪となり、アマチュア無線を楽しんだ。その頃は自転車にバッテリーを積んで、大阪府池田市から箕面市にかけて連なる五月山によく登ってチャリンコモービル運用をしたり、フィールドデーコンテストに出たりしたそうだ。

大阪府立渋谷高校へ入学後は、迷わずアマチュア無線クラブJA3YOJのあった物理部へ入部した。先輩が2名だけの小さな部だったが、3年生の時に田中さんが部長になると、クラブ局をもっともっと充実させたいと強く思った。当時は先輩が自作した無線機はあったものの、免許状にはSSBの記載がなく、まずはSSBに出られるメーカー製の無線機を手に入れる必要があった。そのためには学校の設備予算として計上し、正式に無線機の購入を進める必要があり、部員の拡充を試みた。田中さんは次々に友達を勧誘し、彼らにアマチュア無線免許を取得させることができた。設備予算の計上のことでは、生徒会とのコネクションを作らなければならない、と思った田中さんは、次に部員に生徒会役員への立候補を強く勧めた。そして無事に役員に当選した部員の力で、生徒会長にもアマチュア無線の面白さを伝えることができた。その結果、学校から正式に設備としてRJX-661が供給されることとなった。

その無線機を使って文化祭などで部員たちと楽しく無線運用をしていると、高校の事務局長であった2文字コールのOMに声をかけられた。すっかり意気投合した田中さんに、「校長に、21メガの3λVダイポール(平面型のVダイポールで、給電部に同調回路を備え、ちょうどロンビックアンテナを半分にした形状)を設置する許可をもらってきてあげるよ」と話し、実現したそうだ。その頃には物理部にYLも数名在籍しており、田中さんよりも無線にのめり込んでしまったYLが、先に上級ハムになってしまったというエピソードもある。一方、田中さんは自分でもアルバイトでためた資金でTS-520Xを購入。CQ誌に製作方法が掲載されていて、自分でも作れそうだと思った28メガ2エレキュビカルクワッドを自作し、朝はUSA、夕方はヨーロッパ、そして夜はアフリカとの交信を楽しんだ。

大学時代の4年間はあまりアクティブには運用しなかったそうだが、50MHz帯で友人とラグチューを楽しんだり、50MHz 6エレロングジョンアンテナを上げて、Eスポやスキャッタ通信をしたりしていた。その頃は、アルバイトをして、テニス、ウィンドサーフィン、スキー…など、アマチュア無線以外のことにも没頭し、青春時代を謳歌していたと話す。

24歳で結婚後、父親の運送会社を引き継いだ。元々住んでいた家をリフォームした機会にタワーとHF用のアンテナを建て、DXに力を入れ始めた。「きっかけは、ラグチューでローカル局から珍局と交信したなどのDX自慢話を聞かされたからだと思います」、と田中さんは話す。本格シャックも構築してDX交信を重ね、子供の頃の夢だったアマチュア無線の世界に魅了されていった。またDXだけに限らず、国内交信も変わらず続け、Eスポが発生すれば50MHz帯で遊んだ。当時は、ホイップアンテナで南米が59 overで入感するくらいコンディションが良かった。また、21MHz帯では、アローラインで北米イーストコーストとも簡単に交信ができた。夜中ということもあり、お酒を飲みながらの運用は英語が流暢に話せるような気がしてとても会話が弾んだそうだ。


田中さんのアンテナとタワー

そのうち、小学生の頃にずっとアンテナを眺めていた近所のOM局がカムバックし、4エレキュビカルクワッド(7MHzはループ、14/21/28MHzは4エレ)を建てたのを見て、初めて挨拶をしに行った。その頃は田中さんもよくDX交信をしていたためすぐにうち解け、その後は1200MHzでラグチューしながら、珍局をコールする際にはお互い協力していたそうだ。また同時期には、DX仲間がどんどん増えていき、情報交換しながらDXハンティングを楽しんだ。当時はまだインターネットが普及していなかったため、1200MHz帯でのパケットクラスターも利用してDX情報をギブアンドテイクしていたという。一方、ローカルのDX’erの呼びかけで発足したDX Foundation, DX lover’s foundationにも所属して、OM諸氏からのアドバイスももらえ、その結果DXCCオナーロールも獲得することができた。

さて、田中さんがJARLと強く関わりを持ち始めたのは、JA3AYU荒木さんが大阪府支部長だった頃である。池田市制50周年の折に、アマチュア無線家として何かできないかと考えていた田中さんと友人は、池田市のアマチュア無線家全員に無料で記念QSLカードを配布することを計画した。そんな計画を耳にした荒木さんは、アマチュア無線の普及に熱心な田中さんに「池田市に地域クラブを作ってほしい」と頼み、JH3YKV池田市民アマチュア無線クラブを開局した。そのような経緯もあり、田中さんはJARL大阪府支部の役員になった。

当時3アマだった田中さんは、支部長になった頃に2アマ受験を決意することとなる。特段14MHz運用をしたかったというわけではなく、「支部長なんだから…」という周りの強い勧めがあったからだそうだ。文系の田中さんは工学の勉強も苦労したそうだが、特にモールスの勉強には力を入れた。E.H.エリック解説のモールステープをトラックの運転中やお風呂場で一生懸命聞いて勉強したり、目に入る看板などの英文字を必死でモールスに変換したりした。結果は一発合格だった。

今では周知されたJA3RLが池田市民文化会館に設置されるようになったきっかけは、8J3EAG(第3回OSAKA東アジア競技大会特別記念局)だった。大阪府支部で記念局の運用場所を探すのに苦労していたところ、池田市民文化会館の館長がたまたまアマチュア無線家であり、田中さんが通っていた幼稚園の保育士さんだったことから、無線局とアンテナの設置許可をいただけたという。その際8J3EAGだけではなく、JA3RL/JA3YRLを誘致することにして、晴れて池田市民文化会館で恒久的にアマチュア無線を楽しめるようなったそうだ。田中さんのこだわりポイントは、"公開運用"という点。どこかの部屋にシャックを用意するのではなく、ロビーに無線局を設置したことで、常に誰かの目に触れることとなり、アマチュア無線のPRに繋がると考えたのだった。

関西ハムフェスティバルは、当初は大阪狭山市、その後は尼崎市で開催されていたが、尼崎時代に会場でのアンテナ設置が難しくなってしまったことから、アマチュア無線によく理解のある池田市民文化会館へと移されることとなった。池田市民文化会館での1回目の関ハム開催に花を添えるため、田中さんはARISSスクールコンタクトで子どもたちに宇宙通信を体験してもらうイベントとのコラボを考えた。ARISSスクールコンタクトは既に日本で実績があったが、第2回を実施するにあたり、偶然にも免許を持たない子どもたちが国際宇宙ステーションのアマチュア局と交信ができる特例が施行される事になり日本で第1回の特例を使ったARISSスクールコンタクトが実現した。

田中さんのアマチュア無線人生の中で一番印象に残ったQSOは、この関ハムとのコラボとして実施したARISSスクールコンタクトですと話す。まずは池田市で開催する第1回の関ハムにて元JAXAの講師を招き、国際宇宙ステーションと交信する子どもたちに、宇宙ステーションについてなどの講演を受講してもらい、別日程で開催されるARISSスクールコンタクトの仕掛けを作った。スクールコンタクト当日、JAMSAT(日本アマチュア衛星通信協会)のスタッフにサポートを受けながら、NHKにも取材されている中、オペレーターとして参加した子どもたち全員が、女性の宇宙飛行士、ぺギー・ウィットソンさんとの交信に成功した。交信成立後には、拍手大喝采が起こった。当日までに実にたくさんの問題が起こり、それらを一つずつ乗り越えてきた田中さんは、紆余曲折を経てやっと成功した子どもたちのQSOと彼らの嬉しそうな笑顔を見ると、涙があふれてきたという。この大変な苦労から、「もう二度とやりたくない」と思ったそうだが、各方面から大反響だったことと、楽しみにしている子どもたちの良質な教育のためと思い、以降ずっとスクールコンタクトに携わっている。

現在はJARLの業務が多忙を極めているため、あまりアクティブに無線活動ができていないそうだが、かつては海外運用も積極的に行っており、これまでに4エンティティからオンエアした実績がある。田中さんの初めての海外運用はグアムのKH2/JR3QHQだった。主目的は無線ではなく、中学校の旧友と作ったチームで、ウィンドサーフィンを楽しみに行ったのだが、空いた時間に無線運用をすることになった。宿泊していたコンドミニアムの9階からオンエアをすると、すぐにパイルアップとなった。ちょうどIARU HFチャンピオンシップが開催されていた週末だったので、コンテストにも挑戦した。しかし、友人との付き合いもあり、交信局数はそんなに稼げなかった。


グアム運用のQSLカード

フィンランドで運用したきっかけは、父親が現地でヨットを購入するために、通訳として連れていかれたことだった。旅行計画中に調べると、フィンランドと日本は相互運用協定を結んでいるため、申請だけで無線運用ができることがわかった。さらに、偶然にも目的地がとある島だったので、IOTA運用ができることも判明した。イギリスのIOTAデスクに海図やパスポート、免許証等のドキュメントを添えて申請し、OH2/JR3QHQ/P(EU-097)のコールサインで運用。コンディションが良かったため、14MHz帯でカリブ諸国にたくさん呼ばれ、JAとの交信にも成功。良き思い出となったそうだ。それ以外には、スリランカとモルディブからも運用している。


フィンランドでの運用の様子
黒いTシャツの彼は、OH2のコールをもつアマチュア無線家

田中さんが大阪府支部長を経て関西地方本部長になったきっかけは、故JA3HXJ長谷川さんとの約束を守ったからだった。長谷川さん亡き後、「俺のあとは、田中くんが本部長をやってくれよ」という言葉がずっと心に残っていたため、あまり気が進まなかったが本部長としてJARLに引き続き貢献する決意を固めたという。

関西地方本部長となった今、将来の展望についても語っていただいた。今から数年前、田中さんはJE3DBS蛭子さん(大阪府支部長)らと、ARISSスクールコンタクトを拡大解釈して、通常の運用においても免許がない子どもたちにアマチュア無線を楽しんでもらいたいと、「無資格者運用計画」に着手した。JARL関西として、総務省の副大臣に話を持っていくと感触は良好で、前向きに検討したいという回答をもらった。そしてJARDとJARL本部に協力を要請して、JARL関西という小さな枠ではなく、アマチュア無線業界全体としての要望書の提出を求めたが、残念ながら当時は実現できなかった。

しかし、2020年、「無資格者運用計画」が再び取り上げられることとなり、パブリックコメント募集に至った。これを好機とみた田中さんは、既存局を無資格者運用の「体験臨時局」に変更し、例えば支部大会などで、アマチュア無線の免許を持っていない友人を誘って、体験臨時局を運用してもらうことができるようにしたい、と話す。「支部大会はもはやJARL会員だけのイベントではありません。アマチュア無線に触れたことのない方々にも多く楽しんでいただけるイベントにして、どんどんアマチュア無線に興味を持ってもらいたい。」と、田中さんは熱く語ってくれた。また、同時に関西6府県支部に対して必ず年1回の養成課程講習会を実施するように要請。養成課程講習会の講師になるためには資格が必要のため、現在各県支部では資格試験のための勉強が行われている。養成課程講習会で合格した人たちを取り込んで、移動運用やアマチュア無線のイベントに積極的に連れて行くことや、アマチュア無線免許の煩雑な手続き等もフォローすることで、アマチュア無線界全体の活性化を目指す、という計画があるそうだ。

関ハムに行ったことのある人なら、一度は聞いたことのある笑福亭瓶太さん(現 てんご堂雅落)の「無線落語」。飲み屋の大将と話しているうちに、はだか電球がチカチカ…とモールス信号の間隔で点滅する、というあの話だ。アマチュア無線家の中では大うけの定番落語となった。あの落語の原案を作ったのは、実は田中さんだという。中学生のころからアマチュア無線、"おもろいこと、楽しいこと"と、人との関わりをずっと大切にされてきた田中さん。今回の取材を通して、今後もアマチュア無線の普及、活性化に大きな役割を果たしてくれることを確信した。

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次号は 12月1日(火) に公開予定

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