Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話
第29話ではトランジスタの雑音パラメータの意味するところを詳しく解説しました。書いた本人が言うのも何ですが、等価回路と計算式ばかりで、あまり面白くなかったのではないかと思います。好き嫌いせずに読んで頂いた方は、雑音パラメータがどういうものかについてご理解頂けたのではないかと思います。第30話からは、第28話で解説した「NFマッチ」の問題点を再度確認し、雑音パラメータを使用した実用的なLNAの設計について解説します。
第28話ではLNAの基本的設計手法として、信号源インピーダンスをΓOPTに変換する「NFマッチ」という設計手法をご紹介しました。信号源インピーダンスをΓOPTに変換してトランジスタに接続する(図1)ことで、トランジスタのNFを最小にすることができました。例として取り上げたトランジスタBFU725Fの場合420MHzでのFmin=0.38dBなので、概ねこの値に近いNFの低雑音増幅器が実現できる筈です。一方でΓOPTに整合をとると増幅器の入力VSWRが大きく劣化しました(図2)。
図1 BFU725FのNFマッチ(@420MHz)(第28話の図8から再掲)
図2 NFマッチを行ったときのBFU725Fの入力インピーダンス(@420MHz)(第28話の図9から再掲)
図2の設計結果では入力VSWR=10.5となっています。リターンロスに換算すると-1.65dBになります。(図2の計算においては、Mr.Smithで8番マーカを選択し、Marker typeラジオボタンの選択をReflection coefficientにすれば換算できます) 反射係数ΓとリターンロスRL[dB]は20logの関係ですから|Γ|は約0.827です。入射電力の反射による電力損失、すなわち整合損失MLは、
なので、この式に0.827を代入すると
となって、なんと入力電力を5dBも損失していることが判ります。NFの定義は第26話(式5-1)で述べた通り入力SNRと出力SNRの比であり、ミスマッチによる電力損失は折り込まれた値なので、デバイスのS11と信号源のミスマッチで入力損失が5dB発生したからといって、第27話の3章で説明したようにNFが5dB劣化すると言うことはありませんが、利得には影響します。この様子は 第23話で解説した入力等利得円をプロットしてみるとよくわかります。図3はBFU725FのSパラメータを使って420MHzにおける入力等利得円をMr.Smith※1上にプロットしたものです。ΓOPTのポイントにおけるG1は、S11*(S11に共役整合させたポイント)から、概ね5dB低くなっています。
図3 BFU725Fの入力等利得円(@420MHz):プロット方法は第23話参照
但し、これは信号源が負荷とのミスマッチで特性変化しない事が大前提です。LNAの前段がフィルタのようなイメージインピーダンスの信号源だったりすると、VSWR=10.5は受け入れがたい反射係数になります。このような場合は第24話、第25話で説明したようなアイソレータやアッテネータを挿入して段間のインピーダンスを定める必要が生じてしまうのですが、一般的なアイソレータには0.3~0.5dB程度の挿入損失があり、折角NFマッチを行ってNF=0.38dBを達成しても、入力損失の影響で、増幅器全体のNFは結局1dB以上になってしまう場合が多々あります。またアイソレータはBFU725Fが\40程度なのと比較して桁違いに高価です。NFを少し犠牲にして、入力VSWRを改善した方が得策だったりしないのでしょうか。このような課題を解くために有用なのが、これからご説明する「定NF円」です。
雑音パラメータは信号源インピーダンスとトランジスタが発生する雑音の関係を示すパラメータです。ΓOPTとFminが判れば、そのトランジスタが最も低雑音になる整合条件と、そのときのNFを知ることができるのですが、さらに等価雑音抵抗Rnがわかれば、信号源インピーダンスとNFの関係を、スミスチャート上の等高線分布として把握することができます。この等高線の事を「定NF円(Constant NF circle)と呼びます。
すなわち、Γ平面(スミスチャート)上において、あるデバイス(トランジスタ)の雑音指数がF(真数値)となる信号源インピーダンスは円を描いて分布し、円はそのデバイスのFminを頂点とする等高線状に分布します。雑音指数がFの定NF円は、中心座標をΩN、半径をRNとすると、(式2-1)、(式2-2)で表されます。
但し
ではBFU725Fの定NF円を計算してみましょう。計算には定利得円の計算の際と同様、Microsoft® Excel®※2を用いました。
この設計は第28話からの続きなので、デバイスの動作点等は第28話と同じ (VCE=2V,IC=5mA)、使用するパラメータファイルは、BFU725F_2V_5mA_S_N.s2pです。このパラメータファイルから定NF円の座標を計算するExcel用ワークシート ”NF circle BFU725F_2V_5mA_S_N********.xlsx”
(********はファイルのバージョンを示します)を添付しますので、興味のある方はこちらからダウンロード※3してください。
このファイルはいくつかのワークシートから構成されていて、
となっています。(図4参照)
図4 ”NF circle BFU725F_2V_5mA_S_N********.xlsx”の「ΩN RN」ワークシート
(1) ΩN RNシート
図4にΩN RNシートを示します。このシートではメーカが提供するS2Pファイルからパラメータを読み込み、(式2-1)~(式2-3)を用いて、周波数毎に6パターンの定NF円の中心座標ΩNと半径RNを計算しています。
図2の上中央部の黄色く網掛けされたセルJ1、J2はユーザが入力するセルで、計算範囲を指定します。具体的にはセルJ1に計算する定NF円の最小サイズをFmin+〇〇dBにするかを、〇〇の値で入力します。この値を0[dB]にすると、6個計算される円のうちの最初の1個は、ΓOPTと重なる”点”となります。セルJ2には、最初の1個から何dBステップの円を計算するかをdB値で指定します。例ではJ1に0dBが指定されているので最初の円はΓOPT上の点(NF=0.38dB)で、後は0.2dBステップで5個の円(0.58dB,0.78dB,0.98dB,1.18dB,1.38dB)の中心と半径がL列以降に計算されます。
A~B列は周波数の換算、C~E列は雑音パラメータの読み込みで、F列でΓOPTの位相をdeg→radに変換しG,H列でMag∠Phase形式からRe+Im形式に変換、これをI列でExcel®の複素数形式に変換しています。J列のRnは計算に際してはZ0で正規化(rnに変換)する必要がありますが、このデバイスの雑音パラメータは最初から50Ωで正規化した値として提供されていますので、単に「BFU725F_2V_5mA_S_N」シートから読み込むだけの処理となっています。
L列以降は定NF円の中心座標ΩNと半径RNの計算で、6列が円1個分の計算セル群になります。各セル群の最上部1行目に計算する円のNF値(Fminで正規化)、2行目にNの計算に必要なF-Fmin(真数)の値を計算しています。
以下、代表してL~Q列で説明します。
L列 : Fminの値と1行目の値から実際に計算するNF値を計算
M列 : (式2-3)によるN値の計算
N列 : (式2-1)による円の中心座標ΩNの計算(複素数形式)
O,P列 : N列を実部、虚部に展開
Q列 : (式2-2)による円の半径RNの計算
(2) NF circleシート
図5にNF circleシートを示します。このシートはΩN RNシートから、B1セルに入力された行番号のΩNとRNを読み取って、6個の円周座標(Re+Im)を生成します。計算された円周座標はNF1~NF6シートにリンクされていて、各シートを個別にCSVファイルとして保存し、これをMr.Smith※1の「Scale」→「Imported scale」→「Add in Re+Im format…」メニューから読み込めば、Mr.Smithのチャート上に定NF円を表示させる事ができます。なおExcelシートをダウンロードして頂いた際のzipファイルに6つのcsvファイルも作成して同梱しています。
今回使用したBFU725F_2V_5mA_S_N.S2Pファイルには40MHz~26GHzのSパラデータが収録されていますが、雑音パラメータは400MHz~16GHzとなっていますので、本計算シートは雑音パラメータに合わせて、400MHz~16GHzの範囲で計算しています。
なお細かい話ですが、このファイルのSパラメータには15GHzのデータがあるのに、何故か雑音パラメータには15GHzのデータが存在しません。従って14.8GHz以上の周波数については、Sパラメータのセル参照が不連続になっています。本シートを加工して他のデバイスの定NF円を計算される場合はご注意ください。
では実際に定NF円をスミスチャート上にプロットしてみましょう。図6はBFU725FのS11* とΓOPTを表示させたチャートに2章で説明したExcelシートで計算した6つの定NF円を表示させたものです。
S11*のローカスは、S11をS2Pファイルから変換してMr.Smith※1に読み込ませた後、Additional Line→Conjugate pointメニューで表示できます。また定NF円は2章で作成した6つのCSVファイルをMr.Smithの「Scale」→「Imported scale」→「Add in Re+Im format…」メニューで読込みます。
2章の計算シートでは、ΩN RNシートのJ1セルを0dBとしたので、一つ目の円は420MHzのΓOPTマーカに重なる”点”になっています。この点がNF=0.38dBのポイントです。二つ目の円はNF=0.58dBの円ですが、この円の内側に信号源インピーダンスがあれば、このトランジスタのNFは0.58dB以下の値になると言うことを、この図は示しています。今回、定NF円は0.2dB間隔で計算しましたが、プロットされた円は等間隔になっておらず、S11*に近づくほど急速にNFが劣化していく様子がお判り頂けると思います。420MHzのマーカ付近を拡大した図を図7に示します。スミスチャートの拡大は、マウスカーソルをチャート上においてマウスホイールを回転すれば可能です※4。マウスカーソルの位置を中心に拡大する作りになっていない点はご了承下さい。
図7をみると、S11*のローカスはNF=1.38dBの円(ΓOPTから1dB劣化)よりも外側にありますので、S11に共役整合(VSWRが最小となる条件)させると、少なく見積もってNFはカタログ値から1.2dB程度は悪くなるものと思われます。
話を第1章で述べた問題点に戻しましょう。最終的にNFとVSWRのトレードオフは図7に引いたグレーの直線上の何処に信号源インピーダンスを変換するかという課題になります。
このトランジスタはNFマッチを行った時の整合誤差に対してはNFの劣化は小さい(等高線の間隔が疎)ですが、共役整合を行った時の整合誤差に対しては、NFは大きく変動することが予想されます。従って高級な回路構成が許されるのであれば入力に低損失のアイソレータを挿入し、精度良くNFマッチを行う事で、(アイソレータ込みの特性で)NF=1~1.5dB程度のLNAとするのが一つの設計解になります。入力のVSWRにあまり制約がなく、かつ信号源のインピーダンスが安定している(実態のあるインピーダンスである)場合は、VSWR=3~5になるようにS11*寄りのポイントに信号源インピーダンスを変換し、NF=1~2dB程度のLNAを実現するというのが、もう一つの設計解になります。
今回は実用的なLNAの設計について一通りご説明しようと考えていましたが、定NF円とNFマッチ/共役整合のトレードオフについてご説明するので精一杯でした。要約すると以下の通りです。
(1) トランジスタやFETのNFと信号源インピーダンスの関係は、スミスチャート上でΓOPTを頂点とした等高線グラフで表現できる。
(2) この等高線一つ一つを「定NF円」と呼ぶ。定NF円はデバイスの雑音パラメータRn、ΓOPT、FminとSパラメータから計算することができる。
(3) 実際のLNAの設計では、定NF円の分布を見て、NFマッチと共役整合のトレードオフを実施する。
次回は、定NF円の分布を確認した結果を踏まえ、BFU725Fを用いた420MHz低雑音増幅器の設計を完成させたいと思います。
第30話は以下の文献を参考にさせて頂きました。
Christian Gentili Microwave Amplifiers and Oscillators pp.52-57 McGraw-Hill 1987
※1: Mr.Smith ver4.1のダウンロードはこちらから
https://www.vector.co.jp/soft/winnt/business/se521255.html
※2: Microsoft® ならびにExcel®は米国マイクロソフト社の登録商標です。
※3: これらExcelシートに関するご質問についてはご容赦ください。
これらExcelシートの内容に関する知的財産権その他一切の権利は筆者濱田倫一に帰属します。FB NEWS編集部は筆者濱田倫一の許可を得て本件記事を掲載しております。
また筆者、ならびにFB NEWS編集部は、これらExcelシートの二次使用に伴う一切の責任を負いませんので、あらかじめご了承ください。
※4: Mr.Smith ver4.1のみの機能です。Ver3.3では画面拡大はできません。
Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話 バックナンバー
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