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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その97 今回の記事は1995年のアジアです 1995年(1)
「あの人は今 (第22回)」JR4PDP内野忠治氏

JA3AER 荒川泰蔵

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今回の記事は1995年のアジアです

今回から5回に分けて1995年に海外で運用した方々の紹介で、最初はアジアからです。この年は阪神淡路大震災があった年で26年前になりますが、英国に駐在していた筆者は日本への電話がつながらず心配したことを思い出します。またこの年には、IOTA Directory 日本語版を、RSGBとCQ出版社の協力で発行した年でもありました。尚、今月の「あの人は今 (第22回)」は、JR4PDP内野忠治氏の紹介です。

1995年 (中国 BY2AMS, JF1AGB/BY1PK)

JA0AW吉成正氏は、中国のアマチュア無線クラブ局BY2AMSの設置依頼を受けて、開局式で運用した経験を、アンケートで寄せてくれていた(写真1)。「1995年7月27日、睡眠僅か1時間10分の眠い眼をこすり乍ら、新潟空港よりチャーター第1便でハバロフスク上空経由ハルピンへ飛び、厳重なチェックを受け直ちに180km北方の明水県へ直行、翌28日アンテナ建設と機器調整、シャックの飾り付け、5バンドのDPは各バンド殆どSWR=1.00(アンテナカプラー無し)でバッチリでした。自宅でカットアンドトライを40回繰り返しての自信作ですから! 7月29日、明水県人民政府の副知事3名(名誉顧問・台長)黒龍江省運動総会副主席(招待責任者)他出席の開台式典が行われ、ハルピンから来たBG2ALF/BY2AA季峰秘書、現地オペBG2AZ/BY2AMS楊秋生主任の模範運用で全中国と交信して式典を終了、この日は小生7MHzでハルピンのBY2AAと1局だけQSO、翌日会社見学の間に30分暇をもらってようやくJAとBY 20数局、ハルピンへ戻った31日夕刻、又々30分間でBGやJA 20局程、計40数局2カントリーと交信しました。ハルピンにはもう1台 FT-101(9W しか出ないのを40W迄出発日の早朝迄チューンナップした)を、BG2---(3級局)用にプレゼントして8月1日帰国しました。黒龍江省体育運動総会から記念旗、明水県人民政府から栄誉証書を戴きました。(1995年12月記)」


写真1. (左)JA0AW吉成正氏が中国行の案内を兼ねて出された暑中見舞いはがき。(右)BY2AMSの開局式典での初運用風景。左からJA0AW吉成正氏、BG2AL李峰氏、BG2AZ楊秋生氏、明水市副知事の李宝富氏。

JF1AGB関根信二氏は仕事の関係で北京に駐在し、JF1AGB/BY1PKを運用する機会を得たと、免許の取得方法などをアンケートで寄せてくれた(写真2)。「中国は1978年12月の中央11期三中全会で従来の政策を根本的に転換する改革・解放政策を採択しました。以後急速な経済発展に伴い我々日本人も商用や旅行などで訪中する機会が増え、北京在住の日本人だけでも約4,700人と言われております。当局は1995年4月より北京で運用する機会を得ましたので、ライセンスの取得方法を紹介致します。アマチュア無線を運用するには、事前に運用許可申請を行い、外国人訪問者特別運用許可証を取得する必要があります。1.申請先:中国無線電運動協会業余電台(100061 中国北京6106信箱又は中国北京市天壇内東里9号)。2.提出書類:申請書に自国の局免許状、従事者免許証及びパスポートのコピーを添付。3.手数料:US$5.- 又は、IRC20枚。4.申請時期:運用希望の2-3ヶ月前が望ましい。5.クラス:日本の第1級アマチュア無線技士は中国のクラス1に、第2級アマチュア無線技士はクラス2に相当します。第3級及び第4級はクラス3に相当し、一部周波数帯、電力の範囲及びモードが制限されます。6.運用:自国のコールサイン/中国で運用するクラブコール。特に週末運用を希望する場合は、事前にクラブ局責任者との調整が必要です。7.申請書の入手等は、JARL国際課にご相談下さい。(1995年11月記)」


写真2. JF1AGB/BY1PK関根信二氏のQSLカード表と裏

1995年 (香港 VR2SS)

JK2PNY河津基氏は、香港でRAEとCWの試験を受け、VR2SSの免許を得て運用した経験をアンケートで知らせてくれた(写真3~6)。「イギリスではCWの試験をアマチュア無線連盟RSGBが行いますが、香港ではOffice of the Telecommunications Authority(OFTA, 電訊管理局)が担当しています。CWの試験に合格すると、短波での運用ができるようになり、コールサインもVR2XAA-VR2ZZZの6文字から、VR2AA-VR2WZの5文字に変わります。RAEの合格通知が届く前にCW試験を受けることも可能ですが、試験日から1年以内に開局しないとCWの試験を受け直さなくてはならなくなります。また、試験は通常月末の木曜日の午前中に行われます。1995年1月26日にCWの試験を受けてきました。電話で予約をしてあったので、当日になって受験料80ドル(約1,000円)と申込書を提出して受験しました。小さな会議室に受験者5名が入り、まず点や記号なしの欧文普通語3分間 36語(60字/分)、欧文暗語3分24グループ(40字/分)、及び数字1.5分10グループ(50字)の受信をしました。10分ぐらいで採点が終わり、結果が発表されました。不合格者にはどこを間違えたのか、どうすればよいのかなどの、ていねいな指導がありました。そして残った 2名が1人ずつ受信文と同じ形式の送信の試験を受けました。私は数字の2を1と打ってしまったらしく、指摘されました。本来なら未訂正で不合格となるのに、もう1度数字だけ打ってみなさいと言われました。また、3種類の内2つで数秒ずつ時間を超過してしまいましたが、受信のミスがなかったこともあり、「意図的にゆっくり打ったもの」と判断され、これもおまけにしてくれました。3月4日にVR2SSの免許を得て、5月までの約3ケ月間に、10, 21, 24MHzのCWとSSBで約1,000局とQSOしました。(1995年9月記)」


写真3. (左)VR2SS河津基氏の英国の資格試験(RAE)合格証(香港で受験)。(右)VR2SS河津基氏の香港でのモールス(CW)試験合格証。


写真4. VR2SS河津基氏のアマチュア無線局免許状の一部。


写真5. (左)VR2SS河津基氏のアマチュア無線局運用免許証の表と裏。(右)VR2SS河津基氏のHARTSの会員証(終身会員)。


写真6. (左)VR2SS河津基氏のQSLカード。(右)VR2SSのシャックにて、HARTSのQSLマネジャーとしてQSLカードの仕分けをする河津基氏。

1995年 (タイランド HS8/7L1MFS)

7L1MFS吉田博氏は、第5回目のタイからの運用だとして、観光地プーケット島近くのヤオノイ島からIOTAペディションとして、グループで運用した経験を、手紙で知らせてくれましたので、その一部を抜粋で紹介させて頂きます(写真7~9)。「近況: 私のライセンスが正式なものとなりました。残念ながら、HS0Zxxのコールサインは発給にはなりませんで、HS0/7L1MFSのままですが、ゲストオペ限定が解除となり、現地で個人局が開設できることになりました。私の妻がタイ人であり、頻繁にHS入出国を繰り返していることもあって特別措置とのことでした。リタイヤ後はタイに永住の予定ですので、ビッグアンテナを建てる夢が実現化しました。

IOTAペディションの計画: 1995年の4月に私の会社の慰安旅行がプーケット島になったことから、友人のHS7CDI, Pissanuもソンクラーン祭りの休暇でプーケットに向かうと言ってきました。では、プーケット島からIOTAのサービスをしようと言う事になり、その島の固定局E21AOYに連絡をとり、アイボールを兼ねて彼の固定局からQRVすることで話がまとまりました。しかし、現地プーケット島に到着すると、島のローカル局達が近くのヤオノイ島での運用を計画していたので、我々もそれに便乗することにしました。この島からのIOTAの運用は初めてとあって、現地局6局に、私とHS7CDIの計8局、家族を入れて計10名で、本来のペディションと言えるような小島へ小さな漁船で移動し、QRVすることになりました。

ヤオノイ島へ出発: 翌15日の朝8時にホテルを出て、プーケット島の各局と合流、途中で飲食物の調達をしながら車で港まで約1時間、そこから木造小型漁船で更に1時間で、目的の島YAO-NOI島(IOTA:AS-053)に到着しました。この島は数軒の民家があるだけで、たった1台トラックに機材と総勢10名が乗り、舗装されていない山道を30分ほど揺られて、小さなビーチに到着しました。ここで既に11時、日本時間では午後1時で、日本とのスケジュールの時間が大幅に遅れていて気を揉みました。


写真7. (左)HS8/7L1MFS吉田博氏達がヤオノイ島へ漁船に乗り込む。(右)漁船でポーズを取るHS8/7L1MFS吉田博氏達。

アンテナ設営: 早速私はアンテナの組立に入り、数人はマストにする竹をジャングルへ探しに行きました。15mほどの2本の竹が到着し、波打ち際2mの所にアンテナが完成しました。さあQRV、予定より1時間半遅れています。すると現地局が休憩に入りました。聞くと島に1つしかない発電機がまだ到着していないと、気温40度の中でコーラを回し飲みしながら、木陰を求めてあちこち移動していました。30分程待つとバイクの荷台に積んだ中型の発電機が到着、セットアップして発電開始、電圧安定まで5分待機、その時間が長く感じました。

運用開始: タイ時間の正午、日本時間で午後2時、リグに火を入れ21MHz, CWでアンテナ調整後、HS8/7L1MFSのコールサインでCQを出すと、ZS6WBが呼んできました。アンテナの方向が逆なのに59+で入感、一瞬アンテナのビーム方向を疑いましたが、私のローカルの7N2UTOが呼んできました。QSBがひどく、JAとのプロパゲ―ションの悪さにガックリ。使い慣れない現地局のIC-726Sの耳はすぐには馴染めず、7N2UTO局にレポートを貰いながらマイクゲインを再調整し、先ずは2局をクリアー。続いてリストしていた局を順番に呼ぶもノイズだけ。やはり2時間の遅れは長すぎたかなぁと、リストQSOを諦めCQに入りました。しかし、呼べどもコール無しで、焦りと気温40度にギブアップ。オペをHS7CDIに代わってCWでCQを連呼、3局とのQSO後彼もギブアップ。再度私がSSBに戻ってCQを連呼、JI6KVR, JA6QZ局が続いて呼んでくれてホッとしました。しかしQSBの激しさには参りました。数局のJAとのQSOの後、急にコンディションが上昇し、ドッグパイルにはなったのですが、今度は耳の悪さでコールの一部さえ取れない。僅か数分でコンディションが低下。ビーム反対のイスラエルをきっかけに、スイスと続き、ヨーロッパ数局でタイムアップ、僅か3時間の運用でした。(1995年7月記)」


写真8. (左)ビーチのテントにセットアップした無線機の前にて、HS8/7L1MFS吉田博氏達。(右)ビーチの波打ち際にビームアンテナを建てるHS8/7L1MFS吉田博氏達。


写真9. HS8/7L1MFS吉田博氏のQSLカード表と裏。

1995年 (西マレーシア 9M2TD)

JR4PDP内野忠治氏は、マレーシアに駐在時、9M2TDの免許を得て運用した経験と免許の取得方法を、アンケートで知らせてくれた(写真10及び11)。「私は1994年に申請し、現在のライセンスを入手しましたが、1998年1月1日から外国人に対するライセンスの付与条件が変わっております。最近の手続きの事例を参考に、新しい情報をお知らせします。大きく変わったポイントは、ライセンス付与条件にワーキングビザが必要になった事。また、コールサインは、9M2/JR4PDPのごとく、ストローク表示になった事です。ライセンスは3ヶ月とそれ以上の有効期間が有りますが、最初3ヶ月で申請し、3ヶ月後に更新手続きを取ります。6ヶ月以上経過すると、9M2TDのごとく、マレーシア専用のコールに切りかえるチャンスがあります。ライセンス申請に必要な書類は、1.ワーキングビザと写真の有るページのパスポートのコピー。及びこのコピーが原本と相違無い旨の証明書1通。2.日本の従事者免許証及び、局免許の英文証明書、各1通(もしコピーならコピーの証明書が必要)。3.TELECOM指定の申請書、1通。4.工事設計書、1通。5.身元保証書、1通。ワーキングビザは、マレーシア国内から給料の支払いを受けるものと、日本国内から給料の支払いを受けるものとに大きく分かれますが、いずれでも使用可能です。この取得方法は私も専門ではありませんので、必要な方はその方面に詳しい方にお聞き下さい。出張等で、現地の子会社に行かれる時、事前に相談し、プロフェッショナルパスと言う業務ビザを、申請してもらい1週間くらいで取得は可能です。出張前に、マレーシア滞在中の生活費がすべて、日本から支給される旨の事業主の英文証明書(様式は自由)とパスポートサイズカラー写真2枚を準備し、子会社の総務に依頼するのが一番です。ちなみに私の所轄となるケダ州のイミグレーションに問い合わせたところ、プロフェッショナルパスはマレーシア到着後でなければ発給しないとの事でした。州が異なれば違うかも知れません。マレーシアに到着してから、このビザを取得し、パスポートの写真のあるページと、業務ビザのページ、滞在許可のページをコピーし、どこの街にでも居る代書屋で、そのコピーが原本と相違無い旨の証明書を作ってもらいます。10分くらいで作成してくれます。証明料は1件、RM20(約600円)です。日本の電気通信局で発行してもらう従免と局免の英文コピーを原本のまま提出しますが、HFにON AIRできる資格は2アマ以上です。また日本の局免はマレーシアでの申請当時、有効期限内でなければなりません。3アマ、4アマクラスのクラスBのライセンスも有りますが、申請例が有りません。多分申請したらOKとなると思われますが、VHF 以上しかON AIRできません。また、この英文コピーの原本を所持しておきたい人は、パスポートのコピーと同様、コピー証明をとればコピーの提出でもかまいません。申請書本体はA4サイズの両面印刷ですが、TELECOMに行けば「HOW TO BECOME RADIO AMATEUR」という手引書を1冊RM20(約600円)で売ってくれます。この中に綴じ込みでついております。勿論コピーでもOKです。TELECOMは日本の電気通信局みたいな官庁で、各州にメインオフィスがありますので、そこで買えます。工事設計書は、申請するリグの英文取り扱い説明書(仕様とブロックダイアグラムを含む)のコピーでOKです。このコピーに対するコピー証明書は必要有りません。免許方式が包括免許方式となっておりますので、HFのみで申請しても、マレーシアで許可された全周波数でON AIRできます。出力は申請リグに関係無くMax 400Wです。移動局として登録しておきますと、マレーシア国内どこからでも400WでON AIRできます。身元保証書の様式はフリーですが、申請者を5年以上知っていると言う要件と、証明した人、証明される人の現住所が記載されなければなりません。申請者の住所はHOTEL名では不可です。出張先の会社の住所はOKです。また証明する人はマレーシア国籍の人に限りますが、私のように既にマレーシアのコールを取得している外国人でもOKでした。これ以外に申請料として約1500円払い込むと、申請が受理されます。申請時TELECOMに直接行きますと、早ければ1週間で許可がおります。これは運用許可証でコールも何も書かれておりません。運用許可の有効期限は3ヶ月以内ですが、ワーキングビザの有効期限内が優先されます。マレーシアの局免有効期限は最大で1年です。1月1日から12月31日までとなり、12月に郵送されてくる更新手続き料請求書に従い、支払いを行うと自動継続されます。一度入手したライセンスは12月時点で、登録された住所でこの請求書を受領できれば、その間マレーシアにいなくても更新できます。払い込みは郵便局からでOKです。これらの、手続きを行う上で、ローカル局の協力が不可欠です。少なくとも日本人だけで行った時は、もっと時間がかかると予想されます。マレーシアに来られましたら、先ずはローカル局とアイボールQSOをすることをお勧めします。ペナンでは毎週金曜日の夜にミーティングを開いております。また、短期出張の時はゲストOPの方法もあります。ゲストOPはライセンス不要です。オーナー局長の了解さえ貰えればON AIRできます。私も事前に連絡いただき、かつその日程が、私のマレーシアにおける業務に差支えない状況ならゲストOPを開放しております。私の住所とE-MAILアドレスは、www.buck.comの中にあります。現在のアンテナ設置条件が悪いため、ワールドワイドでQSOは出来ておりませんが、JA方向のショートパス、アフリカ東海岸までのロングパスまで非常に良好です。特に中南米やヨーロッパからは珍局扱いされます。アンテナを全方向に向けるためには最近かなり苦労があるようです。アパートの屋上にアンテナ設置がかなり難航している事が散見されます。私の場合、ビルのオーナーがアパートの部屋のオーナーでしたので(通常アパートはビルのオーナーが作り、これが完成すると各部屋を販売します。部屋を買った人は自分が住む目的とこれを他人に賃貸する目的があります。一般にはビルのオーナーと部屋のオーナーは異なる)入居時、アンテナの設置を条件としましたので、即OKとなりましたが、ここでもアパマンハムとしても苦労はある様です。運用を期待する方は日本で売られている5m位のグラスファイバー製釣り竿数本とアンテナの根元に接続できるアンテナチューナー(出来ればマニュアル式)とSWRメーターを持参する事をお勧めします。(1999年2月記)」


写真10. 9M2TD内野忠治氏の免許状。


写真11. 9M2TD内野忠治氏のQSLカード2種。

1995年 (スプラトリー諸島 9M0A)

JS1QHO多田芳夫氏は、1995年3月29日から4月4日まで、マレーシア領スプラトリー島で、9M0Aをグループで運用したと、アンケートを寄せてくれていた(写真12及び13)。「RTTYの機械がこわれてしまいRTTYはNGでしたが、スプラトリーから初のSSTVはFBでした。SSB, CWでヨ-ロッパ方面がオープンしてかなりFBでした。14MHzより18MHzがFB, 50MHzのQSOは0でした。29MHz FMでは多くのJAにパイルとなり、同じ日に3D2CTが出ていたためにかなりQRMになりました。摂氏45度の暑い中でのアンテナ作業で、各OM も私もバテぎみでQRVする元気があまり出ませんでしたHi。しかし、9M6BZ, 9M6ST, JA9AG, JR9BGJ, JS1QHOの5名で、約8,000局のQSO が出来て皆満足しております。(1995年5月記)」尚、多田芳夫氏は、2020年9月号の(その90)で、JA9AG吉井裕氏の記事として紹介したスプラトリー諸島のグループ運用にも参加しておられました。


写真12. (左)9M0A局を運用するJS1QHO多田芳夫氏と、(右)そのアンテナ。


写真13. 9M0A多田芳夫氏達のQSLカード2種。

「あの人は今 (第22回)」JR4PDP内野忠治氏

今回掲載させて頂いた9M2TD/JR4PDP内野忠治氏から、当時の思い出と近況をお知らせ頂きましたので紹介させて頂きます(写真14及び15)。「1994年に仕事の関係でマレーシアに赴任し、1995年にペナンのローカル局の協力を頂き9M2TDのコールで開局しました。免許はHFオールバンド、400Wでしたが、実際の運用は日本からハンドキャリーしたTS-50(100W)とRTTYのコントローラーでした。コンディションはまだ良くなく、日本の局もあまり聞こえない状況で、RTTYのコントローラーに付属していました、パケットモデムでしばらく遊んでいました。アンテナはアパートの2階(日本流なら3階)のベランダにワンエレのループを張り出し、マニュアルのアンテナチューナーで一応14MHzから28MHzまでQRV出来ていました。ただ、成果は今ひとつで年間交信数も百数十局程度でした。1996年に日本からグラスファイバーの釣竿をハンドキャリーし、ベランダに回転出来ない2エレQUADを設置してから、コンディションの上昇もあり、やっと世界中と交信できるようになりました。ペナンではローカル局以外にも、多くの日本人がQRVしていましたが、一応ビームアンテナと言える設備を持っていたのは、9M2TO出雲さんと、私くらいでしたので、コンディションが良くなってWやEUがオープンすると、すぐにパイルになり、嬉しい悲鳴を上げていたのを思い出します。1999年の帰国まで4,000局以上と交信出来ました。マレーシアのライセンスは2006年まで有効でしたが、残念ながら帰国後は一度もON AIRする機会は有りませんでした。マレーシアで2文字のコールサインをもらえたのは1998年くらいまでで、現在、外国人には3文字コールサインしか免許しないと聞いています。

会社を2008年にリタイヤした後、長期間休止していました日本での無線活動を再開しました。有り余る時間を利用して、国内、DXのコンテストを含む交信を思う存分楽しんでおりましたが、2015年から再就職した為、また急激にアクティビティは下がってしまいました。実は再就職先が車載用の電子機器のEMCテストをするサイトでして、趣味なのか仕事なのか判らないような業務を続けております。


写真14. (左)シャープOBハムクラブのミーティングにて、メンバーに囲まれる内野忠治氏。(右)JR4PDPのシャックにて内野忠治氏。

現在は、休日を利用して、HDSDRというフリーのSDRソフトを使い、7MHz用のSSB送信機を製作しております。ソフトウェアは専門外ですが、ハードは、専門のアナログ回路の塊なので、昔のノウハウを思い出しながら、製作を楽しんでいるところで、ますますON AIRの機会が少なくなって来ました。

現職時代に得たハムに関連するノウハウをそのまま捨ててしまうのも勿体無いと、大したレベルではありませんが、ブログで公開しております。http://jr4pdp.blog.enjoy.jp/myblog/ (2020年4月記)」


写真15. JR4PDP内野忠治氏のQSLカード2種。

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次号は 5月17日(月) に公開予定

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