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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その60 筆者初めての中近東訪問 1990年 (4)

JA3AER 荒川泰蔵

筆者初めての中近東訪問

1990年2月中旬、仕事で訪問したジェッダではHZ1FMとHZ1HZに、ドバイではA61ACに会う機会があった。中近東を訪問したのはこの時が初めてで、回教の戒律が厳しく風俗習慣も全く違うことから遠い国に来たという感じがした。今回はこれらの国での経験を含めてレポートする(写真1)


写真1. (左)サウジアラビアでのHZ1FMを報じたCQ ham radio誌1990年5月号の記事の一部。
(右)アラブ首長国連邦でのA61ACを報じたCQ ham radio誌1990年7月号の記事の一部。

1990年 (モルディブ 8Q7DN)

JA3AUQ長谷川伸二氏はインド洋のモルディブから8Q7DNを運用した時の経験をアンケートで寄せてくれた(写真2)。「申請料(3ケ月免許)印紙100ルファイア、手数料25ルファイア。開庁時間が01:30PMまでのため要注意。430MHzは免許不可。144MHzも多分NGと思う。免許がないとRIGは持ち込めない。空港にBondし、先ず免許をもらう。その後再度RIGを引き出す。RIGの日本持ち出し時、ココムに注意。福岡、名古屋APではNGとなる事有り。OSAは問題なし。(1990年5月記)」


写真2. モルディブのイメージを表した、平成29年11月14日発行の「日・モルディブ外交関係樹立50周年記念切手」の一部。

1990年 (セイシェル S79X)

JL1DBI佐久間優氏は、インド洋のセイシェルから運用した経験を、アンケートで寄せてくれた(写真3~5)。「1990年9月12日から18日までの7日間、JG1NBD橋本氏と2人で運用しました。コールサインは橋本氏がS79NBD、私がS79X。交信総数は両局合わせておよそ2,700局でした。コールサインの指定はサフィックスの1文字目までで、2文字目からは申請者の希望もOKのようです。つまり同時に26人までしか免許が与えられません。その他、周波数制限があり、3.5MHzと144MHzはNGで、50MHzについても不可のようです。WARCバンドと1.9MHzはプライベートということで許可がおりました。(1991年3月記)」


写真3. (左)セイシェル国際空港と、(右)その首都ビクトリア市内の風景。


写真4. S79X佐久間優氏のQSLカードの表と裏。


写真5. セイシェルの免許申請書の表と裏。

1990年 (サウジアラビア HZ1FM)

JA3AER筆者は1990年2月中旬、仕事で訪問したサウジアラビアのジェッダでHZ1FMとHZ1HZに会う機会があり、次のように記録していた(写真6~8)。「2月15日(木)、タイ(HS)のバンコクからサウジアラビア(HZ)のジェッダまではサウジエアーの直行便であった。大阪から成田経由でバンコクまで既に7時間以上かけており、時間的にはニューヨークのほうが近い。ジェッダに到着したのは現地時間の深夜であったが、アジアからヨーロッパへのフライトも、ヨーロッパからアジアへのフライトも、ほぼこの時間に通過(到着)するとかで空港内は混雑しており、入国審査の長い列で1時間以上待たされた。入国者の多くはアジア、アフリカからの出稼ぎ労働者と、メッカへの巡礼者たちであった。入国審査、通関を無事済ませ外に出ると、大勢の出迎え客に混じってHZ1FM, Ahmedが、私の出した手紙とQSLカードを持って出迎えに来てくれていた。これで急に元気を取り戻し、ホテルへ送ってもらう途中サウジアラビアのハムの現状などを聞いた。翌日は金曜日の休日で夕刻にならないとどの店も開かないので、その間HZ1FM, Ahmedのシャックを訪問した。シャックは仕事場(通信機の修理業)の片隅のラックにトランシーバー(TS-120SとKWM-2)を置いただけの簡単なものであったが、早速ヨルダンのJY3ZH, Zedanがネットコントロールを務めるアラビアンネット(14.250MHz)にチェックインし、ゲストOPとして自己紹介と挨拶をさせてくれた。日本人がこのシャックを訪ねたのは初めてだそうであるが、見せてくれた彼のアルバムにはJA3CMやJA3BQE、それにJI1VLVナナちゃんの写真などが収められていた。HZ1FMの免許人はこの国の王子で、Ahmedは2nd OPとのことであった。昼食は何がよいかと聞かれ、せっかくここまで来たのでアラビア料理でしかも大衆的なものと注文した。それではと連れて行ってくれたレストランは、広い部屋に絨毯が敷かれているだけでテーブルも何もない。靴を脱いで部屋に入るとそこに座って食事をしていた男たちが一斉にこちらを向いたが、また知らぬ顔をして食べ始めた。この部屋は男性用で女性には別の部屋があるらしい。料理の名前は覚えていないがオイルで炒めたご飯の上に骨付きの羊の肉が乗せてあり、肉を手でちぎってご飯とともに食べるのである。その後駐在員や得意先の人たちとはこのようなレストランに行く機会がなく、良い経験をしたと思っている。


写真6. (左)HZ1FMを運用するAhmed。(右)現地のレストランにてJA3AER筆者とHZ1FM, Ahmed。


写真7. (左)HZ1FMのシャックにてJA3AER筆者とHZ1FM, Ahmed氏。(右)HZ1FMのQSLカード。

このジェッダにもう一人ハムがいるとHZ1FM, Ahmedが、HZ1HZ, Ahmedを紹介してくれた。HZ1FMと同じファーストネームである彼はPTTの高官をリタイアした人だと聞いた。彼のシャックに案内でもしようかとHZ1FM, Ahmedが、HZ1HZ, Ahmed(同じ名前でややこしい)に電話をしてくれたが急なことで都合がつかぬらしい。明日にでも直接電話してみろと彼の電話番号を教えてくれた。翌日、電話でアイボールQSOを申し込むと、明日ではどうかと言ってきた。初めての者がいきなり電話で失礼とは思いつつも、せっかくのチャンスを逃がしてはならぬと「実は明朝シエッダを発ちドバイに向かうので、今日会えなければチャンスがない・・」と丁寧に持ちかけてみた。すると躊躇する様子もなく「それては今夜8時にホテルに迎えにいくからロビーで待っていてくれ」との返事。このような人との出会いは「千載一遇」のチャンスであり「一期一会」の気持ちである。仕事を終え約束の時間までにホテルへ戻ったが、約束の時間より10分ほど早くHZ1HZの運転手がロビーから電話をかけてきた。HZ1HZの指示で迎えに来てくれた運転手はパキスタン人で出稼ぎに来ているらしい。ホテルから15分ほど海岸沿いに走った高級住宅地にAhmedの大きな屋敷があった。既に外は暗くてアンテナは見えなかったが、広い応接室に通されてしばらく待つと。民族衣装をまとった大柄なAhmedが現れシャックに案内してくれた。広い部屋には立派なオペレーション・デスクかあり、日本製や米国製の通信機(FT-ONE, FT-726R, IC-211Eなど)がずらりと並んでいた。彼はちょうどCWのDXコンテストに参加中であったらしい。見せてもらっているから続けるようにと言うと、小休止だと言って私と話をしながら音量を絞って聞いており。珍しい局が出るとキーをたたくという芸当を見せてくれた。彼のQSLカードにはA1OP CLUBのメンパーとあり、実にCWの名人である。コンテストが好きでよくQRVしているとのこと。JAを含むたくさんのQSLカードか無造作に積み上げられていた。ほかに日本人がシャックに訪ねてきたことがあるかと聞くと、一度アンテナを見てノックした人がいたらしいが、コールサインは覚えていなかった。(1990年6月記)」


写真8. (左上)HZ1HZ, Ahmedと、(左下)HZ1HZのQSLカード。(右)HZ1FMのシャックにてAhmedと筆者。

1990年 (アラブ首長国連邦 A61AC)

JA3AER筆者は1990年2月中旬、仕事で訪問したアラブ首長国連邦のドバイで、A61ACに会う機会があり、次のように記録していた(写真9~10)。「2月18日(日)、ジェッダ(HZ)からドハイ(A6)へはリヤド経由で半日かかった。飛行時間は延べ4時間程度だが、2時間の時差と待ち時間などを合わせると、早朝ホテルを発ったのに、ドハイのホテルに着いた時は既に夕方の6時であった。現地の駐在員と仕事の打合わせをしたあと、HZ1FM, Ahmedに紹介してもらったA61AC, Dr. Hamdanに電話をかけてみた。あいにく本人は不在らしく、受話器を取りあげたお手伝いさんと思われる女性が奥さんに取り次いでくれた。奥さんに簡単な自己紹介と用件を述べたものの、いつも帰りが遅いので10時頃再度電話してみて欲しいとのこと、駐在員と夕食に出かけた日本レストランから再び電話をしてもまだ帰宅しておらず、これ以上遅く電話をするのも迷惑だろうとこの日は諦め、翌朝仕事に出かける前に電話をかけてみたが、Dr. Hamdanは既に出かけたあとであった。もう会うことも難しいだろうとその日の夜、半ば諦めつつ再び電話をかけると、やっと彼とコンタクトすることができた。彼の方から明日の昼食に招待したいと申し出があり、その日の夕刻には仕事の帰途だと言ってホテルに会いに来てくれた。自己紹介をして名刺(シャープのロゴ入り)を差し出すと、自分はシャープのディラーをしている、これは奇遇だとさっそく彼のシャックに連れて行ってくれた。ホテルから車で20分ほどの郊外であったが、突然の訪問でさすがの奥さんも「明日の昼食ではなかったの」と驚きながら、夕食の用意をしてくれた。A61ACのシャックには偶然ON7TK,ClaudeがDXペディションに訪問しており、パイルアップを受けながらQSO中であった。夕食後、JAは開ける時間ではないが運用してみないかとマイクを貸してくれた。Dr. HamdanもゲストOPとして運用を許してくれたのて、既にセットされた14MHzのSSBでヨーロッパとQSOを始めたが、20:04 UTC頃JA6COWが呼んできた。そのあと5局のJA局とQSOができたが、僅か10分足らずの短いオープンであった。翌日は真夜中に出発するKLMオランダ航空で帰国することになっていたので、ホテルを早めにチェックアウトし、再びA61AC局を訪問した。現地に駐在しているJA4HJK吉尾龍氏とJA3SBX植松芳博氏も是非訪問したいということで同行したが、奥さんとその子供たち数人が玄関まで出て来て大歓迎をしてくれたのには驚いた。彼らもこの国でこんな経験は初めてだと言っていた。ON7TK, Claudeは相変わらず頑張っていたが、皆で遅めの昼食をご馳走になり、しばらく歓談のあと、JAが開けているかも知れないと21MHzのSSBでビームをJAに向けて呼んでみた。12:25 UTCであったが既によく開けており、JA5IVCとのQSOを皮切りに地理的に近いヨーロッパからのコールやQRMに悩ませられながら、1時間余りで84局のJA局とQSOすることができた。使用したリグはTS-440S, TL-922それに3エレのトライバンダ―であった。ログはON7TK, Claudeがとってくれており、彼のDXペディションの一部として扱われ、JA局に対してのQSLカードはJH1GZVがハンドルしてくれるとのことであった。Dr. Hamdanの本職は歯科医で、とにかく忙しい人である。夜も更けおいとましようとするとまた外出されていて、戻ってくるのを待っていては飛行機に乗り遅れる恐れがあるので、奥さんによろしくお伝え願う事にして空港に向かった。 (1990年6月記)」


写真9. (左上)A61ACのシャックにてDr. Hamdanと筆者。(左下)同左からJA3SBX植松芳博氏、JA4HJK吉尾龍氏、ON7TK,Claude。(右)A61ACの3エレ・トライバンダ―。


写真10. A61ACのQSLカード2種類。

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