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熊野古道みちくさ記

第51回 中辺路・長尾坂を行く

熱田親憙

世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に2016年10月、熊野古道中辺路の「長尾坂、潮見峠、北郡越、赤木越」と闘鶏神社、大辺路の三つの坂が追加登録された。紀伊山地の巡礼文化と日本人の精神性を感じようと、まず長尾坂を訪ね、できれば潮見峠まで足を延ばすことにした。このルートは南北朝期に開かれた比較的新しい参詣道だ。

高速道路を南紀田辺インターで降り、梅の産地・三栖地区の下三栖交差点を左折して、三栖小学校、珠簾神社を左側にみて長尾坂登り口に立つ。入り口には楠の巨木がそびえ、樹下に苔(こけ)むした南無阿弥陀仏の碑と庚申(こうしん)の碑が立ち、古道に入ったという雰囲気に包まれる。ここから水呑峠までの1.7kmが長尾坂だ。左側に長尾の集落と花咲く梅林を見ながら10分ほど歩いただろうか。昔、修験者が石に座って熊野権現の功徳を旅人に説いたという聖塚がある。ここには踏み石に因む言い伝えがある。上方に奉公していた若者が主人の妻と深い仲になり、ついに主人を殺してしまう。奉公人と女は罪悪感にさいなまれて熊野本宮に詣でようと、長尾坂までやってきた。手持ちの金も尽きてここで死のうと話し合った。その時、熊野権現が現れて「生きられよ」とのお告げをした。二人は思い直し、人に踏まれて罪障の償いをしようと石畳に自分の姿を刻んだという。単なる不倫物語に終わらせない村人の智恵には頭が下がる。後にその石が出てきたと伝わるが、今は見当たらない。まさに心の碑である。

一里塚や茶店跡の立て札を見ながら進むと、旅人を見守る役行者像に出逢う。時には足元に当たる石畳に、数知れぬ旅人の足を感じつつ、所々に咲く椿の花に山間の冬の美しさと暖かさを感じる。遺産古道区域を終えると、一気に水呑峠に向かう。峠を登り切る手前にある「ひるね茶屋」で一休み。当時の旅人も疲れてここで休憩、昼寝をしたであろう。

眼下に雲間からもれた西日に包まれた田辺湾が広がり、一幅の墨絵を見ているようで離れ難い。近くに、市の瀬の山本主膳が1585(天正13)年、豊臣軍と激戦した古戦場がある。水と峠は陣地づくりには有利な条件である事にうなずけた。

奥州の僧・安珍を追う清姫が先を急ぐ彼をみて、悔しさの余り身を捩(ねじ)って杉の木をも捻じ曲げたと言われている捻木峠に向かう。峠の頂上に立つと視界がぐっと開ける。左前方に槇山を見上げ、足元には田辺湾につながる褶曲した山並みを眺めて、薄暗い峠を登ってきた昔の旅人の解放感を想像する。

捻木の杉の下には新旧2体の役行者が祭られているが、行者像が盗難に遭い、村人たちが新しい像を祭ると持ち去られた像が14年ぶりに見つかったと添え書きがあり、心ならずもホッとさせられた。

潮見峠まであと2kmだが、日が落ちてきたので、馬我野のスロープを下山した。中腹の梅農家は梅畑に囲まれ、田辺湾の眺望を独り占めできるので、自動車社会になった今日、他人が思う以上に梅御殿気分かもしれないと邪推しながら、江戸時代の旅人気分を味わった一日であった。


スケッチ;捻木峠(田辺市)にて

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