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熊野古道みちくさ記

第53回 潮見峠と北郡越 (中辺路)

熱田親憙

世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に昨年10月、追加登録された潮見峠に通じる長尾坂を前々回楽しんだ。今回は富田川河谷ルートの北郡越えと潮見峠の踏破を試みた。南紀田辺インターチェンジ(IC)から下三栖交差点を右折して、これも追加登録された八上王子跡の八上神社を参拝。西行の「待ちきつる八上の櫻さきにけり荒く下ろすな三栖の山風」の歌碑がコケむして春の訪れを待っているようだった。その背後には、神木ともいえるような巨木が800年の歴史を刻んでおり文化遺産の重み充分である。

富田川沿いの311号線に出て右手に稲葉根王子、山本主膳の下屋敷、左手に鮎川王子を見て、のごし橋に着く。富田川を渡ると北郡越の入口。この道は北郡峠を越えて滝尻王子に至る古道で、10世紀後半から13世紀にかけて皇族・貴族が熊野参詣に使ったルートだ。富田川沿いに梅が咲き始め、清流の音に導かれて浅瀬沿いの古道に入ると、うっそうとした竹やぶをいくつかくぐる。山手寄りの窪地には道祖神と庚申塔が祀(まつ)られていた。祠(ほこら)にはミカンが供えられ、古道は今も村人によってしっかり守られている。

清姫の墓を左手に見て、右手に滝尻王子をおもいながら鍛冶屋川の覗橋に着く。橋のたもとに目をやると、天正13(1585)年の秀吉の南紀攻めから、郷土を守った顕彰碑だった。迎え撃つ南紀連合軍は射森、捻木、潮見峠に布陣したとあり、知将・山本主膳の地の利を生かした采配(さいはい)に思いを巡らせながら潮見峠に向かった。

峠には田辺湾が一望できる大きな広場が開け、東寄りの休憩所で一休み。トイレの手を洗う水は雨水を溜めたもので、屋根に太陽光パネルが載っていた。自然力を活用した省エネ、省資源の施設に世界遺産を守る地元の心意気を感じた。

標識前に立つと前に田辺湾、左手に清姫の墓、右手に捻木の杉、手前に覗橋を示す表示があり、この潮見峠が下三栖、長尾坂、捻木峠、槇山から上がった峠となる。私は、長尾坂から上がってきた豊臣軍を見て、山本軍団は峠や崖の自然力を利用し、源義経に倣って逆落としを策略したのではないかと想像した。覗橋へ下る広場の東側に立つと、潮見峠ルートが滝尻王子からの古道に合流する高原神社のある高原の集落がかすかに見えた。潮見峠は中辺路の最難所の一つと言われ、勝手に関所が作られるほどだった。一方で伊勢詣でから熊野詣で、西国巡礼を目指す人にとっては久しぶりに見る海、熊野詣での人にとっては見納めの海のビューポイントである。

従って、潮見峠は、参詣者が難所を登り切った達成感と海が一望できる解放感を、共に喜びあえる広場といえよう。峠茶屋の「汐見屋」は今でいう人気の民宿であったに違いない。村人にとっての潮見峠は、三栖の郷を豊臣軍から守った守護神的山城だったと言えよう。潮見峠がこんな役割が果たせたのも、峠と峠を結ぶ林道が生活道として拓かれたからである。古道の変遷は人間の営みの歴史そのものと言えよう。

2017年記


道祖神と庚申さんが祀られた北郡越の古道(田辺市中辺路町)

 

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