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今月のハム

JA1VMP 海老澤逑夫さん

茨城県水戸市にあるコミュニティFM放送局「FMぱるるん」(76.2MHz)の放送局長を務めるJA1VMP海老澤逑夫(えびさわのぶお)さん。

茨城県東茨城郡茨城町に住んでいた小学校5、6年生の頃、母親の実家近くで竹竿2本を使った逆L型アンテナを見た時、それがアマチュア無線のアンテナだと聞かされた。さらにトンツーで世界と通信できることを知り、「無線ってすごい」と思ったのが、海老澤さんが無線に興味を持つきっかけとなった。

中学生になると、技術家庭科の授業で蛍光灯を作ったことで電気に興味を持った。その頃、たまたま入手したバリコンで何か作れないかなあと考えていた時に、ラジオ雑誌に掲載されていたバリコン付き鉱石ラジオの実体配線図を見つけた。そのラジオを作るには鉱石が必要なことが解り、水戸まで出て行って手に入れ鉱石ラジオを作った。完成すると、ラジオ放送が聞こえるには聞こえたが、音が小さく布団に潜ってなんとか聞こえる状態だったことを覚えている。その次はゲルマニウムラジオのキットに挑戦。鉱石ラジオよりは多少よく聞こえたものの、それでもいまいちだった。そして次は2石ラジオのキットとどんどんエスカレートしていった。

その頃、海老澤さんは故障したメーカー製のラジオをもらった。5球か3球だったという記憶があるが、素人なりにあれこれいじっていたらうまく直った。その後は親戚などから時々ラジオの修理を頼まれるようになり、ラジオを直しているうちに、ラジオ雑誌を毎号読むようになった。そのラジオ雑誌でアマチュア無線の免許の取得方法を知ることになる。

同時に小学生の頃からの夢だったアマチュア無線の免許取得のための勉強を少しずつ始めた。高校に入学すると無線部に入部し、入部後すぐの1965年4月に電話級国試を受験した。その頃、国試は年に2回しか実施されておらず、しかも関東では東京でしか受験できなかった。そのため、海老澤さんは大学生だった兄の東京の下宿に泊めてもらって蒲田にあった試験場で受験した。

試験に合格した海老澤さんはラジオ雑誌に掲載されていた実体配線図を元に、3.5MHz、7MHzのAM送信機を自作し、同年JA1VMPを開局した。ファーストQSOは水戸市内の局だった。「直線で5、6km位しか離れていませんでしたが、無線でつながったということにものすごく感動しました」、と話す。

高校時代は、放課後に学校のクラブからも運用し、週末はコンテストなどを楽しんだ。クラブには、トリオやデリカのメーカー製トランシーバーがあった。山にも移動運用に出かけたことを覚えているが、電源はどのように調達したか思い出せないという。

高校卒業後は東京の大学に進学。大学でも無線部に入部するとともに、下宿からも運用した。しかし海老澤さんが大学2年生の時に学園紛争が勃発し、学校が一時的に閉鎖になってしまった。海老澤さんは学校に行けなくても、トリオ(現JVCケンウッド)の21MHz送信機キット(TX-15S)を購入して組み立てたり、また井上電機(現アイコム)のFDAM1などのポータブル機でアマチュア無線を楽しんだ。

一方、動画通信のATVに興味を持った海老澤さんは、ATVを運用するために大学時代に2アマを取得した。当時はATVの免許を得るためには、2アマ以上の資格が必要であり、電話級や電信級では免許が下りなかったからだ。海老澤さんは、ATVの運用に熱中して、当時の430MHz帯ATVで通信距離の日本記録まで作った。

今では、ATVは1200MHz帯以上でしか免許が下りず、430MHz帯では通信できないが、その頃は、まだバンドが空いており、430MHz帯においても占有周波数帯域幅9MHz(音声も同時に送った場合)のATVの免許が得られ、実用的な運用が可能だったという。以後、海老澤さんはATV運用の虜になった。大学卒業後はUターンして茨城放送に就職する。その後、実家の特定郵便局の後を継ぐため、茨城放送を退職。水戸酒門郵便局の局長となり、郵便局の運営に尽力する一方、「これからの時代、地域とのコミュニケーションを図るのは郵便局より放送局だ」と考え、1997年に「FMぱるるん」を開局した。

2011年、東日本大震災が発生、水戸市およびその周辺地域でも甚大な被害が出た。インフラはストップし、電気も来なければ、電話も使用できない状況となった。FMぱるるんの局舎にも被害が出たが、そんな中で、中継局を使わず、さらに乾電池で通信できるアマチュア無線機が大いに役立った。

インターネットが回復した後も、デマなど、でたらめな情報がネット上で流れ、何が正しい情報か判断が難しい状況となった。そのような状況では、相手が名前を名乗っても本物かどうかは分からない。しかし、通信中にコールサインをアナウンスするアマチュア無線では、デマが流しにくい。しかも通信相手の顔もほぼ分かり、「アマチュア無線で得られた情報は信用できました」、と海老澤さんは話す。

そのような経験から、海老澤さんはFMぱるるんの社員全員にアマチュア無線の免許取得を勧め、社員全員が免許を取得するという結果となった。さらに、海老澤さんは、免許を取得するだけではいざという時に無線機を的確に操作できないし、どのように通信しても良いかも分からないことを理解しているため、局内に開設したFMぱるるんアマチュア無線クラブ(JQ1ZKB)で、常々、実運用のアドバイスを行っている。


FMぱるるん本社(2F 3F部分)に上がったアンテナ

海老澤さんは、今なおATVに興味があり、大学生時代の430MHzから始まって、1200MHzでずっと楽しんできたが、最近では送信機、受信機が安価に入手できる5GHzでの通信を楽しんでいる。「出力1Wの送信機と、受信機の両方を買っても1万円くらいで手に入ります。これにパラボラアンテナをつなげば、ATVで50km以上飛びますよ」、と話す。

「今は自作のような形でしか運用できないけど、メーカーが5GHzを出してくれたら、マイクロ波がもっと活発になると思います。パラボラアンテナのビームあわせは、難しく思うかもしれませんが、そんなに難しくはないですよ」、と話す。「チャンスがあればもっと上のバンドもやってみたい。できれば、かつてアイコムから発売されたTV-1275みたいに、メーカーがATVのオプションを作って欲しいですね。できればデジタルで」、と続ける。

また、海老澤さんはノイズの少ない環境で、思いっきりHF帯の運用を楽しむため、茨城町に別宅シャックを構築し、ここにも1kW局を開設した。ここは、回りに人家や工場などがないため、人工ノイズがほとんどなく、受信信号が無い状態なら無線機のSメーターがゼロまで下がるという好条件の場所である。ゆくゆくはリモートで運用できるように計画している。


別宅シャックのアンテナ群。近いうちにアンテナ鉄塔を建柱する予定。


別宅シャックの機器構成。

海老澤さんの目標は、非常時にも備えた社員全員の免許取得だったが、これはもう実現できたので、次の目標は運用面を見据え、「JQ1ZKBでコンテストの社団局部門に参加し、みんなで力を合わせて入賞することですね」、と意欲を話してくれた。


FMぱるるん本社シャックにて。

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