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Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

第32回 国立研究開発法人情報通信研究機構「電波研クラブ」(JR1YPU)の皆さん

Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

みなさんこんにちは、Masacoです!
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいったもので、過ごしやすい季節になりましたね。ここのところ、大きな自然災害が続いています…。皆さんはご無事でしたか? 一日も早く心穏やかな生活が戻ることを願っています。当たり前の毎日のありがたさ・・・今ある時間に感謝が生まれます・・・私にできることを・・・。

こういうときに、やっぱり「ラジオ」と「ハンディ機」があると心強いですね! 私も外出のときにはFMラジオが受信できるID-51をバッグに入れるようにしています。

さて今月は、標準電波「JJY」や、電離層の観測などでアマチュア無線家にも身近な、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)を訪問しました。アマチュア無線クラブもアクティブに活動していますよ。

第32回 国立研究開発法人情報通信研究機構「電波研クラブ」(JR1YPU)の皆さん

今回お邪魔したのは「国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)」という組織。名前を聞いて、「あまり聞いたことがない名前だなあ」「難しい研究をしているところ?」と思われる方もいらっしゃいますよね!? 実は私もそうでした(笑)。でもお話を伺ったら、アマチュア無線家にはとっても身近な組織であることがわかりました♪

お伺いしたのは東京都小金井市にある、NICTの本部です。大きな建物の壁面には「日本標準時(JST)」を知らせる超大型のデジタル時計が取り付けられていました!


NICTの大きな建物には日本標準時を知らせるデジタル時計が!! 「うるう秒」があるときには、「8時59分60秒」になる瞬間の記念写真を撮る人たちで混雑するそうです

私が育った兵庫県明石市は日本標準時の基準となる東経135度の子午線が通っていて、天文台(明石市立天文科学館)には日本標準時の大きなアナログ時計が取り付けられています。なんだか親しみを感じるわ~!

建物に入ったところで「Masacoさん、お待ちしていました」と声を掛けてくださったのは、NICTの広報を担当している滝澤 修さん(JF3CGN)。情報通信研究機構アマチュア無線クラブ(JO1ZRX)と電波研クラブ(JR1YPU)の代表者でもいらっしゃいます。


NICT広報部でアマチュア無線クラブ代表の滝澤さん(JF3CGN)に出迎えていただきました

NICTの役割と歴史

「今日はまず、展示室をご覧いただこうと思います」ということで、同じ建物の中にある広~い展示室に案内していただきました。


展示室は平日9:30~17:00(受付は16:30)まで開館し、誰でも見学可能です。詳しくはNICTのホームページで!!


展示室で日本標準時について勉強中。私のふるさと、明石とのご縁を実感♪

ここでNICTの役割と歩みをお勉強しましたよ~!!

情報通信研究機構は「情報通信分野を専門とする唯一の公的研究機関として、豊かで安心・安全な社会の実現や我が国の経済成長の原動力である情報通信技術(ICT)の研究開発を推進するとともに、情報通信事業の振興業務を実施」している機関で、英文略称のNICTは「National Institute of Information and Communications Technology」の意味だそうです。

歴史はとても古く、1896(明治29)年10月に、逓信省電気試験所が無線電信の研究を始めたことがルーツになるそうです。1915(大正4)年には茨城県に長距離無線実験の拠点として「平磯出張所」を設立し、まだ“未開拓の周波数”だった短波帯の遠距離通信の研究などを行っていました。1924(大正13)年には日本で初めて、中波帯で太平洋横断の放送電波(米国オークランドのKGO局)を受信に成功したほか、1925(大正14)年からは短波帯で遠距離伝搬試験を行い、JHBBのコールサインで海外のアマチュア局との交信も行っていたんですよ♪


逓信省電気試験所平磯出張所の「QSLカード発受簿」を展示。JHBBが1926(大正15)年2月24日から1928(昭和3)年6月26日までに受け取ったQSLカードが綴じ込まれています

1932(昭和7)年には電離層の研究を始め、1934(昭和9)年からは日食時の電離層観測も始めました。1936(昭和11)年には水晶時計式周波数標準器を設置し、1940(昭和15)年には、千葉県の検見川送信所からコールサイン「JJY」で短波帯の標準電波の発射を始めました(標準電波で“秒”の報時を開始したのは戦後の1948年から)。1949(昭和24)年にはJJYの送信所を東京都小金井市に移しています。


1940(昭和15)年、短波帯で「JJY」の送信を始めた千葉県の検見川送信所は廃墟となって一部の建物が残っています。NICTのアマチュア無線クラブは許可を受けて、ここから「8N100ICT」の移動運用を行ったことがあります


展示室には小金井市に送信所があった時代の「JJY」の終段管(日本無線製)を展示。電波研究所への特別納入品のため「波研」の刻印が入っているそうです♪

1952年には「郵政省電波研究所」となり、1964(昭和39)年には茨城県に鹿島支所を開設。ここに建設された直径10mのパラボラアンテナを使って、24か国に向けて東京オリンピックの衛星中継を行いました!

昭和の終わり頃からは組織や名称が目まぐるしく変わります。1988(昭和63)年には「郵政省通信総合研究所」になり、2001(平成13)年には「独立行政法人通信総合研究所」となりました。さらに2004年に通信・放送機構と合併して「独立行政法人情報通信研究機構(NICT)」が発足! 2015(平成27)年からは現在の名称「国立研究開発法人情報通信研究機構」となっています。

長い歴史の中で何度も名称を変えていますが、アマチュア無線歴の長い人には「昔の郵政省電波研究所です」と説明すると、「ああ、JJYの!」と理解してくださるそうです♪ ちなみに1949年から小金井市で送信を行っていたJJYは、1977(昭和52)年12月から茨城県猿島郡のNTT名崎無線送信所からの送信になりましたが、2001(平成13)年3月31日正午で短波帯の送信を終了。現在は福島県のおおたかどや山標準電波送信所から40kHz、福岡県と佐賀県境のはがね山標準電波送信所から60kHzの長波で標準電波を発射し、その信号は電波時計などの機器などに広く利用されています。


福岡県と佐賀県境にある「はがね山標準電波送信所」。長波60kHzでJJYの標準電波を送信しています

現在の研究分野は多岐にわたり、大きく「センシング基盤分野」「統合ICT基盤分野」「データ利活用基盤分野」「サイバーセキュリティ分野」「フロンティア研究分野」の5つに分かれているそうです。このうち、日本標準時の発生や供給と標準電波は「センシング基盤分野」の電磁波研究所にある「時空標準研究室」で行っています。また電離層の観測や宇宙天気予報などは、同じく電磁波研究所の「宇宙環境研究室」で研究を行っています。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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