2016年12月号

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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)

タイで第16回SEANETコンベンションを開催

この年(1988年)の11月に、タイのバンコクで第16回SEANETコンベンションが開かれた。これに参加して特別局HS0SEAを運用した方々からレポートを頂いていたので、今回は先ずそれから紹介する。今年(2016年)のSEANETコンベンションは第44回になるが、11月中旬にタイのパタヤで開催される。そんな矢先の10月13日に、タイのプミポン国王のご逝去が伝えられた。国王はHS1Aのコールサインを持つアマチュア無線家であり、タイのアマチュア無線連盟RAST(Radio Amateur Society of Thailand)のパトロンでもあった。「Radio Amateur Society of Thailand under the patronage of His Majesty the King」と表記されるほどRASTとの係わりも深く、RASTのホームページは早速国王の写真を掲示して追悼するとともに、全体をモノクロにしてしまった(写真1)。プミポン国王のご逝去を悼み謹んで哀悼の意を表します。タイ国民は1ケ月喪に服すとのことで、RASTが11月前半に予定していたARDF大会は来年1月後半に延期になったが、SEANETコンベンションは予定通り開催される。この記事をご覧頂くころには終わっているので、その様子は別途お伝えしたい。


写真1. RASTのホームページに掲載された、プミポン国王の写真。

1988年 (タイ HS0SEA)

JA1UT林義雄氏は、SEANETコンベンションに参加したとアンケートを寄せてくれた(写真2)。「恒例のSEANETコンベンションが1988年11月11日-13日の3日間、タイのバンコクで開かれ、その記念局としてアンバーサダ-・ホテルのサボイルームに開設されたのがHS0SEAである。折りからJAPAN INTERNATIONAL DX CONTESTでもあったので、同局から多くのSEANETメンバーがこのコンテストに参加した。SEANET CONVENTIONには日本からも29名のハムが参加したが、JA3AER, JA3UB, JA0AD, JA9AG, JA4CX, JA1CMS, JA8OW, JA8RUZそれにJA1UTなどの有名局の顔が見えたHi。総計15カントリー139名が集まり、1Z9B, 1Z9Cなどカレンのハムが注目を集めた、大会委員長はRASTの副会長、HS1YLマユリさんがつとめた。(1988年12月記)」


写真2. (左)HS0SEAを運用するJA1UT林義雄氏と、(右)そのQSLカード。

JA1CMS阿部克正氏も、SEANETコンベンションに参加したとアンケートを寄せてくれた(写真3)。「HS0SEAはSEANETコンベンションの記念局として開設されたものです。コンベンションへの参加を機会にQRV致しました。ホテルの屋上にANTを設置してありましたが、マッチングが良くなかった様ですし、QRNが大きく良い状態ではありませんでした。多くのゲストがQRVを望んで居られ、合間々々にCWで18局程のQSOが出来ました。(1988年12月記)」


写真3. (左)HS0SEAを運用するJA1CMS阿部克正氏(右端)と、(右)そのQSLカード。

JA8OW谷本健一氏もSEANETコンベンションに参加し、HS0SEAを運用したとアンケートを寄せてくれた(写真4)。「SEANETコンベンションの期間中のみのライセンスで参加者が運用できるようです。今年もコンベンションホテル(アンバーサダーホテル)に設置されました。スクムビット通りの街中ですのでノイズが多くて余り多くの局とはQSOできませんでした。リグはTS-930S, FL-2100Bでしたがリニアのほうはチューニングの仕方が良くなく、エネルギーをタンク回路付近にためたとみえて、出力検出回路のダイオード類が破壊され、続いてベークの基板そのものも焼けてしまって、使い物にならなくなってしまいました。この部分については、12月あるいは1月、バンコックへ行くときに補充するつもりです。尚QSLカードはJA0AD小林さんが印刷を引き受け、発行もすることになっています。(1988年12月記)」


写真4. (左)HS0SEAを運用するJA8OW谷本健一氏と、(右)そのQSLカード。

JA0AD小林勇氏は、SEANETコンベンションに参加しHS0SEAを運用されたが、そのQSLカードを寄贈してQSLマネジャーも引き受けられた(写真5)。「(手紙より一部抜粋) 平成元年1月22日(日)のSEANETでQSO出来ましてありがとうございました。HS0SEAのアンケート未提出ですみません。HS0SEAのQSLカードを同封します。ポツポツCQ誌を見てQSLカードが送られて来ていますが、いまだLogコピーが未着で待ちわびております。(1989年1月記)」


写真5. (左)JA0AD小林勇氏が寄贈したHS0SEAのQSLカードと、
(右)その裏側の一部(QSL MANAGER JA0ADと印刷されている)。

JA3AER筆者は米国駐在から帰国して間もなかったが、バンコックは懐かしく、久しぶりにSEANETコンベンションに参加した。「1988年11月11日から3日間、タイのバンコックで開かれSEANETコンベンションに参加し、アンバーサダー・ホテルのサボイルームに記念局として開設された特別クラブ局HS0SEAを運用する機会を得た(写真6)。ちょうどこの日はJapan International DXコンテストの最中であったので、それに参加する形でJAの数局とナンバーを交換させて頂いた。(1990年5月記)」


写真6. (左)HS0SEAを運用するJA3AER筆者と、(右)そのQSLカード。

1988年 (シンガポール 9V1ES, 9V1XI, 9V1XP)

JA4HCK馬場秀雄氏は、シンガポールで9V1ESを運用したとレポートしてくれた。「1988年、JA1UT林氏を中心に1ケ月程50MHzの伝搬実験、その内1週間(6月10-16日)参加しました。(1992年6月記)」

JR1MOO山内俊治氏は、シンガポールで免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた。「1987年8月に山一証券シンガポール支店に赴任、翌年2月に9V1XI局を開局(写真7&8)。日本の2アマ以上なら英文証明だけで資格審査はOK。申請の際裁判所での秘密厳守の宣誓書なども必要だが、だいたい日本での手続きと同じ。ビザが必要なので、観光客は運用できない。当地の電波管理局はゲストオペを正式には認めていない(SEANETの特別局、実験局などは別)が日本のハムに頼まれて断わりきれずに運用させた現地局の話を聞くことがあるので自重して頂きたい。しかし日本と相互運用協定がないにもかかわらず、QRVさせてくれる政府当局に感謝している。今までで200カントリー、400局とQSO。毎月最終木曜日にSARTS(無線連盟)の月例会があり40人ぐらい集まる。外国からのQSLカードが配られたり、不要リグやアンテナのセールをしたり楽しんでいる。各局ともJAからのQSLが圧倒的に多いが、 最近増えているカラー写真のカードなど好評で、廻し見したりしている。ただ、日本から我々へのQSLにはJST表示が目立つ。一応外国局なのでUTCで記入して欲しい。カリブ海や南米からは珍局に入る9Vだが、キューバからIRCが7枚も入ったSASEが来たことがある。7枚とも日本の同じ郵便局で同じ日に発行されたものだった。今や大変なんですね。(1990年10月記)」


写真7. (左)9V1XI山内俊治氏のシャックと、(右)そのQSLカード。


写真8. 9V1XI山内俊治氏の免許状。

JA3KVQ萩原次男氏は、シンガポールで9V1XPの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた。(写真9)。「アマチュア無線局の申請はTELECOMで入手した申請書に必要事項を記入し、無線機の仕様書(DC入力150W以下, 12, 17, 30m Band送信不可能改造の内容)、人物証明書(2通)、パスポート・就業許可書の写し、家主又は管理人の開設同意書に日本でのアマチュア局免許状と無線従事者免許証(2級以上)の英文証明書を添付しTELECOMに申請する。申請後1箇月半程でコールサインを指定された上で、アマチュア局の申請内容の確認、免許料年間S$25.-の支払い要求と最高裁での宣誓証明書の提出要求が来る。同時に落成検査(バンド毎に出力電力、SWR、TVIの検査)が行なわれ、半月程で待望のライセンスがおりる(写真10)。以降毎年の更新でS$25.-/年間である(1990年より3年更新のシステムも開始した)。シンガポールにはSARTS(Singapore Amateur Radio Transmitting Society)があり、SWL 30名を含めた約120名で活動している。メンバーは国際色豊か、毎月最終木曜日の晩にミーティングを開催、各種行事、アマチュア関係法令の動向、無線技術、正しいハムのあり方、ジャンクセール等で楽しい一時を過ごす。日本人は9名、14MHz, 21MHzを中心にOn The Air。先般1989年11月には17th SEANET Conventionがシンガポールで開催されたことは記憶に新しい。私のシャックは27階建てのマンションの23階(約70mH)、屋上に建ててもよいが、TVIの心配と手続きが面倒な為、バルコニーの先端にコンパクトタイプアンテナと、ツエップタイプワイヤーアンテナを設置し運用している。景色は最高、真っ青なマラッカ海峡には船が停泊しており、はるかかなたにはインドネシアも望める。又、シティの夜景も素晴しい。5大陸とも交信は出来ているが、南向きのため8J1RLは59+で入感するのに比べ、JAは若干落ちる。日本と離れ異国でJAとの交信を切望しています。どしどしコール下さい。特にローパワーの方大歓迎です。(1990年1月記)」


写真9. (左)運用中の9V1XP萩原次男氏と、(右)そのQSLカード。


写真10. (左)9V1XP萩原次男氏の免許申請書と、(右)その免許状。(クリックで拡大します)

1988年 (ネパール 9N88ITU)

故JH8MWL広本啓子氏は、ネパールへのDXペディションの経験をレポートしてくれた。「1988年5月に、ネパールの9N88ITUのペディションに参加して来ました。今回初めて50MHzの免許がおりて(写真11)、最終日についにオープン。JAと55局のコンタクトが出来ました。今年はHSの免許がおりず、皆がっかりしています。12月には9Nの計画がありますが、予定通りに免許がおりるまで・・・なにしろペディションは大変です。(1988年7月記)」


写真11. JH8MWL広本啓子氏達の9N88ITUの免許状。(クリックで拡大します)

1988年 (中国 BT4YL)

JA4HCK馬場秀雄氏は、上海でBT4YLを運用したとレポートしてくれた(写真12)。「(1988年3月、YLを中心に中国人、日本人、米国人でWPXコンテストに参加。外国人参加者はJR3MVF、N6BAE、JA3UB、WA6UVF、JM1DBD、JA4HCKでした。(1992年6月記)」


写真12. JA4HCK馬場秀雄氏達のBT4YLのQSLカード表と裏(裏には参加者のリストがある)。

1988年 (韓国 6K3IARU, HL1/N1CIX)

JH1VRQ秋山直樹氏は、ソウルで6K3IARUを運用したとレポートしてくれた(写真13の左)。「1988年10月10-14日にソウル市内のプラザ・ホテルにて開催されたIARU第3地域会議を記念した特別局で、各国からの代表によって運用された。リグはTS-940SとHF6Vバーチカル。私(ARRLから出席)の運用については、19カントリーの191局(そのうちJAは124局)とのQSOであった。(1988年11月記)」そして、同時に個人コールHL/N1CIXの運用許可も得て運用したとレポートしてくれた(写真13の右)。「IARU第3地域会議(1988年10月10-14日にソウルにて開催)の出席者全員が、韓国通信省の特別なはからいにより、ポータブル運用を許された。QTHは会議場となったプラザ・ホテルで、リグはTS-940SとHF6Vバーチカルが、韓国アマチュア無線連盟(KARL)によって準備された。この恩恵に一番乗りをしたのが私で、韓国における外国人ポータブル運用の第一号となってしまった。なお、QSO数は14カントリーの58局。そのうちJAは26局であった。(1988年11月記)」


写真13. (左)JH1VRQ秋山直樹氏が運用した6K3IARUのQSLカードと、
(右)HL1/N1CIXのQSLカード。

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