2015年2月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その23  CEPT 1983年 (2)

CEPT

「欧州郵便電気通信主管庁会議(CEPT)が、2014年5月末に行ったRAFG(アマチュア無線分科会)の会合の中で、日本の1アマ資格所持者をCEPT T/R 61-02 (長期滞在者を対象とするアマチュア無線資格の相互認証)に認める方針を立てた」との情報が飛び込んできたが、これは朗報である。既に多くの日本人が、ヨーロッパの国々でCEPT免許を得てその恩恵に浴していることは今後の記事にも出てくるが、筆者もその便利さを体験した一人である。

既に(2013年9月に)、ニューヨーク在住のN2JA塚本葵氏がJANETのMLで、「現在欧州各国は欧州相互運用協定とでもよぶべきCEPTを結んでおり、米国、カナダ、ペルー、オーストラリア、ニュージーランド、南ア、イスラエルなどとも協定を結んでいます。欧州でも一部の国は無関係に運用を認めるか、日本との相互協定を結んでいますが、日本との相互協定を結んでいる国は最近インドネシアが追加されましたが、あまり増えていません。これは世界の情勢が二国間協定から、多国間協定に推移したからだと思います。日本は遅れをとっているように思います。グローバルな協定が望ましいけれど、まずはCEPTと日本も協定を結び、自由に運用ができるようにすべきだと思いませんか。上記のような国がすでに協定を結び、日本も免許制度はかなりオープンになってきたと理解していますので、日本が結べない理由はないと思うのです。」と、発信していた。

その多国間協定の第一歩として今回のニュースは朗報であるが、CEPT T/R 61-01 (短期滞在者を対象とするアマチュア無線資格の相互認証)が認められれば更に便利である。しかし、相互認証の公平性から考えれば今の日本の免許制度では難しいと思う。今後日本の免許制度を包括免許にするなど、CEPTを含む国際的な水準に合わせることで、1アマ以外にも、また短期滞在でも運用出来る多国間協定を結ぶことを望むところである。

1983年 (英国 G5ENI, G4YHC)

故JA0BUA佐藤良介氏は英国での免許と運用についてレポートしてくれた。「1982年にUSAのOhio州でKC8THとして運用を楽しんでいた私は(写真1の右)、その年の夏にUKに赴任を余儀なくされた(写真1の左)。そこで、21MHzでOhioからQSOできるUKの局よりHome OfficeのAddressを、電波を通じて聞き、Home Office(日本の外務省/郵政省に当たる)に手紙を出した。その内容としては、私はKC8THのコールを有する日本人であるが、相互協定によるコールサインの可能性を尋ねた所、USAのLicenceのコピーとAlien Registrations(Passport/I94等)と8ポンドを送ってくれとの事で、早速全ての書類を送った。その1ヶ月後にG5ENIのコールサインを貰う事が出来た(Class A - UKの最上級)。G5は外国人に対して与えられていたものをその後廃止し、その時にReciprocal Callを有していた約500局(私もその1局)に対してUKの人と同じコールを割り当ててくれた。それが現在のG4YHCで、1983年以降はG5のコールを廃止した為、相互協定による免許は、例としてG4/N2ATTとなる。又その年以来外国人も試験を受ければ、免許/コールサインが取得できるようになった。よって現在日本人は試験にパスすれば、Gのコールがもらえる。(1985年3月記)」


写真1. (左)英国はイングランドにて、左からG4YHC佐藤良介氏、G1OKL玲子さんご夫妻と2nd、JG3FAR荒川洋子(筆者のXYL)(1984)。(右)米国オハイオ州にて、左からKC8TH佐藤良介氏、KF8N, Bill Snyder氏とKB8VA純子さんご夫妻、JA3BOA乾英夫氏(1982)。

1983年 (ドイツ DJ0EC, DD5KJ, DL/JA1BRK, DL/JG1GWL, DL/JA3AER)

JH3EZH佐藤一義氏はドイツの免許DJ0ECを得た経験を詳細にレポートしてくれた。「当時は留学中(1983 - 84年)の身であったので、残念ながら全く運用出来なかった。ただ折角西ドイツまで来た以上、かの地のライセンスだけでも貰っておこうと考えた。従って、以下のお話しはあくまでも“免許の取り方について”ということになる。最初にコンタクトをしたのは、出発前に調べておいたDARCである。その返事によると、西ドイツで運用するには2通りのケースが考えられる。即ち、3ケ月以内のビザなし短期入国者に対してはゲスト・ライセンスが、また3ケ月を超える長期滞在者に対してはドイツ人同様のライセンスがそれぞれ発給される。そして、前者の申請はDARCが窓口となり、後者を希望する者は直接Oberpostdirektion(地方電気通信管理局と地方郵政局を併せたような機関)に申請すべし、とのことであった。私の場合。機会こそなかったものの1年間の滞在が予定されていたので、後者の方を希望した。幸いにも滞在していた街(Freiburg)にそのOberpostdirektionが存在したので、早速話を聞きに行った。担当の部署(Referat)で申請書の用紙を貰い、それに記入し(写真2)、ライセンスを交付してもらったが、この時は一番下のクラスCであった。担当係官の説明によると、確かに従免は1アマでもこの局免には144MHzしか記載されていないので、このようなライセンスになったとのこと。


写真2. DJ0EC佐藤一義氏の免許申請書。(クリックで拡大します)

では、どうすれば一番上のクラスBのライセンスが貰えるのかと聞くと、試験(Zusatzprufung)を受けろとの回答であった。そこで先のDARCへその旨を伝えたところ、DARC-Verlag(出版社)の問題集を料金後払いで郵送してくれた。この問題集には工学と法規の他に運用の知識の問題も出ていたが、私の場合はペーパー・テストの工学と実技の電気通信術(欧文60字/分)のみの受験であった。再度受験申請をしにOberpostdirektionに行くと、ほぼ定員の20名になる見込みなので、2週先の金曜日に試験を実施するがよいかと聞かれ、OKした。当日はOberpostdirektion内の会議室に各クラスの受験生が一緒に集まり、先ず電気通信術(受信)の試験から始まった。借り物のヘッドホンをジャックに差し込み、試験官の指示通り5文字グル-プ(暗語)の受信、会話文の受信、QSOスタイルの文の受信をそれぞれ1分ずつ行なった。続いて工学の筆記試験。辞書の持ち込みも許されず、ただただ丸暗記した問題集の解答をドイツ語で制限時間内に書く。最後の電気通信術(送信)の試験はマンツ-マンで行なわれ、大いに上がったが、なんとかクリア-したようであった。試験終了後1時間程待たされ、ドイツ人の受験生たちと喫茶店でハム談義に花をさかせる。各採点が完了した時点で、合格者のみ元の会議室に呼ばれ、最高責任者からまとめて総括を受ける。どうもTVIやBCIなどに充分留意せよ、といった内容のようであった。帰りがけに、合格したクラスのライセンスが各人に配布された。ただ私だけは外国人であるが故に、Bonnにある本省からの交付ということで、約一ヶ月後にクラスBのライセンスを貰った(写真3)。(1989年12月記)」


写真3. DJ0EC佐藤一義氏の免許状。

ドイツ在住のJN1UUJ岩崎美恵子氏からアンケートを受け取った。「1983年10月1日に西独でDD5KJの免許を得て、Stuttgartから144MHzの運用はPortable + Mobile(1987年6月記)」との事であった。彼女は1994年にDJ9WH, Bertin Butz氏と結婚し、現在DJ7KJとしてドイツからQRVしておられる(写真4)


写真4. 現在もアクティブなDJ7KJ美恵子Butz氏。(左)大阪でのJAIGミーティングにて、左からDJ7KJ美恵子Butz氏、DJ9WH, Bertin Butz氏、JO3LZG下津富雄氏(2004)。(右)同じく大阪城公園にて、左からDJ7KJ美恵子Butz氏、DJ9WH, Bertin Butz氏ご夫妻(2004)。

JA1BRK米村太刀夫氏はドイツからDL/JA1BRKの免許を得て運用されたと写真を送ってくれていた(写真5)ので、当時の記憶を尋ねていたところメールで次のように返事を頂いた。「ドイツで免許を受けたのは最初が1980年で2回目が1983年でありました。最初は2mのHTを持って行きレピーターを経由してローカルとQSOしました。2回目はHFのリグを持参してJAともQSOが出来ました。当時、私の最後のカントリーであるマルペロのDXペディションがあり、ドイツで信号を聞き、急いで帰国し交信をした思い出があります。(2014年12月記)」


写真5. DL/JA1BRK米村太刀夫氏。

JG1GWL杉本賢治氏は運用するチャンスはなかったがとして、DL/JG1GWLの短期の免許を申請した時の思いをアンケートで寄せてくれた(写真6)。「仕事で行く予定があり、DK9JD(2回JAに遊びに来ている)に申請をお願いして3ケ月間(1983年7月1日から9月30日まで)の免許を貰いました。申請から免許証入手までの期間は4週間以内。費用はDM15(約1,200円)でした。出張が中止になり免許期間中には運用できませんでしたが、JA免許で簡単にDL免許をくれるというのは嬉しいことです。特に、現地住所不定でもくれるところが、旅行者にとっては有難いところです。(1985年5月記)」


写真6. 現在もお元気なJG1GWL杉本賢治氏。(左)横浜でのSEANETコンベンションにて、後列左からJG1GWL杉本賢治氏、JA1FNO須之内建史氏、JA1BNW廣島孝之氏、JA9IFF中嶋康久氏。前列はDF2CW壱岐邦彦氏とDN2MCW, Erikaさんご夫妻(2013)。(右)東京ハムフェアのJANET/JAIGブースにて、筆者とJG1GWL杉本賢治氏(2014)。

JA3AER筆者は初めてドイツへ旅行して運用した時のことを次のように記録していた。「米国滞在中の1983年8月に、休暇を利用してXYLとニューヨークの日系旅行社が企画したヨーロッパへの8泊10日(機中1泊)の団体旅行に参加した。ON, DL, OE, HB0, HB9, Fの6ケ国と欲張ったツアーだったが、日本人の旅行者がアマチュア無線を運用出来るのはドイツだけであった。ベルギーのブルッセルを出たバスはドイツに入り、ハイデルベルグを経由してミュンヘンまでの観光地を巡る旅であった。事前にDF2CW壱岐さんにお願いして、日本の免許をベースにしたDL/JA3AERの短期免許を取得し(写真7)、旅行中のバスなどから144MHzのレピーターを使って、ローカルのハム達とQSOを楽しんだ(写真8)。ミュンヘンでは壱岐さんともQSOできて、アイボールQSOも楽しんだ。(1985年4月記)」


写真7. (左) DL/JA3AER筆者への免許状発行案内レター。(右) DL/JA3AER筆者の免許状。(クリックで拡大します)


写真8. (左)ドイツにて観光バスの車中で2mを運用するDL/JA3AER筆者。(右)DL/JA3AER筆者のQSLカード。

1983年 (イタリア I2ZKA)
JA1BNW廣島孝之氏はイタリアでの運用の経験をアンケートで寄せてくれた。「ミラノ市のARI(イタリアのハム連盟)でWの免許を見せるだけ(日本の免許はNG)で、ゲストオペレ-タ-として運用させてくれた(写真9)。Wとは最近相互運用協定が成立したとの事でOKとなった。交信局数はCWで40局程度。(1985年4月記)」


写真9. ミラノのARI事務所にてI2ZKAをゲスト運用したJA1BNW廣島孝之氏と、事務員のIK2BWO, Sandraさん。

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