2016年4月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その37 国際平和年 1986年 (3)
国際平和年
1986年は国連が宣言した国際平和年であった。国連事務総長が「全ての加盟国は国連憲章の原則を尊重し、全ての国と人々の平和への道を追求する機会である」と平和へのメッセージを伝えた。1986年6月20日には国連本部、ジュネーブ事務所、ウィーン事務所の3ヶ所で各2種類の記念切手が発行されたが、その案内カードにも平和へのメッセージが添えられている(写真1の左)。しかし、その30年後の現在でも世界では紛争が絶えず、多くの難民を生み出しているのは残念である。
写真1. (左)国際平和年の国連の切手案内カード。(右)国連40周年記念アワード。
国連本部のアマチュア無線クラブ(4U1UN)は、国連40周年に当たる1985年中に2つ以上の国連局と交信/受信した人にアワードを発行した。筆者はSWLとして1986年1月31日付No.277のアワードを受け取っているが、文面にはUNICEFへの寄付についても触れられている(写真1の右)。この頃は4U1UN, 4U1ITU, 4U1VICもアクティブに運用されていて、1986年には日本人もこれらの局を運用しているので、今回はそれから紹介する。
1986年 (国連 4U1UN, 4U1ITU, 4U1VIC)
当時カリフォルニア州に駐在の故JA1CB野村四郎氏は、ニューヨークを訪れ4U1UNを運用した時のことをアンケートで寄せてくれた(写真2)。「UNARC(国連アマチュア無線クラブ)にゲストOPとして運用の申請を行う。申請に際してNJ在住のJANETクラブメンバーN2ATT, N2ATF氏等の助力を得た。14MHz, CW/SSBでの運用が主となる。アンテナ設置上の条件で、受信状況は雑音多く良好とは言えない。送信はまあまあ、然しJAからは貴重なカントリーなので、今後も運用は望まれている。(1987年12月記)」
写真2. (左)4U1UNのQSLカード。(右)4U1UNを運用中のJA1CB野村四郎氏。後ろはN2ATFとN2ATT。
JE2SOY成瀬有二氏は、4U1ITUを運用したとアンケートを寄せてくれた(写真3)。「ジュネーブ駅前のコルナバン停留所から E.0系統のバスに乗ってVermontで降り、北へ3分歩くとITUビルがある(UITと言わないと通じない)。そこでEA2ADO, Francisco Lafuente氏に会いIARCの会員になると、あとはその会員証を受付で見せてシャックの鍵をもらえば何時でも運用出来る(夜は2、3回守衛が見回りに来る)。(1987年6月記)」
写真3. (左)4U1ITUのQSLカード。(右)4U1ITUを運用したJE2SOY成瀬有二氏のQSLカード。JARLのロゴと並んでIARCのロゴが入っている。
西ドイツ在住のDJ0KE(JA9IFF)中嶋康久氏は、4U1VICを運用したとアンケートを寄せてくれた(写真4)。「ウィーンにある国連機関に開設された4U1VICから1986年のAA SSB/CW Contestに参加しました。6月のSSB部門は、HS1ANV, Jean, ON5OS, Philとの参加、8月のCW部門はSingle OPでした。詳しい内容はCQ誌1986年11月号にレポートしました。(1986年9月記)」
写真4. (左)4U1VICのQSLカード。(右)4U1VICを運用したDJ0KE(JA9IFF)中嶋康久氏のQSLカード。
1986年 (米国 N2FZN, N2GCG, N2GKL, NV2E, N6GZD, NL7KL, WL7BJX, W8WYK, JA1OMV/W1, JF1JUL/W2, JR1AOQ/W2, JG2DHV/W2)
ニュージャージー州在住のN2FZN梅村博子氏(JA8EYQ/NM2F梅村和正氏のXYL)は、「主人に勧められるまま、無線の試験を受けることになり、久しぶりに受験気分を味わいました。昨年(1985年)の11月25日にノビスと、力試しにと思いテクニシャンクラスも同時に受けたところ、思いもかけず両方とも合格しました。今年(1986年)1月に入りN2FZNの免許が届きました。今のところ、ほとんど主人との連絡程度にしか利用していませんが、それでも慣れないことに緊張しています。これから徐々に皆様の仲間入りをさせていただくことを楽しみにしています。(1986年1月記)」とレポートを寄せてくれた。
JR1NHD田中真氏は、米国出張時にVEによるFCCの試験を受験し、N2GCGの免許を得て出張が楽しくなったとレポートしてくれた(写真5)。「社用での出張時にNJにてVEの試験を受験。N2ATF小林OMに半強制的?に試験場へ連れて行かれました。パスポートの提示と$4のみで試験が受けられるのには大感激。その場で合格を伝えられ、VEに握手され、またまた感激いたしました。JAの国試もせめてこの半分でもいいから、ゆとりが欲しいですね。出張ベースで年に2, 3回、W, VEに行きますが、ホテルからは144.92MHzにてJANETメンバーとラグチュー。休日にはずうずうしくもN2ATF, K2VZ宅を訪問し、HFでの運用を楽しんでおります。出張が楽しくなりました。(1987年12月記)」
写真5. N2GCG(JR1NHD)田中真氏のQSLカード。
ニュージャージー州在住のJG2DHV秦登喜男氏は、「1986年1月31日よりアメリカNJ駐在になり、3月25日に相互運用協定の免許を手に入れJG2DHV/W2にてモービル中、144.92MHzにてN2ATF局の日本語の声が聞こえ応答、その日からJANETの皆さまにお世話になっています。JANET NEWS 5号では、全ての印刷(コピー)を担当させてもらいました。(1986年12月記)」とレポートを寄せてくれたが、後にFCCの試験を受けてN2GKLになられた(写真6)。
写真6. (左)N2GKL秦登喜男氏と、(右)そのQSLカード。
ニューヨーク州在住のJR1AOQ関根達記氏は、「日本の1アマの免許でJR1AOQ/W2の免許を得ました(XYLのJF1JUL関根桂子氏は、電話級の免許でJF1JUL/W2を取得)。主に14MHz以下で運用しています。DXのPile upでは/W2の方が的中率がよいです。また、話題も続くのでFBと感じています。その他、144MHzでの運用はNV2Eを使用しています。WとJA/W2のコールを両方もっているとFBに思います。(1987年1月記)」とアンケートを寄せてくれた。また同時に手紙で「(一部抜粋)最近Extraの免許をとり、CallsignがNV2Eになりました。XYLはJF1JUL/W2で2mで私とQSOするぐらいです。 先日N. Y. Cityへ行ったときにはJANETの皆さんにもお相手していただきました。時々NY Cityへ出かけますので、またMobileでContactできるかもしれません。Shackが家の外にあり(文字通りShackです)、歩いて10分ほどかかります。雪に埋もれて寒いShackまで足が遠のいていますが、週末に14MHzを中心にして出ております。 NY, NJの皆さんはよくBeamのBackから聞こえるのですが、こちらの電波が飛んでいかないようです。Callsignが新しくなったので、きっとActivityが上がると思います。(1987年1月記)」とUpstate New Yorkの様子を知らせてくれた。
JL1BBD新島基康氏は、N6GZDの免許でハワイから運用した経験をレポートしてくれた。「ハワイのホノルルから、ピコ15の10Wハンディ機に8m高のDPを使い、21MHz, SSBで東京の家族と毎日のように交信。その他多くのJA, HL局をはじめ、アルゼンチンの局とも交信が出来た。(1987年8月記)」
アラスカ州在住のNL7KL藤岡正氏は、KL7YR大竹武氏に勧められて書いたと、英文のメモを寄せてくれた。「(一部抜粋意訳) 私は岡山県から移民してきた両親の間に、1919年11月1日にワシントン州のシアトルで生まれました。戦時中はアイダホ州のミニドカ強制収容所に送られ、そこからアメリカ陸軍の第442連隊に志願してイタリアとフランスで戦いました。G. I. Billによってワシントン大学の技術カレッジを修了し、ボーイング社で1982年まで働きました。定年後はアラスカのジュノーに移り住み家を建てました。WA7VFT, JackとW7HY, Mizの強い勧めにより、1986年6月4日にノビス級免許WL7BJXを取得、その後アップグレードしてNL7KLで、TedというハンドルでSSBを運用しています。このメモはフェアーバンクのKL7YR, Takuに勧められて書いています。(1988年7月記)」
オハイオ州にお住いのW8WYK猪山正敬氏(MasことMasayuki Iyama)は、英語でアンケートを寄せてくれた(写真7)。「(意訳) 残念ながら、もう漢字が読めなくなりました。デイトンで多くの皆さんとお会いしたいと望んでいます。私はW8WYKで20mのRTTYにアクティブです。JANETにどなたかRTTYのアクティブなメンバーはいらっしゃいますか。JANETグループへのお誘い有難うございました。(1986年9月記)」
写真7. (左)W8WYK猪山正敬氏と、(右)そのQSLカード。
ニューハンプシャー州在住のJA1OMV赤川敏氏は、JA1OMV/W1で運用しているとレポートを寄せてくれた。「レシプロによる許可は30日程で取れました(写真8)。当初レシプロによる運用に際しては、JANETのOMの皆様に大変お世話になりました。現在Wの免許取得のため地元のハムクラブに所属し、試験の日程等を入手。近々に試験を受けようと思っております。9月20日、隣のバーモント州で試験を受け、13 words/min.のCWとNoviceを取得、12月の次の試験で上級を受けます。(1986年10月記)」
写真8. (左) JA1OMV/W1赤川敏氏の免許状と、(右)そのQSLカード。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ