2014年11月号

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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)

米国で日本の経営や品質が見直された時代

今回の1982年も、延べ33件ものアンケートを頂いているので2回に分けて紹介するが、その約30%が米国での運用の報告であった。この頃筆者はその米国に駐在していたが、経済成長を果たした日本の製品が、低価格にもかかわらず高品質であることから、米国にも広く受け入れられていて、多くの日本人や日本企業が米国へ進出し、一般のアメリカ人も日本を見直した時代でもあった。1979年に日本でも翻訳本が発刊されベストセラーになったという、エズラ・F・ヴォ―ゲル著「ジャパン アズ ナンバーワン(Japan as No.1)」がアメリカ人に衝撃を与え、日本から学ぼうという姿勢が出てきたことは、米国に駐在する日本人には居心地の良い時代でもあった。

1982年 (米国 N1CBY, K1FCC, KA1IXV, N1CIX, N2CWO, N6EDM, KE6RD, N6FZL, KE6QX, KF6BJ, KN6M, N7EPB)

N1CBYから、バニティー・コールサインK1FCCの免許を得た7M1FCC田中文敏氏は、“米国ライセンス再免許申請とバニティー・コールサインの申請”と題して、経験談を寄せてくれた。文章が長くなるので、全文紹介は出来ないが、「長期の米国生活から一変して、現在は日本ベースの生活となりました。1982年に取得した米国アマチュア無線の免許も既に何度か更新し、1998年の私の誕生日に現在の免許が切れる事になります。そこで、今回は簡単に米国連邦通信委員会(FCC)の再免許の申請手順をレポートします。 ---中略 --- 日本でもインターネットの普及が急速に進み簡単にアクセスが出来るようになりました。時間と手間を要する申請等をオンライン化する事により、申請する側の手間暇の軽減と受け付ける側の処理の簡素化が可能と考えます。また、陸運局では車のナンバーが選べる制度も導入されるようです。世界一アマチュア人口が多い日本でも、クラス別コール、希望コールの取得など、選択肢が増える事を願いたいと思います。(1999年2月記)」 と述べておられる。

当時米国在住のJH1VRQ秋山直樹氏から、米国の免許取得についてアンケートを頂いた。「1982年4月1日より Newington, CTに居住。K1FHNの監督のもと、FCCの試験を受ける。同年9月7日に上級へ移行し、コールサインがKA1IXVからN1CIX (写真1)へと変更。受験地はFCCのNYCオフィスで、受験は1982年8月上旬。その後VEC制度のもとで、1987年3月にAdvanced級、1987年4月にExtra級に昇級。(1987年5月記)」


写真1. N1CIX秋山直樹氏のQSLカード。

当時米国駐在のJR1BES吉原重和氏(写真2)は、FCCの試験を受けてN2CWOの免許を得たときの経験をアンケートで寄せてくれた。「米国にて1982年よりON AIR中です。FCCのOFFICEにて受験(無料)、パスポートの提示のみでOKでした。MAILING ADDRESSをN2ATF小林OMに借用。JANET発行の受験マニュアル(写真4右)を参考に、ARRLのライセンスガイドで勉強しました。米国での駐在員生活もON AIR可能とそうでない場合とでは大きな差が出たと思います。日本国内でも早く相互運用協定に依り、外国人の運用が可能となることを望みます。(1985年3月記)」


写真2. (左)N2CWO吉原重和氏のQSLカード。 (右)4U1UNを運用するN2CWO吉原重和氏 (1985年)。

JE3AVS中田克己氏(写真3)は、米国でN6EDM, KE6RDの免許取得と運用について、滞在中のイタリアからアンケートを寄せてくれた。「1979年4月、学生として渡米、1981年の春、友人の紹介で現KE6SFと知り合い、同年夏テクニシアン級N6EDM(後にGeneral)取得。7月24日にHF(14-28MHz)にて開局、翌1982年アドヴァンスドに昇級、学業終了/帰国までアクティヴにON-AIRしていました。RIG:TS130、ANT:TH3JR, 3ele Tribander。時々ローカルのRIGを借り、2m FMレピーターにアクセスしていました。KE6RD/N6EDMでDXCC CFMで80カントリー強、JCCは300 Cities Up、又、公式記録ではありませんが、アマチュアFAXで1984年1月にWに行った折、W6-KH6, W6-JAと2 Way Contactをしたのは1st Everではないかと思っています。KH6JDU相馬OMが詳しいログをお持ちと思います。私はパナ1000をかついで、KE6SFのシャックに行き、TS820を使ってON-AIRしました。(1986年9月記)」


写真3. (左)N6EDM中田克己氏のQSLカード。 (右)N6EDM/KE6RD中田克己氏。

JH1QDB藤井邦彦氏は、短期間の滞在ではあったが、FCCの免許を得てN6FZLを運用した経験を報告してくれた。「San FranciscoのFCC Field OfficeでGeneral Classを受験、免許を取りました。10ヶ月の滞在でしたが、Licenseが届いたのは帰国の1ヶ月程前でしたので、数回LocalのKA6ERFのShackからOperateしただけでした。(1986年11月記)」

JG1GWL杉本賢治氏(写真4左)は、FCCの試験を受験して、KE6QX免許を得たときの感激を、アンケートで寄せてくれた。「まだWで毎週FCC試験が実施されている時でしたから幸運だったと思いますが、仕事の空いた時間に近くの試験場に行きその場で受験申請をしてADVANCEDまで受けられました。N2JAの受験ガイド(写真4右)のおかげで要領はわかっていましたが、手ぶらで行ってなんの複雑な手続きもなしに外国人に免許をくれるのには感激しました。前日にKW6A(JANET)からおすすめを受け、試験場まで送り迎えをしてもらい、住所も貸していただいたおかげです。出張時にはJA1AGW(JANET)にお借りした2m HTを持参し、W6, W2地域でリピータ経由の交信を楽しむことができました。W6ではW6NGOのシャックからJAネットの時間にださせてもらいましたが、折悪しくCONDXが悪く、どなたともお話しできませんでした。(1985年5月記)」


写真4. (左)KE6QX杉本賢治氏 (2014年)。 (右)N2JA塚本葵氏制作のFCC受験ガイド。

JG3RPL川瀬和正氏は、米国の免許と運用についてアンケートを寄せてくれた。「免許については、サンフランシスコのFCCオフィスで試験を受けて、最終的に、ホノルルのFCCでアドバンスを受けました。運用については、KF6BJではほとんど運用せずで、KN6Mでコンテストの時に運用しました。(1986年7月記)」

JA1CMD宮盛和氏は、米国駐在中にN7EPBの免許を得て運用した経験をアンケートで寄せてくれた。「免許は、米国のワシントン州Anacortesに駐在中、通常の試験を受験して取得しました(写真5)。車で3時間かかるシアトルへの出張の際、2時間程で受験、合格、大変やさしかったですが、時間の都合上、上級クラスの受験は出来ずじまい。運用は、ローカル局とのQSO程度でした。(1986年7月記)」


写真5. N7EPB宮盛和氏の免許状。

1982年 (国連本部 4U37UN, 4U1UN)

当時ニューヨーク在住のJG3STV, N2CAO服部匡史氏は、国連本部局4U37UNの運用について手記を送ってくれた。「1982年10月中頃、21MHzでたまたま運用中の国連のMAXと会い、10月24日行われる国連の37周年記念日に、特別コール4U37UNで記念局が運用される事を知りました。当時小生は国連とイーストリバーを越えて、丁度向かい側のクイーンズ地区に住んでおり、N2ATT荒川OMも参加される事、その日が日曜日に当たること、小生のアパートが国連に近い事から、一緒に運用しないかと誘われました。偶然にも小生の年齢は国連と同い年。自分自身の良い記念になると喜んで誘いを受け、10月24日の20:00Z-24:00Zの4時間、MAX及び荒川OMと3人で15m並びに10mの2バンドで、総数205局、その内JAが117局とWORKし、素晴らしい思い出を作ることが出来ました(写真6)。記念局の運用、そして生まれて初めてのJAからのパイル・アップ等々、ひとつひとつが感動の連続で、海外での運用の素晴らしさを存分に味わうことが出来、一生忘れ得ぬ思い出となっています。私自身、相互運用協定も無いのにWの好意でN2CAOのコールをもらっていることとあわせて、外国の局にも日本で運用の感動を一日でも早く味わってもらえる日が来ることを、祈ってやみません。(1985年6月記)」


写真6. (左)4U37UNを運用するN2CAO服部匡史氏。
(右)4U37UN国連37周年記念のQSLカード、翌1983年の世界通信年のロゴを入れてPRしている。

また、当時在米中のJH1VRQ, N1CIX秋山直樹氏から1985年の2月に、上記米国でのアンケートと共に、1982年6月19日から20日にかけて国連本部から4U1UNを運用した旨(写真7)アンケートを頂いた。


写真7. (左) 4U1UN国連局のQSLカード。 (右) 4U1UNを運用するN1CIX秋山直樹氏。

1982年 (カナダ N1CIX/VE1, N1CIX/VE2)

当時在米中のJH1VRQ, N1CIX秋山直樹氏から、1982年10月に、カナダでN1CIX/VE1とN1CIX/VE2で運用したと、次のようなアンケートを寄せてくれた。「合衆国FCCのアマチュア免許は自動的にカナダで有効。カナダDOCの承認はいらない。操作範囲はFCC免許で定められたとおり。(1985年5月記)」

1982年 (バミューダ N2JA/VP9)

在米中のN2JA, JA1ANE塚本葵氏は、休暇で出かけたバミューダの経験を次の様に寄せてくれた。「1982年5月バミューダ島へバケーション。飛行機会社から飛行回数により割引券が発行され、それを利用しての旅行でした。サムソナイトに無線機一式をつめこみ、Hy-gainのアンテナを持参しての家族旅行。税関で免許証がない為、一時保留扱いとなり、とりあえず宿舎の小屋に到着。ダウンタウンにある管理局へ行き免許申請。申請といっても簡単で米国の免許をみせるだけでOK。その場で発行してもらいました。アンテナはGP。リグはIC-730。JANETメンバーを中心にQSOを楽しみました。運用はCW中心にオールバンド。それにリピータを使ってのローカルQSOもできました。

第2回目は1985年5月、日本のゴールデンウイークを利用しバミューダに家族旅行、トランクいっぱい詰めて今回も税関でつかまり、免許をみせてようやく持ち出すことができました。アンテナは傾斜ダブレットでトランシーバーはAtlas 210Xでした。運用はCWのみでした(写真8)。(1986年7月記、2013年11月追記)」


写真20. (左)塚本葵氏がN2JA/VP9を運用したロケーションとアンテナ。 (右)絵葉書を利用したN2JA/VP9塚本葵氏のQSLカード。

1982年 (コスタリカ JA1BRK/TI5)

JA1BRK米村太刀夫氏はコスタリカを訪ね、免許を得て運用した経験をアンケートでレポートしてくれた。「1982年2月、ハムを通じて友人となったGreciaのTI5EWL, Tony Vitaleを訪問、彼のシャックで3.5-21MHz, SSBで主としてJA向けにオペレートした(写真9及び10)。(1985年4月記)」


写真9. JA1BRK/TI5米村太刀夫氏のQSLカード。


写真10. JA1BRK/TI5米村太刀夫氏の運用許可証。

1982年 (パラグアイ ZP6XTO)

パラグアイ在住のZP6XTO岡本貴樹氏(写真11)は、免許の取得や運用の経験をアンケートで寄せてくれた。「パラグアイ国では外国人が免許を取るにはパラグアイ国で3年間以上の住居を持っている事。なお当局はパラグアイには永住しているので、免許を取るのにはあまり問題はなかった。また日本人にはパラグアイ国は非常に友好的で、JAの免許があれば直ぐに免許をとれます。但し、少なくともパラグアイ国に1年間住む事。まあこのような状況ですので、早くJAとZPとの相互運用協定ができる事を願っています。私はパラグアイ・ラジオ・クラブ(RCP)に入り、このクラブを通じていろいろな手続きを行ってもらいました。また日本人は私1人しか居なかったので、手続きでも、試験、また運用においても、よく皆の目について、またそれが私にはプラスになったみたいです。これからも、日本とパラグアイ国との間に早く相互運用協定ができるよう、私も頑張って何か少しでもお役にたちたいと思っています。(1985年7月記)」


写真11. (左)ZP6XTO岡本貴樹氏のQSLカード。 (中) ZP6XTO岡本貴樹氏とご子息。 (右) ZP6XTOのシャック。

1982年 (アルゼンチン LU1BBK)

JM1KSA和泉啓二氏はアルゼンチンでLU1BBKの免許を得て運用した経験を寄せてくれた(写真12~14)。「1981年6月、日本での免許をもとに免許申請しました。この事に関しては在アルゼンチン日本国大使館勤務(当時)文化担当官・岡紀麿氏及び「RADIO CLUB LU4AAO QRM BELGRANO」所属- LU9CR, ANGEL ROBERTO LEONE氏他、クラブ員の友人の皆様のお世話になりました。フォークランド紛争中は一時アマチュア無線局の活動は制限されており、あきらめていたところ、1982年7月に免許証が送られてきました。運用資格はSUPERIORでした。日本人で、この時同時に免許を受けたのは、LU1BAM (JO1DDQ)佐々木邦子さん、LU1BBL (JF3FYA)岡本赳夫氏の3名でした。日本にQSLマネジャーJH1DSF今井博氏をお願いし、大変お世話になりました。帰国で閉局するまで8ケ月間、日本向けサービスが主でした。使用リグはTS-530S、アンテナは24階のビルの屋上に約15mのタワーをあげ、CUSHCRAFT-A3、3エレ3バンド八木を使用しました。LUではロベルト氏はじめ、大変日本と友好的で、それぞれみんな素敵な友人ばかりで良い思い出がたくさん残っています。また、クラブ局に所属できた事も活動を広げていけた原因とおもいます。(1987年5月記)」


写真12. (左)LU1BBK和泉啓二氏。 (右)20階のLU1BBKのシャックから見える景色で、水平線はラプラタ川。天気の良い日は隣国ウルグアイの陸が見えるとか。


写真13. (左)LU1BBK和泉啓二氏のQSLカードで、写真はアルゼンチン湖に達したモノレ氷河とか。 (右)LU1BBK和泉啓二氏の免許申請書の一部。


写真20-14. (左) LU1BBK和泉啓二氏の免許証と、(右)免許状。 (クリックで拡大します)

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