2016年5月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
当連載では日系人も紹介
先月号でも米国の日系人お二人を紹介したが、今回のドイツの項で国際結婚をしてドイツにお住いのモリソンクリーター澄子氏を紹介する。今までにもお気づきと思うが、移住や国際結婚で国籍が日本ではないかも知れない人達も「日本人達」の括りで紹介させて頂いてきた。これからもこのスタンスで紹介を続けるが、日本人が海外で運用する機会が増えると共に、そのような方々との出会いも増え、そのような方々が国際交流の要として活躍しておられることが見えてくる。
1986年 (ドイツ DD5FR, DJ0MBB, DL/JE2SOY)
ドイツにお住いのモリソンクリーター澄子氏から、ドイツの免許を取得したことを近況と共に知らせてくれた。ご主人はDK9UA, Edgar氏(写真1)。「ドイツで1986年4月7日に、DD5FRの免許を取得(写真2)。Volkshochschule(日本で言えば市民教室)に2年間通いました。日本人XYLと分かると相手側のドイツ人は驚いたり喜んだりしてくれます。残念ながら、ほとんどドイツ人とのコンタクトですが、1人のドイツ人XYLは現在日本語を習っていますので、私と時々日本語でQSOします。私のもう一つの趣味は琴ですので、地方アマチュアクラブの設立25周年記念には、インターナショナルプログラムとして琴を弾かされた事もあります。6月になると天気が良いので、どこの地区アマチュアハムクラブでも戸外グリルパーティが催されます。多くのOM、XYLがあちこちから集まります。その売上金はクラブの運用費にあてられます。カールスルーエ市(Karlsruhe)は、ハイデルベルクから50km、フランクフルトから130km離れた所にあります。近くにはライン川が流れています。人口約30万人。日本人は約80人。この市に、原子力研究所、工業大学、音楽専門学校、連邦裁判所があります。日本人は上記の前者3ヶ所に携わっています。この市は1715年に作られました。(1988年4月記)」
写真1. (左)JAIGミーティングにてDD5FRモリソンクリーター澄子氏(手前)と、その後ろがご主人のDK9UA, Edgar氏。(右)そのQSLカード。
写真2. DD5FRモリソンクリーター澄子氏の免許状。(クリックで拡大します)
ドイツ在住のJA3LIL中野一夫氏は、ドイツでDJ0MBBの免許を得て運用した経験をアンケートで詳しく知らせてくれた(写真3)。「免許の手続きに必要な書類としては、(1)開局申請書、(2)滞在許可書(VISA)のCOPY、(3)無犯罪証明書(西独で申請すれば手数料5マルクで簡単にもらえた)、(4)日本の無線局及び従事者免許の独訳及び日本のCOPY、を主管庁であるOBERPOSTDIRECTION, HAMBURGに提出する(写真4)。私の場合は申請後約3ヶ月で許可が下りました。特に我々の様に外国人の場合は地方官庁ではだめで、一度地方官庁から中央官庁に書類が送られて、そこでOKの確認がとれれば、改めて地方官庁から許可がおりる様に思われます(写真5)。また、無犯罪証明書については、手続きは非常に簡単ですが、時間がかかりました。それと同時に日本のライセンスの翻訳を自分で行い提出したのですが、結果的には受け付けられなくて、日独の翻訳を専門的に行っている人(公式に認められた公証人)に依頼して作成しました。西独においては"通信事業"は郵便及び電話等が全て"DEUTSCHE BUNDES POST"で管理されており、面白いことには、毎月アマチュア無線局のコールサインの使用料として、電話料金の請求書にその他の費用として3マルクが追加請求されるようになっています。運用については、借家であったり、また周囲の環境美化をそこねる恐れがある等の理由で良いアンテナが立てられない状況にあり苦労しておりますが、14MHz, 144MHz, 430MHz帯で、CW, SSB, RTTY, FAX, PACKET等を細々と運用しています。(1987年4月記)」
写真3. (左)DJ0MBB中野一夫氏のQSLカードと、 (右)東京ハムフェアーのJANET/JAIGミーティングにてJA3LIL中野一夫氏(2014年)。
写真4. (左)DJ0MBB中野一夫氏の免許申請書と、(中央と右)それに添付した日本のJA3LILの免許状と無線従事者免許証のドイツ語訳証明書。(クリックで拡大します)
写真5. DJ0MBB中野一夫氏の免許状。(クリックで拡大します)
JE2SOY成瀬有二氏は、ドイツでの短期免許取得時のエピソードをアンケートで寄せてくれた(写真6)。「免許証に最初Klasse Cで免許する旨書いてあったので、英文のCertificateを添えて(Klasse Bに)訂正してもらった。しかし、コール欄にはDC/JE2SOYのままで、ハムフェスト'86 (FriedrichshafenのHAMRADIO'86)の会場でPostesの係員に、このままのコールでHF帯を運用していいのかと尋ねたところ、いきなりボールペンで塗りつぶしDL/JE2SOYと書いて、これでいいのかと言うので唖然とした。(1987年6月記)」
写真6. (左) DL/JE2SOY成瀬有二氏のQSLカードと、(右)JE2SOYのQSLカード。
1986年 (メキシコ XE2VJO)
JA1SNA山口真氏は、メキシコでXE2VJOの免許を取得して運用した経験をアンケートで寄せてくれた。「免許取得に必要な書類は、1.申請書(自分で作成)、2.他の既設アマ局のRecommend Letter (私の場合はXE2WGM - SCT電波監理局職員)、3.パスポ-トのコピ-、4.免許のコピ-(従免及び局免)、5.従免英語版コピ-。上記1~5を揃えて申請し、手数料を払うと、約1週間で取得できた(写真7)。ただし、仕事先がSCT(Secretaria de Comunicacione y Transporte)であったのと、免許を管理している局長とは友人であった為、早かったと思われる。XEへのリグの持ち込みは厳しい為、免許取得後XE2WGMよりリグ(TS-520)、アンテナ(14AVQ)を借用し、自宅より運用した。WのQRMを避け、特にJA向けに7~14MHzで運用し、約100局とQSOした。(1987年6月記)」
写真7. XE2VJO山口真氏の免許状類。(クリックで拡大します)
1986年 (アルゼンチン JH1VRQ/LU)
JH1VRQ秋山直樹氏は、アルゼンチンからの運用についてアンケ―トを寄せてくれた。「IARU第2地域第9回総会(1986年10月20~25日)に。海外から出席したすべてのアマチュアにアルゼンチン通信局の好意で、短期の特別免許が発行されました。私はARRL代表団の一員でしたので、N1CIX/LUのコールかと思っていましたが、嬉しいことにJH1VRQ/LUが許可されました(写真8及び9)。JAとは、LU2AHのシャックを拝借して、21MHzのSSBで26局とQSO。(1986年10月記)」
写真8. (左)JH1VRQ/LU秋山直樹氏の免許状と、(右)そのQSLカード。
写真9. アルゼンチンの規則の一部分。(クリックで拡大します)
1986年 (ペルー OA4ADX)
JA2PLT中川明裕氏は、1986年11月に免許を取得しOA4ADXでQRVしたと、写真と共にレポートしてくれた。「ペルー共和国通信省免許課の皆さん(写真10の左)の手助けで、なんとかWWコンテストまでに免許を下ろしてもらえました(写真11及び12)。11月28日にはAA CWコンテストにOA4ADX/0でQRV、40m高のタワーから張った160mのスローパーもBC帯のQRNでNG! 3.5の逆Vは3.8MHz用にひげを付けて、7MHzは40m高2ele、14/21/28MHzは6ele八木20m高、途中で停電になりガックリ・・・SAのTopを狙ったのに・・・(写真13)。OA4RLジョージ氏経営のお店、アエロ・エレクトロニクスがあります(写真10の右)。中古のハム用ラジオやパーツの倉庫には、放送局のTXジャンクやら、KWの軍用TXのジャンクなど、QRO マニアならヨダレの出そうなジャンクがゴロゴロしています。写真の左端がOA4RLジョージ氏です。(1989年5月記)」
写真10. (左)ペルーの通信省免許課の皆さんと。中央がOA4ADX中川明裕氏。 (右)OA4RL経営のお店、アエロ・エレクトロニクス。左端がOA4RLジョージ氏。
写真12. OA4ADX中川明裕氏の免許状。(クリックで拡大します)
写真13. (左)運用中のOA4ADX中川明裕氏と、(右)そのQSLカード。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ