2016年11月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」
筆者はCQ ham radio誌に「日本人による海外運用の記録」とは別に、米国駐在中の1980年から1988年までの9年間、「N2NTTのニューヨーク便り」と題した連載記事を掲載頂いた。今回紹介するイタリアとスイスへの旅行は、その1988年1月号に詳細に記録している(写真1)。読み返すことで、忘れていた30年前のことを鮮明に思い出すことができた。この「海外運用の先駆者達」に掲載させて頂いた方々からも、ウエブを検索すると自分の記事が現れて驚き、忘れていた昔を思い出したと感謝されることがしばしばある。これもまた執筆の励みになっている。
写真1. CQ誌1988年1月号に掲載された「N2ATTのニューヨーク便り」の記事。
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1987年 (スイス HB9/DJ0KE/P, HB9/G0GRV, HB9/N1CIX)
JA9IFF中嶋康久氏は、スイスからHB9/DJ0KE/Pで運用したと、アンケートを寄せてくれた。「ヨ-ロッパではCEPT資格証明があれば、申請なしで運用が可能です。本来、スイスは国籍が日本国ということで免許を許可していませんでした。1986年のフリ-ドリッヒスハ-フェンのHam Radioの会場で短期免許のブ-スがあり、トライしたところ、スイスの係官から拒否されましたが、1987年のHam Radioでは既にCEPTの証明があったので、申請なしで自由にQRV出来ると言われました。主として休日にスイスに行った時に運用しています。来年のHelvetia Contestには、HB9/DJ0KEで、HFにOn Airしようと計画中です。また、スイスの隣国のHB0リヒテンシュタインも同様に運用可能です。(1987年9月記)」
JG1PGJ加藤芳和氏は、スイスでHB9/G0GRVを運用したいと、ロンドンから英国の免許(G0GRV)を元に臨時免許を申請したが、日本との間に相互運用協定がないことを理由に断わられたと、その時の書類のコピーを送ってくれた(写真2)。(1987年8月受領)
写真2. (左)JG1PGJ加藤芳和氏のHB9/G0GRVを期待した免許申請書と、
(右)日本との相互運用協定が無いのを理由に却下されたレター。
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JH1VRQ秋山直樹氏は、スイスの免許を得てHB9/N1CIXで運用したとレポートしてくれた。「TELECOM '87(電気通信の国際見本市)に出展者(IARU)の一員として参加。滞在目的が公用とみなされ、また幸いにして合衆国の免許を所持していたので、日本国籍にもかかわらず、免許を発行してもらえた(写真3)。(1987年11月記)」
写真3. HB9/N1CIX秋山直樹氏の免許状。(クリックで拡大します)
1987年 (ITUジュネーブ 4U1ITU)
JA1BK溝口皖司氏は、ITU本部の4U1ITUを運用したとレポートしてくれた。「4U1ITUの運用は、アマチュア無線家なら誰でもOKです。条件として、QSOした分は、必ずQSLカードに記入して、ビュロー宛の箱に仕分けして入れなければなりません。(1987年11月記)」
JH1VRQ秋山直樹氏は、ITU本部の4U1ITUを運用した時の様子をレポートしてくれた。「TELECOM'87に参加するため、9日間ジュネーブに滞在。暇をみてはIARCを訪問した(写真4)。JAとは7MHzのCWで1局、21MHzのCWで38局、そして21MHzのSSBで4局とQSOした。(1987年11月記)」
写真4. 4U1ITUを運用した秋山直樹氏の運用許可証。
JA3AER筆者は、米国駐在中の1987年10月3日から12日までの10日間、休暇を利用してXYLと一緒にイタリアとスイスヘ旅行し、スイスのジュネーブでは4U1ITUを運用した。「ジュネーブのホテルからITU本部までは徒歩15分位でしたので、滞在中の2日間に4回も訪れました。週末でしたが、事前に国連本部のHB9RS, Dr. Max deHenselerを通じてIARC (International Amateur Radio Club)の会長EA2ADOに発行してもらっていた4U1ITUの運用許可証を、受付に見せてゲスト帳にサインするとあとはフリーパスでした(写真5)。初めてシャックを訪れた時は4S7NE, Nelsonさんが運用中でしたがすぐに席を譲ってくれ、14MHzと7MHzにQRVしました(写真6)。その後の運用も含めて、JAとはJA5AQCやJA3CSZなど22局とQSOができました。この4U1ITUを運用中に、先の4S7NE, Nelsonさん以外に、CE3DQ, Hectorさん、V2AR, Mickyさん、SP5ZK, ZbyszkoさんともアイボールQSOしましたが、週末でIARCの会長 EA2ADO, Pacoさんに会うことができなかったのは残念でした。(1987年11月記)」
写真5. 4U1ITUを運用した筆者の運用許可証。
写真6. (左) 4U1ITUを運用する筆者と、(右)そのQSLカード。
1987年 (オーストリア OE/DJ0KE/P)
JA9IFF中嶋康久氏はドイツのCEPT資格証明で、オーストリアでOE/DJ0KE/Pを運用したとレポートしてくれた。「ヨ-ロッパではCEPT資格証明があれば、申請なしで運用が可能です。'86のフリ-ドリッヒスハ-フェンのHam Radioの会場でOE1XDC/DJ0KEの短期免許を取得しましたが、今回(1987年)は無申請で運用出来ました。(1987年9月記)」
1987年 (ルクセンブルグ G0GRV/LX)
JG1PGJ加藤芳和氏は滞在中の英国から、ルクセンブルグの臨時運用許可G0GRV/LXを得たと手紙で知らせてくれた。「(手紙より一部抜粋) 2週間ほど前、今度の勤務地LXでのライセンスを受領したので申請書類等一式送ります(写真7)。当地のガイドブックではLXはCEPT OKなので、なぜG0GRV/LXでこのような免許になったか不明です。LXには12月13日(日)に行く予定をしました。とりあえずは、手持ちの2mのリグ(FT290)を持参します。HFは船便で送る予定です。LXでは家が見つかるまで時間がかかりそうなので、HFのon airは春ぐらいになると思います。LXでの滞在許可証が出来次第、LX2のコールを申請する予定です。(1987年11月記)」
写真7. (左)G0GRV/LX加藤芳和氏への案内レターと、
(右) G0GRV/LX加藤芳和氏の臨時運用許可証。(クリックで拡大します)
1987年 (イタリア G0GRV/I, KE6RD/I, N2ATT/I)
JG1PGJ加藤芳和氏はイタリアでG0GRV/Iを運用したいと、英国の免許を元に臨時免許の正式申請を試みられた。しかし国籍が日本であり、日本国との間に相互運用協定がないことを理由に却下されたと、その時の書類のコピーを送ってくれた(写真8)。(1987年5月受領)
写真8. (左)JG1PGJ加藤芳和氏のG0GRV/Iを期待した免許申請書。 (中)日本との相互運用協定が無いのを理由に却下されたレターと、(右)その英訳。 (クリックで拡大します)
JE3AVS中田克己氏は、イタリアでKE6RD/Iの臨時免許を得たとアンケートを寄せてくれた(写真9)。「ミラノ市内のイタリア・アマチュア無線協会(ARI)事務所で、レシプロ協定の有る国(JAはNG)の免許を持参していればその場で手続きをしてくれます。旅行者は事前に郵便で申し込む方が良いでしょう。臨時免許はロ-マの郵政省が発行官庁で、そこから郵送されて来ます。ただ臨時免許は自己申告のみでOKのため(ARIの好意で)融通がきくのですが、本免許は住民票(イタリアの)の提出義務が有り、日本国籍では今の所もらえません。(1986年9月記)」
写真9.(左)イタリアの臨時運用許可申請用紙。(右) KE6RD/I中田克己氏の臨時運用許可証。
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JA3AER筆者はイタリアのミラノでN2ATT/I2を運用した。「イタリアのアマチュア無線連盟ARIの役員であるI2MQP, Marioとは、彼がアメリカにやってきた時知り合った。彼はBVからQRVしたこともあるDXerで、日系企業に勤めていて日本にもよく行くそうである。米国から休暇でイタリアを旅行した際ミラノの彼のシャックを訪問、ゲストオペレ-タ-として短時間ではあったがHFとVHFにQRVさせてもらった(写真10)。リグはFT-980、アンテナはダイポ-ル(7MHz)とTH7(14MHz)であった。運用許可は米国の免許を元に事前に申請してもらっていたが、口頭で了解を得ているとのことであった。(1987年11月記)
写真10. (左)N2ATT/I2を運用する筆者と、(右)そのQSLカード。
1987年 (バチカン HV3SJ)
JA1BK溝口皖司氏がHV3SJを運用されたことを知り、アンケート用紙を送ってお伺いしたところ、「特殊事情につき公表できません。(1991年11月記)」としながらも、運用許可証のコピーを送ってくれた(写真11)。
写真11. HV3SJを運用した溝口皖司氏の運用許可証。
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1987年 (スウェーデン JE2SOY/SM0)
JE2SOY成瀬有二氏は、滞在期間中に免許がもらえず運用は出来なかったがと、アンケートでJE2SOY/SM0の免許を得たことを報告してくれた。「スウェーデンの場合の場合非常に好意的なのだが、ただ一つCertificate of impunityが必要であるというのがとても困ったことになる。スイス滞在中に在ジュネーブ領事館に聞いたところ、約2ケ月、国内でも約1ケ月取得にかかる。この際に外国人登録法で問題になっている回転指紋をとられる。そこでヨ-ロッパ滞在中には免許がもらえず全く運用できないので、仕方なしに1年後の日付に直してもらったが全く運用できなかった。免許申請料は100クローネ(2,400円)だった。(1987年6月記)」
1987年 (ポーランド SO7RJP)
JE2RDI上村昇氏はSO7RJPの免許を得て運用したとレポートを寄せてくれた(写真12)。「免許を取る為には、a. PARLに対する免許申請書(写真13の左)、b. パスポートのコピー、c. 写真 5x5cm、d. 入国査証のコピー、e. 従事者免許証とそのポーランド語訳のもの、f. 所持している免許状のコピー、g. SP局のサポートレター(もしくはJARL等機関のサポートレター・ポーランド語訳)、h. 右手もしくは左手の指紋(全体)のコピー、j. クラブの場合はクラブのサポートレター(写真13の右)が必要です。リグは輸入に頼っている為、持参がベター。アンテナ等も八木などはエレメントの機材が入手しにくいため、ワイヤーアンテナにて運用、今回はSP7HTのIC-751を使用しました。(1987年6月記)」
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ