2015年12月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
IARU第3地域国際会議
今年(2015年)の10月中旬、インドネシアのバリでIARU第3地域国際会議が開かれたが、30年前の1985年にはニュージーランドで開かれ、それに参加した各国の代表者には特別な運用許可/免許が与えられた。また同時期、オーストラリアの連盟(WIA)創立75年式典に参列したアマチュア無線家にも特別な運用許可/免許が与えられた。今回はそのレポートから紹介するが、一方、現地で資格試験を受験された方々の体験レポートも合わせて紹介する。
1985年 (オーストラリア VK2CEB, VK2FIB, VK2FIY, VK3DYM, VK3FAB, VK3FAG, VK3FAX 及びニュージーランド ZL0ZAD, ZL0ZIX, ZM0ZIX)
JH1VRQ秋山直樹氏からVK3FABのコールが与えられたとアンケートを頂いた(写真1)。「Wireless Institute of Australia (WIA)の75周年記念式典に海外から参列したアマチュアにVK3FAA - FZZのコールの使用が特別に認められた。親免許はWIAの本部局VK3WIAのもので、オペレーターごとに異なる ID を用いたと解釈すべきもの。(1985年11月記)」また、申請によりVK3DYMの免許が与えられたとレポート頂いた(写真2)。「合衆国のFCC免許(N1CIX)を所持しているので、また免許人の国籍を問わないので、合衆国との間の相互運用協定に基づいて申請。申請料はA$19。(1985年11月記)」
写真1. VK3FAB秋山直樹氏の運用許可証。
写真2. (左)VK3DYM秋山直樹氏の免許状と、(右)そのQSLカード。
ニュージーランドについてはZM0ZIXとZL0ZIXの免許について(写真3)、「IARU第3地域会議(11/13-11/17)に海外から出席したアマチュアにZM0ZAA-ZZZの免許が発行された。(1985年11月記)」と「合衆国のFCC免許(N1CIX)を所持しているので、また免許人の国籍を問わないので、合衆国との相互運用協定に基づいて申請。無料。既に別の免許で発給されていたので、同じサフィックスの割り当てとなってしまった。(1985年11月記)」とレポートを頂いた。
写真3. (左)ZL0ZIX秋山直樹氏の免許状と、(右)そのQSLカード。
JA0AD小林勇氏からも同じくアンケートを寄せて頂いた。「1985年11月7-19日、ニュージーランドのオークランドで開かれた、IARU Reg.ⅢConferenceでVKとZLへ行ってまいりました。VKではWIA75周年の式典に出席、VK3FAXのコールをいただきました(写真4)。しかし、A$23.00を払って申請した免許はなぜかVK3FAGとなっており、未申請の方があって繰り上がったのではないかと思っております(写真5)。
写真4. (左)VK3FAX小林勇氏の運用許可証と、(右)WIA 75周年を記念した免許の申請案内書。
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写真5. (左)VK3FAG小林勇氏の免許状と、(右)そのQSLカード。
またZLではオークランドの空港に着くなりZL0ZADの短期ライセンスと、ZM0ZADのQSLカード100枚をプレゼントされてびっくりした次第です(写真6)。VK、ZLとも持参したハンディで2mのレピーターQSOを楽しみました。ZLでは1泊2日でRatoruaに居るZL1AVと、長岡市で英語の勉強させて頂いた私の英語の先生(XYL)に会って来ました。ZL1AVさん宅ではゲストオペとして、14MHzでJAと少しばかりQSO致しました。(1986年1月及び3月記)」
写真6. (左)ZL0ZAD小林勇氏の短期免許状と、(右)ZM0ZADのQSLカード。
そして、「尚、1985年に得た VK3FAG のコールの免許は、その後も更新しています(写真7)。(1987年4月記)」とその後のレポートを頂いた。
写真7. (左)VK3FAG小林勇氏への免許更新通知と、(右)VK3FAG小林勇氏の更新された免許状。
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JL1EEE井上博氏はオーストラリアでの免許と運用について、アンケートを寄せてくれた。「免許期間の内訳: (1回目)1985年9月16日-1986年9月15日(写真8)、(2回目)1986年9月25日-1987年9月24日(写真9)。日本の免許の英訳を準備していかなかったため、在シドニー領事館より郵政省へ問い合わせ、現地にて翻訳の許可あり、領事館の処理にて英訳文完成。DOCでは、手続き10分程、手数料A$23.-でVK2CEBが付与された。現地では"フルコール"と呼ばれる最高のクラスが与えられた。HFはTS-820 + FL-2100Z + 2エレワイヤー八木のラインナップで7MHz - 21MHzをメインに運用。AO-10にてサテライト運用も行った。(1994年5月記)」
写真8. (左)VK2CEB井上博氏のQSLカードと、(右)その免許状。
写真 33-09. VK2CEB井上博氏の2回目の免許状。
JR7EEG吉岡雅巳氏(写真10の左)は、写真と免許状のコピーを添えて、オーストラリアの受験記を送ってくれた。「私は留学生として1983年12月より当地のUniversity of Newcastleに参っておりますが、当地に参ります際に、当地でON AIRすべく、FT-101ESを持参しました。たまたま自宅近くにDistrict Radio Inspectorのオフィスがありましたので、日本のライセンスでVKのライセンスが得られるかどうか尋ねてみました。数日後手紙で「JAとVKは相互協定がないので正式免許はダメだが、Temporary Licenceは与えるので、ライセンスの英訳を送れ」と言ってきました。私はJAのライセンスを持ってきましたが、英訳はなかったので、移民局の翻訳サービス(当地は移民が多いため、この種のサービスが行き届いています)で訳してもらいました。期間は2ヶ月ほどだったと思います。無料でした。申請料と翻訳とパスポートのコピーを送ったところ、1週間程でVK2FIBのコールが送られてきました。私は日本でのライセンスが2アマだったので、VKのFull Class(最高のクラスでオールバンド・オールモード、A3Jは400WPEP、他のモードは150W)が与えられました。他にNoviceとLimitedとの2つのクラスがあり、Noviceは、3.5, 21, 28MHzの一部のA3, A1, A3J (A3Jは30WPEP, 他は10W)、Limitedは52MHz以上の周波数で電話のみが許されます。前述したとおり、このライセンスはTemporaryなもので、有効期間は1年(延長は不可)です。私は当地に3年以上居る予定ですので、正式なライセンスを得るために試験を受けようと思いました。試験は年に4回行われ、科目はRegulation(法規)、Theory(工学)とCWです。なお、Limited ClassにはCWはありません。Regulationは30問、Theoryは50問 (夫々4者択一)、CWはNoviceは5WPM、Fullは10WPMで受信5分、送信3分で日本と同じ要領ですが、受信はFullで7個、Novice で10個、送信では夫々4個までの誤り(訂正)が許されます。送信では打ち残した場合は不合格になります。Regurationは各クラス共通、FullとLimitedはTheoryが共通の問題です。即ち、NoviceはTheoryとCWを、Limited Class所有者はCWを受ければFull Classに移行できます。私は自信がなかったので、NoviceとFullの両方を受けましたが、1回で両方とも合格しました。受験料は各クラス$2でした。受験に際して写真は要りませんが、申請書に目、髪、皮膚の色を書く欄がありました Hi。正式免許になった際にコールがVK2FIYに変わりました(写真10の右)。私の受けた受験地では全部のクラスを含めて20人程の受験者がいましたが私が最年少だったようです。大体30代-50代の人で、「これで3回目の試験だ」と笑っている人もいました。特にCWの受信とTheoryが合格の鍵のようです。Theoryの問題は日本の2アマ程度と思います(写真11)。現在自宅(アパート)の軒先に14MHzのダイポールを張り、細々とオンエアしています。相手は国内、ZL、JA位で、EUは聞こえますがなかなかとって貰えません。W方面はさっぱりだめです。大学が忙しいので、あまりオンエアする暇がありません。VKは既にWや英連邦の国々と相互協定を結んでいます。一日も早くJAとVKの間に協定が結ばれるよう願っています。(1986年1月記)」
写真10. (左)VK2FIY吉岡雅巳氏と、(右)その免許状。
写真11. VK2FIY吉岡雅巳氏のアマチュア無線資格試験合格証の表と裏。
1985年 (ロードハウ島 VK2EVB/LH)
JJ3PRT青木洋二氏は、「日本の1級の免許でオーストラリアのVK2EVPというコールサインを既に取得していた(写真12)ので、Lord Howe Islandに行って運用した。コンディションが悪く、U.S.A.の局とは7MHz以外はほとんど出来なかった。(1991年11月記)」と、写真とQSLカードを送ってくれた(写真13)。
写真12. VK2EVP青木洋二氏の免許状。
写真13. (左)VK2EVP/LHを運用するJJ3PRT青木洋二氏と、(右)そのQSLカード。
1985年 (リベリア EL7J, A87J)
リベリアで受験した阿部利弘氏は、その経験と近況をアンケートで知らせてくれた。「私がリベリアに来たのは、青年海外協力隊(職種は無線通信機材で、Liberia Telecommunications Corp.)に参加したためです。私が来た1985年当時は、隊員の中にEL2J吉川氏、EL2FJ山本氏、EL2CJ長畑氏がいたこともあり、FJ, CJ氏の助けもあり始めました。試験は講習会の終了の時と同時に受けました。リベリアでは、国家試験というのではなく、LRAA (Liberia Radio Amateur Association)が行っており、私の時は、講習会の講師でもあったEL2AL, Brother Donard Steffers氏が行いました。科目はモールス(Novice 5 words/min., General 12 words/min.であり、5分間の受信のみ)と学科(4者択一で約30問程度、75%以上合格)の2科目でした。採点はその場で行われ合格すると、答案にGeneral Classの2名のサインをもらい、それと共に申請書を提出すると、約1ケ月~3ケ月で免許がおります。局の検査等はありません。私の場合、最初Ministryの間違いで、EL2BKになりましたが、私の住んでいるのは7エリアのため、直接担当者に会い説明すると、約1週間でEL7Jに変わりました(写真14及び15)。Jは日本人だからということでした。なお免許は1年毎の更新で有効期間は1月1日~12月31日です。私の住んでいるのは地方のGbarnga City(リベリアでは3番目か?)であり、電気事情も悪く、夜間(19:00~翌朝08:00 UTC)しかなく、あまりアクティビティは良くありません。しかし、1月中には1.9~7MHzのDP.を設定予定ですのでLow Bandにも出られると思います。今のところ14MHzと7MHz, CWが中心です。(1986年1月記)」
写真14. EL7J阿部利弘氏のQSLカード。
写真15. EL7J阿部利弘氏の免許状の表と裏。
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そしてその後の手紙で、「(一部抜粋) さて、今ELでは、A8の特別プリフェックスを11月と12月に使用しており、A87Jです。来年2月頃には5Lも使われるかと思います。私の方はこの12月4日で任期を終えるので、11月16日頃にはQRTする予定です。ようやく秋のDXシーズンになってきましたが残念なことです。(1986年11月記)」とレポートを頂いた。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ