2013年6月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
1966年 (ドイツ DJ0QN)
1966年にJA1SKY宮本尚氏がDJ0QNで免許を取得した思い出を寄せてくれた(写真5)。「1966年6月から9月にかけて西ドイツに行き、正式にDJ0QNのライセンスを取得しました。3ヶ月以内はVISAがなかったため、ライセンスも3ヶ月というリミット付きでした。申請に関しては、地元のDJ8HM, Wolfに大きく助けてもらって取得出来たのを覚えています。この DJ0QN/Bremen に向かう1週間前、DL南部のBodensee でのEUミーティングの入口で、1 week の短期コールDJ0SVを簡単に自局のQSL提示でもらえたのをカウントするとこれが最初かも知れません」とあり、ドイツでは日本人でも特に制約がなく、比較的簡単に免許を与えてくれたようである。
写真5. (左) ドイツで運用中のDJ0QN宮本尚氏(奥側)。(右) DL0BRをゲストオペ中の宮本尚氏(手前)
1967年 (香港 VS6AJ, VS6CO他)
筆者JA3AERは、早川電機株式会社 (現 シャープ株式会社) の東南アジア技術駐在員として、1967年から1969年まで香港に滞在したが、ハムとの最初の出会いはVS6FX, Bob で、その後HARTS (Hong Kong Amateur Radio Transmitting Society) のミーティングに出席して多くのハムに出会った。彼等の助言を得て、1968年2月17日に、パスポートの写し、日本の免許状の英訳を添えて香港の免許を申請したが、相互運用協定がないことを理由に、5月1日付け文書により拒否の通知を受けた。やむなく ISWL に入会し、VS6-12814 として SWL を始めた(写真6)。その後シンガポールで免許を得たため、1969年5月7日に、これをベースに再び申請したが、やはり国籍が日本であることを理由に拒否された。しかし、クラブ局または個人局のゲストオペとして運用することは許されたので、OZ7SM, Harb (のちVS6AD) の QTH に設置されたクラブ局 VS6AJ (写真7)をはじめ、多くの個人局からQRVする機会を得て、日本との QSOを楽しんだ。1969年に帰国するまでの約2年間に、ゲストオペとして運用した局はVS6AJ, VS6CO, VS6EK, VS6BE, VS6AA, VS6DR, VS6AD, VS6BS, VS6DX と多くを数え(写真8及び9)、延べ32回で約600QSOであった。 当時、セイロンの4S7PBがネット・コントローラーとして運用するSEANETが、12:00Z(UTC)から14.320MHzで毎日行われており、このネットで紹介された各国のハムを訪ねて交流を深め、ゲストオペや免許取得の協力を得ることができた。このことについては次回に紹介する。
写真6. (左) VS6-12814のSWLカード。(右)VS6BE局にて、VS6BE, Lyellと筆者。Lyellはキャセイ・パシフィックのパイロットで、VS6-12814で使う受信機FRDX-400は、彼が東京から買って来てくれた
写真7. (左) HARTSのクラブ局VS6AJにて左からDJ1BQ, Ulf、VS6EF, Bill、VS6AD, Herb。
(右) VS6AJのQSLカード
写真8. (左) VS6BS局にて、VS6BS, Silvaの家族と筆者。(右) VS6EK局にて、VS6EK, Drakeと筆者
写真9. (左) VS6DR局にて、VR6DR, Philと筆者。
(右) ゲストオペのために、サフックスを空白にした筆者のVS6のQSLカード
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ