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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その91 再びCOVID-19 1994年(2)
「あの人は今 (第16回)」JA1CMD宮盛和氏

JA3AER 荒川泰蔵

再びCOVID-19

4ヶ月前の6月号にてCOVID-19について触れましたが、この原稿を書いている9月初旬現在、第2波で世界的な感染の拡大も収まらず、海外でご活躍中の皆様方も行動が制限され大変な思いをされていることと思います。経済活動とのバランスで各国の指導者も苦心されているようですが、ワクチン開発のニュースも聞こえてきますので、それに期待して後しばらくの自粛で頑張りましょう。尚、今月の「あの人は今 (第16回)」は、JA1CMD宮盛和氏の紹介です。

1994年 (韓国 HL1ZAA)

JK2PNY河津基氏は香港在住中に、韓国の国家試験を受験し免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真1)。「1991年4月、年2回施行の国家試験を受けに渡航、1アマの筆記試験を受験。1991年5月、電気通信術実技試験を受けに再度渡航。電気通信術の試験は電信のみで、欧文とハングルの受信と送信(50符号/分, 3分間)。受信用のテープがたてぶれでスペースの間隔もない下手な人のものだったので苦労した。送信はカセットテープに録音した。カッコや、てん、まるなどの特殊符号も多かった。尚、1994年頃から1, 2, 3アマすべてが、「ハングル+英文」から「英文のみ」に変わった。無線局は1993年9月に、HL1LLS(7J1AMS)チェ・ミンソク氏と設備共用でソウル市にHL1ZAAを開局、1994年7月に7MHzと21MHzのSSBで12局と交信した。 (1997年6月記)」


写真1. HL1ZAAを共同開局したJK2PNY河津基氏の韓国の従事者免許証。

1994年 (台湾 BO0K)

JA1JKG細貝輝治氏は、台湾の金門島でのDXペディションに参加したとアンケートを送ってくれた(写真2)。「BV9P(プラタス島)がニューカントリー?と話題になっている最中に、金門島(BO0K)に行こうと誘いがきました。金門島は、DXCC上はBVと同じですが、軍事上重要な所で現在でも許可が必要であり、簡単に行けない所なので無理を承知で参加することにいたしました。金門島は台湾の西、中国大陸のアモイ港の入口にあり、ここが何故BVなのかと不思議に思うところです。この辺の話は大切なのですが、後回しに致しましょう。今回のQRVは2回目(中国流には第2次)で、1回目はBV0ARL/9で運用されましたが、今回はBO0Kの新プリフィクスとなりました。メンバーはBV2DDを団長にBVが10名、JAが3名の構成で、1994年4月2日早朝6時、国内線の松山機場に集合、A-300にて50分位で空軍基地に到着いたしましたが、金門島は現在も最前線という実感が致します。空港ビルに入ることなく外で待っていると、トラックに荷物が積まれて出てくる、それらを受け取り即出発という、特殊な雰囲気とは異なった簡単な到着手続きでした。他の乗客の状況は不明ですが、BV2DDが航空会社社長の息子さんで、多少の便宜は有ったことと思います。機材もかなりの重量オーバーのようでした。金門島のTWグループ(CBバンドを使用してDXと盛んに交信を行っており、アマチュア無線の予備軍で日本のCBとは全く異なる)の車に分乗して運用場所の農協宿舎へ到着、休む間もなく機材の運搬、アンテナの建設と順調に進行してゆく、しかし緯度が低いだけ日射しが強く、温度も高く真夏のような気候の中で作業が進んで行きました。先ず50MHzのアンテナが上がりリグを接続する。JA2IGYのビーコンが弱いながらも聞こえる。早速CQを出すと2局のJAが呼んでくる、幸先が良いと思った途端に沈黙、その後は丸3日間沈黙が続くことになった。次々に引き込まれるケーブルにより、他のバンドの運用も開始され、4系統 72時間の運用で1万局を突破、久々のストレス解消でした。金門島は戒厳令が解除され許可制ながら入島可能になったのも数年前で、許可条件は島に親戚が在住か墓参などで、観光のみでは許可されないようです。日本人としては2回目で、1回目はNHKの取材班であると言う話ですが真偽の程は不明です。また、1978年まで砲撃が行われており、金門島には40万発の大砲の弾が打ち込まれたと言う話を聞きました。その副産物として不発弾を加工して作る包丁などの刃物が特産物となっております。その他には落花生、コウリャン酒が名産品です。中国大陸との距離数kmで肉眼でも大陸は見えますが大陸側は立ち入り禁止になっているようです。病院も地下に建設されておりました。さらに時代を遡って1950年代に中国の内戦により国民党が大陸から退却するとき金門島が防衛線となった訳ですが、朝鮮戦争の勃発により海上封鎖が行われ現在に至っております。(1994年6月記)」


写真2. (左)BO0Kチームの出発風景と、(右)BO0Kの運用風景。

1994年 (マカオ XX9AS)

JP1NWZ櫻田洋一氏は、XX9ASの2ndオペレーターとして運用したと、3枚の写真を送ってくれた(写真3)。その裏に書かれたメモを集約すると次のような内容であった。「1994年11月のCQ WW CW DX コンテストでは、マカオからXX9ASを運用し、Single Op. 20m 48H フルOPでした。結果は2,217QSO, 112C, 37Z, 1,231,000点でした。ホテル屋上の地上高45mHのタワーに上げた3ele八木・トライバンドアンテナでの運用でした。一緒に運用したOH6DOは、XX9Xのコールサインで運用し、Single Op. All Bandに参加しました。(1995年12月記)」


写真3. (左)XX9ASを運用する櫻田洋一氏と、(中央)アンテナタワーの上に立つ櫻田洋一氏。(右)XX9Xを運用したOH6DOと櫻田洋一氏。

1994年 (モンゴル JU1HC, JT1FAC, JT1FAE)

故JH3GAH後藤太栄氏はモンゴルのウランバートルで、JU1HCJT1FACの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれていた(写真4及び5)。「1993年に特別に免許されたJU1HC (Japan UNICEF Ham Club) を再度運用するためモンゴルを訪問した。昨年(1993年)までは個人局は免許されず、運用許可として"JT#/自国のコールサイン"での運用であったが、本年(1994年)より法整備がなされ外国人に対しては"JT#Fxx"のコールサインが与えられるようになった。免許の申請に当たっては従事者免許と局免の英訳証明のコピーの提出を求められ、その場で申請書に必要事項を記入した。原則としては外国人も試験を受けなければならないと聞いたが、私の場合は担当者の口頭による質問で免許の妥当性を確認したようであった。免許申請に当たっては事前に訪問日程等を記した手紙を送付しておくことが望ましい。尚、申請料は短期免許がUS$18.-、長期免許がUS$24.-であるが、長期免許は2ヶ月以上の滞在許可がある者にのみ与えられる。短期免許は2ヶ月までの滞在日数、長期免許は1年を限度として滞在許可の日数だけ与えられる。但し、免許されたコールサインは他人には再割り当てされず、再申請した際には繰り返し使用することができる。今回は7~28MHzのCW/RTTY/SSBで約200局とQSOできた。(1994年11月記)」


写真4. (左)JT1FAC後藤太栄氏のQSLカードと、(右)その免許状。


写真5. (左)JU1HCを運用する後藤太栄氏。(右)JT1BGのシャックにて、JT1BG, Bator Sambu氏とそのお嬢さん達とポーズをとる後藤太栄氏。

JR3WXA八木泰正氏は、ユニセフハムクラブのモンゴルでの運用に参加し、ほとんどの手続きをJA3ULS木村千良氏にお願いして、現地の免許で運用したとアンケートを寄せてくれた(写真6)。「免許の申請用紙はMRSF(モンゴル ラジオ スポーツ協会)の事務所にあり、そこで記入し担当者であるJT1CD局に渡しました。提出した物はその申請書の他、写真1枚と日本の無線局免許状及び従事者免許証の英文コピー、それに申請料US$18でした。昨年免許になったクラブのコールJU1HCで主に運用し、個人コールJT1FAEでは10, 14, 18MHzのCWで、約200局とのQSOでした。尚、取得したコールサインは、他局への再割り当てはないそうです。(1994年12月記)」


写真6. (左)JT1FAE八木泰正氏のQSLカードと、(右)その免許状。

1994年 (ブータン A51MOC)

JA1BK溝口皖司氏は、1994年11月にブータンのクラブ局A51MOCを運用したとQSLカードと共に、QSTの1995年2月号に記事がある旨知らせてくれた(1995年3月受付)。筆者はその記事を見逃していたが、英国RSGBの機関紙、RadComの1995年9月号に、溝口氏に同行したVK9NS, Jim B. Smith氏が投稿したA51MOCの記事を見つけたので、合わせて紹介します(写真7及び8)


写真7. JA1BK溝口皖司氏が運用したクラブ局、A51MOCのQSLカードの表と裏。


写真8. 故VK9NS, Jim B Smith氏が投稿した、A51MOC運用時の記事(RSGBのRadCom誌1995年9月号)。

「あの人は今 (第16回)」JA1CMD宮盛和氏

世界各地で活躍され、現在もTOPバンドを中心にアクティブなJA1CMD宮盛和氏の、マレーシアでの運用については(その6) 2013年9月号で、香港での運用については(その11) 2014年2月号で、米国での運用については、(その20) 2014年11月号でそれぞれ紹介させて頂きました。また今後1994年のアンギラと北マリアナ諸島、1995年のクリスマス島は間もなく、更に、1999年のココス島、2000年の東マレーシアについても、いずれ紹介させて頂けると思いますが、その宮盛氏から、新型コロナ禍で、伊豆のシャックに避難中と近況を知らせて頂きましたので紹介させて頂きます。「現役時代は各国を転々としながらも、各々の国でアマチュア無線を通じた友人も多数得ることが出来て幸せでした。今でもクリスマスには、これらの友人からの時節の挨拶メールやカードが舞い込むのを楽しみにしています。退職後は横浜の自宅のJA1CMDの他、長野県の川上村高原(海抜1180m)でのJJ0MEF、伊豆の天城山(海抜665m)でのJQ2VVHで、160mで人生を楽しんでおります。また最近は160mバンド拡張のお手伝いをする事が出来、楽しかったです。少しでも皆様のお役に立てたかと思っております。今は新型コロナ禍で、伊豆のシャックに避難中です(写真9及び10)。(2020年5月記)」


写真9. (左)伊豆のシャックで愛犬と共にJA1CMD宮盛和氏。(右)JA1CMDのQSLカード。


写真10.  (左)JJ0MEF宮盛和氏のQSLカード。(右)JQ2VVHとJA1CMD/2の宮盛和氏のQSLカード。

また、1994年から2014年まで長期に駐在したインドネシアでは、当時相互運用協定がなく、ゲストオペしか出来なかったとしながらも、次のような思い出を寄せてくれました。「ジャカルタに着任直後より、JARLよりの依頼もあり、当局(ORARI)及び現地の有力アマチュア無線家に対し、相互運用協定実現を目指し交渉したが、在任中には残念ながら実現しませんでした。駐ジャカルタ日本国大使他、担当官の方々にもご協力を頂いた事、感謝しております。後刻実現したと聞き、交渉時のインドネシア側担当官より、日本の電波法のアマチュア無線に関係ある部分を、インドネシア語への翻訳を依頼され閉口した事も、今では良い思い出の一つです。(2020年5月記)」

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次号は 11月2日(月) に公開予定

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