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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その65 CEPT免許の恩恵 1991年 (2)

JA3AER 荒川泰蔵

CEPT免許の恩恵

今回から2回にわたってヨーロッパを紹介するが、この時代でも既にヨーロッパの多くの国がCEPT T/R 61-01による相互運用協定を結んでいたため、その免許を取得するとそれらの国で短期間の運用を免許手続き無しで運用することが出来た。今回の最後にJG1PGJ加藤芳和氏が複数国から運用された経験を、国別に分けずに「欧州ツアー」として紹介する。東京オリンピックを2年先に控え、JARLの国際問題検討委員会の下に組織された「CEPT相互運用に関する分科会」(2016年7月号で紹介)の活動の進展に期待したい。

1991年 (英国 G0OPW, G0PMQ, GW0/N2ATT, G0/N2ATT/P, GM0/N2ATT, GW7KTA)

JA3GUY河村正生氏は、G0OPWの免許を取得したと、アンケートを寄せてくれた(写真1~3)。「僕は、1990年9月より1年間の予定で、ケンブリッジ大学で肝移植手術について研修しています。アマチュア無線に関しては、来英直前のCQ誌の荒川OMのコラムで、落合OM(JA4KQG, G0NKT, N6YBS)がケンブリッジでアクテイブにon the airしておられることを知り、連絡を取り、OMに全てお世話になりました。RAEの申請も、OMのおかげで来英当日に行なうことが出来ました。申請のときに、アマチュアラジオの発音が通じず、"雷耳王・甘茶-" 風に発音したところ、やっと判って貰えました。早々にJA1ANG米田OMのHow to QSOの教えが身にしみました。試験勉強は、RSGBのテキストを2・3回通読し、RAE問題集を一通りやりました。そのほか、DTIから出しているハムに関するパンフレットを2冊ほど繰り返し読みました。内容は、無線工学に関しては日本の2級前後のレベルの様に感じました。インターフェアー対策が、かなり微に入り細にわたっていたのが印象的でした。法規はやはり丸暗記以外にはなく、イギリスの地理的な知識も結構必要で、地図と首っ引きでした。法規の内でも、U. K.の電力割当てやモ-ドは周波数帯によって極めて細かく規定してあり、覚えるのに困ったので、図に描いて覚えました。当り前のことなのでしょうが、テキスト類はすべて英語で書いてあり、無線工学などは記述がはっきりしているので、僕に取っては、むしろ日本語で読むより判りやすい印象でした。リグは日本で買ったIC-726と、オートマチックアンテナチューナーのAH-3を使っています。HF帯の半導体リグはIC-750以来なのですが、あまりの進歩に驚いています。ところが、 肝心のアンテナはフラットの3階に住んでいることもあって、ちょっとしたホイップを窓の外へ突き出して使っているのみです。ここケンブリッジに限らず、イギリス人は住まいの環境に極めてうるさいらしく、変なものを戸外に取り付けると、たちまち近所中から苦情がくるそうです。G0MYB河本OMやG0LHB大久保OMなどから穏やかならざる話しをいろいろ聞きましたので、釣竿式ホイップにして薄暗くなってから外へ出し、運用時以外は部屋の中に取り込むようにしています。(1991年7月記)」


写真1. (左)G0OPW河村正生氏のシャックと、(右)そのQSLカード。


写真2. (左)G0OPW河村正生氏の筆記試験合格証、(中)その試験成績証、(右)CW試験合格証。


写真3. (左)G0OPW河村正生氏の無線局免許申請書と、(右)その免許状。

JA1IST名黒和史氏は、G0PMQの免許を得て運用しているとアンケートを寄せてくれた。「アンテナ制限きつく、庭の樹木の中に隠す様にして立てた小型GP(給電部3mH)でHF(40m-10m)CW/SSBを、屋根裏のディスコーンで6m/2m/70cm, CW/SSB/FMを運用。6mではEスポでEU多数とQSO。モ-ビルは2m中心。1991年8月初旬ホリデ-でScotlandの北端近くよりGM0PMQ/Pを運用。10月末/11月末のWWコンテストではWales西端近くよりGW0PMQ/Pを予定。8月下旬EU旅行の際HT持参、レピーターアクセスするも、今まで出ていた局もびっくりしてQRTしてしまうみたいで結局1局も出来ず。この時は、DL→OE→HB0→HB9→F→DL/G0MPQ。今後もチャンスを見て各地より運用予定。(1991年9月記)」

JA3AER筆者は、米国FCCの免許で得た英国の臨時免許での運用に行い、その後英国のRAEの試験を受けた頃の事を次のように記録していた。「1990年12月8日、シャープの英国生産会社SUKMに赴任、英国での運用はとりあえず米国との相互運用協定を利用してFCCの免許でGW0/N2ATTの免許を得て運用を始めた。最初はレクサムにある勤務先を設置場所にしていた免許も、レクサム郊外のハーデン(Hawarden)に住居が決まり、設置場所をそちらに移した(写真4及び5)


写真4. (左)GW0/N2ATT筆者のシャックと、(右)そのQSLカード


写真5. GW0/N2ATT筆者の臨時免許状2種。設置場所の変更であるが、この間に免許機関がDTI(Department of Trade and Industry)からRA(Radiocommunications Agency)に変わった。

この免許を使用して1991年1月19日にはロンドンよりG0/N2ATT/Pで運用した。このコールサインでのイングランドからの運用は、ロンドンを訪問した際、G0MYB河本さんのシャックからQRVした時だけであった(写真6及び7)


写真6. (左)G0/N2ATT/Pを運用する筆者と、(右)そのQSLカード。


写真7. (左)G0MYB河本氏のシャックにて河本氏と筆者。(右)ロンドンの中華レストランにて、左からG0LHB大久保氏、GW0/N2ATT筆者、G0PMQ名黒氏、G0MYB河本氏、DJ0KE中嶋氏ご夫妻。

また、8月2日から3日までグラスゴ-やエジンバラよりGM0/N2ATTでQRVした。スコットランドでの運用は、エジンバラに近いリビングストンにお住いのGM0NJP村上さんを訪ねる途中で運用したものであった(写真8)


写真8. (左)GM0NJP村上氏宅にて、村上氏のご家族と、JG3FAR筆者のXYL、GW0/N2ATT筆者。(右)GM0/N2ATTのQSLカード。

英国での正式な免許を得ようと1991年5月13日に受験、7月23日に合格通知を受け取った。早速7月24日に免許申請(イニシャルのTAをサフィックスに入れるよう希望)を行い、8月5日にGW7KTAの免許状が届いた。一見早いように見えるが、試験は年に2回しかなく、しかも事前に受験申請が必要なことから米国のFCC(VE)の試験ほど便利ではなく、短期旅行の機会に受験というのは難しい。この免許はBクラス(学科試験はAクラスと同じで、CWの試験に合格すればAクラスに昇格する)で144MHz以上しかQRV出来ません。でも144MHzは日本と違ってすいており、145.5MHzのコールチャンネル(FM)でCQを出し、その上下のチャンネルにQSYして交信を続けるのですが、いつまでもラグチューが楽しめます。またその性質上ローカルに限られますが、初めて日本人とQSOしたと喜んでくれる局も多く、何回か出ていると顔なじみならぬ声なじみになって楽しいものです。435MHzは144MHz以上にすいており、ダイアルを回しても何も聞こえないことの方が多いようです。いずれの周波数にもレピーターがあるのですが、これはトーンがないとオープン出来ません。また、VHFとUHF のバンドプランが良く出来ていて良く守られています。FMを含む電話よりデーター通信が盛んなようで、パケット通信の周波数はジャージャーと言う音がひっきりなしに聞こえています。もう少し時間に余裕が出来ればパケット通信もやってみたいと思っています(写真9~11)。(1991年8記)」


写真9. (左)GW7KTA筆者と、(右)そのQSLカード。


写真10. (左)GW7KTA筆者の資格試験合格証と、(右)その試験成績証。


写真11. (左)GW7KTA筆者の免許申請書と、(右)その免許状。

1991年 (マン島 GD0/N2ATT)

JA3AER筆者は、ウエールスの自宅から、車でフェリーを利用してマン島まで旅行した時の事を次のように記録していた(写真12)。「1991年7月27日から3日間、マン島(GD)に出かけました。マン島は英国から独立した行政が行われていて、DXCCでも別カントリーとして扱われています。しかしアマチュア無線の免許は英国と共通で、プリフィックスを変えて運用が出来ます。家から車で北へ約30分のリバプール港から、マン島のダグラス港へフェリーが運行されています。思ったより大きな船(約3,000トン)で100台近くの車の他、乗客も乗せていて、所用時間は約4時間ですからそれほど遠くなく1日でGW,G,GDと3カントリーを移動することになります。マン島でもハムらしきアンテナをいくつか見ましたが、あまりアクティビティは高くありません。ホテルの許可と協力を得て、GD0/N2ATTのコールサインでHF(21MHz)にQRV、ロケーションとコンディションに助けられ、窓から突き出した簡単なタイポール・アンテナで、JANETとJAIGのネットにチェックインした他、JAを含む25局とQSOすることが出来ました。ダグラスではなくラムジー(RAMSEY)のホテルを選んだのは米国で住んでいた町と同じ名前という単純な理由だけだったのですが、ロケーションは最高でした。(1991年7月記)」


写真12. (左)GD0/N2ATT筆者と、(右)そのQSLカード。

1991年 (フランス F/JH4NMT)

JH4NMT松田佳之氏は、フランスでF/JH4NMTとしてヨーロッパ・コンテストに参加し、約500局とQSOしたと、その経験をアンケートで寄せてくれた。「F6AOJ, Jeff宅より、WAE-CWコンテストに参加しました。惜しくもフランス第2位の成績でしたが、QTCを請求する立場からの運用はめったに経験できることではなく、良い勉強になりました。(1994年2月記)」

1991年 (JG1PGJ加藤芳和氏による欧州ツアー LX2AA, ON/LX2AA, F/LX2AA, DL/LX2AA, HB9/LX2AA)

JG1PGJ加藤芳和氏は、ルクセンブルグのLX2AAの免許を利用して、短時間で複数の国からのQRVを試みたと、アンケートを寄せてくれた(写真13~16)。「早いものでLXに来て3年半、アパートに住んでいるためアンテナの設置に制限がありモービル・ホイップをベランダに出して、14MHzのCW主体で細々運用をしています。4月(1991年)に英国バーミンガムのハム・フェスティバル会場で、GW0/N2ATT荒川氏とアイボールした際に、ヨ-ロッパ大陸にいればいろいろなカントリーからQRVできるのではないかと言われ(CEPTと言う相互運用協定がある)、以前から考えていた "2時間4カントリーからのQRV" を実行することにしました、と言ってもどうやるか? 2mのハンディーを持って行って電波を出すのは簡単ですが、交信相手がなく空振りCQでは意味がない。と言うことで、確実な14MHz, CWに決定。でも、ローカルからは何もLXから雑魚カントリーに行ってまでと言われそうなので彼等にはとりあえず内緒にして、1991年6月23日夕方に運用を決め、リグを車に積み込み実行に移しました。夕方と言ってもこの時期は10時頃まで明るいので移動は簡単です。アパートの駐車場からLX2AAでUA5UAと交信の後移動開始、目指すは一番近いON(ベルギ-)です。国境を越えてON着18:23。ONの国境は入国審査がなく、と言うよりここはスピ-ドを60キロに落として通過するだけ、高速道路を降りて場所を探し、18:30 ON/LX2AAのコ-ルでHA3ODを呼ぶ。439のレポ-トなるも交信は成立。次の目標地F(フランス)へ車を走らせた。LXを横切ってF(フランス)へ、珍しく簡単な入国チェックを受けた後、フランス領内から F/LX2AAで QRV。SV0CJ/5と交信して579のレポ-トを貰いました。フランスで運用の後、LXを横切りDL(ドイツ)へ、DLは通常入国チェックなし、徐行して国境を通過。20:20に、DL/LX2AAでRA5P/UM8QDXと交信。これで4か国から交信したことになりました。DLで一休みして帰宅したのが21:17、合計走行距離は178kmでした。(1991年8月記)」また別途、HB9(スイス)での運用についても「ドイツでのハム・フェスティバル(於Friedrichshafen)の帰り道チュ-リッヒに寄り、そこで車を駐車してHB9/LX2AAで運用した。(1991年8月記)」とアンケートを寄せてくれた。


写真13. (左)LX2AA加藤芳和氏と、(右)そのQSLカード。


写真14. (左)LX2AA加藤芳和氏の免許状と、(右)その付属書(CEPT締結国リスト)。


写真15. (左)ON/LX2AA加藤芳和氏のQSLカード。(右)F/LX2AA加藤芳和氏のQSLカード。


写真16. (左)DL/LX2AA加藤芳和氏のQSLカード。(右)HB9/LX2AA加藤芳和氏のQSLカード。

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次号「月刊FBニュース2018年9月号」は 9月3日(月)と18日(火)に公開予定

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