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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その92 今回の記事は1994年のヨーロッパ 1994年(3)
「あの人は今 (第17回)」JH3OII 中村千代賢氏

JA3AER 荒川泰蔵

今回の記事は1994年のヨーロッパ

今回は1994年の3回目でヨーロッパですが、当時英国に駐在していた筆者は、夏季休暇でヨーロッパの各地へ旅行したので、その記事が多くを占めてしましい恐縮です。尚、今月の「あの人は今 (第17回)」は、JH3OII中村千代賢氏の紹介です。

1994年 (英国 GB2TA)

JA3AER筆者は、前年に続いて1994年のシンキングデ-(Thinking day)に、特別コールサインGB2TAで参加したと書類を含む写真やメモを残していた(写真1~3)。「英国などヨーロッパの幾つかの国では、この日に限り免許を持たないガールガイドの子ども達に、免許者の管理の下で特別局を運用することを許可されています。これを経験した子ども達は「通信」を経験したバッジが貰える制度があります。前年と同じくチェスターのG4INX, Mr. Haradaに誘われて、今回は私のGW0RTAの免許を基にした、特別局GB2TAの許可を得て運用しました。サフィックスのTAは私のイニシャルですが、Thinking day on the Airに引っ掛けて申請したところ認められたものです。日本でアクティブなガールスカウト群馬第4団のアマチュア無線クラブ局JL1ZDLとスケジュールを組んでQSOを試みましたが、コンディションが良くなく、残念ながらJAとはQSO出来ませんでした。(1994年3月記)」


写真1. (左)GB2TAを運用するガールガイドの子ども達と、(右)そのQSLカード。


写真2. (左)GB2TAの申請書と、(右)その許可証。


写真3. ガールガイドのレポートの一部。(右)英国全土で行事に参加した人数一覧表。(右)GB2TAの項目には、日本人が運営した旨記録してくれている。

1994年 (アイルランド EI/GW0RTA/P)

JA3AER筆者は、英国に滞在中、隣国のアイルランドへフェリーで旅行した時の事を記録していた(写真4及び5)。「1994年の夏、英国から夏期休暇で短期旅行をしたダブリンへHTを持参し、レピーターを使ってローカル局と交信しました。英国からアイルランドへは海路フェリーを利用して渡ったのですが、パスポートのチェックさえなく、税関もセキュリティもフリーパスで、それぞれ独立した国とはいえ、お互いに信頼しあっている一つの国という感じでした。今回は英国のCEPT免許で運用しましたのでコールサインはEI/GW0RTA/Pでしたが、この国では短期滞在のビジターにサフィックスが"V"で始まる3レターのコールサインを付与しているそうです。次回訪問時には、日本の免許を基に"EI2VTA"でも申請してみたいと思います。現在、日本とは相互運用協定はありませんが、免許のレベル合わせが終わっているのか、お互いに自国の免許で相手国の免許がとれる国の一つだそうです。(1994年8月記)」


写真4. (左)首都ダブリンのGPOを背景に筆者。(右)EI/GW0RTA/P 筆者のQSLカード。


写真5. (左)首都ダブリンのホテルでEI/GW0RTA/Pを運用する筆者。(右)EI/GW0RTA/Pを含む移動運用時に携行しているログブック。

1994年 (ドイツ DG5FEA, DG4FEA, DL/JJ1UAP)

JM1HKF辻憲明氏は、ドイツでJAIGのメンバーとして、パケット通信をしているとアンケートを寄せてくれた。「ドイツでDG5FEAの免許を得て、ギーセン市(Giessen)から430MHzでPacketの運用のみ行っています。そのホームステーション(中継局)は@DB0SIFです。妻はJN1MPKですが、ドイツではDG4FEAの免許を得ています。(1994年4月記)」

JJ1UAP吉野正明氏は、ドイツでの運用について、写真と共にアンケートを寄せてくれた(写真6及び7)。「1994年4月から6月にかけての休日に、ドイツからDL/JJ1UAPでヨ-ロッパ内の局とHFにてQSOしました。また、毎晩ミュンヘンのJAIGメンバー4局と、430MHzレピーターで30分程度日本語にて情報交換が出来ました。しかし、ランツフート(Landshut)市のDL3RDF, Alfred、DL8RBU, Annemaneご夫妻宅のシャックから、JAIGネットにアクセスするも不成功に終わりました。地元ランツフ-ト及びミュンヘンのクラブミ-ティングにゲストとして参加した他、フリードリッヒスハーフェンのハムフェスティバルにも参加して、その会場で開かれたJAIGミーティングにも参加しました。また、ヴィニンゲンで開かれた第10回JAIGミーティングに参加した他、山岳移動運用も行いました。(1994年7月記)」


写真6. (左)DL/JJ1UAP吉野正明氏のアパートのアンテナ(アローライン)。(右) DL/JJ1UAP吉野正明氏のQSLカード。


写真7. (左)DL/JJ1UAPをベランダで運用する吉野正明氏。(右)ツークシベッチェ(Zugspitz)山頂(2950m)にてDL/JJ1UAP/Pを運用する吉野正明氏。

1994年 (スイス HB9/KG8DS)

JF3MYU板谷邦彦氏は、スイスの免許HB9/KG8DSを取得した時の事をアンケートで寄せてくれた(写真8)。「今般スイスへ3度目の旅行に出かける予定です。前回までは、アマチュア無線も免許がもらえませんでしたが、1992年のCQ誌の「日本人による海外運用の記録」の記事にHB9が出ていましたので、アメリカの免許をもとに申請したところ、JAとは運用に関する条約がないので免許を与えないという返事がチューリッヒのPTTから届きました。そこでCQ誌にあったHB9IAR宮崎さんの資格証明、免許状のページ、そして記事の内容を訳して、再度PTTに再申請(再考依頼の形で)したところ、すぐにHB9/KG8DSというコールサインで免許されました。PTTの説明では、最初私が送ったアメリカの免許状の上の携帯用部分を、免許状ではないと勘違いしたそうで、FCCのライセンス全体のコピーを送れば解決しました。期間は運用開始予定日から3ケ月間で、申請料は50スイスフランでした。今回の場合、最初許可しないと言う事で、50フランを送り返してくれていましたが、先方の誤解から生じたこともあって、申請料なしの時点でライセンスを送ってくれました。こういう融通性というのかホスピタリティというのか、益々スイスがという国が好きになりました。スイスに到着後すぐに、チューリッヒのPTTへ支払いに行くつもりです。(1994年7月記)」


写真8. HB9/KG8DS板谷邦彦氏の免許状。

1994年 (ウイーン国際センター 4U1VIC)

JA3AER筆者は、ウイーンの4U1VICを運用した時のことを記録していた(写真9~11)。「英国よりオーストリアのウイーンへ旅行した際、UNO City(国連機関)にあるVIC(Vienna International Centre)の4U1VICを訪問、短時間ではあったが運用の機会を得ました。旅行に先だってVIARC (Vienna International Amateur Radio Club)に書面で打診をしたところ、Station ManagerであるOE3JOS/NK4N, JohnさんからフォームレターでOKとの返事を貰っていました。1994年1月1日の早朝、休日で淋しいVICを訪れると、彼は既に来て待っていてくれました。セキュリティの関係で、国連職員のエスコートがないと中に入れないため、彼にはお正月早々迷惑を掛けましたが、家族はまだ寝ているし、自分はQSLカードの発行をキャッチアップするからと快く付き合ってくれました。コンディションが良くない時期だけに、JAとのQSOはあまり期待していませんでしたが、14MHzでローカル局と交信していると、JH4FEBからコールがあり、それを皮切りに13局のJA局とQSOが出来ました。これでニューヨークの4U1UN, ジュネ-ブの4U1ITUに次いで3番目の国連局4U1VICを運用したことになりますが、4U1VICは他の2局のようにDXCCでのセパレートカントリーとは認められていません。これを一番残念に思っているのがOE3JOS/NK4N, Johnさんで、彼は他の国連局(4U1UNと4U1ITU)と比較しても条件的に何ら劣るところはないと熱心に説明してくれました。リグはヤエスから寄贈してもらったそうですが、アンテナはバーチカルアンテナしかなく、ビームアンテナを建てるにはプロに頼まねば許可にならず、その費用がまだ足らないそうでした。ゲストオペは歓迎だがエスコートが必要なため、クラブメンバーの時間が許す範囲で招待しているとの事、運用を希望される方は事前に手紙でVIARC宛にお願いするとよいと思います。帰りにゲスト帳にサインをしましたが、JAからの訪問者は既にJA9IFF(1986), JN1UUJ(1986), JS6BLS(1986), JR1SWB(1987), JL1OOD(1988), JG2COF(1989), JF7NNI(1989), JH3PRR(1992)と、既に8名ものサインがありました。(1994年1月記)」


写真9. (左)4U1VICのQSLカード。(右)4U1VICを運用する筆者。


写真10. (左)4U1VICのシャックにて、管理者のOE3JOS/NK4N, Johnさんと筆者。(中央)屋上のバーチカルアンテナ。(右)国際センタービルの屋上から見渡す雪景色。


写真11. (左)4U1VICの運用許可レター。
(右)4U1VICのシャックにて管理者のOE3JOS/NK4N, Johnさんと、そのQSLカード。

1994年 (バチカン HV3SJ, HV4NAC)

JA1OEM, 豊福真一氏は、1994年にバチカンのアマチュア無線局を運用したとアンケートを送ってくれた。「1994年1月21日から3日間バチカンのHV3SJを運用、その後2月3日に同じくバチカンのHV4NACを運用しました。QSO数は、21MHzで139局、7MHzで28局、3.5MHzで76局の合計243局でした。両局ともクラブ局で、HV3SJはI0DUD、HV4NACはIK0FVCの立合いのもとでQRVでき、QSLカ-ドの発行は彼らが行います。(1995年2月記)」

1994年 (ギリシャ SV1/GW0RTA/P, SV8/GW0RTA/P)

JA3AER筆者は、英国駐在中の夏季休暇に、XYLと共に”神々のアテネと紺碧のエーゲ海”と案内のあった、日系企業の日本旅行社の団体ツアーに参加した時の事を記録していた(写真12~14)。「初めてのギリシャでしたが、HF帯のトランシーバーIC-723と、144MHz帯のハンディ機IC-2ATを持参しました。首都アテネの観光は、古代ギリシャのバルテノン神殿や、オリンピック発祥の地である競技場に案内されました。アテネの市街地にあるホテルからSV1/GW0RTA/PでQRVしましたが、スイスからの移動局HB9LDR/SV, Georgeと144MHzでレピーターを介してのQSOで終りました。今回のツアーの最大の目的地は、エーゲ海のミコノス島(Mykonos Is. IOTA:EU-067)であり、アテネの港から観光船での旅でした。ミコノス島は海岸が美しく、白い壁の建物や風車が特徴的でした。ホテルは低層の開放的な建物で、ホテルの従業員に手伝ってもらってG5RVアンテナを屋上に張り、SV8/GW0RTA/PでQRVしたところ、14MHzのSSBで約20局とQSOすることが出来ました。(1994年8月記)」


写真12. (左)アテネ市内のホテルでSV1/GW0RTA/Pを運用する筆者と、(右)そのQSOカード。


写真13. (左)オリンピック発祥の地の競技場にあるサインには、1964年-TOKYOの文字も刻まれていた。(右)尾翼に五輪マークを模したロゴを描いた、オリンピック航空の飛行機。


写真14. (左)梯子を持ち出して来て、アンテナの設置を手伝ってくれるホテルの従業員。(中央)SV8/GW0RTA/Pを運用する筆者と、(右)そのQSLカード。

1994年 (ドデカニサ諸島 SV5/GW0RTA/P)

JA3AER筆者は、ギリシャ旅行の一環として、ドデカニサ諸島のロードス島(Rhodes Is. IOTA:EU-001)を訪れた時の事を記録していた(写真15及び16)。「夏期休暇で訪れたロードス島では、ホテルが高層ビルでアンテナが上げられず、HFでのQRVは断念しましたが、SV5/GW0RTA/Pで144MHzのレピーターを使ってQSOしたSV5DDS, Mikeさんが、車でホテルへ迎えに来てくれてアイボールQSO。近くの丘から144MHzのモービル局を運用して、クレタ島(SV9)や、イスラエル(4X)のレピーターにアクセスできるところを見せてくれました。その後彼のシャックに案内して頂き、奥様や子ども達とも歓談させて頂きました。(1994年8月記)」


写真15. (左)宿泊したRODOS PALACE HOTEL。(中央)ホテルの部屋でSV5/GW0RTA/Pをセットアップ。(右)SV5/GW0RTA/PのQSLカード。


写真16. (左)車で迎えに来てくれたSV5DDC, Mikeさん。(右)SV5DDCのシャックにて、Mikeさんと筆者。

「あの人は今 (第17回)」JH3OII 中村千代賢氏

世界各地で運用され、現在もJH3OIIでアクティブな中村千代賢氏の1977年のWB1EZI/VE2及び AJ1A(その13)に、1978年のZF2BX及びKP2/WB1EZI(その14)に、1980年のVE2GCO及び KL7/AJ1A(その16)に、1982年のAJ1A/NH2(その21)に、1984年のDX1N(その27)に、その後の1987年は各地を回られ運用されたDU1CLR(その39)に、VK2FFU(その40)に、KL/VE2GCO(その41)に、DL/JH3OIIF/JH3OII/P、及びG0/AJ1A(その43)に、そして更に1991年のFK/JH3OII(その70)に、1993年のBY1BJBY8AA(その79)に掲載させて頂きました。1994年のAJ1A/KH6は近く掲載させて頂く予定です。その中村氏から当時の背景を含め、近況をお知らせ頂きましたので、ここに紹介させて頂きます(写真17)。「カナダの大学でのクラブ局VE2UNでアクティブだった頃からはや40余年、社会人になってからも無線に関係ある仕事ばかりでした。最初はシャープ株式会社で、チューナなどのRF部品やMZ-80コンピュータの企画部門に入りました。その後、家業の繊維産業に移りフィリピンの縫製工場に駐在、DX1NとしてバターンからQRVし、出張先のEUやVKでもオンエアしました。1990年代は無線機メーカーに入り、業務用無線業界で中継局のデモを、中国、アジア、ロシアで実演して回りました。中国は改革が盛んな時期、ロシアはソ連崩壊の直後で、何でもアリの時代でした。その後、日本の航空産業に入り誘導機器に携わりましたが、インマルAntとかGPSを理解するのにアマチュア衛星通信の感覚が役立ちました。そのメーカーで後年、無線センサネットの事業を担う立場となり、GHz帯で周波数拡散(SS)方式の飛びかたや、自動マルチホップ接続の信頼性、などを研究しました。ここでは、取引先のシリコンバレー企業の素早い行動力に随分学ぶところがありました。任された事業部員には基礎的な電気の知識習得のため、営業事務職の人でもアマチュア無線の4級の講習会を受けて従免をとってもらいました。無線センサネットのデバイスの中に、インテル・モートと呼ばれる超小型ユビキタス無線端末があり、それをアマチュア無線の社団局として免許受けたこともありましたHi。現在はある会社で半日勤務していますが、SNSを通じてJANETの皆さんはもとよりVE2UN時代のメンバー達ともアクティブに交流中。職場の横が公立図書館なので、通信や放送の歴史、言語の起源や転換期の顛末などを読んで今更納得しています。各地からJANETにチェックインするのが楽しみで、今までにVE2、KL7、W2、JA3、DU1、KH2からチェックインしたことがありますが、今長女が住んでいるUA3からも、というのが当面の目標です。(2020年6月記)」


写真17. (左)アマチュア無線の社会貢献について指南してもらった、1975年来の友人W8VEH, Vinceと成田空港での再会(2013年)。(右)JH3OII中村千代賢氏の最近のQSLカード。

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次号は 12月15日(火) に公開予定

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