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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その70 南太平洋の島々からも活発な運用 1991年 (7)

JA3AER 荒川泰蔵

南太平洋の島々からも活発な運用

この年、カリブ海での日本人の運用がアクティブであったことは既にお知らせしたが、南太平洋の島々からの日本人の運用もアクティブであった。

先月号の記事について読者から次のようなご指摘を頂きました。「現在では米国FCCライセンスを持たない人は、米国個人局のマルチオペレーターとして運用できない。ゲストオペをすることは米国で許可されているが、その場合は第三者通信の二国間協定を結んでいない外国との交信が禁止されている」という趣旨のものです。現在これらの記事をシリーズで掲載しているのは30年近く前のことであり、米国に限らず当時と現在ではルールの変更もあり得ますので、このシリーズの記事を参考に今後海外で運用される方は、現時点での法規やルールを良く調べて運用して下さい。

1991年 (オーストラリア VK2BEX, VK2GMP)

オーストラリア在住のVK2BEX朝比奈篤行氏は、オーストラリアでVK2BEXの運用についてアンケートを寄せてくれた(写真1)。「シドニーにて試験を受けてライセンスをとりました。CW 10WPM、法規及び工学の筆記で、内容はJAの2アマ位でしょうか。ライセンスは1年毎に更新の必要があります。A$36.-/1年。コンテスト、ラグチュー、DXを楽しんでいます。唯一日本語を話すのが無線なので、主にJAと日本語でラグチューをしています。(1993年12月記)」


写真1. (左)VK2BEX朝比奈篤行氏のQSLカードと、(右)そのDXペディション用のQSLカード。

JA6CBG湊啓氏は、オーストラリアでVK2GMPの運用経験をアンケートで寄せてくれた(写真2及び3)。「XYLの勤務先(福岡県立の高校)に英文専科があり、毎年50名の10日間日本体験と同時期にこちらから20~30名を同様にオーストラリア英会話体験に出している。その中におじい様がハムという留学生がいて遊びに行くことになり、現地のライセンスを準備してくれていた。免許の期間は長いのですが運用は少し(約90局とQSO)です。(1998年9月記)」


写真2. (左)VK2GMP湊啓氏の免許状と、(右)その更新後の免許状。


写真3. (左)VK2GMP湊啓氏のQSLカード。(右)JA6CBG湊啓氏のQSLカード。

1991年 (ニューカレドニア FK/JH3OII, FK/JA9IFF)

JH3OII中村千代賢氏は、ニューカレドニアからFK/JH3OIIで運用したと、手紙で知らせてくれた(写真4及び5)。「東京発なら約8時間、南太平洋のリゾートNew Caledoniaは数年前に日本の映画で"天国に一番近い島"と言われたところです。四国くらいの大きさのフランス領であり、通貨はタヒチと共通のパシフィック・フランで、1FPC=約1.5円(1991年1月現在)です。主要産業は何といってもニッケル鉱で観光はその次になります。数年前に政情不安がありましたが、フランス政府の資金的テコ入れで現在は解決し、リゾート化もかなり進んでいますが、"行きすぎたリゾート化"に至っていない現在が一番良いような気もします。治安は良い方です。公用語はフランス語ですが、オーストラリア人の観光客が多いため英語もかなり通じ、日本語はその次くらいに通じます(レストランでは日本語メニューをおいているところが多い)。無線の免許は最初フランス・パリの郵政省本庁に申請したところ、その申請書はニュ-カレドニア事務所へ回送された旨の返事があり、電波監理は現地で行なっている様子です。


写真4. FK/JH3OII中村千代賢氏へのフランスからの手紙。

現地の電波監理局は旧郵便局のビル、Edouard Glasser通り14番地にあり、観光ビ-チのアンスバタと首都ヌーメアとの中間くらいに位置します。担当官1名とそのアシスタントの女性1名だけの部屋で、アマチュア、マリン無線等扱っている様子。早速いきさつを話すとパリから回付されてきた書類を見て、Temporary Licenceを発給してくれました。申請代は無料でしたので、当初パリに送った申請代の小切手は返してくれましたHi。持って行ったリグは1WのQRP機でアンテナは13年前にZF2BXのペディションに使ったワイヤーダイポール。21MHzをワッチするとJA, W6, LUが割合良く入ります。VKはShort Skipが開けていると強力です。またEUはLong Pathで開けるとJA同様に強力でした。何しろQRPではリポ-ト交換が精一杯でしたが、10Wくらいあると充分なQSOができたのではないかと思います。12月~3月は台風シ-ズンで4月~6月は雨期ですので注意要。また一般的に風は強いようです。電源は240V 50Hzで安定していました。滞在中現地の人に聴いた話では、このカントリーもあと10年以内に独立するのではないかと。"FK"のPrefixが聴けるのもあと何年でしょうか。(1991年1月記)」


写真5. (左)FK/JH3OII中村千代賢氏の免許状と、(右)そのワイヤーダイポール・アンテナ。

JA9IFF中嶋康久氏は、FK/JA9IFFの免許を得て運用した時の様子をアンケートで知らせてくれた(写真6)。「休暇を利用してニューカレドニアに旅行した。この時、JAの免許でTemporaryに免許をもらえることを現地のFK局に聞いていたので、事前に手紙にて問い合わせをしたところ「直接FKに来た時にPTTまで来るように」との返事だったので、ヌーメア到着後PTTに行った。PTTのある所は、ヌーメアの中心地から離れた所であったので、タクシーで行ったら500CPF。その場でパスポートと日本の免許のコピーから写真のようなライセンスを発行してくれた。運用はホテルのベランダに仮設したホイップ・アンテナを使用し、All Asian DX ContestのCW部門に参加。28MHz, CWのみの運用で、約75局のJAとQSO出来た。コンテストの結果は、FKの28MHzでトップでした。(1993年1月記)」


写真6. (左)FK/JA9IFF中嶋康久氏の免許状と、(右)中嶋康久氏の近影(中央)、左側は筆者、
右側は7M1HDU大泉早智子さん、後ろはJA1FNO須之内健史氏(2018年@東京ハムフェアー)。

1991年 (バヌアツ YJ0AIG)

JA3IG葭谷祐治氏は、バヌアツのHotel Le LagonからYJ0AIGでCWとSSBを運用し、約1,300局とQSOしたと、アンケートで一言寄せてくれた(写真7)。「YJ (バヌアツ共和国)には永住したいぐらいFB。(1992年1月記)」


写真7. YJ0AIG葭谷祐治氏の免許状。

1991年 (フィジー 3D2IS, 3D2KS)

7K1KLU斎藤誠一郎、JH1MVB斎藤久美子ご夫妻から、フィジーで3D2IS3D2KSの免許を得て運用した経験を、CQ誌編集部を通じてアンケートで寄せてくれた(写真8~10)。「免許の取得:現地局の3D2AGからのInfoと、JARL国際課の青木氏より頂いた各国の申請用紙を参考に申請用紙一式を、Fiji政府係官3D2JO氏の許に送付し、およそ2週間後に免許状が日本宛送付されて来ました。申請用紙はFijiが以前英連邦であったことを勘案し、カナダを基本としてみました。尚、Fiji独特の課題?として、1) ポリス クリアランス、2) インポート パーミットがあります。ポリス クリアランスは或る金額を同封送金することで解決しました。インポート パーミットは持ち込み許可と理解すればよいかと思いますが、入国時税関の申告窓口に並ぶだけに大事な課題でしょう。私も入国時、税関で若干時間がかかりましたが、持って行ったインポート パーミットと、エアーパシフィック航空の日本人スチュアーデスの手助けで無事通関できました。


写真8. (左) 3D2IS斎藤誠一郎氏の免許状と、(右)その設備の輸入許可証。

運用中のトピックス:コンディションの好転と日本の皆様のおかげで、21MHz, SSBにて1,000局を越え、その他24, 18MHz, SSBで若干交信することが出来、ミニミニ ペディションの楽しみを味わせて頂きました。珍カントリーではないとはいえ、日本局の行儀の良さには驚きました。一寸ヨーロッパを呼ばせて下さいとお願いしますと、チャンネルはオープンし、それでは日本局どうぞで、またワッと呼んでくる、本当に驚きでした。さて、失敗談。Fiji初日、IC-726にCWでアンテナを調整しようとしても出力なし。これはどうしたものか。目の前真っ暗。チェック、チェック。結局ジャンク箱から持ってきたエレキーを本体CWプラグに結ぶミニジャックと標準ジャックの変換ケーブルが、ラジカセ等接続の抵抗入りケ-ブルであることが判明。半田ゴテを持って来ていないし・・・結局予備の同軸ケーブルを切断して線を調達し、内部抵抗をショートさせてOK。持参品は、念には念を入れて。プラグの変換ケーブル1本で泣くはめになるところでした。また2日目には2エレHB9CVを組み立て、順調に日本とも交信出来るようになりました。ところが19日、3D2AG氏がホテルに遊びに来ている頃からおかしくなりました。時々SWRが跳ね上がり、電波が中断するようです。日本とはオープンしているし、迷いました。AG氏もアンテナじゃないかと言うし、また交信相手の局からも指摘されたりして、中断してチェックすることにしました。結末はHB9CVの給電部1ケ所のビス締め不完全でした。エレメントへ2本のヒモを結ぶヒモテーターで回転させていたので、早めに障害が出たのでしょう。ビス・ナット1ケ所をしめて完調。


写真9. (左)3D2ISを運用したホテル、中央にアンテナが見える。(右)3D2ISと3D2KSのQSLカード。

ロ-カル ハムの近況: 1) 3D2AG : 1990年12月にコンタクトした3D2AG氏とは、以後幾度か手紙のやりとりをしながらの、今回のFiji行きとなりました。彼がホテルに来たり、私達が彼の家を訪問するなど、アイボ-ルQSOを楽しみました。彼は1991年夏ロツマよりQRVしましたが、ロツマはAC電源がなく、ソーラー バッテリーを使ってのオンエアーには驚きました。次回はロツマなどいかがと話がありましたが? 尚、2エレHB9CVは3D2AG氏の許に置いてきました。2) 3D2JO : CQ誌1991年6月号に掲載されていますが, 太平洋地域のアマチュア無線管理者研修に来日しています。当然、彼は日本の郵政省に相当する官庁の担当官です。私の今回の免許申請も、彼を窓口としてなされました。QSLカードにあるリニアーは、コンディションの好転に助けられ使うことがありませんでしたが、3D2JO氏に青少年の為に使って下さいと置いてきました。


写真10. (左)3D2AG, Antoine。(右)Antoineを囲んで斎藤ご夫妻。

3D2KS (XYL)談:主人と同じくJA8生まれで、小さい頃から南の島・南十字星などという言葉には、異常反応を示す憧れを持っていた。一番季節のよい時期ということだが、クーラーを一度も入れることもなく、道を歩いていても乾いた風が吹いて気持ちの良いことは6月の札幌の街を歩いているよう。どの木もどの草にも温室咲きでしか見たことのない花をつけ、花の島といった風情でもう少しすると花盛りになるとか。主人はこれ以上どの木が花を付けるのだろうと言う。同感。プルメリアとココナツの匂いをまぜた風が、絶えず吹いていた。道で出会う子供たちの人なつっこく美しい目。出会った人は、家へ寄らないかと声を掛けてくれる。木の花を眺めていると、欲しいか?と言って、必ず手折って渡してくれる。木陰で輪になって昼食をしている人達は、食べて行けとすすめる。郵便局への道を尋ね聞いて交差点を渡ると、ポスト オフィスと大声で叫ぶ声。見知らぬ背の高い少年がニヤリと郵便局を指さしている。先刻中国人を日本人と間違えて道を聞いた時、傍らに居たらしい。ポロッと食べ物が落ちアレーと思わず見回すと、アフロヘアーのウエイトレスが、悪い物を見ちゃったわ、笑っちゃいけないけど可笑しいという風で、クスクス。OK、OKとフォローしてくれた笑顔がチャーミング。肌の色が違っても、言葉が通じなくとも、皆同じ心を持っていて、可笑しい事には笑い、困っている人には優しいのだという事、一番の収穫だった。(1992年1月記)」

1991年 (ウォリス・フツナ FW/VK2BEX)

オーストラリア在住のVK2BEX朝比奈篤行氏は、初めてのDXペディションでFW/VK2BEXを運用したとアンケートを寄せてくれた(写真11)。「DXpedi 第1号でした。ZL1AMO, Ronと一緒に行きました。50WのRig + DPで、7日間に3,000 QSOでした。当時、島のジェネレーターに問題があり、1日のうち12時間しかPowerが来ませんでした。(1993年12月記)」


写真11. FW/VK2BEXのQSLカード表と裏。

1991年 (北クック諸島 ZK1XP)

JA1OEM豊福進一氏は、北クック諸島のマニヒキ環礁(Manihiki)から、ZK1XPのコールサインでDXペディションを行ったとアンケートを寄せてくれた(写真12)。「この時期、南のラロトンガより週1便のフライトがあり、これによりQRV出来た。しかし便は非常に不安定で、この時も2週間の予定が、便が無くなるとの事で10日で切り上げた。この後何ヶ月か欠航したとの事である。飛行機は10人乗りの小型機で3時間のフライトであった。マニヒキは数百人の人口の環礁であるが、かなり昔から天然真珠の産出が盛んで村の生活はかなり豊かである。電源は朝晩2~3時間のみの通電(220V)で、その間しかQRV出来なかったが、その時50MHzもオープンし(1回のみ) 80局程QSO出来た。ソーラーが各家にありその電源で何時でもQRV出来ると事前の話であったが、晴天の時が少なかったせいか、ぜんぜん出来なかった。21MHzで770局、他各バンドでサービスした。短期間ではあり、時間的に制約の多いQRVではあったが、私にとって思いで深い素晴しいペディションになった。(1995年2月記)」


写真12. (左)ZK1XPのQSLカード。(右)アンケートを送ってくれた航空便の封筒。

1991年 (モナコ 3A/DJ0MBG)

JE1NWL丸山俊一氏は、ドイツのCEPT免許で1991年5月末から6月にかけて、3A/DJ0MBGでモナコから運用し、18MHzと21MHzのCWとSSBで、約500局とQSOしたとアンケートを寄せてくれた(写真13)。筆者の資料整理で3AをA3に分類してしまっており、EUの掲載時に漏らしていましたので、ここで掲載させて頂きます。「モナコで運用するには、16 Boulevard de Suisseにある管理事務所に届出が必要です。モナコとフランスの間に国境はなくわかりづらい。注意深く歩道を見ていくと、モナコ側はタイル、フランス側はアスファルトで出来ている。QRV出来るところは殆んどなく、ホテルからのQRVも難しい。モービルなら可。(1991年10月記)]」

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次号は 12月2日(月) に公開予定

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