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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その80 バングラデシュでSEANETコンベンションが開かれた年 1993年(2) 「あの人は今 (第5回)JA7HM・DF2CW壱岐邦彦氏」

JA3AER 荒川泰蔵

バングラデシュでSEANETコンベンションが開かれた年

1993年のSEANETコンベンションは初めてバングラデシュで開かれ、記念局S21SEAが運用されました(写真1)。これに参加された日本人ハムはその運用以外にも、この機会に個人局の免許を得て運用されたそうです。今回はそのバングラデシュでの運用から紹介します。尚、今月の「あの人は今 (第5回)」は、JA7HM・DF2CW壱岐邦彦氏の紹介です。


写真1. (左)S21SEAのQSLカード。(右)ダッカで開かれたSEANETコンベンションの演台で挨拶するBARLの会長、S21A, Saif D. Shahid氏(QRZ.comより)。

1993年 (バングラデシュ S21ZN, S21ZO, S21ZX, S21YB, S21YC)

JA8OW谷本健一氏は1993年5月に、バングラデシュでS21ZNの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真2及び3)。「固定局のアマチュア局、CWとPHONEが許可になっています。どんなアンテナでも許可になり、アマチュアバンド全てがOKとなっています。但し、第3地域のリミットをきちんと知らないとだめですね。時間も常時となっています。料金は銀行へ行って払うとか、許可料金とコールサイン料金が別々のような変な支払いでした。雨期は雷がひどく、運用時間が制限されます。突然雷がなって逃げ出すこともあり、電波が急に止まってびっくりした局が多いはず。又雷のノイズばかりではなくパワーラインの絶縁が悪くてそこからのノイズあるいは程度の良くない電気器具からもノイズがでます。部品、真空管みたいなものが街頭に少し出回っていますが、色々な理由から我々が秋葉原で得たような部品は原則として破壊して海に沈めるのだそうで、トランシーバー又は送信機、受信機のようなものは輸入するか、低周波用の部品をうまく組み合わせる以外、機械はどうにもなりません。同軸さえないのです。(1994年2月記)」


写真2. (左)担当官からS21ZNの免許状を受け取る谷本健一氏。
(右)BARLの事務所で会長のS21A, Saif D. Shahid氏と歓談する谷本健一氏。


写真3. S21ZN谷本健一氏の免許状の一部分。

JA2KTP山本則一氏は、バングラデシュでのSEANETコンベンションに参加した機会にS21ZOの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真4及び5)。「免許証には日本の様に周波数が細かく記入されておらず、アマチュアバンドのみと言う記述になっていたので、日本での自分の許可範囲をベースに運用しました。ロ-バンドはノイズがひどくてあまり多くの局とのQSOはできませんでした。今回小生はCWのみの運用でしたが、同行のユニセフハムクラブの方々によりSSBの運用もされました。(1993年7月記)」


写真4. (左)担当官からS21ZOの免許状を受け取る山本則一氏。(右)無線室で運用するS21ZO山本則一氏。


写真5. S21ZO山本則一氏の免許状の一部分。

JA4ENL武政款士氏も、バングラデシュでのSEANETコンベンションに参加した機会にS21ZXの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真6)。「Dhakaで開催されたSEANET Conventionに参加する機会に併せて免許の申請を行ないました。この国でのアマチュア無線活動は、東パキスタンから独立直後を除けばごく最近まで禁止されていましたが、度重なる自然災害から国民を守る為、無線活動による救難対策に期待して、近年ようやく正式に許可される様になりました。申請の為の手続きについては地元BARLの協力を得て必要な書類を準備し、約3ケ月前に送付しました。当初はConventionへの参加が主目的であり、又現地に到着しても許可が得られるか不明でしたので、無線運用に必要な最小限のものだけ持参しました。幸いにも1週間の期限付ながら許可を得る事が出来ました。この期限は外国人に対する条件となっており、運用後はLogの写しを提出する事を明記していました。又、今の所3.5MHzは許可されないとの事でした。運用はホテルの屋上にダイポ-ルを設置し、TS-50にて7-28MHzにQRVしました。今回は、昼間は参加者一同とのMeetingに忙しく、主として早朝及び夜中の運用となり、又滞在期間も3日間のみだった為、JAとのQSOは約400局程度にとどまりましたが、再度訪れる機会があれば運用時間等工夫してみたいと思っています。(1994年7月記)」


写真6. (左)S21ZX武政款士氏の免許状の一部分と、(右)そのQSLカード。

JH8XIX原田重美、JH8XIZ原田栄子ご夫妻は、ユニセフHAMクラブのメンバーとバングラデシュを訪れ、それぞれS21YBS21YCの免許を得て運用した経験をアンケートで寄せてくれた(写真7~10)。「ユニセフHAMクラブ(代表JA8ATG原恒夫氏)とともにユニセフ活動の一環として参加。免許は個人コールで申請したので、それぞれの個人コールで運用した。どの時間帯もパイル状況が続き感動した。日本人学校を訪れ交流もした。同行した皆さん方の技術的レベルの高さには驚かされました。アンテナなども自分たちで計算しながら長さを測り組み立てて行きました。モールスの方達は華麗なるキーさばきです。左手でキーをさばき、右手でメモをしていきます。1分間に5~6局をこなしていたのではないかと思います。夫と私はSSBのみでオンエアしましたが他の方達を見て納得したことは大きな声を出す必要の無いことです。張り切って力みすぎるとすぐ喉を痛めます。慣れた方達は囁くような声でマイクに向かっていました。これは今も役に立っています。地方に記念局が廻ってきてオペレーターを頼まれた時、声のトーンを落とし囁くような声に変えます。(1995年2月記)」


写真7. (左)BARLの会長、S21A, Saif D. Shahid氏とS21YC原田栄子氏。
(右)Saif D. Shahid氏(前列右側)を囲んで日本ユニセフハムクラブの皆さん。


写真8. S21YB, S21YC原田ご夫妻のQSLカードの表と裏(9N1XI, 9N1IZも兼ねている)。


写真9. (左)S21YB原田重美氏の免許状の一部分。(右) S21YC原田栄子氏の免許状の一部分。


写真10. S21と9N1で運用したユニセフハムクラブの皆さんの共通QSLカードの表と裏。運用が1993年12月から1994年1月にかけて行われたので、このQSLカードは1994年となっていて、参加者の個人コールサインが裏面に印刷されている。

1993年 (ネパール 9N1XI, 9N1IZ)

JH8XIX原田重美、JH8XIZ原田栄子ご夫妻は、ユニセフハムクラブのメンバーとネパールを訪れ、それぞれ9N1XI9N1IZの免許を得て運用した経験をアンケートで寄せてくれた(写真11~15)。「ユニセフHAMクラブ(代表JA8ATG原恒夫氏)とともにユニセフ活動の一環として参加。免許は個人コールで申請したので、それぞれの個人コールで運用しました。どの時間帯もパイル状況が続き感動しました。また期間中に、支援している学校を訪れ学用品のプレゼントや寄付金等を贈呈しました。(2015年1月記)」そして、その後もネパールへのユニセフハムクラブ・スタディツアーが続いたと、1994年から2004年までのご夫妻が参加された時の写真やQSLカードにメモを添えて同時に送ってくれたので、ここで合わせて紹介します。「1994年12月23日から、1995年1月8日までのユニセフハムクラブ・スタディツアーはバングラデシュへ9人、ネパールへ19人と今までの最高の人数でした。」と写真とQSLカードを送ってくれた。また、「1998年1月3日から15日までのユニセフハムクラブ・スタディツアーは、ネパールへ8人だったが、コンディションが悪く特記事項は無いが、ユニセフよりお揃いのジャンバーが支給された。」と、それを着ての記念写真を送ってくれた。そして「2004年12月4日からのユニセフハムクラブ・スタディツアーは7人でしたが、この年は国内情勢が不安定な上、無線に関しても条件が良くありませんでした。バンド毎に料金が必要と言う事であり、皆で相談した上で、クラブコール9N7YDYにしました。」と記念写真とQSLカードを送ってくれた。


写真11. (左)9N1XI原田重美氏の免許状。(右)9N1IZ原田栄子氏の免許状。


写真12. 9N1での運用に参加した皆さんの共用QSLカードの表と裏(1995年)。


写真13. (左)9N1での運用に参加した皆さん(1995年)。(右)9N1での運用に参加した皆さん(1998年)。


写真14. (左)9N7YDYの運用に参加した皆さんと、(右)ネパールの学校を訪問された時の記念写真(2004年)。


写真15. 9N7YDYのQSLカードの表と裏(2004年)。

1993年 (トルコ TA2ZB, TA2ZZ, TA2/JA3IG)

JA3UB三好二郎氏は、トルコでの免許を得ての運用を、アンケートで知らせてくれた(写真16~18)。「既にご承知の通り、トルコにおいて外国人にもアマチュア局の許可がなされるようになりました。原則としてビジターにはTA1/JA3UBのごとくコールサインが付与され、在住者にはサフィックスのトップレターが"Z"で始まるTA2ZBのようにコールサインが割り当てられます。小生の場合はTA2H(電波管理局次長)等の特別の計らいで日本人として初めてライセンスを付与されTA2ZBとなりました。電波管理局にはTA2TGMというクラブ局があり留学生や設備を持たない人達が運用できるようになっていましたが、勿論ペディションスタイルの押しかけビジターは歓迎されません。今回は特にQRVの少ない18MHzを中心にやりましたが、当地でのローカルQSOはもっぱら144MHzで行われており、レピーターもあります。制度はドイツとよく似ています。クラスC局のコールレターはTA2CAS, TA2CHAのごとくサフィックスのトップが"C"で始まります。(1993年6月記)」


写真16. (左)TA2ZBを運用する三好二郎氏。(右)電波管理局のクラブ局TA2TGMにて、前列左側がTA2ZB三好氏、後列左端がTA2/JA3IG葭谷氏、右端がTA2ZZ松長氏。


写真17. TA2ZB三好二郎氏のQSLカード表と裏。


写真18. (左)TA2ZB三好二郎氏への免許発給状と、(右)その免許状。

JM1BDB松長昭氏は、トルコでの免許を得ての運用を、アンケートで知らせてくれた(写真19及び20)。「トルコに来るまで当地でハムが出来るとは全然思っていなかったので、免許を申請しておりませんでしたが、たまたまトルコの電波管理局長代理と面談する機会があり、その際外国人にもハムの門戸を開いていることを知り、それから免許の申請をしました。TA2ZBのコールを取得しましたが(後にTA2ZZに変更)、TA2はアンカラ地区のプリフィックスで"Z"は外国人を示すそうです。手続きは簡単で、日本の2アマの従免の英文証明と局免の英文証明にそれぞれトルコ語訳を添付し、申請書を書いて提出しました。それから2週間程で免許の交付を受けました。トルコ語訳は必要ないのですが、当地の事務処理を迅速にしてもらうために添付しました。係官は私がトルコでアマチュア免許の交付を受けた最初の日本人であろうと言っていました。(1993年2月記)」


写真19. (左)TA2ZZ松長昭氏のQSLカードと、(右)松長氏から送られてきたトルコの絵葉書。


写真20. (左)トルコの免許申請用紙。(右)TA2ZZ松長昭氏の免許状(最初に免許された免許状でTA2ZBと記されていて、発行日は2月12日である)。

JA3IG葭谷祐治氏は、トルコでの免許を得ての運用を、アンケートで知らせてくれた(写真21及び22)。「アンカラからTA2/JA3IGで、14, 21, 28MHzのA1, A3Jを運用、約1,000局とQSO出来た。TA2よりのWARCバンドのQRVは、ヨーロッパの局にとっては珍しいカントリーだそうです。免許取得は、ある筋が代行してくれました。今後JA局が申請しても取得出来るかどうかわかりません。多分難しいでしょう。(1993年9月記)」尚、同時期にJA4HCK馬場秀雄氏も、松永昭氏のお世話でTA2/JA4HCKの免許を得たが、都合で行けなかったそうです。因みに松長昭氏のTA2ZZのQSLカードには“QSL MGR JA4HCK”とあり、馬場秀雄氏がQSLマネジャーを引き受けておられたようです。


写真21. (左)TA2/JA3IGを運用する葭谷祐治氏と、(右)そのQSLカード。


写真22. (左)TA2/JA3IG葭谷祐治氏の免許状。(右)TA2/JA4HCK馬場秀雄氏の免許状(馬場氏も同行の予定で免許を得たが、事情があり参加出来なかったと知らせてくれた)。

「あの人は今 (第5回)」JA7HM・DF2CW壱岐邦彦氏

JAIG(Japanese Radio-Amateur's In Germany)を主宰する壱岐邦彦氏は、現在ドイツのミュンヘンにお住まいで、DF2CWとしてアクティブです。壱岐氏のDJ0VKとDF2CWの記事は、2013年8月号(その5)に掲載させて頂きました。また壱岐氏は2017年2月号の今月のハムにも紹介されています。その壱岐氏からのアンケートでの近況を紹介させて頂きます。「アマチュア無線を50年以上も運用していますし、また外国で運用していれば、時代の変遷も大きいので多種多様な経験をすることが出来ました。これが荒川さんから原稿の依頼があったときの感慨です。ご存知の様に太陽の活動が低調ですからここ数年、私にはJAとヨーロッパ間のQSOは殆ど出来なくなりました。それでは大型アンテナを上げて送信出力を大きくすればよいとの理屈もありますが、いろいろな条件でそれは不可能に近く、それよりも別のモードに移行した方が得策だとの結論に至りました。最近はソフトの技術も進んで、FT8と呼ばれるモードも無料で提供され、多くのハムは小電力でもワールドワイドにQSOの出来るこれに移行しています。私もそれに追いつけとばかりそれを利用しています。これはローパワーでも比較的よく飛んでくれますので、JAの数局ともQSOが出来ました。現在使っているアンテナは、マグネチックループアンテナです(写真23)。またそのシャックは、FT8モードでは周波数はプログラムが勝手に設定してくれますので、ダイヤルを回す必要が無いので、PCの下の木箱に入れっぱなしにしました。そしてその上にPCとモニターを置き、右手のマウスだけでQSOをしています(写真24)。DXを追いかけることも無くなりましたが、ローパワーでJAとQSOが出来ましたが、LUとQSOが出来たりすると嬉しいものです。このようなデジタルモードに刺激されたこともあり、3年ほど前からRaspberry PiにDVMEGAを抱き合わせてD-STAR用のホットスポット作り、固定とモービル運用を楽しんでいます。写真の様な構成ですが、ハードは市販品の組み合わせです(写真25)。それに慣れないソフトをインストールして動作をすると格別な感激を味わうことが出来ました。それがまたモービルでJAの方々ともQSOが出来て、時代が変わったハムの醍醐味でした。毎週行われている短波によるJAIG-NETには参加が出来ませんが、このモードでのJAIG-NETも始まり、日本語で話が出来るのはこの時とばかりに出来るだけ毎週参加しています。80の齢を過ぎると、手作りセットもままならず、比較的容易にできるパソコンとソフトによるハムの生活が良くなるのは当然の流れでしょうか。この実際的なアマチュア無線運用の他に、私とXYLがお世話をしている、毎年ドイツ各地で開催されているJAIGグループの年次大会は今年(2019年)で35回目となりました。その間3回日本でも開催しました。その準備にはかなりの時間を取られます。しかしこの機会にアイボールが出来ることもさることながら、地域クラブのハムたちとの交流もあって、その意義も増しています。これからも健康が許す限りこのような形でのアマチュア無線を楽しみ、またメンバーとの再会、或いは新しいハムとの交流を深めたいと思っています。 (2019年6月記)」


写真23. DF2CW壱岐邦彦氏が使用しているマグネチックループアンテナ。


写真24. FT8の運用がしやすいように整理された、DF2CW壱岐邦彦氏のシャック。


写真25. Raspberry PiにDVMEGAを抱き合わせた、DF2CW壱岐邦彦氏のD-STAR用のホットスポット。

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