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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その46 南太平洋での活発な運用が今に続く 1988年 (2)

JA3AER 荒川泰蔵

南太平洋での活発な運用が今に続く

1980年代後半から90年代にかけては、KC6の地域が独立してV6やT8に変わる時期であった。この時代この地域で運用された多くの方々からアンケートを頂いたが、今回紹介するミクロネシア連邦は今も魅力的な地域なのか、今年(2017年)の春にV6へのDXペディションを計画しているJP3AYQ眞田真由美氏からメールを頂いた。「(一部抜粋)ミクロネシアの離島(Mwokil Island - IOTA OC-226)への旅を計画し、V63GJ(JA3FGJ)、V63SS(JJ3CIG)、V63YL(JP3AYQ)の3名で、クラブコールV6Jの免許を取得しました。私の趣味はスキューバダイビングで、南国の島は大好きです。去年はV7マーシャル諸島のマジュロ島へ、ダイビング兼無線の旅をしました(写真1)。私はIOTAファンでQSLカードを集めていますが、まだハム歴が浅くミクロネシアの離島とほとんど交信できていません。IOTAでは自らの移動運用もカウントされることから、何年かかけてミクロネシアの離島巡りをしたいと思っています。今回は素敵なコーディネーターさんに出会う事ができ、水や発電機などを現地ポンペイ島で手配して頂けることとなり、今は来春の船のスケジュール待ち状態です。(2016年11月記)」また、更に東方の太平洋の島国からの運用についても、当誌先月号(FBニュース2016年12月号)のテクニカルコーナーに「IC-7300で運用した南太平洋」と題して、JF2MBF市野光信氏がレポートされている。


写真1. (左)V73YLを運用する眞田真由美氏と、(右)そのアンテナ群。(2015年)

1988年 (フィリピン JR1FWR/DU1)

現在、大阪市でJS3UDRとしてアクティブな川名浩氏は、フィリピンからJR1FWR/DU1の免許を得て運用したとレポートを寄せてくれていた。(写真2)。「劇的なアキノ政権誕生となった2月革命の10日前、1986年2月16日にシャープ株式会社の駐在員として当地に赴任。革命の混乱が落ち着いた頃、当地の電波監理局にあたるNATIONAL TELECOMMUNICATIONS COMMISSION (NTC)にアマチュア局開設の可能性につき問い合わせたが、日本とは相互運用協定がないことを理由に無理との回答であったので、そのまま運用を諦めていた。その後、1987年10月に職場の先輩、大西俊夫氏(JH3EXI)に紹介された小林昭夫氏(JA3GLJ)が来比された折、当地のハムを紹介してもらい、さらにそのハムにNTCの役人を紹介してもらうといった人伝てでNTCの局長と会うことが出来、臨時運用許可として日本の免許内容に基づき、フィリピン国内でのアマチュア局の開設を認めるとの回答を得た。申請にあたっては申請書2様式に加え、日本の電監発行の従免と免許状の英文証明書と免許状のコピー、JARLで作成してもらった従免の許可内容説明書、旅券のコピーとGOOD MORAL CERTIFICATE(人物証明のようなもので、当初日本大使館からの発行を要求されたが、日本大使館では過去にそのようなものは発行したことがないと断られたため、勤務先で発行してもらったもので代用した)を提出した。手数料は195ペソ(約1,200円)だった。申請は、先に紹介してもらったNTCの役人を通じて1988年1月におこなったが、この役人がその後退職したり、NTCの局長が海外に長期出張したりで提出した書類が行方不明となり、1988年6月、再度NTCの局長宛に直接書類を持参、今度は1週間で無線局開設の許可証が発行された(写真3)。尚、免許の申請には使用する無線機の機種名とシリアルナンバーを明記する必要があり、また無線機の購入にも(原則として)事前に購入許可証を入手しておく必要がある。購入許可証は簡単な申請によりNTCより発行されるが、海外から持ち込む場合も、この購入許可証を提示しないと通関出来ない場合があるので注意が必要。1988年6月19日より、日本から持参したKENWOODのTS-440Sとオールバンドバーチカルで7~28MHzのSSB/CWにQRVを開始。1st QSOは当地でいろいろ助言を戴いたDU1GFジョージさんとであった。また、コンディションの上昇に伴い50MHzも運用したいが、今回50MHzの機械が手元に無いため免許を得られなかった。次回日本に一時帰国する際トランシーバーを購入し変更(追加)申請をしたいと考えている。さらに、パケット関係の機器も準備し、通信機能付ワープロを接続して連用をしようと計画中。(1988年6月記)」そして、その後50MHzもQRVしたと手紙を頂いた。「(抜粋)その後一時帰国した際に、50MHzのリグMIZUHOのピコ6(MX-6S)と10Wリニア(PL-6S)のキットを購入してQRVを開始しました。コンディションが良かったこともあり、帰国するまでの1年の間に、50MHzでは10Wと20mHのGPで、1,000局以上のJAとQSOができました。(1989年10月記)


写真2. (左)シャックでのJR1FWR/DU1川名浩氏とお嬢さんの由香利ちゃん。
(右)JR1FWR/DU1のQSLカード。


写真3. (左)JR1FWR/DU1川名浩氏の臨時運用許可証と、(右)無線機器の所有許可書。

1988年 (グアム KH2H)

JS6BLS遠藤孝治氏は、KH2Hの免許を得て運用しているとアンケートを寄せてくれた。「1988年2月にKH6のカネオヘにてWのライセンス試験を受け、Mailing AddressをKH2にしていたのでKH2Hのコールを受け取りました。全くノーライセンスからExtraまで2時間あまりで合格することができました。当時Wのライセンスはまだ日本で試験をやっておらず、今はとてもFBです。KH2は日本からも安いパッケージツアーがかなりあり、時々行ってはDX Vacationを楽しんでおります。でも現地のKH2D, Jimが、日本人がKH2のExtraのコールをお土産のごとく取っていくと言っていたのが印象的でした(事実KH2の1レターは大部分が日本人です)。Wのライセンスは、その後W本土はもとより、海外ライセンスの取得に役立っているのは皆さん承知のとおりです。(1994年1月記)」

1988年 (パラオ共和国 JA9AG/KC6, KC6WZ, KC6NX)

JA9AG吉井裕氏は、パラオの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた。「GuamのAH2S, KH2Aの協力により、PalauにおいてJA9AG/KC6のコールで運用できるよう依頼しておきました。Palau到着後PNCCのMgr. Mr. Iyongを訪問、JA9AG/KC6とKC6WZの申請書を2枚提出、JA9AG/KC6については口頭許可、KC6WZについては翌日免許を受けました(写真4)。KH2AはPalau出身でIyong氏とは従兄関係とのこと、Iyong氏は日本語の会話はOKでした。尚、ライセンスのコピーが必要です。ここは日本の真南で良く飛びます。竹竿ぐらいあるだろうと思っていましたが全くなく、Low BandのAnt高さが取れずNGでした。2月でも気温は日本の真夏です。Antの建設で体力が参ってしまいました。7MHz-28MHzで約2,000QSOでした。(1988年3月記)」


写真4. (左)JA9AG/KC6吉井裕氏のQSLカードと、(右)KC6WZ吉井裕氏の免許状。

JH2BNL和田祐司氏は、パラオでKC6NXの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた。「私の初めてのQRVは1988年11月でした。この時は1,500QSO (6mは約600QSO)でした。メンバ-はJA1QGG(KC6DA, ex.KC6SW)、JI2UAY(KC6MZ)と私の3人で、JA1QGGさんの紹介でNikko Palau Hotel からのQRVでした(写真5の左)。ライセンス関係は全て私が行ないました。この時はPNCCが全てライセンスを発行していました(写真6)

2回目は1989年9月で、JH1NBN(KC6YU)、JI2UAY(KC6MZ)と私の3人で, 同じくNikko Palau HotelからQRVしました(写真5の右)。QSOは2,000QSO, 内6mは350QSOでした。今回はJAでもWARCが解禁されましたので、事前にWARCバンドのQRVをPNCCにお願いしたところ1.9, 10, 18, 24MHzは許可しないと手紙をもらいました(コデップ氏がPNCCのゼネラルマネジャ-をしているときは、口頭の許可がでたことがある)。そのため以前から連絡を密にしていた、元PNCCのゼネラルマネジャ-(彼は1988年12月にリタイアしました)コデップ氏に連絡をし、是非許可をして下さるようにお願いしました。パラオに入国後、ライセンス関係がPNCCから政府機関に変更されたことを、コデップ氏から聞きました。そこでFCC, JAの資料を政府に見せて、特別にWARCを許可されました(写真7)。すべてコデップ氏のおかげです。18, 24MHzのパラオからの1st QRVができました。彼(KC6KR/コデップ R. ヨング)は、1990年5月9日7時に脳卒中の為亡くなりました。心からお悔やみを申します。(1990年6月記)」


写真5. (左)KC6NX和田祐司氏達のQSLカード。
(右)2回目で、KC6とV6を兼ねた和田祐司氏達のQSLカード(1989年)。


写真6. (左)KC6NX和田祐司氏の免許状。(中)KC6NX和田祐司氏の2回目の免許状。
(右)後に発行元とコールサインが変わったKC6DX和田祐司氏の免許状(1990年)。


写真7. KC6NX和田祐司氏達の、特別にWARCバンドの運用を許可された書類。

1988年 (ミクロネシア連邦 KC6TM、KC6SI)

JA7AB三浦恒裕氏は、JA7HMZ井川昌二氏、JH7IOS齋藤雅幸氏と共にKC6TM, KC6SIの運用についてアンケートを寄せてくれた(写真8)。「私達(JA7AB, JA7HMZ, JH7IOS)が行った1988年4月25日時点では、外国人には免許を与えられないと言っておりました(写真9)が、私達には、大統領の特別な計らいでOKとなりました(写真10)。現地は電源事情が悪く停電がしばしばあります。又、政府の許可証または手紙のコピーがないと空港の税関がうるさいので持参すると良いでしょう。現地のハムとしてKC6JCキヤブ神父、KC6IN西村氏、ex.KC6CW秋永氏がおられます。3人はそれぞれの分野で高い地位についておられますので、礼儀正しく失礼のない様、お付き合いをお願いします。南の島ですが年間6,000mmの雨が降る緑が濃い温暖な地です。11~5月は雨期で気温は摂氏25~30度、6~10月は乾期で気温は摂氏30~35度ですが、貿易風が強くアンテナの建設には苦労するかも知れません。現地の方々は親日的です。ホテルは4~5軒ありますが、前もってハムをやる事を連絡しOKをもらう事が必要です。ブーゲンビリアなどの花が年中咲き乱れているFBな所です。交通の便が悪く、グアム島で乗り換え、トラック経由でポナペ迄のローカルラインは常に満員ですので要注意です。日本の昭和30年代の感じの町ですが、物価も安く住みやすい土地です。但し、観光的な資源の少ない地でもあります。(1989年2月記)」


写真8. JA7AB三浦恒裕氏、JA7HMZ井川昌二氏、JH7IOS齋藤雅幸氏が、KC6TM, KC6SIを運用したことを伝えるCQ ham radio誌1988年8月号の記事の一部。


写真9. (左)JA7AB三浦恒裕氏の免許申請書と、(右)それを却下されたレター。


写真10. 大統領の計らいで特別に許可された、KC6TM三浦恒裕氏の免許書類。

JH7IOS齋藤雅幸氏は、JA7AB三浦恒裕氏に同行され、KC6TM, KC6SIをゲストオペされたようで、次のようなアンケートを頂いた(写真8)。「免許の発給されたいきさつは、JA7AB氏にお尋ね致されたいが、小生の参加決定が遅れたのと、外国人への免許の発給については特別のことがない限り発給できない旨の知らせがありました。しかしながら、運よく現地に行ってから特別な計らいでJA7AB, JA7HMZ氏には許可されましたが、小生の書類は政府に届いておらず、同時に運用しても宜しい旨の口頭での許可と、次回運用時にはすみやかに免許の発給をしてくれるとの約束をして来ました。正式な書類に私の免許コピーその他を添付して残すという方法です。(1989年1月記)」

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