2016年1月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
1985年 (ドイツ DD5EF, DJ0KE, DK0FN, DK0IFA, DL/9V1WE, DL/JH2BCR, DL/JA6EGL)
JA9IFF中嶋康久氏はXYLのJQ1NRO中嶋典子氏と共に、それぞれDJ0KEとDD5EFの免許を得たとレポートしてくれた(写真8~11)。「ソニー(株)の駐在員として、Stuttgart郊外のSony Wega Produktions GmbHに赴任したが、西独におけるアマチュア無線免許申請の方法が分からず、免許になるまで赴任より5ヶ月が過ぎてしまった。たまたま、Stuttgart空港の税関と当社にHamが居た(DK2ZCとDF4TL)ことで、Stuttgartの郵政局(Ober Post Direktion)のアマチュア無線免許の担当者を紹介してもらい、申請後2ヶ月にて免許証を発行してもらった。アパートに入居しているため、屋上へのアンテナ設置は非常に困難で、アパートの所有者の承認を得なければならない。ベランダ、バルコニーへの設置は可能であるため、AO-10の運用を開始した。DARCの地域クラブに入会するため、近くのハムショップのご主人から現住所に近いDRAC OV Esslingen (DOK P02)の人を紹介してもらい手続きを行った。登録料は15DM、年会費80DM。QSLカードはCQ-DLに出ていたQSLカードを印刷してくれる会社に手紙でサンプルを送ってもらい、当方の希望するデザインで製作。(1985年7月記)」
写真8. (左)DJ0KE中嶋康久氏。(右)DJ0KE中嶋康久氏とDD5EF中嶋典子氏のQSLカード。
写真9. DJ0KE中嶋康久氏が翻訳/解説したドイツのアマチュア無線局申請書。
(クリックで拡大します)
写真10. DJ0KE中嶋康久氏の免許状。(クリックで拡大します)
写真11. DD5EF中嶋典子氏の免許状。(クリックで拡大します)
また、JA9IFF中嶋康久氏はDJ0KEの免許を利用してイベント会場の特別局を運用したと、2つのレポートを寄せてくれた。「'85 Ham Radio Friedrichshafenの会場の特別局DK0FNで、6月30日に14MHz, SSBで運用した。当日、DK0FNのシャックに行き、DJ0KEのライセンスを見せて運用させてもらった(写真12)。あらかじめ、運用のための時間予約がされているため、早めに申し込むと良いようだ。会場のDeutsche Bundes Postのコーナーでは、短期免許の手続きもやってもらえる。例えばDL/JA9IFFのような免許をもらえる。(1985年10月記)」「Internationale Funkausstellung '85 (通称Berlin Show)のHalle 8に設置されている特別局DK0IFAを、管理しているOVの人にDJ0KEのライセンスを見せて運用させてもらった。(1985年10月記)」
写真12. (左) DK0FNを運用するJA9IFF中嶋康久氏と、(右) そのQSLカード。
JH1FNS太田正俊氏は、「DF2CW壱岐氏に免許申請を依頼し、DL/9V1WEのコールサインで3ヶ月の免許を取得。おそらくシンガポールの免許では、初めてのものと思います。(1985年6月記)」と、アンケートと共にQSLカードと免許状のコピーを送ってくれた(写真13)。
写真13. (左) DL/9V1WE太田政俊氏のQSLカードと、(右)その免許状。
JA6EGL三宅正司氏はドイツを旅行し、DL/JA6EGLで運用したとレポートしてくれた(写真14)。「1985年4月30日福岡を出発、KALにてソウル経由フランクフルト入りして、ルフトハンザに乗り換えハンブルグのDJ1XWの所に2晩宿泊、DC0TM(DJ1XWの娘婿)の所に1晩。その後西ドイツ内のペンションやホテルに宿泊して2mレピーター経由で沢山の局とQSOしました。DJ1XWの所からは14MHzにon the airしました。DJ1XW, Karl Heidenreichとは20年来のハム仲間です。(1985年10月記)」
写真14. (左)DJ1XW, Karl HeidenreichのシャックにてDL/JA6EGL三宅正司氏(左側)。 (右)DL/JA6EGL三宅正司氏の免許状。
JH2BCR鶴見一哲氏は、ドイツでDL/JH2BCRの免許を取得して運用した経験をアンケートで寄せてくれた。「出張先で知り合った会社のハムに、短期免許の入手方法を調べてもらい、持参したJAの従事者免許証、無線局免許状(日本文)をコピー、申請用紙に記入して郵送、手数料はたしか15DMくらいだったと思います。運用は会社のクラブ局DL0SIより10局ほどの交信をしたのみ、リグは3エレ八木とKenwood 599、自作リニアでした。(1992年4月記)」
1985年 (オーストリア OE1XFB/DD5EF, OE1XFB/DJ0KE)
JA9IFF中嶋康久氏はXYLのJQ1NRO中嶋典子氏と共に、それぞれOE1XFB/DJ0KEとOE1XFB/DD5EFの免許を得た状況を報告してくれた(写真15)。「Ham Radio '85 (Friedrichshafen)の会場にDeutsche Bundes Postのコ-ナ-があり、ここにOVSVより1名出張者が来ていて、OEでの短期免許の手続きをしていた。(1985年10月記)」クラブ局をゲストオペするための短期免許と思われるが、ドイツの免許状を示すだけで日本人にも好意的に発行してくれたようである。
写真15. OE1XFB/DJ0KE中嶋康久氏と、OE1XFB/DD5EF中嶋典子氏の短期免許状。
1985年 (フランス F/JA3BJP)
JA3BJP松田捷彦氏は、フランスでの運用についてレポートしてくれた(写真16)。「日本の従事者免許証及び無線局免許状のコピーを添えた免許申請書(写真17)に、140FFを同封してP.T.T.(郵政省)に申請、3ヶ月ほどしてPolice(公安官?) 2人が身元調査を行った。その3ヶ月後、F/JA3BJPの免許状を送付してきた(写真18)。局の検査などはなかった。F6DNWが色々と助言してくれた。地元のRadio Clubに入会し、そのクラブ局よりHF帯は運用している。2m, FMでも運用しているが、どの周波数を聞いても何も聞こえない日が多い。日本のあの混信ぶりから考えると、何と静かな事でしょうか。しかし日曜日の朝と、朝夕の通勤時は少し(2, 3局が)出ている様です。又、2mレピーターがあるので便利なようです(当局のリグではアクセスできませんが)。住んでいるトゥルーズで、日本女性と結婚しているフランス人のアマチュア無線家(FE6HTP, ex FY7BY)が見つかった。G. Y. Beratといい、彼よりヤエスFT-707とハイゲインのバーチカルアンテナを借り、アパートのベランダに斜めにアンテナ出し、主に14MHz, SSBで運用している。これで結構飛んでくれる。6月14日、JR4SAY井上さんと日本との初めてのQSOに成功した。その時のレポートは53/58であった。こんなアンテナでも日本まで飛んでくれると思うと嬉しくなり。その後よく日本の局を探しているが、日本からはよく飛んでくるが、ヨーロッパの他の局にとられてしまい、当局とはなかなか交信できない。7月初め、イギリスに行く機会があり、G0CEO太田さんとアイボールQSOをした。スケジュールを組んだが、残念ながら今のところQSOできていない。(1986年7月記)」
写真16. (左) F/JA3BJP松田捷彦氏と、(右)そのQSLカード。
写真17. F/JA3BJP松田捷彦氏の免許申請書。(クリックで拡大します)
写真18. F/JA3BJP松田捷彦氏の免許状
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ