2016年2月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
1986年 (ネパール 9N1MC, 9N5HCK)
故JH3GAH後藤太栄氏は、ネパールで9N1MCの設置に係わったとして、次のようなレポートを寄せてくれていた(写真11及び12)。「HS0C(ユニセフペディション局)を運用後、S2, 9Nの免許発給の陳情に出向いた際、折よく丁度ネパール電監内にクラブ局を設置しようという計画があった。アンテナ建設等を手伝い、最初のゲストオペレーションという光栄にあずかった。カトマンズ市内の官庁街にあるため電源事情はよくほとんど停電しないが、シャックがオフィス内にあるため、通信省が開館している時間帯で、なおかつ仕事に支障を与えない時間のみのQRVとなる。(1987年5月記)」
写真11. (左)9N1MCを運用するJH3GAH後藤太栄氏と通信省の係官Krishna B. Khatry氏。
(右)9N1MCのQSLカード。JH3GAH後藤太栄氏がQSLマネジャーになっている。
写真12 (左)9N1MCの免許状と、(右)それを紹介するするレターの一部。(クリックで拡大します)
JA4HCK馬場秀雄氏は、ネパールで9N5HCKの免許を得た時の事情を、次の通りレポートしてくれた(写真13及び14)。「ユニセフ・タイDXペディションの後、有志メンバー6人で、バングラデシュ、ネパールへ行くことになり、ネパールでの免許発給の交渉を色々なルートでしておいた方が良いと云う事になりました。私はボーイスカウトの指導者をしていますので、ネパール・スカウト事務局へ、日本スカウトハムクラブ(JA1YSS)から免許の手配の手紙を出しておきました。そしてボーイスカウト日本連盟より公式の国際紹介状を発行してもらいネパールに向かいました。ネパール・スカウト事務所へ行くと、事務局長から免許の手配が出来ているので、すぐ通信省へ行きなさいと云われ、事務職員の案内で通信省へ行きました。通信省ではチーフエンジニアのカトレーさんに紹介され、パスポートと日本の免許状の提示を求められました。カトレーさんの話によると、今回は最初のケースなので、何とか成功させたいから充分注意して運用してほしいとの事。日本語使用禁止、本人確認の為PHONEのみでCWは禁止(免許状にCWも記載されているが、これは9M1MMの免許を基にして作成したもので、今回は使用してはならない)、ローバンドは軍事的な意味でスポットなら良いが、今回はこれも使用してはならない等々でした。6人で来ているので、2nd OPで皆運用させてほしいとお願いしたが、上記のような訳で、一人で慎重にやりなさいとの事でした。早速、発給された免許関係書類を持って空港税関へ行き、ユニセフハムクラブが持ってきたRIGの持ち込み許可を得て、スカウトハウスにセットし運用を始めました。カトレーさんは時々無線局に来られましたが、2, 3日して運用時間を教えてほしいと云われました。コンディションの関係でなんとも云えないと云いましたら、何とか時間を設定してほしいとのこと、どうも彼はずっと私の運用をモニターしていたようです。夜中は大変なのでしょう。結局、現地時間の10:00am~03:00pmに運用と云うことにしました。リグはIC-730、アンテナはTA-33Jrで、平屋の研修棟の上にセットしました。地上高約10mでした。(1987年6月記)」
写真13. 9N5HCKを運用するJA4HCK馬場秀雄氏。
写真14. 9N5HCK馬場秀雄氏の免許状。(クリックで拡大します)
また、この時のことを、故JH3GAH後藤太栄氏は次のようにレポートしてくれていた。「1986年7月29日から8月4日まで9N5HCKが免許になっている。これはボーイスカウト日本連盟を通してネパール王室に申請して得た免許である。この局は日本で開局中の8J7BSJ(日本ジャンボリー特別局)とQSOする目的で免許された。当初クラブ局として免許される様お願いしていたが、個人局として免許したいとのネパール当局の意向で、同行のJA4HCK馬場秀雄氏への免許ということでQRVした。この局はカトマンズ市内のネパールボーイスカウト事務局内に設置したので、24時間QRVが可能であった。JH3GAH, JA8RUZが2nd Op.でQRVした。またこの時は9N1MC, 9N1MM, 9N5HCKの3局が同時に運用した。9N5HCKに対する免許の条件は厳しく、14, 21, 28 MHzのPhoneのみで、日本語及びCWは禁止された(英語とネパール語のみOK)。今後、9N1のプリフィックスは同国人に、9N5は外国人への一時免許で使われる予定である。(1987年5月記)」
1986年 (オマーン A4XZM, A4XXA)
JR1CHX黒岩大輔氏はオマーンでのA4XZM免許取得の報告と共に、現地の状況を詳しくレポートしてくれた(写真15及び16)。
「(免許の取り方) 1. 誠に残念ながら添付NOTICE(写真17の左)の通り、6月20日以降、外国人に対する免許の発行が停止されました。その理由(他にもあるかも知れませんが)からして、当面再開は困難と考えられます。そのため、当局が最初で最後の日本人オペレーターとなりそうな状況です。 2. 当局が当国の個人免許を取得した際の経緯は、下記のとおりです。
* 日本での免許証、並びに免許状(コールサイン)を基にして発行されます。 但し、第2級アマ以上の資格が必要となります。 * 当人が免許人として適当かどうかを見るための面接試験があります。 * 申請時点で16才以上、又6ケ月以上当地に居住している事が条件(短期滞在者への免許は可能であったようですが、詳細については不明)。 l) まずROARS(Royal Omani Amateur Radio Society)のSecretary宛てにROARSのメンバー加入、並びに当国での免許を受けたい旨の手紙を出す事から始まります。それに対し、メンバー規約、ライセンス発行に関する概要説明書が送付きれます(写真17の右)。更にそれに対し、手続きを取進めたい旨の手紙を出します。 2) ROARS加入・免許申請様式(写真18の左)に下記を添付して提出します。 * 写真6枚。 * 無線従事者免許証のコピー。 * 免許証の翻訳証明(電監発行の英文証明に外務省認証を得た上、在日オマーン大使館認証を受けたもの)。 * JARL加入証明(英文)。 3) 書類審査にパスした後、Chairman of ROARSとの面接が行われる(写真18の右)。それにパスすると合格通知(写真19の左)が送付され、その後ROARS会員証、並びに局免許(1年毎更新)がROARSにて手渡される(写真19の右)。以上の通りですが、ROARS役員はボランティアで専任ではないし(Secretaryは週に1回程度、Chairmanは月に1回来るかどうかhi)、勿論小生も多忙にて上記手続きは合計約9ケ月掛かっています。
写真15. (左)A4XZM黒岩大輔氏と、(右)A4XZM局のアンテナ。
写真16. (左)A4XZM黒岩大輔氏の免許状の一部と、(右)A4XZMのQSLカード。
写真17. (左)外国人に免許の発行を停止する旨記された1986年6月20日付ROARSのアナウンスメント。
(右)A4XZM黒岩大輔氏に送られてきたROARSのメンバー規約や免許の案内書の一部。(クリックで拡大します)
写真18. (左)ROARS入会申請・免許申請の様式。
(右)A4XZM黒岩大輔氏のROARS会長による面接書類。(クリックで拡大します)
写真19. (左)A4XZM黒岩大輔氏への合格通知書と、
(右)免許状の表紙。免許状は7ページもあり、更に更新の記録欄が付属している。(クリックで拡大します)
(運用その他) 1. 免許内容: 1.81 - 1.85MHz, 出力150W, A1, A3, A3J, F1, 3.50 - 3.80MHz, 7.00 - 7.10MHz, 14.00 - 14.35MHz, 21.00 - 21.45MHz, 28.00 - 29.70MHz, 144.00 - 146.00MHz, F3。 2. 無線機器の調達: * 店からの購入。ケンウッド・八重洲の代理店1軒のみ。購人前にROARSの承認が必要、又購入に際しては免許状のコピーを店に提出義務あり(これは不法購入防止の面では、それなりの方策)。 * ハム間の譲渡・売買。これもROARSの事前承認が必要。 * 国外からの輸入(引越し荷物への混入を含む)無線機器は輸入禁止品目であり、事前にROARS経由輸入許可を得る必要あり。小生は代理店よりTS-930S, HYGAlN EXPLORLAR-14等を購入。 3. 運用・その他: ROARSはトップメンバーに国王を頂き、局数70前後(SWLが40前後)と小規模ながらも非常に活発です。アクティブな局からは日本向けサービスもよく行われており、日本でもそれなりに知られたカントリーと思います。日本・欧州向けには7, 14MHzで良く開けますし、21MHzもそこそこです。今後共宜しくお願い致します。尚、3.5/3.8MHz, 1.8MHzでの運用は、現状アンテナが無い事、又CWでの運用については技量の問題(CWをやっていたのは10年程前)がありご迷惑を掛けていますが御容赦下さい。XYLの顔色を窺いつつ前向きに検討中ですhi。(1986年8月記)」そして、「当地11月27日午後から28日夕方にかけての間、当国Royal Omani Amateur Radio Society (ROARS)の創立14周年を記念して移動運用が行われました(A4XXAというスペシャル・コールが用いられました)。小生も日本向けに開けそうな時間帯をもらって運用に参加しましたが、結局JAとの交信はできませんでした。11月28日にOMAN TV並びに新聞の取材があり、TVニュースの折りには小生もしっかり写っていた旨聞きました。新聞には残念乍ら小生は写って居りませんが、相当のスペースに記事が載りました(写真20)。来年は15周年記念という事で、同じ時期に大々的なイベントが予定されています。 (1986年12月記)」と連絡があり、翌1987年12月にはそのROARS創立15周年の記念切手が発行された(写真21)。
写真20. ROARS創立14周年を記念したA4XXAの移動運用を報じる新聞記事。(クリックで拡大します)
写真21. (左)ROARS創立15周年の記念切手と、(右)その初日カバー(FDC)。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ