Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~
2024年12月16日掲載
皆さんこんにちは、Masacoです♪ 長かった猛暑からいきなり冬になったかと思うと、少し秋を感じるポカポカの日もあり、身体も忙しいですが、いよいよ2024年も残り半月になってしまいました! 皆さんいかがお過ごしでしょうか? 今年はいつもの年にも増して1年が経つのが早く、慌ただしく、時間との追いかけっこだったような気がします。また新年の歌い始めは、大阪からスタートしますよ~♪ お正月もその準備で音楽三昧になりそう! でもそれはそれで嬉しい!!! ちなみに年末の歌合戦のスケジュールも空けてるのになぁ~(笑)
そして、年末恒例となった「2025年Masaco卓上カレンダー」が完成して、私のホームページにある通販コーナーで販売が始まりました! 今年はいつもとちょっと雰囲気を変えて、笑顔は120%、愛情は200%増しでお届けします♪(笑) あ、Masaco通販では1月13日に大阪で行うコンサートのチケットも好評発売中です。2025年、こちらも合わせてカートに入れて下さい~!
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さて、2024年最後の「Masacoのむせんのせかい」は、コンテスト大好き! な人たちが結成した「関西コンテストマニアクラブ(略称: KCM)」のミーティング会場にお邪魔して、クラブとしての活動やメンバーの皆さんのコンテスト愛あふれるお話をたっぷり伺ってきましたよ!!
今回、取材に向かったのは愛知県名古屋市。JR名古屋駅の近くにある貸会議室で、関西コンテストマニアクラブの皆さんがミーティングを行うということで、私も参加させていただきました。
ワクワクしながらミーティング会場に向かっています!
会議室に入ると、まだミーティングが始まる前なのに、10人以上の皆さんがコンテストのことを熱く語りあっています。皆さんコールサイン入りのストラップを下げているのですが、コールサインは1エリアが2名、2エリアが3名、3エリアが4名、4エリアが2名、5エリアが1名と、地域もバラエティに富んでいます!!
いろいろなエリアから、メンバーの皆さんが集合してミーティングがスタート!
私もミーティングに参加、皆さんのお話を熱心に聞いています♪
最初に少し時間をいただいて、皆さんからクラブのことを伺いました。
「関西コンテストマニアクラブ」は1982年に発足し、JARL兵庫県支部の特殊クラブ(現在は「専門クラブ」というジャンル)として登録されました。
発足のきっかけは、その年にJARL主催のコンテスト規約が改正され、「登録クラブ対抗部門」は、登録クラブメンバーの「個人局の得点」の合算のみで競われることになったこと(現在は再び規約が改正されています)。そのため、兵庫県でコンテストにアクティブだったJA3NDM藤原さん、JH3DEJ奥さん、JR3KQJ中島さんの3名が中心となって「登録クラブ対抗部門で入賞するためのコンテストクラブ」として発足しました。
最初はクチコミで、関西を中心にJARL主催コンテストで上位成績を収めている各局に参加を呼び掛けて11名のメンバーでスタート。1982年は年間総合第7位、1983年にはメンバーが37名に増えて年間総合第3位、そして1985年は念願の年間総合第1位に輝き、翌年福島県で開かれた第26回JARL通常総会で藤原さんが原昌三JARL会長(JA1AN)から賞状と楯を受け取りました。そこから1994年までは怒濤の10年連続年間総合第1位!! なんと2023年までにトータルで21回も年間総合第1位になっているそうです♪
登録クラブ対抗の年間総合優勝で獲得した盾がズラリ!
今、クラブのメンバーは全国7つのエリアに合計30名の正会員がいらっしゃるそうで、主な活動は「コンテストの翌週に行うオンラインミーティング」「年1回(2月または3月)の総会」「夏の関西アマチュア無線フェスティバルの後で祝勝会を兼ねた宴会」「JARL兵庫県支部への活動協力」などだそうです。
ディープなお話になる前に(!?)、JARLコンテストの登録クラブ対抗について、基本的なことを教えていただきました。
まずJARLが主催する国内4大コンテスト(ALL JA、6m AND DOWN、フィールドデー、全市全郡)は「電話」「電信」「電信電話」といった“部門”と「シングルオペ○○MHzバンド」「マルチオペオールバンド」といった“種目”に分かれて参加局が得点で順位を競います(海外局も参加するALL ASIAN DXコンテストは部門がなく種目のみ)。
これとは別に、それぞれのコンテストには、JARL登録クラブのメンバー(現在はマルチオペ1局とSWLを除くシングルオペ局)がそのコンテストで申告した得点の総合計を、登録クラブの種別(地域、学校、職域、専門、青少年の5つ)ごとに集計して“登録クラブとしての順位”を決める「登録クラブ対抗」というジャンルが設けられて、コンテストごとに順位が発表されています。
JARL Webに掲載された2024年のALL JAコンテストの結果より。このようにクラブ対抗の順位と得点も発表されます
さらに、登録クラブの1年間のコンテスト順位を競う「登録クラブ対抗年間総合順位」というプログラムがあります!
JARL Webの「JARL主催コンテスト 登録クラブ対抗年間総合順位」コーナーでは、過去の結果を見ることもできます!
これは各コンテストで一番多くの得点を獲得した登録クラブが「ポイント1点」になり、以下2位が2点、3位が3点・・・ と割り振られ、51位以下はすべて51点、得点計上が0(不参加)のクラブは52点になります。このポイントをコンテストごとに合計した年間トータルポイントで順位をつけると、登録クラブの種別ごとの年間順位が決まります。
そして登録クラブの種別に関係なく、各コンテストの総合順位にこの配点を行って、最もトータルポイントが少ない登録クラブが「年間総合第1位」になるそうです!
2023年の年間総合順位より。6つのコンテストで上位になった関西コンテストマニアクラブが第1位に。これで21回目の年間総合優勝です!
登録クラブ対抗で上位入賞するには、登録クラブのメンバーがコンテストに参加して高得点を上げ、それを所属クラブに計上する必要があります。「コンテスト大好き!」というアクティブなメンバーが多いほどクラブ対抗で上位になる可能性が高いですし、参加するコンテストが多いほど、年間総合第1位に近づくことになるわけですね♪
私はこの仕組みを教えていただいて、関西コンテストマニアクラブの「年間総合第1位をトータルで21回獲得(V21)」というのが、とんでもない成績であることがわかりました。どれだけ皆さん熱心なの!!
これまでに年間総合優勝で獲得した盾を披露していただきました♪
それから、この説明を伺って気がついたのですが、関西コンテストマニアクラブの皆さんは「個人局としてはみんなライバル」だけど、登録クラブ対抗では「クラブに得点を計上し合う仲間」ということですよね? 刺激のある素敵な関係だなあ~と思いました♪
ちなみに現在、登録クラブ対抗に計上する得点の“稼ぎ頭”は、JN2AMD 山内さん、JA1BJI 朝生さん、JR3KQJ 中島さんの3局だそうですよ。
今日のミーティングに集まった皆さんは、自他共に認めるコンテストマニアです。そこで、コンテスト参加のエピソードを伺いました。
まずは食事について。「長時間のコンテストに参加中、食事はどうされていますか?」と伺ったところ、「基本的にシャックにこもりっぱなしでオペレートし、離席はトイレの時だけです。だから食事は、交信しながらでも食べられるパンやゼリー飲料で済ましています」という答えが多くの方からありました。
ちなみにコンテスト中に飲酒をされるのは2人。その反対で「開催日の少し前から禁酒して体調を整えます」といった方や、「一度、コンテストの前日に飲んで、二日酔いでひどいことになった経験が・・・」という方もいらっしゃいました。
それから長時間のコンテストとなると、睡魔との戦いがありますよね。「コンテストの途中で仮眠を取りますか?」と伺ったら、大部分の方は「最後まで寝ないで頑張ります!」とおっしゃっていましたが、中には「若い頃は徹夜で運用しても、翌日には響きませんでしたが今はもう無理。我慢せずに途中で寝るようにしています」という人も。お体を大切にされてください!
「参加されるコンテストの数は?」と伺ったら、JARL本部主催のコンテストはもちろん、メジャーなDXコンテストやJARL地方本部・支部主催のコンテストにも参加するという方が多く、中には「年間で大小合わせて100を超えるコンテストに参加しています」という方も。「ほとんどの週末に何らかのコンテストが行われていて、同じ日付・時間帯に重なるものもあります。一番重なるのは6月の1・2週目でしょうか?」「相手局と1交信で複数のコンテストのナンバーを交換し合うこともありますよ」と教えていただきました。
また、コンテストには自宅から参加するだけでなく、ロケーションの良い場所から移動運用で・・・ という方もいらっしゃいます。有名な移動運用ポイントになると、コンテストが始まる前日(前々日?)から現地に行って場所を確保する方も! 「移動運用のときはホテルに前泊するので、割引カードを買いました」とか、「毎回の移動運用が大変だから、山の上に別宅シャックを建てました」という猛者もいらっしゃってビックリです!!
ここで、ミーティングに集まった12名の皆さんにミニインタビューです♪ 持参された「自慢のお宝」も披露していただきました。
①JH4RUM 加藤さん
岡山から来ました。もうすぐ開局50年になります。ローカルコンテストをはじめ、いろいろなコンテスト出るのが好きで、多い年は50から80ぐらいのコンテストに参加しています。コンテストを楽しんでいる方は、無線全般に対する熱意や知識をお持ちで、気さくな方がたくさんいらっしゃるので、初心者の皆さんもコンテスターと仲良くなって、どこかのコンテストクラブにも入られたら無線の人生が深まると思いますよ。それがうちのクラブ(KCM)だったら一番ありがたいですね。
今日はCQ World-Wide DXコンテストの賞状を3枚持参しました。参加部門をうまく選べば「アジア1位、日本1位、世界4位」といった入賞も可能なので楽しんでいます。
JH4RUM 加藤さんはCQ World-Wide DXコンテストの賞状を見せてくださいました♪
②JR2UTH 松林さん
このクラブの新入会員です。と言ってもだいぶ前から総会のお手伝いをさせていただいたり、総会のゲストで懇親会だけ参加といったことで係わってきました。地元では「愛知コンテストクラブ」というのを主宰しています。
「コンテストあるある」の経験ですが、伊豆半島で移動運用中に熱中症になってしまい、水も多く持っていなかったので、途中でやめて死ぬ思いで帰ってきたこととか、24時間運用を終えて帰途についたら、ものすごく眠くなり、高速のサービスエリアで仮眠して起きたら、あたりはもう暗くなっていた(月曜日の夕方まで寝ていた)ということがありました。あとは、山の上まで行ったのに同軸ケーブルを忘れた・・・ とか、発電機は持って来たのにDC電源を忘れた・・・ といった経験とか、自宅でコンテストに参加していたら、奥さんの評判が悪く「掃除機をかけるのに邪魔!」と言ってコンセントを抜かれてしまったとか、そんなエピソードがありますね(笑)。
今日は「すべてはこれが始まりだった」ということで、1978年のフィールドデーコンテストの21MHz帯2エリア1位という賞状を持ってきました。
JR2UTH 松林さんは1978年のフィールドデーコンテストの賞状を披露
③JF2FIU 丸川さん
無線の交信に慣れ、だんだん面白さを感じなくなってきたときに、マンネリ化しないコンテストの面白さに気付きました。電話(SSB)よりも電信(CW)のほうがメリハリがあって楽しいですね。
きょうはいろいろなコンテストの賞状を持ってきました。ALL JAコンテストは2006年に電信電話部門のシングルオペ・オールバンドで全国2位になったのが最高です。
JF2FIU 丸川さん。2006年のALL JAコンテスト(電信電話部門のシングルオペ・オールバンド)で全国2位になったときの賞状です
あとは、現在は行われていないコンテストの賞状を選りすぐって、「なす電信コンテスト」、NIFTY-Serveの「FHAMコンテスト」、愛・地球博コンテストの前身の「オール愛知コンテスト」、あとは「コンテストオタクコンテスト」というのもあったんですよ。
懐かしい「なす電信コンテスト」と「FHAMコンテスト」の賞状
「オール愛知コンテスト」「コンテストオタクコンテスト」の賞状
あと最後に、Masacoさんと交信していただいた、JH1CBX/3のカードも大切に保管しています(笑)
JH1CBX/3のQSLカードも披露してくださいました♪ ありがとうございます!!
④JR3KQJ 中島さん(ニ代目会長)
JARLが2000年頃に「コンテストのドナー制度」というものを作りました。個人やクラブがいろいろな条件を作り、それを達成した人に盾を授与する(楯の作成費用はドナーが負担)というものです。それで関西コンテストマニアクラブもユニークなルールを作ってドナーに加わることにしました。作った条件が「6m AND DOWNコンテストのシングルオペで、獲得したマルチプライヤーの総数が全国一」というものでした。
私自身も、この条件達成を目標に6m AND DOWNに参加しましたが、1エリアの局が頑張っているので非常にハードルが高く、なかなか得ることができませんでした。最初で最後になりましたが、2008年に六甲山に移動して129マルチを獲得し、ついに楯を得ることができました。
JR3KQJ 中島さんはJARLのコンテストドナー制度でKCMが設定した「6m AND DOWNコンテストのシングルオペで、獲得したマルチプライヤーの総数が全国一」を見事に達成し、この楯をゲットしました!
⑤JA3NDM 藤原さん(初代会長)
私もいろいろなコンテストの賞状を持ってきました。コンテストと言ってもいろいろあって、まず「ハムフェア'81」の自作品コンテストで「盲人用周波数読取装置」の開発で入選1席になりました。
JA3NDM 藤原さんはハムの楽しみ方が多彩。これは「ハムフェア'81」の自作品コンテストの賞状です♪
次は5600MHzの交信記録認定証。1995年に鳥取県の大山と長野県の乗鞍スカイラインの間で、A3モードで274kmの距離を2時間後も結びました。このとき10GHz帯は、アンテナの給電部を忘れてしまって交信できませんでした(笑)。
5600MHz帯のA3モードによる、交信記録(274km)の認定証
それから1980年に2週間掛けて利尻島まで移動したときの色紙です。昭和の時代の移動運用は地元の人と仲良くアイボールしながら行うのが楽しみでした。
1980年に2週間掛けて利尻島まで移動したときの色紙。途中でアイボールした各局に書いていただいたそうです!
ついでに、これは「全日本1万局よみうりアワード」の1万1千局記念の楯です。「よみうり1万局」を受賞した方は多いと思いますが、1万1千局の達成楯が少しの期間だけあったのです。1万2千局の申請を準備していたら楯の発行が終わってしまいました。なんでもサッサと貰っておかないとだめですね。
「全日本1万局よみうりアワード」の1万1千局記念の楯
⑥JA1BJI 朝生さん
元々は1980年に兵庫県でJG3VEIとして開局したのが初めてで、ほかにサイパンのNH0V、イギリスのM0VEIというコールサインも取りました。中学校に無線部があり、フィールドデーコンテストに参加しているのを初めて見て興味を持ち、従免を取ったらすぐに国内コンテストやDXコンテストに出ていました。
以前、3エリアでは500Wでコンテストに参加していましたが、アンテナがルーフタワー上(高さ16m)だったのでそんなには出来ませんでした。しかし1エリアに移り、27m高のクランクアップタワーを建ててからは飛ぶようになって、あるコンテストで交信局数が一度1,000局を超えると、それ以降同じコンテストで1,000局を超えは難しくなくなる感覚がありました。
最近は、基本的には上位入賞か、あるいは自分の過去のレコードを塗り替えることを目指してやっていますが、あまり熱中しすぎると家族にちょっと気が引けるので、基本は月1回、多いときで2回か3回までという感じでコンテストに参加しています。
コンテストが終了したら、必ず「コンディションはどうだったか、今後のオペレーションのヒントになること、良かった点、改善点」などを書いて保存しています。昔はノートでしたが、今はバインダー形式にして、コンテストごとに前回までの情報が抜き出せるようにしました。最近は書きっぱなしで読み返さないことも増えてきましたが、あとで読み直すと、去年もダメだったことを繰り返していたりということもありますね。
JA1BJI 朝生さんはコンテストノートを持参
コンテストノートの中身。参加したコンテストの振り返りを克明に記録しています♪
⑦JN2AMD 山内さん(現会長)
クラブの会長をさせていただいて8年目になるので、ぼちぼち次の方へ・・・ と思っています。私は開局が遅くて1989年に始めました。最初はハンディ機で開局したのですが、ある日、急にたくさんの局が聞こえるなと思ったら、6m AND DOWNでした。それからコンテストに興味を持ち、たまたま無線雑誌の売買コーナーで知り合った方と仲良くなり、KCMに入らないか? と誘われました。
現会長のJN2AMD 山内さん
KCMに入って、JA2BNN 野瀬さんから岐阜県中津川市の別宅シャックを「一緒にやらないか」というお話をいただいて、1997年に5人の設備共用でキロワット局の免許を下ろしたという感じです。それからはコンテストを中心に出ています。
これは2021年の「ARRL International DXコンテスト」のCWシングルオペ・ハイパワーでアジア1位になったときの楯です。海外コンテストで楯をいただいたのはこれぐらいです。あとは2023年の「愛・地球博コンテスト」と「XPO記念コンテスト」の共同企画による特別ルールでの第1位の賞状です。
2021年の「ARRL International DXコンテスト」のCWシングルオペ・ハイパワーでアジア1位になった際の楯と、2023年の「愛・地球博コンテスト」の特別ルールで第1位の賞状です
無線のエピソードとしては“人生の中で最大に途方に暮れた”というのが1つあります。米国に駐在していたときに、夏休みを利用して1人でカリブ海のVP5、Turks & Caicos Islandsという島から運用し2,200局以上と交信したのですが、レンタカーでビーチに行ったら、ビーチには誰もいなくて、途中のマングローブの細い道では野犬がウロウロしていました。
誰もいないから帰ろうと思ったら、レンタカーのエンジンか掛からないんですよ! 誰も周りにいないし、野犬がいる中を歩いて助けを呼びにいくのも怖いし・・・。でもレンタカーのカーラジオは入ったので“バッテリーがないわけじゃないな”と思ってね。どうやら未舗装の道を延々と走ってバッテリーのネジが緩んだらしく、タイヤ交換用の棒か何かでバッテリーのところを叩いたら、なんとかエンジンがかかって、戻ることができました。あのときは本当に途方に暮れました(笑)。
⑧JH5JKH 久保さん
高知出身でコールサインは高校生のときに取りました。大学はアマチュア無線をやるために大阪の昔有名だった大学に入り、そこでクラブ活動で無線をしていました。就職先の会社に藤原さん(JA3NDM)と出田さん(JF1RPZ)がいて、いつの間にか藤原さんと移動運用に行くようになり、このクラブに入ったという感じです。兵庫の六甲山でいくつかのチームに分かれて運用したのが楽しい思い出です。
10年前に東京に転勤になりました。東京や埼玉で無線をやると、GP1本とか、チューナー付きの釣り竿といった小さなアンテナでもたくさん交信ができますが、あえてそれをやらずに、移動運用では昔ながらのアンテナを上げています。1.9MHzや3.5MHzのアンテナポール(12m高のポールの上に6m高のポールをつなぐ)は立て終わるまでに2~3時間かかるので、そろそろしんどくなってきました。誰か手伝いに来てください。
お宝は1998年のJARLコンテスト登録クラブ対抗部門の優勝楯と、1998年の「春期関西VHFコンテスト」の賞状です。
JH5JKH 久保さん。1998年のJARLコンテスト登録クラブ対抗の年間総合優勝楯(レプリカ)と、1998年の「春期関西VHFコンテスト」の賞状です
⑨JF1RPZ / JN3TMW 出田さん
小学校4年生ぐらいのときに、マンガ雑誌に出ていた通信教育の広告でアマチュア無線を知り、広島に引っ越した中学1年生のときに、学校に無線クラブがあってフィールドデーコンテストにも行きました。免許は1971年に取りました。1980年に就職したら、いつの間にか同じ課に藤原さんが入ってきて、実験室でいろいろしゃべっていて入会を誘われたように記憶しています。
1990年代に海外赴任を2回経験しています。アメリカ(カリフォルニア)に赴任したときは無線をやりたかったので、アンテナが立てられる家を探していたら、なんとタワーとアンテナが付いている家が入居者募集をしていたので大喜びで借りました。大家さんがW6のコールサインを持つハムで、元住んでいたお家ということでした。タワー付きなのでリグだけ持って行けば運用できるので4年間楽しく過ごしました。
中国返還前の香港に赴任したときは、米国の免許から香港のコールサインをもらえましたが、それだと上級じゃないため、CWの試験を受けて上級を取りました。34階建てマンションの12階だったのですけど、ベランダのホイップアンテナでも結構飛びました。7MHz帯は100W機で南米まで飛んだのがすごいなと思っています。10年少し前に日本に帰ってきてコンテストも再開しましたが、KCMではあまり得点源にはなっておりません(笑)。
お宝は1999年にサイパンからWorld-Wide DXコンテストにKH0/JF1RPZで出て、シングルオペ・28MHz ローパワーSSBで世界一、しかもオセアニアでの得点記録更新(NEW OCEANIA RECORD)になったときの賞状です。
JF1RPZ / JN3TMW 出田さんは、1999年にWorld-Wide DXコンテストにKH0/JF1RPZで出て、シングルオペ・28MHz ローパワーSSBで世界一になったときの賞状を披露してくださいました
⑩JH3AGV / JA9WBZ 田中さん(六代目会長)
小学校2年生のとき、俳優でNHKのテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」では声優を務めていた藤村有弘さん(JH1BAN)が、趣味紹介の番組でアマチュア無線をやっていることを知りました。こんな面白い趣味があるんや! って思ったのですが、講習会が近くで開かれず、1978年に小学校6年生で従免を取り、中学1年生で開局しました。
コンテストで遊んでいたときに中島さんから声をかけていただき、入会させていただきました。これはKCMの連続10連覇と会報100号を記念した冊子なのですが、これを発行したときに同時に姫路市で式典をやりました。それが1995年、ちょうど震災の年だったんですね。当時は姫路に住んでおり、“今こういうお祝い事をやってもいいのかな?”と悩んだのですが、悲惨な状態になっている兵庫を盛り上げていきたいという気持ちで行い、いろいろな方がお祝いに来て下さいました。
JH3AGV / JA9WBZ 田中さんはクラブの連続10連覇と会報100号を記念した冊子を見せてくださいました
「クラブ発足10周年記念」と「年間総合優勝10連覇達成+会報100号発行記念」という、2冊の記念誌を見せていただきました!!
この連続10連覇の後は入賞を逃してしまい、当時KCMの会長をしていた私は、どうしようかと思いましたが、クラブ対抗は“みんなの得点の和”なんですよ。ということは「一番手っ取り早いのは、人を増やしたらいいんや!」ということで、コンテストで頑張っていらっしゃる方に電話を掛けて「KCMに入りませんか?」と勧誘したり、JARLの名簿で調べたり、パソコン通信でメールを打ったりとかして、過去最高の56人の会員数になり、なんとかまた復活して入賞できるようになりました。実は本日、Masacoさんにお越しいただいたのも、クラブの「V21」記念なのです(笑)。
⑪JO3NDC 井出さん
このクラブでは最年少、まだギリギリ20代です。免許を取ったのは2007年、小学校6年生のときでした。父親がハムで50MHzのAMを嗜んでいて無線機があったんです。何か面白そうな機材がいっぱいあるなと思っていて、小学校の高学年になったときに「自分も免許を取ってみたい」と言ったら、「勉強して取ってみたら?」と言われ、参考書で丸暗記して関ハム会場の臨時国家試験で一発合格しました。その後、2アマは中1で取りました。モールスの受信試験がまだあるときで、頑張って受信しました。
クラブの最年少会員、JO3NDC 井出さん
開局後はコンテストにもちょこちょこ出ていたのですけど、とりあえずダイポールを張っただけなので局数は伸びませんでした。高校入ってからは勉強に専念し、大学には無線クラブがなかったので、社会人になってから無線しようかな? と思っていました。
今の会社の面接を受けたときに、会社の入口を見ると、掘っ立て小屋の上にタワーが立っていて、「絶対これはアマチュア無線や!」と思って、入社してすぐクラブに連絡して入部。そのうちに山内さん(JN2AMD)がいらっしゃって、あれよあれよという間にKCMに誘われ、今日はここにいるというような感じでしょうか(笑)。
KCMに入ってからは、田中さん(JH3AGV)と山の上のクラブ局に連れていってもらって一緒に1kWで運用したり、DX交信を体験したりとか、とても楽しかったです。あと移動運用で久保さん(JH5JKH)にも何回か連れて行っていただき、ポールの立て方とかも教えていただきました。
⑫JR4CZM / JS2MKU 大國さん
私も田中さんと一緒で、小学校6年生の1978年のときに従免を取りました。島根出身で国家試験は広島まで行かないと受けられなくて、親父に頼み込んで車で連れていってもらったのですが、3時間ぐらいの道中で、途中で気持ち悪くなって吐いたのを覚えています。なんとか合格して中学校1年生のときにTR-1300で開局しました。その頃は島根にも中学生や高校生のハムがいっぱいいて、ラグチューや移動運用で遊びました。
高校には無線部があり、そこでコンテストをやるようになったのですが、部費があまりなくて無線機も少なかったのです。“コンテストで1位になると学校から買ってもらえるんじゃないか?”ということで頑張った結果、ALL JAでは全国1位にはなれなかったのですが中国地方1位になったことを学校に報告すると、それはすごいなということで、FT-101を買ってもらうことができました(笑)。その翌年はTS-520とか、一気に無線部が潤いました。100W局の落成検査も受けて、ちゃんと運用していましたよ。
大学では無線をやらなかったのですが、社会人になって転勤がある中で、1993年ぐらいから移動運用でコンテストとかちょっと出るようになり、その頃に山内さんから誘われて、KCMに入ったように記憶しています。
1990年代はそこそこコンテストに出ていましたが、子供が生まれてからは細々としか出られなくなりました。2013年に単身赴任し始めてから、奥様に怒られることもなくなって、のびのびとやっていましたが、最近また家族と同居することになり控えめに運用中です。最近は山内さんと同じく設備共用させてもらって、そこで交代でちょっと出させてもらったりしております。
お宝は、2015年のKCWA CWコンテストで7MHz部門1位になったときの楯です。徳島にいるときに、釣竿アンテナで出て1位になれたので持ってきました。
JR4CZM / JS2MKU 大國さん。2015年のKCWA CWコンテストで7MHz部門1位になったときの楯を見せてくださいました♪
--皆さんありがとうございました!! どの方のトークも面白く、お宝も次々に登場して、笑いと驚きが絶えないミニインタビューになりました♪ スペースの都合で伺ったお話の一部だけご紹介した方もあります。すみません・・・(汗)。
最後は連載恒例の「Masacoの体験コーナー」です。今回は「Masacoさんも、CWを早く正確に打てるようになって、CWコンテストに出ましょう」というお誘いで、パドルとモールス符号の解読器が登場しました!
「パドルで“CQ DE JH1CBX”と打って、解読器のディスプレイに正確に表示されるようになったら、少しずつスピードを上げていきましょう。目標は1分間90字ということで」
というお題をいただき、皆さんが見守る中でパドルに手を添えました。えっと、このレバーはどっちが長点ですか??
Masacoの体験コーナーは、正確なモールス符号を早く打つ!がお題でした(汗)
気を鎮めて、最初に「CQ」を打ったつもりが、表示された文字は「T E N EE T T」。あれ? この解読器の表示がめっちゃシビアで、安定したスピードで綺麗な符号を打たないと、正しい文字にならないようです。
真剣な(「誰か助けて!」のような・・・)顔つきでモールス符号を打鍵中。解読器の判定がなかなかシビアです・・・
3分、4分・・・ 少しずつ慣れてきて、どうにか表示できたのが「CQCQB JH1= JH1CB K X」という文字。うーん、ゴメンナサイ! 修行が足りません(汗)。
どうにか表示できたのが「CQCQB JH1= JH1CB K X」という文字。ここでギブアップ!
結局、会議室の撤収時間になったため、残念ですがパーフェクトな表示は達成できませんでした。CWコンテスターの道は遠いのを実感!? 私もパドルと解読器を買って自主練習しようかな?
関西コンテストマニアクラブの皆さん、今日はありがとうございました♪ “コンテストが大好きなマニア”というと、アスリートのようなストイックさがあって、オペレーション以外は寡黙な人ばかり・・・ というイメージがあったのですが、皆さん本当に明るくて気さくで、お話の大好きな方々ばかり! コンテスト交信は究極の無線コミュニケーションなのかも!? と思ってしまいました。
ただコンテスト中は、スポーツと違って周りが見えないから、終わってみないと状況がわからない・・・。だからこそ、“いかに誘惑にめげず、自分に打ち勝つか? が重要”とお聞きし、やはり究極の忍耐勝負だなぁとも感じました! あとね、ずっと同じ姿勢で肩や全身は凝らないの? なんて素朴な疑問を聞いてみたら・・・ 「椅子と机の高さには徹底的にこだわっています。1センチの差で疲労感が全然違う! そこはかなりシビアな問題です!」とのことでした。常にベストポジション&ベストコンディションを見つけながら、都度コンテストに臨まれてるんだなぁ・・・。
今度は皆さんとコンテストのときにお会いして、ナンバー交換していただけることを楽しみにしています(CWも頑張ります! と言いたいところですが・・・ 汗)。クラブ対抗の年間総合第1位の「V22」達成もお祈りしています!!
(JH1CBX Masaco)
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