2014年3月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
4U1UNの創始者HB9RS, MaxのJANETクラブとの交流と、Maxの功績
筆者の手元に4U1UNのログブックが6冊残っています(写真8の左)。これは1980年から1988年までJANETクラブのメンバーが中心に運用した記録で、警備の厳しい国連本部ビルに招き入れ4U1UNを運用させてくれたのは、当時会長を務めていたHB9RS, Maxです。この8年間に29回運用していますが、1980年11月に21MHzでJA5MG稲毛章氏(現JARL会長)とのQSOが最初で、約5,500QSO(内JAとは約1,000 QSO)をしています(写真8の右)。当時のQSLマネジャーはW2MZV, Hermanで、1987年にSKしたあとはNA2K, Harryに引き継がれ発行されてきました(写真9)。また、毎年国連の日(10月14日)にはプリフェックスの数字が周年の数字に代わる特別コールサインで運用されていて、1982年の37周年には4U37UNで運用し、1985年には40周年記念の4U40UNを運用しています(写真10)。国連ビルのシャックに泊り込んでAll Asian ContestやCQ WW Contestに参加したこともありました(写真11及び12)。
写真8. (左)4U1UNの6冊のログブックと、 (右)その最初のページ。(クリックで拡大します)
写真9. 4U1UNのQSLカード2種。
写真10. (左)国連37周年を記念した4U37UNのQSLカード。翌年の世界通信年(WCY)のPRをしている。 (右)国連40周年を記念した1985年の4U40UNのQSLカード。40周年は大きな節目で国連の日(10月24日)だけでなく、10月を通してコールサインが使われたと記憶する。
写真11. (左)4U1UNにて左からN2AIR岩倉襄氏、N2CAO服部匡史氏、筆者。 (右)All Asian DX Contest Phoneでのエンティ別1位入賞の賞状。1局しかないので、参加すれば1位になるのだが。
写真12. (左)All Asian DX Contest Phoneに、4U1UNで参加したメンバー。左からKD2HA林市晴氏、N2ATF小林巌氏、N2CWO吉原氏、N2CAO服部匡史氏、N2AIR岩倉襄氏、HB9RS, Max、筆者、国連敷地内の平和の鐘(日本が寄贈)の前にて(1985年)。 (右)コンテストに参加するため、国連本部ビルの最上階、柔道クラブの部屋で仮眠するJANETメンバー(1985年)。
筆者単独での運用、JANETメンバー数名での運用(写真13)の他、家族ぐるみであったり、日本からの訪問者を含めての運用時も、Maxは良く付き合ってくれました(写真14)。MaxとJANETメンバーとの付き合いは、4U1UNの運用時だけでなく、筆者のシャックに招いたり(写真15)、Maxのアパートに招かれたり(写真16)、レストランで会食をすることもたびたびありました(写真17)。今回の訃報に、N2JA塚本さんがJANETクラブを代表して、Maxの冥福を祈る弔意のカードを作成して送ってくれましたが、本当に惜しい人を亡くしました。改めてMaxのご冥福をお祈りします。
写真13. (左)4U1UNを運用する筆者(1985年)。 (右)4U1UNを運用する左から、ケンウッド社のJA1CB野村四郎氏、N2ATFA小林巌氏、筆者 (1986年)。
写真14. (左) 4U1UNにて左からN2AIR岩倉襄氏、N2GKL秦氏、NM2F梅村和正氏、N2CAO服部匡史氏とその家族、KA2DYB, Philip氏(4U1UNの大きな木彫のサインボードの寄贈者)、HB9RS, Max (1986年)。 (右)日本からのJAチームを迎えてWW WPX Contestに参加。左からN2IEB荒川健一郎氏、N2GKL秦氏、JG3QZN田中氏、JA4NMT松田氏、JR6NWN鈴木氏 (1987年)。
写真15. (左)N2ATTのシャックにてMaxとJANETのメンバー(1981年)。 (右)N2ATTのシャックにて、前列左からN2JA塚本葵氏、筆者のXYL, JG3FAR、HB9RS, MaxとRenateご夫妻、後列左からN2CAO服部匡史氏、N2ATF小林巌氏、筆者(1981年)。
写真16. (左)MaxのアパートにてJANETのメンバーとMaxの友人達(1982年)。 (右)MaxのアパートにてJANETのメンバーとMaxの友人達(1985年)。
写真17. (左)NYのレストランにて左からMaxのXYL, Renate、筆者、筆者のXYL, JG3FAR、N2CAO服部匡史氏、N2AIR岩倉襄氏、Max(1982年)。 (右)NYのレストランにて左から Max、筆者のXYL, JG3FAR、MaxのXYL, Renate、N2ATF小林巌氏ご夫妻、N2CAO服部匡史氏ご家族(1986年)。
MaxはJANETクラブの他、米国の多くの組織との関係を深めていて、筆者が知る範囲でもRCA(Radio Club of America)、QCWA (Quarter Century Wireless Association)、NJDXA(North Jersey DX Association)、AWA (Antique Wireless Association)などがあります。特にRCAでは1982年の晩餐会でフェローの楯を授与されたことを名誉に感じていたと思われ(写真18)、このRCAを通じて多くの著名人との親交を深めていきました。NJDXAについては、そのメンバーが4U1UNの運営をサポートしていたこともあって、クリスマスパーティーへの出席や、コンベンションなどでは出展ブースに立ち寄っていました(写真19)。
写真18. (左)RCAの晩餐会でフェローの楯を受け取ったMax(1982年)。 (右)RCAの晩餐会にて左からMaxの義母、Max、MaxのXYL, Renate(1982年)。
写真19. (左)NJDXAのクリスマス・ディナーにて、左からMaxの義母、W2TO, Hans氏、MaxのXYL, Renate、Max(1982年)。 (右)ハムフェアーのNJDXAのブースにて、左からN2CAO服部匡史氏、筆者、N2JA塚本葵氏、N2CWO吉原氏、Max、W2MZV, Herman氏(4U1UNのQSLマネジャー)、N2ATF小林巌氏、W2JB, John氏(1982年)。
Maxは無線の歴史にも興味を持ち、AWAのメンバーとしてAWAの博物館の学芸員W2ICE, Bruce Kelleyとも親交がありました(写真20の左)。また、マルコーニの足跡を研究していたMaxは、1984年にニューヨーク州のCanandaiguaで開かれたAWAの年次大会に、「Marconi’s Trail in North America」と題したパネルを展示し、ゲストスピーカーとして参加していたマルコーニの令嬢 Ms. Gioia Marconi Bragaにその説明をする機会を得ていました(写真20の右)。
写真20. (左)NYのレストランにて、左からMaxご夫妻、筆者、W2ICE, Bruce Kelley氏(1984年)。 (右)AWAの年次大会にて、マルコーニの令嬢 Ms. Gioia Marconi Bragaに作品の説明をするMaxご夫妻 (1984年)。
筆者は在英中の1995年9月に、ロンドンのSavoy Placeで開かれた、IEE(Institution of Electrical Engineer)主催の「無線100年記念国際会議 (International Conference on 100 Years of Radio)」 に参加したのですが、Maxもスイスから参加していて久しぶりに再会することが出来ました。ここでも、マルコーニの令嬢Princess Elettra Marconiとその子息Mr. Guglielmo Giovanelli Marconiに会う機会を得て、文献を渡しながら話をされました(写真21)。
写真21. (左)ロンドンで開かれた、IEE主催の「無線100年記念国際会議」に参加したMax。 (中央)初期のマルコーニ無線機のデモンストレーションに見入るMax。 (右)マルコーニの令嬢Princess Elettra Marconiとその子息に文献を渡して懇談するMax(いずれも1995年)。
また、Maxのハリクラフター・コレクションは有名で、これ以上のものは他にないだろうと言われています。そのハリクラフターの創業者でありオーナーであったW9AC, Bill Halliganが、1983年のRCAの晩餐会でSarnoff Citationを受賞した翌日、Maxは自宅に彼を招きインタービューを行っています。これはMaxの長年の念願であったのか周到に準備した資料をもとに質問をしていて、今となってはハリクラフターの歴史を知る貴重な資料になっています。これらのコレクション及び研究の成果は278ページにも及ぶ著書「THE HALLICRAFTERS STORY 1933-1975」にまとめられ、1991年にARCA(Antique Radio Club of America)から発行されました(写真22)。これにはハリクラフターの通信機のほぼ全機種が網羅されています。また、これらのコレクションは2008年にペイエルヌ(Payerne)にある、スイス空軍博物館(HB9FR)に寄贈されて展示されています(写真23)。
写真22. (左)Maxの「THE HALLICRAFTERS STORY 1933-1975」の原稿(1988年)。 (右)Max deHenseler著「THE HALLICRAFTERS STORY 1933-1975」 (1991年)。
写真23. (左)HB9RSのQSLカード、ハリクラフターのコレクションを背にしたMax。 (右)ハリクラフターのコレクションを寄贈したスイス空軍博物館(HB4FR)の開所式、Maxと宇宙飛行士HB9CN, Claude Nicollier氏(2008年)。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ