2014年4月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
1977年 (オーストラリア VK3KF)
オーストラリアではアマチュア無線の免許に年齢制限があるのか、JI1VLV伊原ナナ子氏から次のようなレポートが寄せられた。「免許を取る為に、受験したかったのですが、年令が足りなかった(14才)為に受験資格が有りませんでした。残念! HFにVK3KF, EricのシャックからQRVしました。以後、Ericとは今日まで毎週スケジュールQSOが続いています。(1987年4月記)」
1977年 (米国 N2GP, KZ9D, KE6CU)
米国在住のJA1ASC(N2GP)島津健一氏(写真13)から次のようなレポートを頂いた。「米国会社に勤務、アマチュア無線を通じて友人も増えましたが、日本との相互運用協定がありませんでしたので、運用を全くできず、他国の相互運用協定をもったアマチュアが運用しているのを聞くのみでした。1970年代になりゴールドウォーター上院議員の努力により、外国人でもFCCの試験を受ければ運用できることになり、早速ノビス級からはじめ現在のエクストラ級までの免許をうけました(写真14)。米国でのアマチュア活動はホビーというよりも、社会奉仕活動の趣が強く、私もアメリカ人同様各種活動に参加しております。(1985年3月記)」
写真13. (左)JA1ASC(N2GP)島津健一氏とご家族。 (右)N2GPのQSLカード。
写真14. N2GP島津健一氏のExtra Classの免許証。
同じく米国在住のJH1AKD(KZ9D)久保田昭徳氏(写真15)は次のようにレポートをしてくれた。「1977年9月にNoviceの免許がおりて、その後General, Advance, ExtraとUp Gradeして(写真16)今日まで運用しています。日本国籍でも、米国人同等の運用ができる。DXからLocal ClubのField Day運用と、全く同じ運用ができる。日米間の相互運用協定が一日でも早くできて、米国人が日本で一日でも早く運用できる事を願っています。(1985年7月記)」
写真15. KZ9D久保田昭徳氏のQSLカード。
写真16. KZ9D久保田昭徳氏のExtra Classの免許証。
また、米国在住のJR6CA(KE6CU)湖城哲夫氏も、1977年からカリフォルニアでKE6CUとして運用している旨のレポートがあったが、既に1973年にグアムからKG6JFQで運用された記事で紹介しているのでここでは省略する。
1977年 (カナダ WB1EZI/VE2, AJ1A/VE2, VE3JOY)
大学のクラブ局VE2UNをゲストオペしていたJH3OII(WB1EZI/VE2, AJ1A/VE2)中村千代賢氏(写真17)は、カナダで免許されるようになった時のことを、次のようにレポートしてくれた。「私がカナダ・モントリオ-ルに住んでいた1977年頃、米国なら日本国籍でも受験資格があることを知り、そのためにわざわざボストンまで飛んでテストを受けに行きました。一夜漬けの勉強のかいがあり、ゼネラル級に合格したときは信じられませんでした(何しろWの免許を持っている日本人が数人しかいない頃でしたので)。3ケ月程して免許証が届き、それを持ってカナダ運輸省通信局へ相互運用許可をもらいに行きました(当時は現在のような自動相互運用協定ではなかったのです)。WB1EZI/VE2と言うSSBでは長すぎ, CWでは取りにくいコ-ルで運用を始め、その後アップグレ-ドしてクラス別コ-ルになった折りに、AJ1Aと言うラッキ-なコ-ルを頂きました(写真18)。今でも米国出張の際は2メ-タ・ハンディ機が欠かせません。(1991年10月記)」
写真17. (左)VE2UNのQSLカードと、(右)VE2UN局にて左からAJ1A中村千代賢氏、VE2BJS。
写真18. (左) AJ1A/VE2中村千代賢氏(1980年)と、AJ1A/VE2のQSLカード。
また、カナダに移住されたVE3JOY遠藤勲氏(写真19)は、カナダでの免許について次のようにレポートしてくれた。「Landed Immigrantとしてカナダへ来ていますので、試験にパス(写真20)、現在に至るわけです。ライセンスは5年間有効ですが、更新の必要はなく、年々、ライセンス代として20ドル(去年1987年までは13ドルでしたが、今年から値上がりしました)納めれば免許状が自動的に送られてきます(写真21)。ラジオアクト2・7・1条に、相互協定のカナダ側の方針が示されていますので、コピーを同封します(写真22)。(1985年記)」
写真19. (左)VE3JOYのQSLカードと、(右)VE3JOY遠藤勲氏(1980年代)。
写真20. (左)VE3JOY遠藤勲氏の初級試験合格証と、(右)上級試験合格証。
写真21. VE3JOY遠藤勲氏の免許状。
写真22. 当時のカナダの無線法規の一部で、アマチュア無線の外国人の運用や、
相互運用協定について書かれた部分。 (クリックで拡大します)
1977年 (チリ CE3AA)
既に何度か紹介したJA1DCY神山堅志郎氏は、チリでクラブ局を運用したとアンケートを送ってくれた。「チリの通信省の仕事で3か月ほど滞在して存分に時間がありました。アジェンデ大統領の暗殺によるクーデターのあとで、ホテルの外壁には弾痕があり、夜間の外出禁止もあって、武装兵や警官の姿が多く、緊張する場面もありました。そんな中でクラブを探し出し、メンバー達と日本の状況やチリの状況など情報交換しました(写真23及び24)。日本人の訪問者は初めてだったと思います。ここからは、JA1BGSとスケジュールQSOしたのが印象的に残っています。(1985年3月記 - 2011年11月追記)」
写真23. JA1DCY神山堅志郎氏が訪問したチリの連盟RCC(Radio Club Chile)の風景、左からCE3AAのアンテナタワー、入り口、QSLカードの仕分棚。
写真24. (左)JA1DCY神山堅志郎氏が訪問し、ゲストで運用した連盟のクラブ局CE3AAと、(右)RCCの職員達。
1977年 (バチカン市国HV3SJ)
JA1WSA/JJ3PRT青木洋二氏からは珍しいエンティティのゲストオペのレポートを頂いた。「HV3SJに事前に電話で運用したい旨を伝えOKをもらった。旅行でちょっと寄っただけなので2日間のフルオペレ-ションはできなかった。サンスポットの低い時期だったので、JAとはほとんどQSOできなかった。(1991年11月記)」 その後、「HV3SJから運用した際の写真が数枚出てきましたので送付させていただきます。エド神父は非常にいい方で事前アポを電話でしただけで終日運用させてくれました。イタリア人DXerと一緒にHV3SJを世界にプレゼントいたしました。(2014年8月記)」と写真を送って頂いた。
写真25. (左) HV3SJ局のアンテナ。(中央) HV3SJ局のアンテナと聖堂を背景に青木氏。(右)同じくHV3SJのアンテナと聖堂を背景にエド神父。
写真26. (左) HV3SJのシャックで運用中のイタリア人DXerとカウンターの向こうはエド神父。(右) HV3SJのシャックにてイタリア人のDXer達とエド神父。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ