2015年6月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
ニュージーランド ZL0TADについては、「AucklandではFederal streetのFederal Houseの2階で免許がもらえる。ただしJAの免許からは「ダメ」とはっきり言われる(JAとZLは相互運用協定が無いとはっきり言われた)。USのライセンスからは問題なく、すぐZL0のコールが得られる(写真12)。上級局はZL0A・・で始まり、初級局はZL0T・・又はZL0U・・から始まる。希望コールはもらえない。Feeは2週間4ドル。(1985年5月記)
写真12. ZL0TAD奈木昭人氏の免許状。
トンガ王国 A35WWについては、「ヌクアロハのT&T(Telegraph and Telephone Dept.)で免許が得られる(写真13)。すぐとなりにUKのケーブルandワイヤレスの大きなパラボラがあるのですぐわかる。JAの1アマから問題なくOKのようである。希望コールはもらえる。Feeは1年間20トンガドル。(1985年5月記)」
写真13. (左)トンガ王国の免許申請用紙。(右) A35WW奈木昭人氏の免許状。(クリックで拡大)
西サモア 5W1ESについては、「JOCVで西サモアに行っている5W1EO平川さんに免許をとってもらった(写真14)。JAの免許から問題なく5W1のライセンスはOKのようである。Feeは12タラ。コールは希望のコールはもらえない。順番で下している。(1985年5月記)」
写真14. 5W1ES奈木昭人氏の免許状。
1984年 (ドイツ DL/JA3BAG)
故JA3BAG原周三氏は「所定の申請書とJAの局免許状コピー、それに15マルクで3ヶ月有効の免許が与えられる。1ヶ月以内の滞在に対しては、外人用コールサイン(DJ0)は与えられず、3ヶ月免許を繰り返すことになる。3ヶ月免許では160mバンドが許されないこと以外、通常の免許と差はない。小生は1年のビザを持っていたが、当局に出向いた時点では既に残り期間が1年を割っておりNGだった。ハンディ機のレピーター経由のQSO以外に、IC-202Aと室内HB9CVで、SSB/CWにQRV。ダクトが発生すると隣接カントリーを始め、GUやGJともQSOできた。計7カントリーで、最長距離は南仏の950kmであった。夏のEスポシーズンならもっと多くのカントリーとQSOできたかも知れない。(1987年4月記)」
1984年 (英国 G4/N2ATT)
JA3AER筆者は米国から英国へ旅行した際、RSGBに立ち寄ったのが、相互運用協定による免許取得の動機になった。「1968年に香港で免許を申請したところ、日本と英国との間に相互運用協定がないからと拒否された経験があるため、英国で免許を得るのは容易ではないとの先入観があったが、1984年の夏、ロンドンに旅行をして立ち寄ったRSGBの本部でG6EFQ, Davidがトライしてみよと申請用紙をくれた(写真15)。申請用紙には国内居住者用と非居住者用の2種類があるらしく、その後者であったが良く見ると国籍を書く覧がない(写真16)。これはいけると思った。そしてその後訪問したG4YHC佐藤さんのQTHを借りての運用とし、住所はアメリカの現住所として、アメリカの免許をベースに申請したところ、数週間後に免許状が郵送されてきた(写真17)。旅行前にこれが手に入っていれば運用できたのにと残念ではあったが、免許期間は1年間で更新可能となっているので、次の訪英時には運用できるものと楽しみにしている。(1985年4月記)」 「その後アメリカの住所から毎年更新を行った。更新は1988年まで続け、QSLカード(写真18)も作って運用のチャンスをうかがっていたが、とうとうこのコールサインで運用するチャンスがなかった。(1988年7月追記)」 「1988年7月に米国勤務を終え帰国したが、2年後の1990年に英国勤務命ぜられた。再びN2ATTの免許を添えて短期免許を申請したが、1991年1月4日付けの臨時免許はG0/N2ATTとコールサインが変わっていた。英国のAクラスのコールサイン(プリフェックス)であったG4が満杯になって、G0に変わっていたからであろう。(1991年1月追記)」
写真15. (左)RSGBのクラブ局GB2HQのQSLカード。(右)RSGBのGB2HQのシャックにてG6EFQ, Davidと筆者。
写真16. 英国の相互運用協定による免許申請用紙。相互運用協定を結んでいる国のリストも付されている。
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写真17. G4/N2ATT筆者の免許状。
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写真18. (左)G4/N2ATTの幻のQSLカード。(右)G4/N2ATTの免許更新書類(1987年)。
1984年 (リベリア EL2CJ)
JH4HMI長畑紀氏は現地からシャックの写真やQSLカード(写真19)、免許状の写し(写真20)、リベリアのアマチュア無線局のリスト(写真21)を添えて、近況をレポートしてくれた。「14MHz, CWを中心に運用しております。12月に東京ハイパワーのリニアーアンプHL1K及びアンテナカップラーHC2000を手に入れ、ローバンド(1.8~3.5)にもQRVしております。1年間で90カントリー近くQSOをしましたが、バンドコンディションの悪さに加え、最近アクティビティーが低下しており、カントリー数も伸び悩んでおります。(1986年1月記)」
写真19. (左)EL2CJ長畑紀氏のQSLカード。(右)EL2CJ長畑紀氏のシャック。
写真20. EL2CJ長畑紀氏の免許状の表と裏であるが、裏には免許更新の記録がある。(クリックで拡大)
写真21. リベリア・アマチュア無線協会が作った、リベリアのアマチュア無線局のリスト(1985)。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ