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Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

第22回 ドコモ関西アマチュア無線クラブ(JA3YRA)の皆さん

Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

そしてクラブシャックの中へお邪魔しました!


ドコモ関西アマチュア無線クラブ、JA3YRAのクラブシャック。メッチャ明るくてキレイでした♪

中はラグビーチームの倉庫だったとは思えないほど、明るくてキレイ。大きなデスクの上には、IC-756PROⅡとIC-PW1、IC-7000Mなど、各バンドの無線機が並んでいます。アマチュア無線家だった電電公社のOBが亡くなられた際、ご家族が寄贈してくれたものも使っているそうです。いいお話~!

このJA3YRAというコールサインは、昭和30年代に電電公社(当時)の社団局の1つとして開局、その後は休眠状態になっていたものだそうです。その免許人は現在のクラブメンバーのお一人だったことから、2008年に社団を継承する形で歴史あるコールサインを復活、その後クラブ名を「ドコモ関西アマチュア無線クラブ」に変更したそうです。

--それにしても、いいシャックですね~!

「はい、当時は関西の無線ネットワーク部門の最高幹部がアマチュア無線家で、“会社に無線の技術者はたくさんいるけれど、実際の無線通信を知っている者は少ない。もっと無線のパッションを伝えるべきではないか”と、アマチュア無線クラブの開設に理解を示してくださいました」

--わあ、理解がある方がいてよかったですね!
「もちろん、その方もクラブのメンバーになってくださいました(笑)。ただ、ドコモ大阪南港ビル屋上の約146mあるタワーにアマチュア無線のアンテナを付けるのは賛成できない。強風で万一アンテナが飛んだら大変だ”ということで、ラグビーチームの倉庫とその横の敷地に白羽の矢が立ちました(笑)」

--最初から1kW局だったのですか?

「いえ、開設当時は50W局でしたが、2013年には1kWの免許をいただきました。ここは周囲に民家が一軒もないので、近所から電波障害がないという確認印をもらう必要がありませんでした。それでも準備には数年かかりましたね」

--今はアクティブに出ていらっしゃいますか?

「ドコモ大阪南港ビルが勤務地の人は、夜勤の前に少し早く来て運用するとか、お昼をここで食べながら運用するメンバーもいます。あとはコンテストですね。メンバーには事前に“あなたはこのコンテストで何局QSOしなくてはいけない”というノルマが通告されるんです(笑)」

--交信ノルマ! 大変~!!


JA3YRAはコンテストに参戦! シャックには入賞したときの賞状やトロフィー、楯が飾ってありました

「でもね、“練習に来ない背番号1”という感じの凄い人がいて、コンテストになるとその人が頑張って、交信局数を積み上げてくれます。2014年のALL JAコンテストでは電信電話部門のマルチオペ2波種目に8名で参加して、3エリアの1位になりましたし、2014年のオール大阪コンテストでも、府内局の電話部門、電信部門それぞれで部門優勝しています」


ゲストオペレーターでJA3YRAを運用! ノイズが少なく快適に交信できました

楽しいお話を伺った後、「Masacoさん、ご来訪記念にこのシャックから電波を出してみませんか?」というお誘いを受け、IC-7000Mでゲストオペ運用をさせていただき、7MHz帯でCQを出して、熊本県の方と交信させていただきましたよ!!!ノイズも少ないし、電波が飛んでいる感じ!! うーん、羨ましいな!!

場所を移して9名の皆さんとミーティング♪

夕方からは、関西各地で働いているメンバーの方が集まって、別の場所でミーティングを開催してくださいました!!

面白かったのは、アマチュア無線クラブを設立するときのお話!

「当時、NTTドコモ関西のトップだった方に“アマチュア無線クラブを作りたいのですが…”と相談に行ったら、エラく反応してくれて、こっちが驚いた!」とか「社内の規定で10人以上のメンバーがいないと公式の社内サークルになれない。メンバー集めに奔走したけれど、皆さん、意外に会社で“アマチュア無線やってます”とは言わないんだよね~。休憩時間にもそんな話はしていないし」といった裏話も聞かせてもらいました。

また会社の業務上、電波が良く飛ぶ山の上には中継所を持っていることがあるそうで、「仕事で、ある山の中継所に行ったら、局舎も敷地内にある60m高のタワーも空いているのがわかった。アマチュア無線クラブだったら、あそこに移動運用ができそうだ」とか「みんな“あそこは電波の飛びがいいよね”という場所をよく知っている。毎年8月のフィールドデーコンテストの移動場所選定には事欠かないです」という、ちょっと羨ましいお話も飛び出しました♪

さてさて、集まってくださった皆さんの、アマチュア無線を始めたきっかけと、今のお仕事や無線の活動を伺いましたので紹介しましょう。


JQ3QME 佐伯さん(左)とJA3HJI 西邑さん(右)

★JQ3QME 佐伯さん
『送電エンジニアだった父親の影響で、小学生の時に真空管のワイヤレスマイクなどを作ったことがあります。中学校にアマチュア無線クラブがあって自分も入部。講習会で免許を取って昭和48年にJR3のコールサインで開局しましたが、お金がなくて再免許申請ができずに廃局してしまいました。

高校生からはデジタル回路に熱中。大阪で買えなかったマイコンのCPU(8080)を買いに秋葉原まで行ったこともあります。大学時代もずっとパソコンを楽しみました。ネットワークの仕事をしたいとNTTに就職したら、なぜか無線の部署に配属されポケベルの開発部隊に…。NTTドコモでは、無線の仕事をしているのにアマチュア無線クラブがないのは不思議で、“クラブを作ろう”という言い出しっぺになりました』

★JA3HJI 西邑(にしむら)さん
『小学校5年生で「子供の科学」を読み、無線に興味を持ちました。高校で国家試験を受けて電話級に合格、7MHz帯や21MHz帯のAMに出たり、タクシー無線機のジャンクを144MHz帯用に改造して遊んでいました。昭和47年に入社した電電公社で“お前は無線の仕事をしろ”と言われ、趣味と仕事が一緒なのもまずいナとQRT。横浜の家から昭和59年に大阪の実家を常置場所としたJA3HJI/1で再開。だんだん熱くなってきて、昭和60年にはJS1QQXのコールサインで100W局の免許を取得し、タワーも建てて結構交信していました。

最近、ようやく仕事は全部リタイヤしたので、一生懸命ハムをやりたいと思っています。今度はジャマイカに無線をしに行くので、それに合わせて米国の無線ライセンス(エクストラ級)を取得しました。来年4月には1アマ資格も取るつもりです』


JR3CBX 西村さん(左)とJF3LEO 梅垣さん(右)

★JR3CBX 西村さん
『友人の影響で、小学校6年生の冬休みに講習会を受けました。合格後、従免が届くのに3か月、開局申請書を出してもなかなか免許状が届かない。ようやく来たら“CBX”というバイクのようなコールサイン。そのありがたみがわかりませんでした(笑)。
初めて買ったリグは50MHz帯のECHO-6、アンテナは内蔵ホイップでした。近所の小学校の先生と中学生の自分が毎晩対等に話ができたのが楽しかったです。

大学を出て電電公社に入ったら、やたらと忙しく、コールサインも長く切らしていましたが、このクラブに入った後で再開局しました。現在はドコモを退職し経営コンサルタントを開業しています』

西村さんは私と同じく、サフィックスが「CBX」!! なんだか家族に出会ったような気持ちです♡ (笑)


JR3CBX 西村さんとQSLカードの交換をしました! サフィックスCBX同士です、嬉しい~!!!

★JF3LEO 梅垣さん
『昭和51年の開局です。父親が趣味で真空管ラジオを作って売っていたので、家には真空管がゴロゴロ。自分も「子供の科学」などの雑誌を読んでいました。
“無線の資格が取れる”ということで高校を選び、“無線の仕事ができる”ということで就職先(NTT)を決めました。

当時はプロの無線資格を取ると、会社から補助金が出ました。結婚し子供が生まれた直後は「ミルク代や」と、本当に真剣になって1技と伝送主任技術者の資格を取りました。
今はマイクロバートという小型アンテナで7MHz帯のRTTYに出ています。海外のRTTYコンテストをはじめ、いろいろなコンテストに参戦していますが楽しいですね。6m&Downコンテストでは個人局部門で700局ぐらい交信し、上位入賞になったことがあります』


JA1TSM 石橋さん(左)とJG3UPM 吉野さん(右)

★JA1TSM 石橋さん
『今年の4月に入部しました。仕事では新しいネットワークシステムの構築を行っています。アマチュア無線は20年ぐらい前、バイクでツーリング中に多くのバイク仲間が無線機を持っているのに気付き、地元の人から情報をもらうのが便利そうで始めました。東京から単身赴任で来ているので、再割り当てのJA1コールです(笑)。東京のハム仲間と7MHz帯で交信できるよう準備を進めています』

★JG3UPM 吉野さん
『父親もハムだったことから中学のときに講習会で免許を取りました。高校卒業後、名古屋の専門学校に進み、毎日モールス通信の勉強に明け暮れました。
昭和62年にNTTに入社。テレビの中継回線センターに配属され、中継現場にパラボラアンテナを設置して臨時回線を設ける仕事をしていました。

入社5年目、青年海外協力隊でアフリカに無線通信技術職で行きました。最初はルワンダに派遣されましたが内戦勃発で撤退。再派遣されたニジェールで1年半過ごしました。現地で「5U7Y」のコールサインをもらい、約2万局と交信しましたよ。当時はコンディションもよかったので、14MHz帯に出るとすぐに日本の局に呼んでもらえました』


JF3MXV 渡部さん(左)とJS3OMH 倉田さん(右)

★JF3MXV 渡部さん
『高校1年生で免許を取得して50MHz帯で開局。高校では無線クラブに入り、地元の尼崎クラブにも入会しました。大学(大阪電通大)では、みんなで特殊無線技士(多重)の免許を取りに行きました。就職は電電公社で、多重の資格を持っていたことから無線の部署に配属され、テレビ中継回線のセンターで仕事をし、その後はOCNの立ち上げにも加わりました。

ある日、会社でアマチュア無線クラブを立ち上げるという話が聞こえてきたので、1アマを受験し合格しました。今年で会社を卒業し、基地局工事のチェックを行う仕事をしています』

★JS3OMH 倉田さん
『小学生のとき、学研の27MHz帯トランシーバーで遊んだのがきっかけで無線に興味を持ちました。中学校に入って資格を取り社会人になってから430MHz帯で開局しました。今はマンション住まいでHFはIC-7300M、V/UHF帯はIC-7100Mで出ています。また離島(トカラ列島の全島)などからのQRVも行っています。

仕事は固定電話系の会社で、電話やISDNの開通業務を行っています。一時期、NTT西日本グループの無線局免許申請の担当でしたので、その関係でアマチュア無線クラブから声をかけてもらいました。もっぱらCWのコンテスト要員です』


JO3TND 足立さん

★JO3TND 足立さん
『最初は「ラジオの製作」誌がきっかけでアマチュア無線に入門し、昭和62年に開局しました。船舶電話の会社に就職しましたが、ちょうど船舶電話が250MHz帯から衛星通信に代わる時期でした。修理のために沖合の外航船に乗り移るのに、重い荷物を持ち、ものすごい高さの縄ばしごにビビりながら登ったこともあります。

その後は神奈川県横須賀市の研究施設で、FOMAなどの基礎となるIMT-2000の移動機開発に従事しました。関西に戻ったときに“アマチュア無線クラブができるよ”と声が掛かりました。あと、ボーイスカウトでの指導も行っていて、2015年に山口県で行われた世界スカウトジャンボリーでは記念局設置で奔走しました。すべてご縁。無線の繋がりが仕事にも役立っていると思います』


皆さんありがとうございました。これからもアマチュア無線で、そして800MHzや2.1GHzでヨロシクお願いします♪

「ドコモ関西アマチュア無線クラブ」の皆さん、今日は貴重な社内見学からクラブシャック訪問、楽しいミーティングまで、濃厚な時間をいただきました! ありがとうございました。

真っ黒で大きなカバン型の携帯電話の時代から今日までの約30年で、急激な進歩を果たしたケータイやスマートフォン! 今ではなくてはならない身体の一部ですが、皆さんの努力で毎日変わりなく使えていることがわかりました! これからもお仕事の合間のクラブ活動も楽しまれてくださいね♪
ちなみに今回の私の衣装はドコモカラ―でした~! ドコモダケに並んで新キャラクター「Masacoダケ」もよろしくおねがいします(笑)♪

(JH1CBX Masaco)

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