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Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

第77回 和歌山県赤十字特別救護隊(JA3YQJ、JA3ZBG)の皆さん

2026年1月15日掲載

Masacoの「むせんのせかい」 ~アイボールの旅~

皆さんにお話を伺いました

屋上見学を終えて、もう一度1階の無線室に戻り、隊員の皆さんからお話を伺いました。昔の活動を知っている年配の隊員の方から、貴重なお話を伺うことができました。その一部分をご紹介します♪

●JA3FRI 山田さん


JA3FRI 山田さん

ここの無線局長です。この中では一番の年長者で83歳になります。和歌山は大きな台風が必ず来るような災害県で、これまでにも「第二室戸台風(1961年)」とか「有田川の水害(1953年)」「ジェーン台風(1950年)」など、たくさん来ました。

赤十字も自分たちだけでは活動がしきれないので、手助けしてくれる人が欲しいと思っているところに、アマチュア無線が戦後再開になり、1961年に準備委員会を発足させ、1964年の2月に9人のメンバーで発足しました。もう61年も前ですね。

そして1968年3月にクラブ局のJA3YQJができまして、この場所で活動を始めました。最初は無線だけでしたが、無線だけでは活動範囲が少ないので、もう少しいろいろなことができたらなということで、救急法も勉強して資格を取り、活動をだんだん広げてきて、1970年9月に赤十字特別救護隊になりました。

その時に寄贈いただいた隊旗がこれで、発足式は県庁で行いました。それから後は、1967年に起きた由良町の集団赤痢や、1980年の富士山落石事故の救助などを経験しました。


1980年8月14日に富士山で大規模な落石事故が発生(死者12人、負傷者29人)。訓練登山のために富士山に居合わせた和歌山県赤十字特別救護隊が迅速な救護活動を行い、後日山梨県知事から感謝状を贈呈されました

しかし、何と言っても1995年の阪神淡路大震災の活動が一番の思い出です。私と隊員の小川さんは、この活動に参加しました。和歌山県支部に集まって救援物資を積み、現地に運ぶことになったのですが、緊急自動車の通行証を発行してもらってもトラックがなかなか集まらなくて。最終的に日通さんにお願いして行ったのですが、尼崎付近まで行ったらもう通行規制で走れなくなってしまって…。

「緊急車です!」と言って少し走ったところで消防車が見つかったので先導してもらって、なんとか現地に着きました。我々は救援物資を渡しただけですが、救護班と一緒に行った人は向こうでテントを立てて救護所を作って医療救護をしていたそうです。

医療救護は3日交代の繰り返しでしたが、赤十字には車を運転する人員が足りず、我々がその手伝いをしたり、現地でテントを建てたり、水の確保をしたり、電気関係のことをしたり、いろいろとやっていました。そういうようなことがあってから、日本でもだんだん「ボランティア活動」が進んだ感じがします。

阪神淡路大震災のときは、アマチュア無線もいっぱい使いました。アイコムさんが物凄い数のハンディ機を寄付してくださって、臨時の無線局を開局してやりました。大阪から向かうときにはレピータが活躍して、ハンディ機で兵庫までつながったので安心できました。

●JO3MFX 小川さん


JO3MFX 小川さん

阪神大震災のときに「IC-Δ1(デルタワン)」という144/430/1200MHzのハンディ機がありましたが、あれが私たちにとっては“命の綱”でした。2人がそれぞれ2~3台を予備として持ちまして、行きは借り上げのトラック、帰りは徒歩のつもりで現地に行きました。

現地には赤十字救護班(医療班)が真っ先に向かっているのですが、私と山田さんは奉仕団ということで物資輸送の第一班でした。トラックの手配に苦労して、たまたま来た日通の下請けのトラックに二人で乗って夜中に出発して、西宮市役所まで着いて諦めました。神戸までは届きませんでした。その時、別動の特別救護隊員と赤十字病院のメンバーはもっと先行していました。

そんな中で一番印象に残っているのは、阪神高速の橋脚がずれて下が見えているんです。「君たちが落ちてはいけないから待て」と言われて。「まず道路公団のパトカー、次に警察の高速隊、この2台が進むから、50mか100m離れなさい。落ちるなら私たちだから、君たちは落ちてはいけない」と言われて、私も山田さんもその言葉に泣きました。

いろいろなサポートの中でやっぱり心強かったのは、アマチュア無線のFMレピータが良く繋がったということです。いざというときに使えれば、これほど心強いものはないと思いました。

今はアマチュア人口が減っていますが、ここで“防災”というキーワードで「ハンディ機は命の綱だよ」ということを教えて、なんとか進められないかなと思いながら、ちょこちょことやっているところです。

アマチュア無線は非常に幅広く、裾野が広く、いろんな人が集まりますから、活かせるところが多いと思います、とくにJARLのD-STARです。アナログFMじゃなくて、デジタルで出せるよ、位置情報がわかるよっていうところで、私が今一番推しておるところです。これからもお世話になりますので、皆様よろしくお願いします。

●JK3MGN 西岡さん


JK3MGN 西岡さん

アマチュア無線は非常に幅広く、裾野が広く、いろんな人が集まりますから、活かせるところが多いと思います、とくにJARLのD-STARです。アナログFMじゃなくて、デジタルで出せるよ、位置情報がわかるよっていうところで、私が今一番推しておるところです。これからもお世話になりますので、皆様よろしくお願いします。

最近は大変な気象状況になることが多く、被害に遭ってお嘆きになる方もいらっしゃると思いますが、私たちも協力して、できるだけみんなが助け合っていけるように頑張っていければと思います。

●JJ3AKZ 井本さん


JJ3AKZ 井本さん

私も入隊から日が浅く、本当の現場にはまだ行っていませんが、訓練には何回か参加させてもらいました。人助けとか無線が好きで。Masacoさんとは何回か交信させていただきました。これからも訓練を重ね、それを活かして人を助けたりできればと考えています。今後も頑張りますのでよろしくお願いします。

●JI3JRW 山田さん


JI3JRW 山田さん

災害救援には行けていませんが、訓練では、先ほど見ていただいた無線のマイクロバスや大型トラックで物資輸送や無線設備の設置などをやっています。訓練でこの本部の無線局と大阪湾を越えた兵庫県と430MHz帯で通信できたり、運転中も無線で連絡が取れたりしたのはよかったなあと思っています。

もういい歳なので「助けに行く」よりも「助けてもらおう」のほうになっていますが(笑)、皆さんひとつよろしくお願いします。

●村瀬さん


村瀬さん

現在、コールサインが失効中です。35年前に入隊しました。ただもう長くいるだけで、特にすごい活躍はしておりません。

簡単にこの隊の皆さんを紹介しますと、最初にお話された山田さんは元県職員で獣医師です。小川さんは自衛隊の警務隊でいらっしゃいました。それから西岡さんは電気屋さん、私は高校の教師で、次の嶋田さんは警察官で、今も交番で相談員として勤務されていらっしゃいます。そのお隣の岩田さんは私と同じ高校の教員です。ほかにも小学校の校長先生だった方や公務員の方もメンバーになっています。

「二足のわらじ」ではありませんが、空いている時間をボランティアの奉仕活動に使っています。思い返せば、阪神淡路大震災の時が“ボランティア元年”になったということですね。ということで、よろしくお願いします。

●嶋田さん


嶋田さん

私も現在、局免許失効中です。無線というのは年に関係なく、若い人でも歳を取っていてもできる趣味なので、退職したらまた開局しようと考えています。私も村瀬さんと同じように阪神淡路大震災から参加しています。職業が警察でしたので、仕事で行ってボランティアでも行って・・・ ということで、応援部隊で震災の被災地に行っておりました。

かなり凄い状況でした。その現実を見て、悲惨さをつくづく実感しております。これからまた活発に活動していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

●JA3PQY 岩田さん


JA3PQY 岩田さん

高校時代は、以前Masacoさんに取材していただいた県立和歌山工業高校の電波研究部(JA3YAL)に入っていました。

部活の先輩は、807シングルの7MHz帯AM送信機を組み立てていて「えらいことやってるな」と感心しました。私も電話級ハムの資格を取って、S2001シングルのAM機を作り、その後は発売が始まったばかりのFDAM-3でアクティブに運用しました。

入隊は阪神淡路大震災の直後だったと思います。JA3BFS 故 浅井OMの紹介で村瀬さんと一緒に入りました。入隊当時、高知県の台風災害で夜中に緊急物資を運搬し、徳島までフェリーで渡り、南はもう道路寸断だったので北回りで高知に向かって夜通し走った経験があります。

一番の思い出は、東日本大震災の第3班として、3月19日から現地に空路で行きました。伊丹空港から羽田経由で秋田空港へ入って、盛岡赤十字病院で1泊仮眠をして、陸路で釜石から岩手県の山田町に入りました。

どんどん海の方に進むに従って凄い被災状況になってきて、鳥肌が立ったのを覚えています。山田町の駅周辺は火事でもう何もなかったです。山田小学校の体育館の隣のテントを張り、そこで野営をしました。とても寒かったですけど、一生懸命頑張っている人もあるのだからということで5日間従事しました。

毎日19時になると各種団体の打ち合わせがあって、車に医療班を乗せていくんですけど、カーナビが「そこを行け」と案内しても実際は橋が落ちてしまっている・・・ とか、そういうことで大変な思いをしました。

●JO3RUP 富松さん


JO3RUP 富松さん

他の皆さんのように「ものすごく無線が好き」ということはありませんが、今日は欠席されてますけども、隊長の井尻さんと同じく、紀の川市で青少年の健全育成をやらせていただいております。隊長がその支部長で、私は副支部長をやっていて「無線の免許を持っています」と話したら、「赤十字に入ってくれよ」と誘われ、そういう感じで入隊しました。皆さんに親切にしていただいて今日に至っています。

私は大型自動車の免許を持っているので、マイクロバスやトラックとかの運転をやらせてもらっています。無線の免許は持っていますが、あまり得意ではありません(笑)。

●JE3WZF 大林さん


JE3WZF 大林さん

最初に無線従事者免許証を取得してから、今年でちょうど50年になります。中学校1年生ぐらいでハムを始めたようです。この趣味が高じて通信会社に就職するみたいなことまで行ったんで、無線が自分の人生に大きく影響したのかな? と思います。

日本赤十字社の関係では、私はここのほかに救急法等講習の安全赤十字奉仕団もやっており、2024年に能登の大地震の現場に5日間行きました。やはり道路が完全に崩落して道がないというような状態でしたが、そんな中で地元の皆さんは大変な状況なのに明るく振る舞って、優しく接してくださったのが印象的でした。


2024年2月1日、能登半島地震災医療班の支援ボランティア活動として、特別救護隊隊員を含む車3台が出発しました(和歌山県赤十字特別救護隊画像掲示板より)

全国から来ているいろいろな支援団体の人たちも「日赤さん」と言って挨拶してくださって、横断歩道では止まって私たちの通行を優先してくれたり。支援に行っている私達に逆に気遣って下さって・・・、そういうみんなの力っていうか、みんなが支え合っているんだというのを改めて感じて、我々は非常に微力ですが、“困っている・苦しんでいる人の役に立ちたい”という思いを結集して、活動できることに感謝しています。

以前は日赤のボランティア活動をしていることを職場には内緒にしていたのですが、思った以上に周りが応援してくれて、支援してくれるようになりました。今の社会でボランティアがリスペクトされていることを実感しています。今でも結構、平日にこの活動で不在になることが多いのですが、周りの方は気持ちよく送り出してくれるので、感謝しています。


救護のための医療用資材が詰まったバッグを見せていただきました

JA3YQJをゲスト運用!

そして最後は、恒例の「Masacoの体験コーナー」です! 今回はJA3YQJの無線設備を使って、7MHz帯でゲストを運用させていただくことになりました。

「CQ、CQ、CQ、こちらはJA3YQJ・・・ 和歌山県和歌山市です。お聞きの方いらっしゃいましたら、交信お願いします!」


JA3YQJをゲストオペレート中!

最初の数回は空振り(お昼過ぎの7MHz帯で、あまりコンディションも良くなかったようです)。諦めずに短いCQを続けていたら、広島県呉市の局から応答がありました!

「JO4・・・・・・、こちらはJA3YQJ、和歌山県和歌山市の和歌山県赤十字特別救護隊、ゲストオペレーターのMasacoです! 59で入感しています、どうぞ!」

相手の方もオペレーターが私だとわかったみたいで、サプライズ?! 成功(笑)、嬉しそうなお声が返ってきてなんだか嬉しかったなぁ~!

交信を終えると、次は新潟県柏崎市の局からも呼んでいただき、合計2局と交信ができました。QSLカードをビューロー経由でお送りしますので、到着までお待ちくださいね♪


JA3YQJのQSLカード。隊旗がデザインされています♪

終わりに&交流会ありがとうございました♪

和歌山県赤十字特別救護隊の皆さん、ミーティングにお邪魔させていただき、本当にありがとうございました。

いつ起きるかわからない災害ですが、発生したときはすぐに現地に向かい、救護やサポートができるように、日頃から装備を整え、訓練を重ねている皆さんがいらっしゃることを心強く感じました。そして私も大好きなアマチュア無線が、ボランティア活動の中で実際に役立っていることを知り、ちょっと誇らしい気持ちにもなりました。

阪神淡路大震災や東日本大震災のとき、交通が混乱する中で現地に駆けつけ、できる限りの支援をされたというお話は、伺っているだけで涙が出るような気持ちでした。

大変な活動だと思いますが、これからもお体に気をつけて続けられてくださいね。私も昨年「防災士」の資格を取りました。資格を取って満足するのではなく、何か小さなことでもお手伝いをしていきたいな・・・ と考えています。

さて、いつもの「Masacoのむせんのせかい」の訪問でしたら、これで終わりなのですが、なんとなんと! 皆さんのご厚意で建物の広い会議室で「Masacoさん in和歌山 交流会」を開いていただいたんですよ~!!


なんとサプライズで「Masacoさん in和歌山 交流会」を開いていただきました! 懐かしい皆さんとも再会でき、楽しいおしゃべりで盛り上がりました♪

特別救護隊の皆さんはもちろん、和歌山県内のアマチュア無線家の方もたくさん集まってくださいました! あ、エフエム和歌山の理事長の山口さん(JA3WJA)や、和歌山七番丁430レピータ管理団体の皆さんもお越しになってくださいました! お久しぶりです♪


交流会に参加された皆さんと記念撮影♪ 皆さんありがとうございました!

交流会では、日本赤十字社のPRビデオを一緒に観たり、お一人ずつに順番にマイクを渡して、おしゃべりを楽しんだりと、なんだかラジオ番組にメッセージや質問が届いて、やり取りをしているような感覚でした(笑)。この笑顔の写真で皆さんのお人柄が伝わってきますよね~! 愛が溢れている♪ 身内のようなホッとする締めくくりでした♪ 集まってくださった皆さん、本当にありがとうございました~!!

(JH1CBX Masaco)

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