2014年10月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
1981年 (米国 KM7M, KC2CQ)
JG1GGF木村敬氏は、米国でKM7Mの経験をレポートしてくれた。「1981年7月10日から8月23日までの約1ケ月半の期間U. S. A.を旅行した際、Seattle, WAにて、KA7APJ, Jimの協力を得て、KM7Mの免許を取得した(写真11)。残念ながら、実際に自分の免許を手にしたのは帰国後の10月であり、自局の運用は出来なかったが、訪問先の友人の局のGuest OP.として運用した。KA7APJでの運用は144MHz FMで、Jimの友人数局とContact。当時JAでは、リピーター通信はまだ行われておらず、非常に楽しい経験であった。また、KM6Aでの運用は、14MHz, 21MHz SSBで数局のW局、JA局とContact。このとき、第三者通信の認められていないJAとのContactは、私がFCCの合格通知を所持しているので、Control OP.で問題なしというGaryの好意的解釈に基づき運用した。海外での運用はExitingで良い思い出となった。(1985年5月記)」
写真11. KM7M木村敬氏の免許状。
IBMにお勤めであった故JA1APA久我隆氏は、仕事でよく米国に出張され、KC2CQの免許を得てJANETのメンバーとQSOしたり、訪問してはアイボールQSOを楽しんでおられた(写真12)。1985年4月22日付けの筆者への手紙で、「・・・将来は無人QSOが出来るMail BoxをJANETの為に今考えています。勿論衛星を使用してPC同志を結ぶのですが、当初はレピーターを使用して充分実験してからにしたいと思っています。プロトコールはAX.25。今有線の方でも流行しようとしています。(1985年4月記)」と、まだパケット通信やインターネットが普及していない時代だった。
写真12. (左)KC2CQ久我隆氏のQSLカードと、(右)ニューヨークにてJANETのメンバー達と久我隆氏(中央)。
1981年 (ハワイ N2ATT/KH6)
筆者JA3AERはハワイ訪問時の様子を次のように記録していた。「米国滞在中の1981年7月、仕事で一時帰国した帰途ハワイに立ち寄り、NH6A紺野さんのシャックを訪問(写真13)、N2ATT/KH6でQRVさせて頂き、JA局ともQSOすることが出来た(写真14)。また、翌年1982年の2月にも、XYLと共に一時帰国の帰途ハワイに立ち寄り、KH6GFQ山本さんのシャックを訪問(写真15)、N2ATT/KH6でQRV、東海岸やJAともQSOさせて頂きました。このハワイ訪問では、NH6A 紺野さんの奥さんにオアウ島の観光案内をして頂き、 紺野さんにはアリゾナメモリアルで開かれたHARS(ホノルルのアマチュア無線クラブ)の月例ミ-ティングに連れて頂いて、KH6IJ野瀬さん(写真16)やKH6JDU相馬さん(写真17)達ともアイボ-ルQSOをさせて頂きました。(1985年4月記)」
写真13. (左)NH6A紺野氏のQSLカード。(右)NH6A紺野氏。
写真14. (左)絵葉書を利用したN2ATT/KH6のQSLカード。(右)N2ATT/KH6を運用する筆者。
写真15. (左)KH6GFQ山本氏。(右)KH6GFQ山本氏のシャックにて筆者と山本氏。
写真16. (左)KH6IJ野瀬氏のQSLカード。(右)KH6IJ野瀬氏ご夫妻。
写真17. (左)KH6JDU相馬氏のQSLカード。(右)KH6JDU相馬氏。
1981年 (ウォリス・フツナ FW0BK)
JA1BK溝口皖司氏から、「1981年9月, 史上初の50MHzとRTTYのQRV. JAと50MHzで1,200局QSO出来た. (免許人はFK8DJでオペレ-タ-として他にJA1MIN, 小川さんが参加された)。(1986年4月記)」とレポートとQSLカード(写真18)を頂いた。QSLカードの右下の写真は、FW0BKのシャックにて溝口氏であるが、同行されたJA1MIN小川氏は、左上の写真の後列中央と思われ、その右側がFK8DJ, Jean-Claude Kryger氏と思われる。また、裏面には当時のデータが印刷されている。
写真18. FW0BK溝口皖司氏のQSLカード表と裏。
1981年 (トンガ A35AO)、 (西サモア 5W1FD)
JANETのメンバーとして南太平洋からJANETのネットにチェックインしていたJR7KOI大滝明氏から、トンガの珍しい切手を貼った郵便(写真19)でレポートを頂いた。「以前に海外協力隊員として、今回は国際協力事業団委託として、西サモア、トンガ両国の水産局に勤務、船舶機関の技術指導を行う。西サモア、トンガ両国とも日本と相互運用協定はないが、日本で2アマ以上であれば(英文の証明書と申請書が必要)交付されます。但し、小生の様に日本で電話級のみの免許の場合、トンガ当局(電信電話会社)による認定が必要となりますが、多くの場合話し合いだけで、実際の試験は行われません(写真20及び21)。また、局の検査等もありません。(トンガにて、1986年2月記)」。大滝氏には帰国が迫っていた時期だったのか、「残念なことに、小職の任期が終わりに近づき、3月末をもってQRTとなります。JANET各局、ネットコントローラー各局には大変お世話になり、感謝しております。JANETの今後の発展をお祈りしております。」と書き添えられていた。
写真19. (左)A35AO大滝明氏のQSLカード。(右)A35AO大滝明氏からの書留航空便の封筒。
写真20. A35AO大滝明氏の免許状。(クリックで拡大します)
写真21. 5W1FD大滝明氏の免許状。(クリックで拡大します)
1981年 (オーストラリア VK2EAA, VK3DJA)
JJ1HKQ岸弘氏はオーストラリアの北シドニーからVK2EAAで運用したと、QSLカード(写真22)を送ってくれた。「1981年11月に北シドニーから運用しました。(1991年8月記)」
写真22. VK2EAA岸弘氏のQSLカード。
JH4MUQ高島淳氏はオーストラリア旅行でVK3DJAの経験をレポートしてくれた。「1981年、旅行にてオーストラリアに行った時の1ヶ月の限定ライセンスでした。VK3NTCのシャックから約50局とQSOしました。(1989年10月記)」
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ