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今月のハム

JA3XQO 竹中信雄さん

2025年9月16日掲載



大阪府高槻市在住の竹中信雄さん。1969年にJA3XQOをFDAM-3で開局し、以来50MHz帯AMなどでアマチュア無線を楽しんでいる。1980年2月より仲間と南大阪A3ロールコールを50MHz帯AMで開始し、現在までの45年間無休で行っている。ロールコールは2010年頃より実施バンドを拡大し、最近では10.1GHz帯まで幅広く行い、ご自身はSHF帯でのJARL交信記録認定にもチャレンジしている。

アマチュア無線を知り、高校生で開局

中学生の頃入院していた時、病院に真空管ラジオがおいてあり短波も受信できるものであった。このラジオを聞いていた時、近所のアマチュア局の7MHz AMの交信を受信したのが初めてのアマチュア無線との出会いであった。

そこで興味を持った竹中さんはアマチュア無線の勉強を始め、中学2年の時に電話級アマチュア無線技士を取得したが、高校受験のため開局することはなかった。その後進学した高校に放送部があり、アマチュア無線の活動もしていると聞き入部したそうだ。そして高校1年生の1969年10月にFDAM-3でJA3XQOを開局した。当時はHF帯でSSBが出始めた頃で、まだ50MHz帯ではAMが主流であった。電波を出すと交信相手から「無線もええけど、勉強もせんとあかんで!」と言われるなど、親切な心暖かい方が多かったという事でより50MHz帯AMで運用するのがお気に入りとなり、現在までAMが好きでずっと続けられる趣味となっていった。

高校2年生となり大学の受験勉強のため一度無線機を封印し、合格後は大学進学で1エリアへ引っ越しをした。そしていざ無線するぞという時、当時はサイクル20のピークを過ぎた頃でCQ誌を見ると50MHz帯CWの10Wでもアメリカと交信できているのを知り、電信級アマチュア無線技士の講習会を受講し取得したそうだ。学生時代1エリアでは50MHz帯CWの交信が多かったという。

当時1エリアでは、50MHz帯SSB/CWのロールコールが盛んであり、その仲間と交信したり、アイボールQSOして色々な情報交換などをしていた、そのタイミングで1エリアに居られたことが大変良かったという。また秋葉原へ行きジャンク屋さんやパーツ屋さんなどを回っていると、店主が学生に「興味があったら、このパーツ持ってけ」などと言ったこともあったそうだ。

AMロールコールを始める

1970年代前半、AMモードが搭載されていない無線機が発売されるようになり、次第にAMからSSBへとシフトしていく走りで、「これからはSSBだ、オールモード機だ! と」言う声がある中、中高生達から「お年玉で無線機買ったのに、新しく出たSSBに出れる無線機はすぐ買えない・・・」といった声を聞き、上記のSSB/CWのロールコールを聞いていたり、先輩から聞いた話などのノウハウをもとに、大学に在籍している間だけでも、と「1エリア6m AMロールコール」を立ち上げた。当時のメンバーも含めたメンバーで現在も続けられている。

一方、就職のために3エリアへ戻った竹中さんは、50MHz帯AMを聞いて愕然とした「50メガのAMが滅びとる・・・」。当時1エリアでも少なくなっていたが、3エリアではさらに少なっていた。かつて1エリアに引っ越す前に出ていた近所のOMさんくらいしか出ていない状況であった。そこでコンテストに参加する際にAMで電波をよく出すようにしていた。しばらくすると中高生と交信することが多くなってきた。そこで前述の1エリアと同様に「これからはSSBやCWだ、オールモード機だ!」と言ったところ、中高生達から「SSBに出れる無線機はすぐ買えない・・・」と言われ、50MHz帯でDX交信をやりつつも1980年2月より毎週金曜日に3エリアで「南大阪AMロールコール」を始めることとなった。当時の設備はIC-501(AM 2.5W)と20mH 3/2λ逆Vダイポールアンテナであった。

現在は、高槻市で「南大阪AMロールコール」とうたって実施しているが、当時堺市で行っていたことから「南大阪」としていたものを、竹中氏が2004年3月に高槻市に引っ越した後も、タイトルはそのままで現在も続けている。なお1985年から1994年春まで「北大阪A3ロールコール」が毎週土曜に開催されていたという。

こうして始まった南大阪A3ロールコールであるが、開始当初は40~50局の参加局であったが、市販の50MHz機にAMモードが搭載されることがなくなり、次第に参加局が10~20局と落ち込んでいった。また輪番制にしていたネット局の当番を担当する局も徐々に少なくなっていき、平地に住んでいた竹中さんがネット局を担当することが多くなっていき、時には和泉市の標高約850mの山に行って行う事もあったという。それにより参加局が30~40局まで回復していった。

その後AMモードも搭載されている50MHzオールモード機が登場したことにより、新しく開局した参加者により増加傾向となっていき、ロールコールの参加局が1981年末には90局の回もあり、翌年にはついに100局を超えることとなり、なかなかピックアップされないという声出るほどだったそうだ。

しかし時代の流れかロールコールの参加局は減少に転じ30~40局位となっていった。そこで1986年5月4日に第1回6m AMコンテストを開催して、50MHz帯に限らず28MHz~1200MHz帯でのAMモードの運用PRを行い、毎年5月4日に開催している。また1987年ころからは、有線BBS(PC-VAN、Nifty-Serve)を利用してロールコールの宣伝や毎週のインフォメーションを始め、次第に回復の兆しも見られたという。

ロールコール30周年を経過した2012年より、それまで50MHz帯のみであったが28MHz帯でも開始され、その後430MHz帯、144MHz帯、1200MHz帯、そして不定期だが24MHz帯、18MHz帯、21MHz帯へと運用バンドが増えていった。また50MHz SSBでも行われるようになった。

そして2023年にIC-905が発売されてから、同年10月よりSHF帯での運用も始まり、現在では不定期も含め18MHzから10.1GHz帯で行われるようになり、特にSHF帯では毎回約10局が参加している。

グループ有志による各バンドのネット担当局分担などの協力と家族の理解により、様々な環境の変化やご自身が運用できない期間があったものの、2025年2月に45周年を迎え、現在も続く南大阪A3ロールコールは、2025年の参加局は毎週延べ300局前後、ユニークで120局前後を記録し無休記録を継続している。

★★★ロールコール開催案内★★★

南大阪A3ロールコールは、スタートしたときから45年半ずっとクラブ制や会員制は一切取らずにやってきました。どなたでも参加大歓迎というオープンな性格のロールコールでして、みなさんのチェックインをお待ちしています。

●毎週金曜
 19:30~20:45   28.710MHz± AM
 20:00~20:30   24.975MHz± AM
 20:30~21:00   18.150MHz± AM
 21:00~23:45   50.550MHz± AM
 22:00~23:20  144.410MHz± AM
 23:00~24:15  430.410MHz± AM
 24:00~24:40 1294.410MHz± AM

●毎週水曜
 21:00~22:00    50.220MHz± SSB
 22:00~22:15 2424.400MHz± AM
 22:15~22:25 5760.400MHz± AM
 22:30~22:40  10240.400MHz± AM

3エリア6mAMロールコールグループSNSより一部抜粋

イベント参加もグループ有志によって行われており、1983年からはハムフェア、1996年からは関ハムなどに毎回出展し、AMモードのPRやパーツ類、ジャンク品の販売などを行い、会場周辺での臨時ロールコールを行うこともあるそうだ。


関西ハムシンポジウム


関ハム

イベントでの出展も行っている

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