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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その88 「あの人は今」のコラム1周年 1993年(10)
「あの人は今 (第13回)」JA1LZR岩倉襄氏

JA3AER 荒川泰蔵

「あの人は今」のコラム1周年

昨年2019年7月号の(その87)から掲載を始めた「あの人は今」のコラムは、今回で13回目を迎えて2年目に入りました。編集部と相談してこのコラムを企画した時以来、原稿をお願いした人も含めて20名から寄稿頂いています。過去に「海外運用の先駆者達」に掲載された方々からの、このコラムへのご寄稿は歓迎ですので、筆者宛(ja3aer@jarl.com)にご連絡をお願い致します。「海外運用の先駆者達」の連載は、現在掲載させて頂いている1993年時代がピークで、1年分を11回に分けての掲載になりますが、太陽黒点のサイクル22のピークが過ぎると徐々に件数が減っています。従ってこの連載はあと30回程度になると思いますので、ご寄稿はお急ぎください。尚、今月の「あの人は今(第13回)」は、JA1LZR岩倉襄氏の紹介です。

1993年 (フィリピン 7L2JQM/DU4)

7L2JQM竹内司氏から、フィリピンに移住して臨時免許を取得、7L2JQM/DU4のコールサイン(現在は7L2JQM/DU1)で運用していると、CQ出版社を通じてアンケートを寄せてくれた(写真1~4)。「第二の人生を過ごす海外で、日本語に飢えない為にハムのライセンスをと、渡航少し前に取得した。何も分からない初心者のスタートはDUからOMさんの胸を借りていきなり始まった。それから2年が過ぎ、交信回数も4,500回を超え、その多さと速さに自分でも驚いている。それから当局のアンテナはいつも北のJAに向いているせいか。VKの局と交信するJAの局が良く聞こえてくる。DUの局は、JAは勿論であるが、南アメリカのスペイン語圏との交信に熱心であるように思う。昔統治されていた国同士の親近感があるかも知れない。マニラ首都圏のケソン市のハムクラブは、ハシムさんがリーダーで、毎週水曜日に例会を開いている。DUの無線免許は、マニラの日本大使館から貰う領事証明が必要で、戸籍謄本を出せば翌日受け取れる。日本のライセンスのコピーも同時に持参し、フィリピン・アマチュア・ラジオ・アソシエーションに出せば、1週間後にライセンスが出る事になっている。無線機のNo.も必要。最後に、当局に是非お出かけ頂き、南洋の暖かき国からの体験QSOと、アイボールをお待ちしています。(1994年7月記)」


写真1. (左)7L2JQM/DU4のシャックにて竹内司氏。
(右)7L2JQM/DU4のロケーション。中央にアンテナタワーが見える。


写真2. 7L2JQM/DU4竹内司氏のQSLカードの表と裏。


写真3. 7L2JQM/DU4竹内司氏の免許状。


写真4. 7L2JQM/DU1竹内司氏と7L3BAE/DU1節子氏ご夫妻のQSLカードの表と裏。

1993年 (北マリアナ諸島 AH2CE/KH0, AH0AL, AH0K)

JG1RVN加藤徹氏は、サイパン島への家族旅行で、AH2CE/KH0を運用したとQSLカードと共に、アンケートを寄せてくれた(写真5)。「家族旅行の合間を利用しての運用。TS-50とアロ-ライン(AL-24FH)を窓から出した。本格的なDX-PediもFBだが、このような感じの簡易移動型運用も楽しい。QSO数をあまり増やさず、一局一局が思い出せるような、とてものどかな24MHzの風情であった。こういうのも、またいいのでは? 現地には146.94MHz (-600kHz Shift) にレピーターがあるが、予め地元の局と連絡をとった上、使用許可を得て、必ずFCCのライセンスにて運用されたい(日米との相互運用許可による運用は144-146に限られるため、146MHz帯のレピーター使用は違法になります)。ビーチなど人目に付くところでは、景観を損ねないように細心の注意をしたい。今回は早朝と夜間のみの運用とした。(1993年11月記)」


写真5. (左)AH2CE/KH0加藤徹氏のQSLカードと、(右)それを送ってくれた封筒。

JA6VZB森山聡之氏は、マリアナ諸島のロタ島で運用したと、QSLカードと免許状のコピーを添えて、アンケートを寄せてくれた(写真6)。「1993年3月に、ロタ島のココナッツビレッジホテルからAH0ALで運用し、3.5~28MHzのSSBとCWで、約900QSOしました。リグはTS-50、アンテナはDPでした。(1994年3月記)」


写真6. (左)AH0AL森山聡之氏のQSLカードと、(右)その免許。

JR2GMC桜田雅志氏は、サイパン島からAH0Kでコンテストに参加したとアンケートを寄せてくれた(写真7)。「1990年よりサイパン ダイアモンド ホテルからCQ WW DXコンテスト 及びCQ WW WPX SSBコンテストに参加しています('90-'92のCQ WW DXはKH0AM)。リグ、リニアは運用の都度メンバーで運び、コンテスト1-2日前から屋上でアンテナ工事、リグのセッティング等を行ないます。メンバーは日本全国から集まったコンテスト好きで、日本に滞在中の米国人が参加した事もありました。大方10-15名位になります。ライセンスはその大部分がFCCのエクストラクラスを持っており、運用に際し問題は一切ありません。1991年より、コンテスト参加以外に、サイパンでVEC試験を行ない、現地でのハム人口の大増加の一因となっています。皆あまりお金はありませんが、この様な面で地元のハムの役に立ててうれしく思っています。(1994年5月記)」


写真7. AH0K桜田雅志氏と一緒に参加したメンバーの共同QSLカードの表と裏。

1993年 (ハワイ AH7M, AH6MT)

JA1EY戸倉正雄氏は、ハワイのホノルルで1993年9月からAH7M(旧: AH6MT)で運用してこられた経験の一端をアンケートで寄せてくれた。「ホノルル・オアフ島は都市の規制が多く、全てのアンテナ(衛星含む)は原則的に禁止されているが、オアフ島のハムは、屋根より低いアンテナを使用、運用を行っている。他島(ハワイ、マウイ等)は、規則外とされ、大型アンテナの局が多く運用を行っている。当局は現在、クッシュクラフトR7をボートデッキに海上3mの所に設置しているが、ボートの一部とみなされているようだ。(1997年10月記)」

1993年 (ソロモン諸島 H44/JA1JQY)

JA1JQY松井重雄氏は、大和アマチュア無線クラブで海外運用をするメンバーを募り、目的地をソロモン諸島に定めて周到な準備の末8名で実行、H44/JA1JQYで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真8)。「滞在期間のみの短期免許を9月に申請し1ヶ月で認可、免許料は$6(\240)であった。ソロモン・キタノ・メンダナホテルに滞在、支配人が日本人でホテル前の砂浜に自由にアンテナを建設でき、アンテナ間隔を30m以上取りHF同時3波運用が可能であった。コンディションが良くなく、EUと多数交信を望んだが局数が伸びずJAとWとの交信が多かった。総交信数3,252(サテライト131局含む)。参加メンバーは他に、JA1ZEK大和アマチュア無線クラブのH44/JA1KJW, H44/JR1LVB, H44/JE1XXG, H44/JF1UGA, H44/JA6SJN, H44/JA8VE, H44/7M1QAPで、グループの総勢は8名であった。(1993年12月記)」 尚、同時に送ってくれた資料のデータより、このグループは日本への帰途フィジー(3D2)に立ち寄り、フィジー・モキャンボ・ホテルから、総計945QSOされた事を付記しておきます。


写真8. (左)ソロモン諸島の免許案内。(中)ソロモン諸島の免許申請用紙。(右)H44/JA1JQY松井重雄氏の免許状。

1993年 (メリッシュリーフ VK9MM, VK9MX)

VK2BEX朝比奈篤行氏は、グループでメリッシュリーフへDXペディションに行った経験を、アンケートで寄せてくれた。「VK9MMは1993年9月に行った。VK4CRR, VK2BJL, P29DX, WA4DAN, G3WGV, V73C, K5VTそれに私VK2BEXの8名によるDX Pediです。HF5台+6m+2リニア、3ジェネレーター、4Yagi、5Vertical、8日間で44,500QSOしました。島へは63Feetのヨット"NINA-Q1"で片道約3日です。島は鳥と蟹だけのサンゴで出来たリーフです。そして、VK9MXは私の個人コールでして、少数のみとQSOしました。(1993年12月記)」

「あの人は今 (第13回)」JA1LZR岩倉襄氏

北米やヨーロッパなどで活躍され、今もDX界でアクティブなJA1LZR岩倉襄氏の米国での運用については(その14)2014年5月号で、国連本部及び英領バージン諸島の運用については(その29)2015年8月号で、それぞれ紹介させて頂きましたが、その岩倉氏からその後の海外運用と近況をお知らせ頂きましたので紹介させて頂きます。

1. HB9LEY: 1987年に11年間の米国駐在勤務を終えて帰国し、1995年にスイスのチューリッヒに3年半駐在することになりました。旧知のスイス人の友人が着任早々PTTに出かけ折衝してくれたお陰で、予想していたより簡単な手続きでCEPTのA級免許証を取得できました。これはFCCライセンスがあったこととスイスの就労ビザがあったためであろうと思います。スイスの公用語に英語はなく受験の心配をしておりましたが、それは危惧に終わり幸運にもテストはなく以後このCEPTライセンスのお陰で海外各地からの運用が可能になりました。また、1995年の7月に着任した年末にはリヒテンシュタイン公国からHB0/HB9LEYというコールで運用を始めました。運用をさせてくれる小さなホテルを探してリグとアンテナを預かってもらい、日本に帰国する98年9月まで約3年間に延べ100日以上出かけました。住んでいたチューリッヒから車で2時間程度のドライブで、国境もなく若かったこともあり頻繁に出かけ160mから10mまで多くのJAと交信できました(写真9)。チューリッヒの自宅は郊外の集合住宅だったので大きなアンテナは立てられず、多くのJAと交信することはできませんでした。スイス滞在中の1996年と1997年にバルセロナ郊外の友人EA3AR、Joseを訪問し、家族の大歓迎を受けEA3/HB9LEYを運用し多くのJAと交信できました。その後1998年に日本へ帰国してしばらく経った2002年3月、スペインに駐在していた親友の紹介でアンドラ公国(C31)の無線連盟の会長C31US, Joanからクラブ局運用の招待があり出かけていきました。現地滞在期間は3泊4日と短く、しかも山に囲まれロケーションが悪くJAとの交信は難儀しました。しかし外国人の運用が困難なアンドラから運用できるというので、バルセロナから車で5, 6時間も苦にせず仕事抜きで行きました。この時使用したコールは地元クラブ局C31URAでした。


写真9. (左)HB0/HB9ELY岩倉襄氏のQSLカード。
(右)リヒテンシュタインのホテルからHB0/HB9ELYで運用する岩倉襄氏。

2. JW/HB9LEY: 2010年10月、スバルバード諸島JW5Eのレンタルシャックからの運用でした。ノルウェーのオスロから空路トロンハイム経由ロングイェールビーン空港へ。10月中旬の北極圏でしたのでオーロラの出没でコンディションは不安定でした。多くのJAと交信できましたが、残念ながら160m/80mはできませんでした。しかし晴れ間に見えた景色は筆舌に尽くしがたいほど素晴らしく目に焼き付いています。北極圏を巡るクルーズ船の多くがこの島に立ち寄るそうですが大変魅力的な島です。もう一度出かけるとしたらどこが良いかと尋ねられたら、私は機会があれば是非また出かけたいところは此処JWです(写真10の左)。

3. GJ6UW: 2011年12月、英国ケンブリッジ大学無線クラブメンバーの友人のG7VJR MichaelとG3ZAY Martinに誘われて、Tokyo 610 DXグループのメンバーと一緒に英領Jersey島からGJ6UWを運用しました。リグとアンテナはMichaelとMartinが準備してくれたので大変助かりました。メンバー6人でアンテナの設営が出来たので160mから15mで多くのJAと交信できました。ここは今英国に帰属していますが過去にフランスに統治されていた経緯があり英国とフランスの文化が混在する大人の香りがたっぷりの観光地であるという印象でした。しかも旧知のMichael、Martinと親睦を深められたことは大きな成果でした(写真10の右)。


写真10. (左)北極圏のスバルバード諸島でJW/HB9LEYを運用時、海岸近くのレンタルシャックの裏側に、アンテナを建てた時の岩倉襄氏。
(右)ジャージー島でGJ6UWを運用した、英国ケンブリッジ大学無線クラブメンバーと、Tokyo 610 DXグループのメンバー達。後列左端が岩倉襄氏。

4. 9M0L: 2012年4月のマレーシア領スプラトリー諸島は、多くは日本人のメンバーでしたが現地マレーシアの9M2TO、9M8YY、英国からは著名なG3TXF, Nigelらが加わりこの国際チームに参加するチャンスを得ることができました。周辺各国と領有権争いで以前にドイツ人オペが銃撃されて死亡する悲劇的な事件があった地域で、ライセンス取得ではマレーシア当局や同国海軍から認可取得手続きの際、現地の方々に面倒を掛け多大なお世話になりました。私は160mでの北米方面への運用に専念し、多くのリクエストに応えることができ、本格的なDXペディションを堪能することができました。

5. NH0Z: 2011年から3年連続で、毎年1月に行われるCQWW-160mコンテストに、北マリアナ諸島テニアン島から参加しました。これを機会にFCCのライセンスN2AIRをバニテイコールでNH0Zを取得して160mで北米向けにサービスしました(写真11の左)。

6. 近況報告: サラリーマン生活に終止符を打ち、2006年にトップバンドを運用することを目的に念願の神奈川県三崎にセカンドハウスを建て、ここ数年は160mCWに特化した運用をしております。というわけで現在のシャックにはマイクロフォンはありません(写真11の右)。一方DaytonのTop Band Meetingへは体力、時間が許す限り参加し、ドイツFriedrichshafenで毎年開催されるHam RadioではTokyo 610 DX Groupのブースを設営、この他2015年以降、毎年8月にはTokyo Top Band Meeting(海外からの参加者あり)などを通じて技術情報の交換と国内外の交流を目的とした活動をしております。(COVID-19禍の避難先にて、2020年4月記)」


写真11. (左)テニアン島で、CQWW-160mコンテストに参加して、NH0Zを運用する岩倉襄氏。
(右)神奈川県三崎のJA1LZR局のロケーション。下方中央にセカンドハウスと160m用のアンテナタワーが見える。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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