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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その62 東西ドイツが再統一した年 1990年 (6)

JA3AER 荒川泰蔵

東西ドイツが再統一した年

前年(1989年)の11月9日にベルリンの壁が崩壊し、1990年10月3日にドイツ連邦共和国として、西ドイツと東ドイツが再統一しました。今回はその頃のドイツで運用された方々のレポートから紹介します。

1990年 (ドイツ DJ0TQ, DL/JI3DCF, DC0HR, DL/JH1VRQ)

JA3PE大西新二氏はドイツでDJ0TQの免許を得て運用していると、アンケートを寄せてくれた(写真1及び2)。「1. 使用リグとアンテナ:TS-440S, TH3Jr, R7, TH75E(U.V.)。アンテナを建てたいので庭付きの家を借り、家主の理解も得られ八木アンテナを上げることが出来ました。新しい住宅街でケーブルTVの為TVIも無く、電話も地下ケーブルで問題が少ないのは幸運でした。地域によっては大きなアンテナを上げることは難しい様です。ロケーションは比較的よく、小高い丘の頂上付近でJAとW方面はよく開けています。2. 運用の状況:主としてSSBで14, 21, 28MHzを中心に運用、JA局とのラグチュウが多い。毎週日曜日には在宅する限りJAIG-NETにチェックインします。またコンディションのよい時には、欧州からJANETにもチェックインします。夕方には米国のEast Coast、カナダのJANETメンバ-との定時QSOにも参加しています。7MHzはバーチカルアンテナしかないので欧州内のQSOを楽しんでいますが、日本と同様にかなり混んでいます。U・Vはローカルラグチュウ、連絡用に活用しています。レピーターを利用して結構楽しめます。3. その他:DARCの年会費は年100マルク、地域のクラブの年会費は20マルクで月1回ミーティングがありQSLカ-ドの受け渡しなどを行ないます。日本と大分様子が違います、JARLのカード転送システムはよく出来ていると思います。免許料は月3マルク。私の場合は毎月の電話料金と一緒に銀行口座から引き落とされます。 (1992年8月記)」


写真1. DJ0TQ大西新二氏の免許状。


写真2. (左)DJ0TQ大西新二氏のQTHとアンテナ群。(右)DJ0TQ大西新二氏のQSLカード。

JI3DCF佐々木和彦氏はドイツでDL/JI3DCFの免許を自力でやった経験をレポートしてくれた(写真3)。「2ケ月半のホテル住まいを終えて、5月(1990年)に新居に移りました。家族も5月11日に無事到着し、こちらでの生活も順調にスタートを切りました。当地(ハンブルグ)は日本と同じように住宅難です。特に日本人にとってはその傾向がより顕著です。東独などからの移民の影響に加え、日本人は子供が日本人学校に通い易い人工湖Alsterの西方に住みたがるので、その近辺の家賃もいきおい高くなり、この1年で30%も高騰しています。144, 430, 1200MHzのアンテナはTVアンテナとサイズ的に大差ないため官庁への申請は不要なので、これは現在取り付け中(排気用の煉瓦作りの煙突にハンマードリルでポールを取り付けました)です。免許申請は自力でやらねばと、いろいろ電話局などに問い合わせ自力でやりました。この申し込みはBundes Postの中にあり、かの有名なレーパーバーンの外れの雑居ビル内にあります。シュミットと言うおばさんにあれこれ指示を受けましたが、Good Conductの証明書を区役所で発行して貰いなさいと言うので、10マルクを払って入手したりと結構いろいろな経験を積みました。(1990年7月記)」その後DC0HRの免許を得たと、再度アンケートを寄せてくれた。「昨年(1990年)春に渡欧し、秋に相互運用協定により免許の交付を受けた地元のハムクラブTeufelsbrucke(悪魔橋)に入会し、毎月1回の定例アイボール他の行事でドイツ人無線家との交流を深めている。UHF, VHFのアクティビティは日本と比べかなり低いが、430MHz帯ではパケットによるRBBSも有り、メール内容は非常にコンピューター関係のプログラムについてのものが多く、物事を理詰めで考えてゆくタイプの多い国民性を反映しているように思われる。現在上級ハム試験受験準備中である。(1991年6月記)」


写真3. (左)無線機を調整するDL/JI3DCF佐々木和彦氏。
(右)DL/JI3DCFのシャックにて、佐々木和彦氏とJA3AER筆者。

JH1VRQ秋山直樹氏はドイツで免許を得て、DL/JH1VRQを運用したとアンケートを寄せてくれた(写真4)。「免許はDARCの仲介(手数料15マルク)で申請。申請書をDARCに発送してから許可書を郵政当局から直接、郵便で受け取るまで、22日しかかからなかった。運用はDK7UYとDK0BFのシャックを借りて行なった。(1990年5月記)」


写真4. (左)DL/JH1VRQ秋山直樹氏の免許状と、(右)そのQSLカード。

1990年 (オーストリア NX1L/OE1)

JH1VRQ秋山直樹氏はオーストリアの免許を得て、NX1L/OE1で運用したとアンケートを寄せてくれた(写真5及び6)。「アメリカ合衆国との間の相互運用協定を利用。免許の有効期間は3カ月までで、申請料は230シリング。89年秋の免許は旅行計画自体を断念したため、使用せずに終わった。90年春の再免許による運用は、OE1NYのシャックを借りて行なった。(1990年4月記)」


写真5. NX1L/OE1秋山直樹氏の免許状2種類。


写真6. (左)NX1L/OE1秋山直樹氏のQSLカード。(右)NX1L/OE3秋山直樹氏のQSLカード。

1990年 (リヒテンシュタイン HB0/KB6IVM, HB0/DJ0MBG)

JE1NWL丸山俊一氏はリヒテンシュタインでの運用についてアンケートを寄せてくれた(写真7及び8)。「FriedrichshafenでのHam Fair会場でテンポラリーのライセンス(HB0/KB6IVM)を貰い、自作HB9CVにカーバッテリーでQRV。WARCバンドでのQRVがほとんど無かったので、多くのJA、USA局とQSOできました。その後、HB0/DJ0MBGでも何回かQRVしました。(1991年10月記)」


写真7. HB0/KB6IVM丸山俊一氏の免許状。


写真8. HB0/DJ0MBG丸山俊一氏のQSLカードの表と裏。

1990年 (ITU本部 4U5ITU)

JA1FY野田隆志氏はJTBのツアーでジュネーブを訪問した機会に、ITU本部を訪問したとレポートを寄せてくれた(写真9及び10)。「ジュネーブのITU本部で4U5ITUのゲストオペをさせて頂き、14~28MHzのSSBでJAを中心に9局とQSOさせて頂きました。ITUでの運用は、関東電気通信監理局の英文免許取得証明書で良いようですが、責任者のブラウさんは見せろとは言いませんでした。訪問した5月6日は日曜日で、ITU入口で守衛さんがフランス語オンリーのため、JTBが用意してくれたフランス語のメモを見せて入れて貰いました。シャックまで連れて行ってくれ、まだブラウさんが来ていなかったので、QSLカードを1枚取ってくれ、後でまた来るようにと出口まで送ってくれました。後でまた行ったら顔を覚えていて、またシャックまで連れて行ってくれました。(1999年1月記)」


写真9. (左)JA1FY野田隆志氏の無線従事者免許英文証明申請書と、(右)その英文証明書。


写真10. (左)4U5ITU局にて責任者のブラウさんと、(右)4U5ITUのQSLカード。

1990年 (イタリア JA3DO/I2AMC)

JA3DO塩崎章氏はイタリアから、JA3DO/I2AMCでゲストオペをしたとレポートしてくれた。「1990年イタリアに滞在中、ミラノ市内から車で約1時間位の北東に位置するメラーテ市の OT チャーリー・モンティのシャックを訪問し、11月10日10:00AMから約30分間ゲストオペレーターで運用した。丁度JAコンテストをやっておりJAの5局(JA7NVF, JA1YXP, JF7DZA, JR5GZV, JA3OPY)とQSOをしました。(1990年11月記)」

1990年 (バチカン HV3SJ)

JH1LPF青木哲氏はバチカンでのゲストオペの経験をレポートしてくれた(写真11)。「HV3SJの第1回目の運用は1990年11月でその後4年間に何回も運用しました。最近は1994年1月ですが、1.9MHzから28MHzの各バンドで多数の局とQSOできました。HV3SJのゲスト運用はI0DUD, Pinoの監督下で行なわれることが許可書に明記されていますので、一般的には週末が中心となります。また同じくバチカンのHV4NACからもゲスト運用が比較的簡単にできます。(1994年2月記)」


写真11. JH1LPF青木哲氏が運用したHV3SJの運用許可書2種類。

1990年 (マルタ騎士団 1A0KM)

JH1LPF青木哲氏はマルタ騎士団でのゲストオペの経験をレポートしてくれた(写真12)。「1990年5月にマルタ騎士団の1A0KMをゲストオペし、1991年5月までは1年間に1回程度の運用許可がSMOM当局より得られたが、現在のところ次回の運用の目途なし(SMOM当局よりアマチュア無線に対する理解が得られず)です。(1994年6月記)」そして更に今年(2018年)の2月に追記として「翌1991年の4月末から5月初めにかけても、1A0KMの免許保持者であるI0IJからお声がかかりゲスト運用をしました。この時は日本からJA7MYQ佐々木OMも参加されました。尚、1990年及び1991年運用分のQSL発行を手伝いましたが、ログの写しとQSLが手元にあるので現在でもコンファーム可能です。(2018年2月記)」と、QSLカードのJPEG画像と共に嬉しいニュースを頂きました。QSOしたのにQSLカードが届いていない方は、JH1LPF青木哲氏(jh1lpf@jarl.com)に問い合わせてみてください。


写真12. JH1LPF青木哲氏が運用した1A0KMのQSLカード。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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