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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その49 相互運用協定過度期のヨーロッパ 1988年 (5)

JA3AER 荒川泰蔵

相互運用協定過度期のヨーロッパ

今回は1988年の最後で、Region 1のヨーロッパとアフリカ大陸の紹介です。日本は1986年に西ドイツと、1987年にフランスと相互運用協定を結びましたが、その制度運用の過度期であるこの時代の様子などが、当時のヨーロッパを経験された方々のレポートから垣間見ることができます。また、日本の相互運用協定が遅々として進まぬ中にあっても、海外で試験を受けて取得した免許を基にその国にとどまらず、その国との相互運用協定などを利用して、別の国での免許/運用許可を得るケースも少なくなく、多くの国々で日本人がたくましく運用した時代でもありました。

1988年 (国連ITU本部 4U1ITU)

JA1SC松村創氏はDJ0ULとして長年ドイツに住んでおられるが、単身赴任中のジュネーブから手紙に4U1ITUの運用許可証のコピーとQSLカードを添えて送ってくれた(写真1)。「(手紙から一部抜粋)当地ジュネーブは今、春です。当地での単身赴任もなれてきたところです。大体4週間仕事をして、1週間休んで帰宅するようなことを繰り返しています。小生当地に居る時は14.250MHzで08:00UTCに4U1ITUからなるべく出ています。CEPTの免許があると、HB9でも運用ができます。しかしこれはあくまでも臨時のもので、やはり相互運用協定が本命です。ドイツとの相互運用協定については、小生もJARLの笠原OMと協力して成立にこぎつけたのです。ちなみに、笠原氏は以前ITU職員で旧知です。さて、当地に1月に赴任して来まして、すぐスイスの滞在、労働許可を申請したところ、2月22日に許可になりました。勤務先の国際原子核研究所(CERN)は敷地が広く、フランス領にまたがっていますので、宿舎も4ケ所(スイス3 + フランス1)あります。そこでスイスの宿舎からフランスの宿舎に移り、今度はフランスの滞在、労働許可を3月3日に出しました。研究所(CERN)には4,500人位働いていて、国際機関としては最大のもので、CARC (CERN Amateur Radio Club)があり、早速入会しました。世界中の国から来ている人が多いので、ミーティングは英仏両国語が公用語です。UN (ITU)と同じか、もっと多いかの国際性に富んだ職場のクラブです。尚、DJ0ULの免許は、ドイツの滞在許可の期限まで有効です。小生永住権を得ましたので無期限になりました。(1988年5月記)」


写真1. (左)DJ0UL松村創氏の4U1ITU運用許可証と、(中)4U1ITUのQSLカード。(右)それらが送られてきた航空便封筒(スイスの切手に押された消印にはGENEVE CERNの文字が見える)。

JA2ODS平山欣孝氏は、手紙で4U1ITUを運用したと知らせてくれた。「1988年11月には4U1ITUの運用をし、7MHzでは北海道から順にエリア指定をし、そして21MHzではロングパスで聞こえるJAのパイルをスプリット運用でさばきました。(1995年2月記)」

1988年 (アイルランド EI4VGF)

JA2ODS平山欣孝氏は、アイルランドでEI4VGFの免許を得て運用したと、CQ ham radio編集部経由でアンケートを寄せてくれた(写真2及び3)。「1988年7月から半年間英国へ行くことになったので、この機会に英国のことを知るため、多くのアマチュア無線家と交流を持とうと思いました。そのためには、英国で無線局の運用が出来ると好都合だと思い努力しましたが、当時日本が相互運用協定を結んでいたのは、アメリカ、フランス、ドイツ、カナダぐらいだったでしょうか、とにかく英国では無線はできないとのことでした。出発の直前にも英国の局などとQSOをしていろんな情報を集めていましたが、ある日EI2CLマイケルと交信した際、"Gへ行くのだが、相互運用協定がないので残念だ" などと話したら、"EIでは免許がもらえるはずだよ"と言ってくれたので、電波管理局に英文の免許証と免許状を作ってもらって、それを添えてEIの当局に申請しました。そしたらすぐにEI4VGFというコールサインが送られてきました。日本人でEIのコールサインをもらったのは、私が最初なのか期待していますがいかがでしょうか? 運用は、10月2日前後の2, 3日だけでした。DXペディションに行ったわけでもないので無線ばかりに専念しておれませんでした。EI2CLのシャックからワイヤーアンテナでヨーロッパとアフリカが主に入感しました。現地の昼食時でロングパスの時間が終わりかけていたのですが、JAとほんの少数QSOができました。地域のクラブの集まりでは、持参したTS-680Sを披露しながらQSOもさせてもらいました。今回は夜でしたので、アメリカも入感し何局かと交信しました。ここでも地域のハムとの会話が大切で、無線機ばかりを相手にするわけにもいかず、交信局数はあまり増えませんでした。これが私の初めての海外からのQSOでした。免許がもらえるのともらえないのではシャック訪問の心構えが違ってきます。もっと準備してまた行きたいものです。(1995年2月記)」


写真2. (左)EI4VGF平山欣孝氏の免許状と、(右)その付帯書類(周波数表)I及びⅡ。


写真3. (左) EI4VGF平山欣孝氏の免許状付帯書類(周波数表)Ⅲと、(右)EI4VGFを兼ねたJA2ODS平山欣孝ご夫妻のQSLカード。

1988年 (オランダ PA3DPP, PA3DOD)

JJ3WWS青木小夜子氏は、オランダでPA3DPPPA3DOD局のゲストオペをしたと、アンケートを寄せてくれた(写真4)。「1月のオランダの朝は遅い。朝9時はまだうす暗く、車はライトなしでは走れない。九州と同じ位の面積のオランダは、人口1,400万人、ハム人口4万人。人口密度は我が国より濃い。数少ないQSLカードをたよりに連絡したら、PA3DPPテッドさん(今はリタイアしているが、世界中向けにあらゆるアンテナを建てた)がアムステルダムのホテルに来てくれ、QTHのテイル市まで案内してくれた。日蘭の古い歴史もさることながら、日本人に対する親日感情は高く、治安も安全。YLのひとり旅、安全度◎印の国。国際性が豊かで、偏見のない国民性は好感が持てました。(1989年12月記)」


写真4. (左)第41回JLRS総会前夜祭で司会を務めるJJ3WWS青木小夜子氏(1998年)。
(右)第21回関西アマチュア無線フェスティバルにてJJ3WWS青木小夜子氏と筆者(2016年)。

1988年 (ドイツ DJ0AVV, DL/KE2CX, DL/JR2BEF)

JH1PKN青芳尚文氏は、FreiburgでDJ0AAVの免許を得て3.5、21、28MHzの他VHF、UHFを運用していると、QSLカードと共にアンケートを寄せてくれた(写真5)。「21MHzにて、GMT 7~9時の間のみ運用、VHF 2mと、UHF 70cmは、リピーター運用。TVIが出るため、朝のみ送信可。屋根裏部屋のため、ダイポールアンテナのみ使用可能。(1988年3月記)」


写真5. (左) DJ0AAV青芳尚文氏のQSLカードと、(右)それが送られてきた航空便封筒(ドイツのメータースタンプに、Freiburg 1988年3月24日の消印がある)。

JG1PGJ加藤芳和氏は、DL/KE2CXの免許を得たとアンケートを送ってくれた。「当初、G0GRVの免許で申請したら、Gの当局がCEPTのレターを出してくれればそれでOKとの手紙をもらい、申請は受理されず。Gは正式にはCEPTに入っていなくレターは出してくれるが、それでは送金小切手が無駄になるのでWの免許を利用した。短期間の滞在だったので、144MHz, FMで少しCQを出すも応答無し。(1988年5月記)」

JR2BEF鈴木康之氏は、当時の西ドイツでDL/JR2BEFの免許を得て運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真6の左)。「1988年7月、所用でミュンヘンに出かけた際、相互運用の許可を得て21MHzにQRVしました。QRVはもっぱらモービルからで、ドイツ製のレンタカーにホイップを付けて、バイエルン州内を走り回りました。2mも持参しましたが、言葉の壁が余りにも厚く、もっぱら21MHzでのQSOに終始しました。(1992年5月記)」


写真6. (左)DL/JR2BEF鈴木康之氏の免許状。(右)F/JR2BEF鈴木康之氏の免許状。

1988年 (フランス F/JA2RM, F/JR2BEF)

JA2RM氷室貢二氏は、フランスでのF/JA2RMの免許取得と運用の経験をレポートしてくれた(写真7~10)。「フランスの免許状は簡単なもの。F/JA2RMの記入と期日あるのみだが、裏に小さくFでの資格と日本の局免との"明き窓"(共通部分)でやることを指定しています。私の日本免許はWARCを含まず、10Wの頃のままでしたが、50W移動の指定変更をやるつもりと申請したところ、局検査に当たってFT-757GX(M)で50WフルはOK。但し、80/75mは、よく周波数の重複部分を調べて出るようサジェストがありました。75mが日本局免にないためSSBは出る余地なし、3.500-3.575はCWのみ可能でしたが、アンテナがなく放棄しました。(1991年12月記)」尚、JA2RM氷室貢二氏は、フランスでの体験を、津島市のクラブJR2ZZAの機関紙「ナニイッテリヤアス ? 」に投稿された他、ご自身で発行された「JA2RM News Letter No.28 (1991年12月号)」にも詳しく述べておられる。


写真7. (左)F/JA2RM氷室貢二氏の免許申請書と、(右)それに添付のファクトシート。


写真8. F/JA2RM氷室貢二氏の1年間の免許状の表と裏。


写真9. (左) F/JA2RM氷室貢二氏のシャックと、(中)その4バンド用ダブルWindomアンテナ。
(右)F/JA2RMのQSLカード。


写真10. (左)F/JA2RM氷室貢二氏のフランスの臨時免許の考え方を記したメモと、
(右)氷室貢二氏が発行する「JA2RM Newsletter 第28号」。

JR2BEF鈴木康之氏は、フランスでF/JR2BEFの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真6の右)。「1988年6月、所用でパリに出かけた際、相互運用協定の許可を得て21MHzにQRVしました。宿泊先となったホテル・ニッコー・パリは高層ホテルのためベランダが無く、屋外アンテナは設置できませんでしたが、客室内からQRPトランシーバーとホイップで、Uゾーンを中心に100局程とQSOしました。(1992年5月記)」

1988年 (ルクセンブルグ LX2AA)

JG1PGJ加藤芳和氏は、仕事での駐在地ルクセンブルグから、LX2AAの免許を得て運用した経験を「LUXEMBOURGアマチュア無線局開局の手引き」にまとめられ、そのコピーと共にアンケートを寄せてくれた(写真11~13)。「(手引きから抜粋) 私の経験からreciprocal agreementによって協定のある国の免許をベースに、この国で免許を取得するための方法を紹介します。申請に必要な書類は次の通りです。a. 申請書(QuestionnaireといってPTTに頼む)。b. 免許のコピー(Reciprocal Agreementのある国のもの)。c. 滞在証明書(Certificat de Residenceで市役所で発行してもらう)。d. IDカードのコピー(Recepisseといって携帯義務のある住民登録証明書)。e. 履歴書およびアマ無線の経歴書。f. 50Fr.の郵便切手(申請書に添付)。先ずPTTのMr. Kremerに連絡を取って申請書を手に入れる。その際に希望のサフィックスがあれば空いているか聞いておくと、空いておれば私の様にもらえます。申請書の記入は特に難しいことはないと思いますが、最高入力は100Wです。申請書に簡単な手紙を添えてその中に連絡先を書いておけば、何かあっても電話で照会が来るはずです。この国は郵便事情が悪いので、不備があるとそれだけ許可までに時間がかかることになります。さて1ヶ月もすれば免許が来ますが、on airする前にすることがあります。仏語のカバーレターに免許料の支払が書かれてくるので420Fr.(1年分)を銀行に行って送金します。なお、免許の有効期間は5年間です。これで晴れてルクセンブルグで無線が出来ます。アクティビティが低い国ですからJAにいる時と違っていろいろ呼ばれるし、私の様にアパートのベランダに出したモービルヘリカルから出るショボイ波でも拾ってもらえます。この辺は同じヨーロッパでもロンドンにいた時と違います。 (1988年4月記)」


写真11. (左)LX2AA加藤芳和氏と、(右)そのQSLカード。


写真12. (左)LX2AA加藤芳和氏への免許通知書と、(右)その免許状。


写真13. LX2AA加藤芳和氏制作のルクセンブルグでのアマチュア無線開局の手引書の一部分。

1988年 (ザンビア 9J2KF)

JG3VOD藤田清氏は、ザンビアで9J2KFを運用した経験を、アンケートで寄せてくれた(写真14)。「当初、HF-VHFまでのTX・RXを持ち込み、入国前にJA2QDX(伊藤満氏)よりアドバイス頂いた通り、9J2DS(ダニエル・ソコ)、9J2KL(カヌー)らと連絡を取り、免許は申請書に所定事項を記入し、郵送して待つこと約4ヶ月で郵送されてきた。JA2QDXらが寄贈してくれたRTTYターミナルで、RTTYを運用(14, 21, 28MHz)、約500局と交信。サイクル22の中の50MHzはヨーロッパと交信。9Jは常時JOCV等の日本人の運用者がいて比較的運用しやすい所でした。電源事情が悪くよく停電し、不安定な電圧の日が多かった。(1995年12月記)」


写真14. 9J2KF藤田清氏のQSLカードを掲載したCQ ham radio誌1989年6月号DX News欄の一部分。

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