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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その106 20世紀終盤の海外運用の記事を公募中 1997年(2)

JA3AER 荒川泰蔵

20世紀終盤(1998~2000年)の海外運用の記事を公募中

新年明けましておめでとうございます。今回は1997年の第2回目でアジアの2回目です。「あの人は今(第31回)」は、アラブ諸国に魅せられたJM1NCA太田謙氏の紹介です。先月号で「あの人は今」のコラムの原稿を公募させて頂きましたが、「海外運用の先駆者達」の副題が「20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達」とありますように、西暦2000年までの記事で終える予定です。現在1997年の記事を連載中ですが、あと3年分(1998年から2000年まで)が残っています。読者の皆さんがその期間に海外で運用したけれど、アンケートや記事原稿を送った覚えのない方がおられましたら、筆者JA3AER(ja3aerアットマークjarl.com)までお知らせ下さい。今なら掲載に間に合いますので、アンケート用紙を送らせて頂きます。

1997年 (マレーシア 9M2FU)

JA5DUR小池房夫氏はマレーシア駐在時に、9M2FUの免許を得て運用したとレポートしてくれた(写真1~3)。「1996年8月、仕事の関係でマレーシアJ.B(JOHOR BAHRU)に赴任し、翌1997年に念願のアマチュア無線局を開局しました。開局に当たっては当時J.Bに知り合いがいなく、ハムのことを全く知らない当社のローカル従業員の力を借りて、自力で開局にこぎ着けました。申請書の作成時、テレコムとのやり取りにはローカル従業員にお世話になりました。申請にはテレコムで入手した申請書に、JAの英文従事者免許、英文無線局免許(50W移動局)、パスポートのコピー、就労ビザ、裁判所で通信の守秘宣誓をした証明書、2名による身元保証推薦状、アンテナのスケッチ、無線機カタログを添付しました。私の開局とほぼ同時期(1,2ヶ月前)にJ.Bから9M2KU米光さん、9M2FA溝口さんが開局されていることを電波の上で知り、早速ビールを片手にアイボール、開局時の苦労話に花を咲かせました。9M2でのシャックは、25階建てのコンドミニアムの18階で、窓からシンガポールを望め、ANTは釣竿で南向きのため、JA,NA,EU方面は良くありませんでした。9M2のSSTVが珍しかったのか、EUやJAからパイルを浴びていました。9V1の日本人各局とは2mFMで、部屋の中にホイップアンテナを上げてラグチューに花を咲かせていました。(2015年2月記)」


写真1. (左)シャックにて9M2FU小池房夫氏と、(右)そのQSLカード。カードの写真に見える対岸はシンガポール。


写真2. (左)9M2FU小池房夫氏のシャックと、(右)窓から突き出した釣竿アンテナ。


写真3. (左)9M2FU小池房夫氏の免許申請書と、(右)その免許状。

1997年 (ヨルダン JY8NC, JY9KO)

JM1NCA太田謙氏JM3SIN太田久美さんご夫妻は、憧れのヨルダンで免許を得て、運用する機会を得たと、アンケートを寄せてくれた(写真4及び5)。「1. 遺跡の国ヨルダン: 未知なる神秘の地、アラブ諸国は私たち2人が知り合う以前から共通のあこがれの地でありました。私は小さい頃から教会の日曜学校に行って聞いた色々なお話や地名、米国で知り合ったアラブ諸国の人達に興味をもったこと、XYLは某外国語大学でアラビア語を専攻し、学生時代に既に中東を旅行している経験者、こんな2人が同じ会社に入社したときから話が合うのは当然の成り行きでありました。私たち2人は1995年9月に結婚し、当然ながら新婚旅行はヨルダン・イスラエルと聖書の旅をすることからスタートしました。XYLは2回目のヨルダン訪問ですが、私にとっては初めての訪問でした。私は既にその2年程前にチュニジア・モロッコに没頭しておりましたが、同じアラブ諸国でありながら、北アフリカは東洋人を見ては誰彼なしに空手のまねごとをしながらジャッキーション!(ジャッキー・チェンのフランス語読み)の連発、一方ヨルダンでは“何だ こいつ”という感じでジロジロ見られてばっかりと気質の違いをすぐさま感じました。ヨルダンは聖書をお読みになられた方でなくても、政治問題でも度々登場する場所であり、あの湾岸戦争の時にもイラク寄りの立場をとったため、唯一の港であるアカバ港はその物資の供給ポイントとなりました。また20年程前には、日本からのプラント輸出が盛んに行われ、アカバ港を拠点にイラクやクウェートへも物資が運ばれました。私の会社の上司であるHS0/JR3XMG梅本OM(在バンコック)も、このアカバ港にプラント輸送のため駐在されJY9MGで出ておられました。難しい話はさておき、遺跡の多いことでも有名なこの国は、最近では多くの写真家や遺跡研究を趣味とされる方が多く訪れます。大きなホテルには日本の週刊誌がたくさん並んでいたりして(もちろん最新誌ではないが、ちゃんと日本の一流旅行会社の透明カバーがついている)少々興ざめの面がありますが、いかに日本の観光客が来られているかが分かります。旧約聖書に出てくるモーゼの終焉の地ネボ山、ローマ時代の一大都市であったジェラッシュ、何度見ても圧巻のペトラの遺跡等々、信じられないような貴重な場所が、特に大きな整備もされず、日が昇り、日が沈む時間だけでの空間に横たわっており、その中に身を置くと、これが本当に日本と同じ地球に居るのか分からなくなります。それでも、当然ながら、その場でRigを取り出せば目まぐるしく電波が飛び交っているのでしょうが、敢えてそのようなことは忘れた方がいいのかも知れません。でも、ネボ山からみるイスラエル方向のロケーションはVY FB!でした。

2. XYLの留学: さて、私のXYLは結婚後に一度だけ留学がしたいとの願いがあり、昨年7月に退職後、早速計画を立て、同9月に3回目のヨルダン訪問を果たしました。留学先はヨルダン大学の外国語学校、当然ながらアラビア語のレッスンです。私も今回訪問時に飛び入り参加させて頂きましたが、辞書を引けるようになるのに一年間、子音字しか標記しないため、単語が分からないと読めない・・・ 等々、世界三大難解言語だけあって、まったく分かりません。そんな中でXYLは日本人特有の文法、読み書きは難なくこなすが会話はイマイチ。一方、アラビア語初めて組のヨーロッパ系留学生は、会話は結構いけるが、読み書き文法はまるっきり。と言った具合で面白い雰囲気です。また、今やアラブ諸国よりイスラム教信者の割合が多いとも言われる東南アジア諸国の人たちが多数勉強に来ているのには驚かされます。これはもっともな話なのですが、コーランは(正式にはクルアーン)聖書の様に翻訳されてはならないとされており、仮に日本語で書かれたものであっても、解釈本との位置づけになるため、必然的にアラビア語を母国語としないイスラム教徒もアラビア語を勉強することとなります。こんな彼女と遠く日本であくせく働く私の夫婦仲を支えてくれたのが、同地の無線仲間達でした。XYLも3回目の訪問とはいえ、初めての海外での定住生活に戸惑うところでありましたが、新婚旅行の時にお会いしたJY4MB, Mr. Mohammad Balbisiが滞在許可の申請から、女子寮への荷物の運搬、そしてコールサインの取得と全てに渡って協力してくれ、クラブ局への案内はJY5IM, Mr. Ibrahim Khaderが送迎をしてくれました。そのような中、彼女の初QRVが昨年10月19日に行われることとなり、私もRigの前にかじりついてWatchをしましたが、時間帯が良くなかった関係もあり、日本とはオープンせず、初QSOは断念せざるを得ませんでした。しかし、欧州~ヨルダン間ではその頃、何やらQSOにならないQSOが行われていたようです。私のXYLは海外運用どころか、日本では免許をとったばかりであり、1200MHzで私としか話したことがない状態。後日XYLより聞いた話では、サポートして頂いたGW0RTA荒川OMとのQSOでは、RS 59を頂いておきながら、XYLが送ったレポートが“よく聞こえます!”、Sの振らない局に対しては“レポートは50です!”といった有様で、何も分からないXYLにもう少し教育しておけば良かったと後悔した次第です。

3. 念願の本格的海外運用: 私は1997年12月25日から30日まで、普段XYLが運用をさせて頂いたR.J.R.A.S(Royal Jordan Radio Amateur Society)の、Club Stationをお借りして運用を行いました。私は以前フランスに業務の研修で1年間滞在したことがあり、当時F/JM1NCAのコールサインでOn Airしたことがありましたが、なにせパリの住宅事情のこと、住み心地はよくとも、無線家にはアンテナの設営場所がなく、ほとんどOn Air出来なかった苦い思い出があります。ですから、今回が初めての本格海外運用で、出発前から待ちきれない状態でした。当地での免許の取得は日本での免許(従事者免許証と無線局免許状)の英文証明を事前に提出し、許可を受けました。当該免許の取得は同クラブのSecretaryである、JY4MBが全て行っており、2回目の訪問でもあり、すんなり許可を頂きました。彼曰く、私のようにXYLが居住しているとか、本人が居住する、あるいは同国の記念行事のペディションに参加するために来る外国人等以外は、あまりむやみに許可を出さないそうです。特にコンテスト目的のペディションには一切許可を出さないそうで、JYのコールサインの品位と価値を一定レベルにキープしておきたいとの意向があるようです。これにはもう一つ理由があり、最近ではLow Bandでのコンディションがよい時など、どこで調べたのか、彼の携帯電話にまで今すぐOn Airしてくれ!の様な電話がしょっちゅう掛かってくるため、自分勝手なDXerにかなり憤慨している様子でした。ちなみにこのような電話までしてくるのはJAの局だと言っていました。気を付けたいものです。クラブ局は街の中心部から北へ車で10分程のところにドゥアル マディーナというロータリーがあり、そこに隣接したスポーツシティーという競技場施設の中にあります。競技場内部は公園のようになっており、体育館の横を抜けて南へ行くとクラブ局舎があります。建物はかなり老朽化しており、訪問時は気温5度程度にもかかわらず、暖房がほとんど効かない状態でした。無線機類も私が使用したIC-754Aのみが使用でき、他のRigは使用不可との事でした。そのため、来年にも新局舎を建設するそうです。そのような状況でも、ひとたびRigの電源を入れれば、ヨーロッパ、アフリカのオンパレードと、普段経験できない状態に興奮したものです。待ちきれずにすぐさまOperateに入る小生を横目に、JY4MB他出入りする常連メンバーのもっぱらの関心事はトランプです。私がOn Airしている期間中も何度か人が集まってきてはトランプに興じ、XYLはその横でお茶と和菓子をふるまうという、変な光景が出来ました。甘い和菓子はなかなか好評で、トランプをしている4人組の横に置いておいた10個か12個入り和菓子がものの10分もしないうちにからになりました。こりゃ、今度は下手なお土産を買っていくより、和菓子が一番かな、でも重いけどなと思いました。私のオペレートはJAを中心に考えたため、毎日現地時間の6時起床、6時半出発と言った具合で、7時からOn Airというスケジュールをとりました。交通手段は乗り合いバス(運賃100fils=約17円)で、所要時間は約10分。XYLは毎日一緒にクラブ局へくるものの、9時には学校へ行き、午後に再度昼食を持ってクラブ局へ来るというパターンを繰り返しました。JAとは14/18/21でかなりの強力な信号を確認でき、200局程とQSOすることが出来ました。残りはヨーロッパとのQSOが400局あまり。日本では1200MHzしか出来ない借家住まいの身分ですが、久しぶりのHFでのOn Airになり、欲求不満も一気解消です。パイルアップを呼ぶことはあっても、捌いたことの無い私は、相手のコールを確認するのも一苦労、途中であまりのパイルアップに、JA3BOA乾さんよりSplitでしたほうがいいとご助言も頂く始末。普段なら呼ぶ側に立って、Splitにしてくれないかなとか思っている自分であるのに、いざやってみると気付かなくなってしまいます。よく言われる自局のコールを言うことを忘れがち、というポイントは押さえたつもりですが、ペディションで何万局も捌く人達が信じられない気持ちです。約600局とのQSOを行い、12月30日の午前中でQRTとなりました。ちょうどこの日からヨルダンをはじめとするイスラム教地域では年に一度のラマダン(断食月)が始まりました。昼間は大手ホテルのレストランを除いて、全ての飲食店は閉店状態。日没後まで私たちも束の間の断食を経験しました。その夜、何時間ぶりの食事を、またしばらく会えないXYLとともに頂いたあと、深夜の飛行機で帰路に就きました。


写真4. (左)ネボ山にてJY9KO太田久美さん。
(右)JY6ZZのアンテナ群、後方に見える八木ビームアンテナが今回使用したTH11DXX。

今回のQSLカードは、これまた初めて写真のQSLカードを作ってみましたが、文中にもありますモーゼ終焉の地、ネボ山からイスラエル方向を望む形で撮影したものを取り上げました。ここはヨルダンとイスラエルがワシントンでの和平合意をした際に、両国のアマチュア達がペディションを行った(JY74X, 24-31/3/1995)場所としても有名です。世界の国々がそれぞれの古い歴史を持っていますが、ことヨルダンの遺跡の壮大さは私たちの脳裏に焼き付いて離れません。これも世界史の本や聖書を少し読んでいくと尚のこと、その重みが感じられます。もし機会がありましたら、是非同国を訪問してみて下さい。最後に、私に運用の機会を与えて下さり、またXYLの就学・QRVにご協力頂きましたJY4MBとJY5IM両氏に感謝の意を表したいと思います。(1998年7月記)」


写真5. ネボ山の風景写真で、JY8NC太田謙氏とJY9KO太田久美さんご夫妻のQSLカード。

1997年 (ネパール 9N1BV)

JA1PBV伊藤寧夫氏は、20年前にヒマラヤ登頂を試みた友人に誘われてネパールに出かけ、9N1BVの免許を得てカトマンドゥで運用した経験をアンケートで寄せてくれた(写真6及び7)

1. 免許準備: JARLの国際課に頂いた雑誌(CQ誌、モービルハム)のコピー、パスポートのコピー。従事者免許証/局免許状の原本とコピー、両免許の英文証明、トランシーバーの仕様書を準備しました。免許の申請先はMIC(Ministry of Information & Communications)でした。
2. 免許の申請: 申請書はネパール語なので、日本人には書けない。担当の人に書いてもらった。申請料は2バンド1セットで8,400ルピー(1ルピーは約2円)、出力は100Wでした。申請書に5ルピーの印紙が必要ですが、タクシーの運転手が持ち合わせていましたので頂戴しました。免許費用の支払いは銀行振り込みですがその手続きが複雑で、日本人一人では英語が出来ても無理ではないかと思います。私はホテルのツアーガイドと運転手が付き合ってくれましたので、時間が掛かったものの無事振り込めました。
3. 出張検査: 振り込み証明書を確認の上、ホテルで出張検査を受けました。持ち込んだIC-706を手にし、型名やメーカー名を確認され、検査料1,000ルピーを支払いました。
4. 免許取得に掛かった費用: 切手5ルピー、免許料8,400ルピー、検査料1,000ルピー、タクシー3回で600ルピー、総費用は円換算で2万円程度でした。
5. 運用: 運用場所はカトマンドゥの他、チトワンとポカラの3ケ所を希望して免許を得ましたが、天候悪化や電気のないホテルでの宿泊等のアクシデントで、カトマンドゥのみの運用になりましたが、14, 21MHz、CW, SSBで357QSOが出来、停電、ノイズ、妨害があったものの、初めての海外運用を満喫しました。(1997年11月記)」尚、伊藤寧夫氏はCQ ham radio誌、1997年11月号に詳しくレポートしておられます。


写真6. 9N1BV伊藤寧夫氏のQSLカードと、(右)その免許状。


写真7. (左)MICで免許担当官と9N1BV伊藤寧夫氏。(中央)9N1BVのシャックにて伊藤寧夫氏。
(右)ホテルのバルコニーでアンテナを設置する9N1BV伊藤寧夫氏。

「あの人は今 (第31回)」JM1NCA太田謙氏

今月号のヨルダンの項で紹介した、JY8NCを運用されたJM1NCA太田謙氏は、その後仕事でシンガポールやインドに駐在されましたが、その頃の活動を含めた近況をお知らせ頂きましたので紹介させて頂きます。「あれから早いもので20年以上が経過しましたが、幸い小生の無線熱は消えることなく細々と続いております。2001年にシンガポールへ赴任し9V1NCのコールで運用、7年間の駐在期間を経て一旦帰国するも、2014年に今度はインド・バンガロールへ赴任しVU3OTKのコールで運用、後にムンバイへ異動となりましたが、トータルで5年のインド駐在でした。


写真8. (左)9V1NC太田謙氏のシャックと、(中央)そのアンテナ。(右)9V1NC太田謙氏のQSLカードで、写真はジュロンにある中国庭園。

私のインドでのライセンス取得は、米国FCCのライセンスをベースとしましたが、デリーにあるMinistry of Communications & ITへの申請に当たってはVU2CW(当時はVU2OEC)Rajeshさんによる手渡し申請と直接交渉、免許取得過程で必要となる居住地管轄の警察署への出頭と本人確認ではバンガロールのVU2KKZ Rajaramさんのサポートなど、現地ハムの仲間には大変お世話になりました。


写真9. VU3OTK太田謙氏が苦労して取得した免許状。項目の3行目に父親の名前まで書かれている。

一番予期していなかったのが管轄警察による面接です。インド特有ですがアポイントメントを取った時間に行っても担当者不在、1時間ほど待ってようやく帰ってきたと思うと、他の要件が先とのことで、再度廊下で待機。その間に部屋の中が見えるのですが、次から次へと多くの人たちが贈り物や花束を持ってきてその係官と記念写真という具合ですから、かなりお偉いさんのようにも見えます。とっくにアポイントメントの時間を過ぎて待たされている私には一向に順番が回ってきません。何度か“もうそろそろだめですか?”みたいな感じで遠慮がちに聞いていたら、ようやく部屋に呼ばれて面接が始まりました。ところが、その内容でいきなりとん挫。係官曰く、“今時インターネットがあるのに何でこんなことやらなきゃいけないんだ!”と。私は事前に用意しておいた説明文句として“災害時などに現地のアマチュア無線家と協力して地域に貢献することも出来るため、無線を通じてインド人コミュニティーと係わりを持ちたい”と、もっともらしい説明を。しかしその反応は“外国人にそんなことしてもらう必要なし!帰れ!”ものの5分もたたずに部屋から追い出されてしまいました。そこで以前荒川さんからご紹介を頂いていて面識のあるVU2KKZ Rajaramさんに電話をして急遽警察署へ来てもらうことに。幸い彼のオフィスが近所であったことから即座に警察署に現れて、例の係官にアマチュア無線の意義や小生の係わりなどを説明、しばらく押し問答があったものの最終的にはデリーの本省からのレターにサインをして承諾を取り付けてくれました。やはり現地のローカル言語での交渉が重要と改めて感じた次第ですが、仕事でも交渉事は最終的にローカル言語話者同士でしてもらうというシチュエーションが結構ありました。バンガロールはカンナダ語、ムンバイはマラティー語、但し、デリーの中央政府から来ている人が相手だとヒンディー語が良いなど交渉相手に合わせて言語を選んだほうがいい場合もあると会社のスタッフが言っていました。


写真10. (左)VU3OTK太田謙氏のムンバイでのシャックと、(中央)そのQSLカードで、写真はチェンナイの世界遺産である海岸寺院。(右)インド・ケララ州のアラプザで開かれたSEANETコンベンションにて、VU3OTK太田謙氏とJA3AER筆者(2015年)。

その間、妻はシンガポールで9V1KOのコールサインを取得するも、現在まで全く無線には興味なし。長女は米国FCCライセンスを取得し現在W1HRSを保持。それをベースとして日本のコールサインJR2HRSを取得しておりますが、こちらもあまり興味なし。3つのコールサインをQSLカードに書いて喜んでいるのは私だけという、まあまあ普通の無線家の家庭かなと思っております。


写真11. (左)JM1NCA太田謙氏とJM3SIN太田久美さんご夫妻に、お嬢さんJR2HRS瑠々さんのコールサインを加えたご家族のQSLカード。写真は京都・嵐山のお地蔵さん。(右)奈良ホテルで結婚記念日の食事をしたときの家族写真。左からJM1NCA太田謙氏、JR2HRS瑠々さん、SWL那々さん、JM3SIN太田久美さん(2020年)。

現在は東京に帰任し、HFとD-STARをほそぼそとやっております。最近の無線の楽しみは、偶然にも40年ぶりというような局と何人かお空で巡り合い、今はお互いおじさんですが当時高校生だったころの話でなぜか盛り上がるという不思議な現象がいいなと思っています。ちょうどこの原稿を書いている本日は、1990年の1回だけのQSOなのに手紙やメールでずっとやり取りしてきたZL1AFU, BobさんとSkype QSOで2nd QSOを果たしました。こうした隔世の2nd QSOとでも言いましょうか、新たな楽しみを覚えるアマチュア無線を、これからも楽しんで行きたいと思います。(2021年7月記)」尚、太田謙氏はその後、仕事の関係で米国へ転勤されるとのことですので、この記事をご覧頂く頃は、既にFCCの免許を得ておられるW1NCAでQRVしておられるかも知れません。

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